第一章 8-2
「どうやら集まってきたようです」
窓際で警戒態勢を敷いていたオユミが端正な顔を歪めて声を漏らした。レイネリアも隣に並んで
集団の先頭にはイワナの父親を名乗る男の姿があった。しかし、それに伴われる村人の様子がどこかおかしい。いや、おかしいなどという生易しいものではなかった。
血だらけの者がいた。腕がない者がいた。脚がない者がいた。肉が
「あ、あいつです! 昨夜、私が斬り伏せたのは!」
兵士が寝台から半身を起こして叫んだ。指し示す先に視線を向けると、
オユミが
村長も肩を震わせながら外の光景を眺めていたが、やがて見知った顔を発見したのか、手で顔を覆いながら
一方、イワナだけがいつもの無邪気さを
村人、或いは村人だった者たちは、何をするでもなく村の中央広場に集まっていた。彼らが自身の姿、境遇をどのように認識しているのかは定かではないが、今はその衝動の矛先が自分たちに向かないことを祈るばかりであった。
しかし、その願いも
「す、すまなかった。儂だってこんなことになっているとは思わなんだ」
窓から飛び出る顔に向かって村長が謝罪の言葉を口にする。恐らくは彼らが最後に犠牲になった荒くれ者たちなのだろう。この行動は村長に恨みを抱いてのものなのか、意思疎通が図れるのかは不明だが、どうやら記憶はまだ残っているようである。
最初に動いたのはオユミであった。彼は並んだ顔触れを横一文字に斬り付けると、今度は脇を締めて追い返すように突き刺した。男たちは
しかし、安心したのも束の間、今度は中央広場から地鳴りのような怒号が上がった。どうやら三人組に感化されて暴徒と化してしまったようだ。いや、正確には今のオユミの行動を集団への攻撃と受け取ったのだろう。
ミストリアは、殺したのは村人ではないと言っていた。それは少女の父親という男も同様であった。彼らの行動原理は危害を加える者の隔離であり、その過程としての暴力なのだ。
しかし、果たしてこの状況で生命の危険はないと断言できるだろうか。既に集団は暴走を始めており、今までどおりに済む保証など何処にもなかった。
「早く、部屋にあるものでこの窓を塞ぐのです!」
窓から伸びる手を撃退しながらオユミが
これで
今度は部屋の扉を塞ぐ必要があった。しかし、家具の殆どが窓側に寄せられており、残るは兵士が横になっている寝台くらいだ。一瞬、皆が顔を見合わせたが、決断するよりも早くに扉が激しい音を立てて打ち破られた。
「あなたのことは必ず守ります」
オユミは彼女に向けて軽やかに笑い掛けると、剣の切っ先を侵入者に向けて対峙した。兵士は未だ起き上がれず、村長は頭を抱えて隅に縮こまっている。そして、イワナは彼女の腰元にしがみ付いていた。せめて子どもだけでも守らなくてはならない。彼女が
入口ではオユミが善戦していた。狭所の利点を活かし、突き出される手足を斬り付けると、時には動きが鈍ったそれらを蹴飛ばし、肉の壁にして侵入を阻んだ。彼女には武芸の
しかし、それも長くは続かないだろう。抗戦するほどに侵攻は激しくなり、素人目にも徐々に押され始めていることが分かる。本当は自分も隣に並んで戦うべきではあるのだが、
先ほどから少女の締め付ける力が強い。幼子の力とはこれ程のものだったであろうか。背中と二の腕は鈍く軋み、一旦離れようとするも到底敵わない。加えて、肩先にはローブ越しに鋭利な圧力を感じていた。
「イワナちゃん、どうしたの?」
少女に返事はなく、代わりに耳障りな
それでも、この子を守りたいと思う気持ちは残っていた。これも貴族としての矜持なのか、それともサンデリカへの罪滅ぼしなのかは分からないが、少女を抱き締める腕に力と想いを込めていく。
「イワナちゃん、しっかりして。お姉ちゃんになるんでしょ?」
少女が夢見た『お姉ちゃん』という存在、その言葉を口にした瞬間、彼女を束縛していた力が緩んだ。少女はだらりと腕を降ろすと、虚ろな表情を浮かべて彼女を見上げた。
「私、お姉ちゃんになりたかったの。でも、自分でもなぜなのか分からないの」
少女の姿が変貌していく。ふわふわとした黒髪は
自由を取り戻したにも
一体どんな理由があってこの子の未来を奪うのか。どんな理由があれば、この子の未来を奪うことが許されるのか。誰か教えてほしい。もしも、それが出来ないのなら、もう何も見せないでほしい。
視界が歪む。思考が淀んでいく。自分の立ち位置が分からなくなり、世界から色彩と音声が失われていく。なぜ、私は
全ては最初から何も無かったかのように、
もう外の世界がどうなっているのか分からなかった。オユミはまだ戦っているのか、イワナはどうなってしまうのか、村長や兵士も無事だろうか。そして、ミストリアは――
「お母さんになるためでしょ」
不意に、音を失った世界に声が響いた。徐々に世界には色が付き、世の
「お母さんになって、綺麗になるの。綺麗になって、花のように咲き誇るの」
オユミが支えるように彼女の肩を抱く。床には村人たちが倒れている。しかし、その姿は先ほどまでの
「そうでしょ、
聖光を纏いながら神に連なる巫女が姿を現す。その口から紡がれる言葉は、荘厳で気高く、崇高で貴く、そしてどこまでも慈悲深かった。幼子は満面の笑みを浮かべると、最後にもう一度彼女を見上げ、ゆっくりとその場に崩れ落ちた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます