プロローグ 4-1


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「お姉さま、ご成人おめでとうございます」


 十八の誕生日と成人を祝う夜宴において、一通りの祝福を受けて壁の花となっていたレイネリアに祝言を述べたのは、自身とよく似た蒼みがかった銀髪を肩まで伸ばし、清らかな笑みを浮かべる一人の少女であった。


 身に纏うひらひらとしたみやびな薄手の衣装も相まって、その笑顔はまさに天女と形容するに相応しきものであったのだが、それを向けられた当の彼女は少し気後れした様子で返礼をした。


「ありがとう、サンデリカ」


 彼女の心の機微を敏感に感じ取ったのだろう。サンデリカと呼ばれた少女は天女から人懐ひとなつこそうな妹へと転身すると、拗ねた仕草で不平を漏らした。


「もうお姉さまったら、昔みたいにサンディと呼んでくださいまし」


 天然とも演技とも判然としない少女を見ながら、彼女は心の中で大きく溜め息を吐いた。少女の名はサンデリカ=レイ=ホーリーデイ、彼女の実妹にしてホーリーデイ家の次女、間もなくよわい十四となる傑物である。


 ホーリーデイ家の次期当主は、封禅の儀に合わせて婚姻、出産することが習わしとされてきたが、子は授かりものであるため、必ずしも時期が一致しないことがあった。また、万に一つも血を絶やさすことのないように、彼女の出生から四年を経て、次女となるサンデリカが生まれたのであった。


 実のことを言うと、彼女は妹が苦手であった。より正確をせば、どのように接したら良いのか分からなかった。それでも幼少期までは、およそ何処にでもいるごく普通の姉妹として、ミストリアとともに過ごしていたのだが、今から二年ほど前、妹は十二歳を迎えた日、唐突に家を出ると言い出した。


 当初、それはささやかな反抗期として家族からは微笑ましくすら思われていた。しかし、どうやら明確な意思によるものらしく、堪らず理由をたずねた母に妹は迷いなく答えた。いわく、ホーリーデイ家は自分がいない状態が理想的なのだと。困惑する家族に向けて、妹は淡々と持論を述べた。


 姉レイネリアとミストリアの絆はとても深く、それは二人のみで完結すべきものである。対して、自分の存在は異物であり、人と天人地姫を繋ぐ妨げに他ならない。万一の事態に備え、次女として控えることに意義はあるが、姉が健在の内は無用である。


 それは感情を排した理屈の上では理解できなくもないが、まだ幼さの残る少女に自己犠牲を強いてまで成すべきこととは到底思えなかった。母は懸命に妹を説得したが、その信念は頑として揺るがず、それを耳にした父方の祖父、即ちノミネア家の老当主が、妹にサルメとして奉公することを提案した。


 サルメとは神に舞を奉納する巫女であり、親元を離れて厳しい修練を積む必要がある。当初は早々にを上げて家に戻ることも期待されたのだが、大方の予想に反して妹は驚異的な才能を開花させ、神楽かぐらのみならず祭祀全般に関する知識や技術を瞬く間に習得していった。


 今ではノミネア翁から直々の手解てほどきを受け、王国の年中儀礼にも従事するほどである。翁からも一族の誰よりも筋が良い弟子として、ノミネア家への正式な縁組も検討されたそうだが、本人がホーリーデイ家の次女であると頑なに固辞したこともあり、それは叶わなかったという。


 二人の父親であるミオミは庶子であり、したる取り柄のない凡庸な人物として期待されてはいなかった。ホーリーデイ家の嫡子との婚約が発表された際には、周囲は上を下への大騒ぎとなり、一族への唯一にして最大の奉公と感嘆されたほどである。


 しかし、その娘となる妹が祭祀への非凡な才を見せ、りとてノミネア家に迎え入れることが叶わぬと知り、翁はそのときになって初めて、父を婿にやったことを後悔したのだという。


