プロローグ 1-2


 両国の国境付近の荒野に展開された二つの軍勢、それらを一望できる丘に設置された陣幕の中で、皇帝は臣下の報告を受けながら傍らに立つ一人の少女に目をやった。


 陣幕には軍勢と同様、二つの集団が形成されていた。一方は、ディアテスシャー帝国の皇帝と幕僚、そして他方はハナラカシア王国の国王と側近である。


 単純な人数に対する密度は決して高くはないが、しかし両国の元首を始め重鎮が列席するには、そこはあまりに狭きに過ぎた。陣幕の外側では兵士たちが強張った表情で、蟻の一匹も通さぬほどの絶壁の防御を固めている。


 斯様かような場所において、少女の存在はあまりにも異質であった。蒼みがかった銀髪を短く切り結び、白紋はくもんの儀礼用の神官衣に身を包んではいたが、顔立ちはまだあどけなく、成人たる十八に達するか、それよりも幼く見える。


 皇帝の愛妾あいさいにしては艶やかさに、しかし皇女と呼ぶにはみやびさに欠けるようだが、皇帝が近侍きんじを許すからには、それ相応の資格と意味があるのだろう。


「…レイネリア殿はどうか」


 不意に発せられた皇帝の言葉に、帝国の幕僚、その重責に違わず年配者が多いが、まだ比較的若い武官の間で僅かに緊張が走った。


 軍事大国である帝国において、最高指揮官である皇帝が軍を観覧することは珍しくないが、大抵は寡黙に俯瞰ふかんするばかりであり、宸意しんいにおいては幕僚長か、それに準ずる者を通じて伝えられていた。


 通例であれば、皇帝のように貴き身分の存在とは直接話すことは許されないのだ。しかし、今回は直問じきもんであることから、直答じきとうもまた許されるのではないかと、困惑した様子の武官たちを尻目に、レイネリアと呼ばれた少女は仄かに笑みを浮かべながらこうべを垂れた。


「恐れながら申し上げます。当世の天人てんじん地姫ちぎ、ミストリアは常在戦場にございます」


 少女の物怖じせぬ直答に対し、両国の重鎮は動揺の色を隠せずにいた。ヌーナ大陸に生きる者であれば、天人てんじん地姫ちぎ御名みなを知らぬ者はいない。


 しかし、実際にその目で拝覧するのは、彼らにとっても初めてのことであった。次第に広がりを見せる喧騒の中で、皇帝は場を制するように幕僚を一瞥いちべつした後、威厳を放ちながら国王へと向き直る。


 国王もまた一度側近に目配せすると、黙したままに頷きを返した。それを受けて皇帝は陣幕にいる者のみならず、荒野に展開する全軍に対し、声高らかに宣言した。


「これより、ディアテスシャー帝国とハナラカシア王国の合同軍事演習を開始する」


 その号令を合図に陣幕には巨大な旗旒きりゅうが立ち昇り、両軍からは地響きのような唸り声が沸き上がった。


 そう、これは戦争ではない、帝国と王国の同盟に基づく軍事演習なのだ。しかし、その溢れんばかりの武力が向かう先は、互いの軍勢ではなかった。両軍の先にあったのは、漆黒のローブを身に纏う一人の魔術師であった。


 旗旒きりゅうにやや遅れ、少女もまた荒野に立つ黒衣に向けて合図を送る。その人物の表情はフードに隠れて窺い知ることは出来なかったが、少女は満足そうに微笑むと、周囲に悟られぬようにそっとつぶやいた。


「御手柔らかにね、ミスティ」

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