第二章 5-2


「これより玉座の間にて御会見ごかいけんと相成ります」


 宮殿の客室に控えるレイネリアたちにサナリエルが声を掛ける。皇帝との邂逅後、未だ動揺が収まらぬ様子のミストリアに付き添っていたが、今では幾分か落ち着いたようであった。


 一体ミストリアはどうしてしまったのだろう。確かに相手が皇帝ともなれば、常人では足が竦んでしまうのも無理はない。それでも、ここにいるのはミストリアなのだ。天人地姫として超常的な力を誇り、帝国の覇道を阻む唯一無二の調停者であるのだ。


 ミストリアはヌーナ大陸の希望…地上に燦然さんぜんと輝く星だ。しかし、天上を雲が覆うことがあるように、その輝きも時にはかげることもある。ならば、それを埋めるのが自分の役割ではないだろうか。


 不調のミストリアを補佐し、その意思を高らかに代弁すべく、意気込んで椅子から立ち上がる彼女であったが、それを察したかのように皇女に機先を制されてしまう。


「御会見は天人地姫と陛下のみで行われる。すまぬが、ニー様は此処で待機していてほしい」


 どうやら帝国側も皇帝御一人で臨むらしい。しかし、如何に相手が天人てんじん地姫ちぎであるとはいえ、他国の者を相手に護衛も付けずに立ち会おうとは剛毅ごうきなものである。いや、むしろ天人地姫であるからこそ、護衛の有無など詮無きことなのだろう。


 本来は帝国側が譲歩した形だが、今のミストリアを独りにすることには不安がある。あの尋常でない様子には、まさか精神系の魔法を行使されたのかと疑うところだが、それこそミストリアを相手に有り得ないことであった。


「私のことなら平気よ。それよりも自分の身を心配していなさい」


 一瞬、怜悧れいりな視線が皇女に向けられたが、まるで暑気払しょきばらいかのように受け流されてしまう。しかしながら、その様子にミストリアの調子が戻ってきたことを感じ、少しだけ安心もするのであった。


 皇女は怪しげな微笑みを残すと、ミストリアを連れて客室を出ていった。ただ一人残された彼女は、挫かれた意気を持て余しながら室内を眺めていた。


 宮殿には広大な版図から莫大な富が集積されており、宝物庫には金銀財宝が山のように眠っていると噂されている。一方、内部を進んできた限りでは実用性を重視した造りであり、奢侈しゃしな装飾などは殆ど見受けられなかった。これでは規模こそ劣れども、王宮の方がぜいを凝らしているくらいである。


 それも質実剛健を重んじる帝国らしいが、実際にはそう単純な話でもなく、巧みに使い分けがされていた。例えば此処のように使者を控えさせる客室では、床や壁、天井には豪奢な装飾が施されており、調度品にも貴金属や宝石が惜しげも無くあしらわれている。


 これも使者を十分にもてなし、国家の威信を損ねぬためであろうが、今回が二度目となる彼女には気が付いたことがあった。一年前も国使である母の従者として宮殿に足を踏み入れたが、そのときに案内された客室とは明らかな格差があるのだ。


 つまりは、そういうことなのだ。帝国は使者の重要度に応じて客室を分けており、今回は最上級のものなのだろう。賓客ひんきゃくが天人地姫とあらば、その対応は至極当然のことであった。


 不意に、以前書物で読んだ話を思い出した。今よりも前の時代、まだ大陸にも三国以外に大国と呼ばれる国家があった。そこには帝国からも一目を置かれるほどの才気に満ちた英傑がおり、あるとき国使として帝都を訪れたそうだ。


 しかし、なぜか帝国は英傑を粗末に扱った。案内された客室は見るからに簡素であり、帰国の土産として持たせた品もろくでもない貧相なものであった。結局、英傑は使者としての役目を果たすことが出来なかった。


 次は別の者が使者に赴いた。そのとき、帝国は英傑よりも豪勢な部屋に案内し、帰りには莫大な宝物を持たせた。その使者は不誠実な人物であり、幾らかを懐に忍ばせて王に献上したのだが、それでも目が眩むほどの財宝であったため、王は大いに喜んだ。


 一方、前回とはあまりにも待遇が違うため、英傑が何か非礼を働いたのではないか、或いは嘘偽りを申していたのではないかと嫌疑を掛けられる羽目になった。


 やがて、同じようなことが繰り返されると、いよいよ王も英傑に対して疑念を抱くようになった。英傑の高潔さを知る臣下たちの諫言かんげんにより、刑罰が与えられることは避けられたが、職を解かれて野に下ることとなった。


 その後もくだんの使者にだけ帝国は厚遇を続けた。場合によっては、帝国にとっても不利な条件で協定を結ぶことさえあった。使者は王の寵愛を受け、他に代え難き有能な人物として重用されるようになった。


 しかし、しばらくして国は滅びた。直接的な原因は帝国の侵攻によるものだったが、既にその頃には国力は痩せ衰え、内部は見るも無残なまでに崩壊していた。使者は無能な凡夫ぼんぷに過ぎず、幾度となく失政と腐敗を繰り返した。また、自分よりも有能な人物からの追求を恐れ、王に讒言ざんげんして処分させることもいとわなかった。


 それだけでも極刑に値するほどの重罪だが、国を裏切って帝国に機密情報を漏らしており、敢えて国力を削ぐ政策すらも行っていたのだから、もはや国賊というより他なかった。


 国賊は自分の地位だけは安堵されるように帝国と密約を交わしていたが、侵略後には呆気なく反故ほごにされ、一族郎党と合わせて処刑された。しかし、国民の怨嗟の声が止むことはなく、帝国への併合に諸手を挙げて賛同した。


 そして、帝国からもたらされた莫大な財産は元の国庫へと戻り、英傑を含む有能な人材は新体制に登用とうようされた。こうして、その国の存在は不要なものとなり、帝国の一部として再出発を果たしたのであった。


 彼女はそこまで思い出したところで、この部屋がくだんの使者が厚遇された場所ではないかと寒気がした。やはり、帝国は油断も隙もない国であると気を引き締め直す。


 結局、ミストリアが御会見を終えて戻るまで、誰かが部屋を訪れることはなかった。その頃にはもうミストリアはいつもの調子に戻っており、彼女は満面の笑みでそれを迎え入れたのであった。

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