 もっとも、妹の姿は幼き日の母の生き写しであり、その素質も色濃く受け継いでいるものと考えられるため、その嘆きも栓無きことではあった。


 事情を知る者たちからは、生まれと時期を間違えた不遇の天才として同情する声も聴かれたが、当の本人は気にする素振りも見せず、むしろ嬉々として祭祀に励んでいるようであった。


 一方、姉である彼女としては、自分が妹に苦難の道をいてしまったのではないか、むしろ妹こそがミストリアに相応しかったのではないかと思い悩んだ時期もあった。


 しかし、肝心のミストリアからのひょうでは、精神性こそ公人としてある種の理想に達してはいるが、私人としてはいびつ極まりないものであり、端的に言って一緒にいても楽しくないという辛辣なものであった。


 また、ノミネア家に深く関わるようになってから、一族特有の天人地姫への過度な信奉心が芽生え始めており、ミストリアを辟易させることもあった。


 しかしながら、天人地姫とホーリーデイ家の特殊な関係性が、少女の健全な成長を妨げ、家族の仲を引き裂いてしまったことに、ミストリアもまた心を痛めており、いつかその呪縛から解放してあげたいとも語っていた。


 彼女がひとり物思いにふける間、少女はわずらわせることのないよう黙したまま、ただその様子を眺めていた。少女のうちにどのような感情が秘められているのか、それは本人をおいて他に分かる者などいないだろう。


 やがて、徐々に式場の喧騒が増していくに連れて、自然と姉妹が向く方向は同じものとなった。重なる視線の先に現れたのは、白無垢の衣装に身を包んだミストリアであった。


 途端に妹は姉を置いて駆け出していく。彼女はその様子を眺めながら、やはり妹はノミネア家の影響を強く受けているのだと苦笑いした。


 今回の催しは、表向きには彼女の成人を祝うためのものであったが、その実はミストリアの封禅ほうぜんの儀に向けた御幸ごこうの祈念を兼ねており、むしろ参列者の多くはそれを目的としていた。


 本来であれば、王国を挙げて大々的に執り行うべきものではあるが、原則的に天人地姫の動向は秘匿されており、また王国の安全保障の観点からも公にすることは控えていた。


 あくまでホーリーデイ家の私的行事であるため、参列者も不自然なものとならぬよう、諸侯の当主ではなく子弟が集まり、一応の面目を保つ格好となっている。


 しかし、意外なことに王家からの参列者の中にはウィンダニア王女の姿があった。流石さすが王嗣おうしたる国家の最重要人物であるため、冒頭の祝辞を終えて会場を後にしたのだが、帰り際に彼女へ直接声を掛けてくれた。


 王女は彼女よりも二つ上にあたる。しかし、年齢以上に成熟した貴人としての美しさを醸し出しており、ミストリアとはまた異なる神秘性を身に宿していた。


 触れれば手折たおれてしまいそうなほどに細くしなやかな腰には、檳榔子黒びんろうじぐろの髪が桃源郷のように流れ落ちており、全てを受け入れる包容力と底知れぬ重厚さを漂わせている。


 天人地姫とよしみを結ぶ彼女を以ってしても、気を抜くとほうけてしまいそうになるが、王女は彼女の傍に近寄ると、護衛には聴こえぬほどに小さく、しかし明瞭な澄んだ声で語り掛けた。


『迷いとは、迷うことを許された者にのみ与えられるものなのです』


 それが王女の胸の内を明かすものであったことに気付くのに、しばしの時間を要した。王女は言うまでもなく政略結婚にその身を捧げる運命にある。そして、彼女もまた御幸の陪従が叶わぬとき、ホーリーデイ家の宿命が否応なく伸し掛かってくる。


 これまであまり意識したことはなかったが、自分たちは驚くほど似た境遇にあった。しかし、彼女にはまだ僅かながらも選択の余地が残されていた。ミストリアに陪従を求めるか否か、それを自らの意志で決められるということ…その意味と覚悟を彼女は問われているのだ。


