プロローグ 4-1
-4-
「お姉さま、ご成人おめでとうございます」
十八の誕生日と成人を祝う夜宴において、一通りの祝福を受けて壁の花となっていたレイネリアに祝言を述べたのは、自身とよく似た蒼みがかった銀髪を肩まで伸ばし、清らかな笑みを浮かべる一人の少女であった。
身に纏うひらひらとした
「ありがとう、サンデリカ」
彼女の心の機微を敏感に感じ取ったのだろう。サンデリカと呼ばれた少女は天女から
「もうお姉さまったら、昔みたいにサンディと呼んでくださいまし」
天然とも演技とも判然としない少女を見ながら、彼女は心の中で大きく溜め息を吐いた。少女の名はサンデリカ=レイ=ホーリーデイ、彼女の実妹にしてホーリーデイ家の次女、間もなく
ホーリーデイ家の次期当主は、封禅の儀に合わせて婚姻、出産することが習わしとされてきたが、子は授かりものであるため、必ずしも時期が一致しないことがあった。また、万に一つも血を絶やさすことのないように、彼女の出生から四年を経て、次女となるサンデリカが生まれたのであった。
実のことを言うと、彼女は妹が苦手であった。より正確を
当初、それは
姉レイネリアとミストリアの絆はとても深く、それは二人のみで完結すべきものである。対して、自分の存在は異物であり、人と天人地姫を繋ぐ妨げに他ならない。万一の事態に備え、次女として控えることに意義はあるが、姉が健在の内は無用である。
それは感情を排した理屈の上では理解できなくもないが、まだ幼さの残る少女に自己犠牲を強いてまで成すべきこととは到底思えなかった。母は懸命に妹を説得したが、その信念は頑として揺るがず、それを耳にした父方の祖父、即ちノミネア家の老当主が、妹にサルメとして奉公することを提案した。
サルメとは神に舞を奉納する巫女であり、親元を離れて厳しい修練を積む必要がある。当初は早々に
今ではノミネア翁から直々の
二人の父親であるミオミは庶子であり、
しかし、その娘となる妹が祭祀への非凡な才を見せ、
事情を知る者たちからは、生まれと時期を間違えた不遇の天才として同情する声も聴かれたが、当の本人は気にする素振りも見せず、むしろ嬉々として祭祀に励んでいるようであった。
一方、姉である彼女としては、自分が妹に苦難の道を
しかし、肝心のミストリアからの
また、ノミネア家に深く関わるようになってから、一族特有の天人地姫への過度な信奉心が芽生え始めており、ミストリアを辟易させることもあった。
しかしながら、天人地姫とホーリーデイ家の特殊な関係性が、少女の健全な成長を妨げ、家族の仲を引き裂いてしまったことに、ミストリアもまた心を痛めており、いつかその呪縛から解放してあげたいとも語っていた。
彼女がひとり物思いに
やがて、徐々に式場の喧騒が増していくに連れて、自然と姉妹が向く方向は同じものとなった。重なる視線の先に現れたのは、白無垢の衣装に身を包んだミストリアであった。
途端に妹は姉を置いて駆け出していく。彼女はその様子を眺めながら、やはり妹はノミネア家の影響を強く受けているのだと苦笑いした。
今回の催しは、表向きには彼女の成人を祝うためのものであったが、その実はミストリアの
本来であれば、王国を挙げて大々的に執り行うべきものではあるが、原則的に天人地姫の動向は秘匿されており、また王国の安全保障の観点からも公にすることは控えていた。
あくまでホーリーデイ家の私的行事であるため、参列者も不自然なものとならぬよう、諸侯の当主ではなく子弟が集まり、一応の面目を保つ格好となっている。
しかし、意外なことに王家からの参列者の中にはウィンダニア王女の姿があった。
王女は彼女よりも二つ上にあたる。しかし、年齢以上に成熟した貴人としての美しさを醸し出しており、ミストリアとはまた異なる神秘性を身に宿していた。
触れれば
天人地姫と
『迷いとは、迷うことを許された者にのみ与えられるものなのです』
それが王女の胸の内を明かすものであったことに気付くのに、
これまであまり意識したことはなかったが、自分たちは驚くほど似た境遇にあった。しかし、彼女にはまだ僅かながらも選択の余地が残されていた。ミストリアに陪従を求めるか否か、それを自らの意志で決められるということ…その意味と覚悟を彼女は問われているのだ。
求めて断られることと、始めから求めないこと、それは結末としては同じなのかも知れないが、意味はまるで違う。自ら選択したのか、消極的に放棄したのか、両者の違いは永遠に彼女を蝕むことになるだろう。
事実、彼女はこの
『時の流れは万人に平等です。それはミストリア様とて例外ではございません』
最後にそれだけを告げると、王女は柔らかな物腰で彼女に背を向けた。しかし、優雅に見える仕草にもどこか悲哀を感じてしまうのは、既に王女が諦念の境地に達しているからなのかも知れない。
どんな言葉を掛ければ良いか分からなかった。いや、どんな言葉も掛けられないだろう。ただ国家のためだけに生きる、幼少期よりそれを覚悟せざるを得なかった王女に対し、自分のような半端者が何を語れるというのだろうか。
『私たちには…それでもまだ、きっとまだある筈なんです』
時に、口は意思に反して
そして、去り行く王女を見送った彼女は壁の花となる。やがて、妹が彼女の前に姿を見せ、会場を震わせる歓声とともに駆け出していく。
見下ろす視線の先には、金糸のような髪を
しかし、何故だろうか。清楚に着飾られたミストリアの姿を見ていると…まるで、自分がその相手でありたいと願ってしまう。そこには多大な語弊があるのだが、なぜか今だけは自然なことのように感じられた。
「ミストリア様、どうかハナラカシア王国に栄光と繁栄をお与えください」
「おお、天人地姫の御姿を拝めるとはまさに一生の誉れよ」
「何という美しさ…まさに、伝説に謳われるヌーナの女神にございます」
彼女との血縁関係から会場にはノミネア家が多かったが、その他の諸侯もまた、ミストリアの神々しい姿に圧倒されていた。
先の演習での顛末は、文武問わず貴族の間に広く知れ渡っており、半神半人の王国の守護神をひと目見ようと、会場に足を運んだ者は少なくなかった。
ミストリアがこちらにやって来る。この夜宴の本当の主役はミストリアだ。今更そのことに疑問は抱かないし、嫉妬するほど自信過剰にはなれない。しかし、何故だろうか。この場には居たくない、居てはならないという感情が徐々に込み上げてくる。それはミストリアが近付くほどにより顕著となっていった。
ミストリアは私の何なのだろう。私はミストリアの何なのだろう。私はミストリアに何が出来るのだろう。ミストリアは私に何が出来るのだろう。
私たちはとても大きなものに流されて、結局は何も出来ないのではないのか。ミストリアの人智を超えた力を以ってしても、自らの運命を変えることが出来ないのなら、
その瞬間、彼女は駆け出していた。壁の花から飛び出した
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