 求めて断られることと、始めから求めないこと、それは結末としては同じなのかも知れないが、意味はまるで違う。自ら選択したのか、消極的に放棄したのか、両者の違いは永遠に彼女を蝕むことになるだろう。


 事実、彼女はこのに及んでまだ、ミストリアに陪従を申し出ることが出来ずにいた。王女は全てを見透かした上で、彼女の背を押そうとしているようにも思えた。


『時の流れは万人に平等です。それはミストリア様とて例外ではございません』


 最後にそれだけを告げると、王女は柔らかな物腰で彼女に背を向けた。しかし、優雅に見える仕草にもどこか悲哀を感じてしまうのは、既に王女が諦念の境地に達しているからなのかも知れない。


 どんな言葉を掛ければ良いか分からなかった。いや、どんな言葉も掛けられないだろう。ただ国家のためだけに生きる、幼少期よりそれを覚悟せざるを得なかった王女に対し、自分のような半端者が何を語れるというのだろうか。


『私たちには…それでもまだ、きっとまだある筈なんです』


 時に、口は意思に反してこえを出す。それは誰に向けられたものだったのだろう。自分であり、王女であり、そしてミストリアであり、決まってしまったことに対して、子どもが駄駄をねるように、愚者が固執するように、諦めぬことだけが唯一の取り柄であるように、見果てぬ希望を信じることしか出来なかった。


 そして、去り行く王女を見送った彼女は壁の花となる。やがて、妹が彼女の前に姿を見せ、会場を震わせる歓声とともに駆け出していく。


 見下ろす視線の先には、金糸のような髪をなびかせて、参列者を魅了しながら壇上を登るミストリアの姿があった。白無垢の衣装に身を包んだミストリアは、さながら花嫁のようである。いや、まさしく神との契りを象徴するものなのだろう。


 しかし、何故だろうか。清楚に着飾られたミストリアの姿を見ていると…まるで、自分がその相手でありたいと願ってしまう。そこには多大な語弊があるのだが、なぜか今だけは自然なことのように感じられた。


「ミストリア様、どうかハナラカシア王国に栄光と繁栄をお与えください」


「おお、天人地姫の御姿を拝めるとはまさに一生の誉れよ」


「何という美しさ…まさに、伝説に謳われるヌーナの女神にございます」


 彼女との血縁関係から会場にはノミネア家が多かったが、その他の諸侯もまた、ミストリアの神々しい姿に圧倒されていた。


 先の演習での顛末は、文武問わず貴族の間に広く知れ渡っており、半神半人の王国の守護神をひと目見ようと、会場に足を運んだ者は少なくなかった。してや、それがこの世のものとは思えぬ美麗さを体現しているのであれば、この時ばかりは日頃の権力闘争などは忘れ、割れんばかりの喝采を浴びせる他ないだろう。


 ミストリアがこちらにやって来る。この夜宴の本当の主役はミストリアだ。今更そのことに疑問は抱かないし、嫉妬するほど自信過剰にはなれない。しかし、何故だろうか。この場には居たくない、居てはならないという感情が徐々に込み上げてくる。それはミストリアが近付くほどにより顕著となっていった。


 ミストリアは私の何なのだろう。私はミストリアの何なのだろう。私はミストリアに何が出来るのだろう。ミストリアは私に何が出来るのだろう。


 私たちはとても大きなものに流されて、結局は何も出来ないのではないのか。ミストリアの人智を超えた力を以ってしても、自らの運命を変えることが出来ないのなら、只人ただびとである自分に尚更変えられる筈もない。


 その瞬間、彼女は駆け出していた。壁の花から飛び出した冠毛かんもうは空へと舞い上がり、大切な半身を置き去りにしてしまう。独りその場に残された花は、微かに憂いを帯びた表情を浮かべると、熱狂した会場に応えるようにきびすを返した。

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