第13話

 ――パティのホットチョコレートを飲んだ、雪の魔女。

 それは彼女の心の奥底で、ずっと凍りついていた、つらい思い出を蘇らせていました。



「ママ! この飲み物、おいしい! なんていう飲み物なの?」



「それはね、ホットチョコレートっていうのよ」



「ホットチョコレートかぁ……! あったかくて甘くて、私の肌の色みたいで、とってもおいしい!」



「……そうね。今日はあなたのお誕生日だから、ママ、奮発したのよ」



「お誕生日にこんなおいしいものが飲めるなんて、とっても素敵! ありがとう、ママ!」



「うふふ、今日はそれだけじゃないのよ。あなたのために、これを作ったのよ」



「わぁ、耳当て! かわいいーっ! うわぁ、あったかーい!」



「これからは、その耳当てを付けていてね。特に、窓からお外を見るときには絶対に、いい?」



「どうして?」



「それは……窓の外は寒いでしょう? それがないと、風邪をひいちゃうかもしれないから」



「うん! わかった! これを付けてたら、お外に行ってもいい!? 私、村のみんなと雪遊びしたい!」



「それはダメよ。だってあなたは身体が弱いから、お外に出たらすぐに風邪をひいちゃうわ。お願いだからママといっしょにお家のなかにいてね」



「わかった……」



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 ――しかし少女はある日、母親の言いつけを破って外に出てしまいました。

 どうしても、雪遊びがしたかったのです。


 でもそれが、悲劇のはじまりでした。



「……お前……! やっぱり、『ブラウンエルフ』だったのかよ……!」



「どうりでおかしいと思ったんだ! 家の中でも耳当てをしてるし……!」



「人間と、ダークエルフのハーフ……! 茶色い肌に、尖った耳の、『ブラウンエルフ』……! まさかこの村に、悪魔の子がいたとはな!」



「コイツがいるせいで、この村に『黒い雪』が降ってるんだ!」



「殺せっ! 殺せぇぇぇーーーーっ!」



「ああっ! や……やめてくださいっ!」



「ママっ!?」



「わ……私はたしかに、『ダークエルフ』を愛しました! もしその愛が罪だというのなら、私を罰してください! 生まれてきたこの子には、なんの罪もありません!」



 ――母親は我が子を抱き寄せ、かばうように包み込みました。

 しかし村人たちは容赦なく、母親ごと打ち据えたのです。



「こいつ、人間のクセして悪魔を庇いやがったぞ!」



「コイツは悪魔に魂を売ったんだ! でなきゃ、こんな忌み子を生むわけがねぇ!」



「かまわぇね、ふたりまとめて殺すんだっ!」



「や……やめてっ!? ママを傷つけないで!」



「……ごめん、ね……ごめん、ね……」



「ママっ!?」



「ママ、を……許、し……て……」



「ママぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーっ!?!?」



「ようやくくたばりやがったか! あとは、この悪魔の子だけだ!」



「待つんじゃ」



「村長!? 止めないでください! この親子は、俺たちを騙していたんですよ!?」



「殺すのは簡単じゃが、生ぬるい……」



「じゃあ、どうしろっていうんですか!?」



「『忘れ谷』に捨てられた子は、生きながらにして死に、永遠ともいえる長いあいだ、殺し合いをさせられるという。その子に、この雪を降らせている責任を、取らせるんじゃ……!」



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



「さ……寒い……寒い、よぉ……。ま、ママ……ママ……」



 ――少女は忘れ谷に捨てられ、ひとり、極寒の地を彷徨っていました。



「ママ……ママ……ママぁ……」



 ――瞳にはもう、光はありません。

 しかし不意にその光が戻っても、目に映るのは……。


 母親の、最期の顔でした。



「いっ……! いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーっ!?い! ママっ! ママぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」



 ――忘れ谷には、少女の悲鳴が幾度となくこだましました。

 そのたびに、彼女の正気は少しずつ剥がれていったのです。


 やがて、少女の心は閉ざされ、凍りついていきました。

 瞳は闇に覆われ、一切の光を失ったのです。



「なんで……なんで耳が尖ってたら、いけないの……?」



「なんで……なんで肌の色が違ってたら、いけないの……?」



「なんで……なんで……なんでそれだけで、ママを殺したの……?」



「なんで……なんでなんで、なんで……なんでそれだけで……私は……」



 ――すると、彼女の目の前に、ちいさな悪魔が現れました。



「ヒヒヒ、テメーが次の『魔女候補』か……! ブラウンエルフとは、さぞや辛い人生を送ってきたんだろうなぁ……! コイツは、期待できそうだぜぇ……!」



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



「ふわぁぁ……! おいしい~っ!」



 わたしはカップから顔を離すと、とびっきりの笑顔を浮かべる。

 きっと雪の魔女さんも、笑顔になってくれてると思ってたんだけど、



 ……彼女は、泣いていた。



 まるで、心の中にあった氷が溶け出して、それが目から流れ出ちゃったみたいに……。

 こんこんと、涙をあふれさせていた。


 表情は相変わらず無かったんだけど、流した涙で、氷像が少しずつ溶かされていくみたいに……。

 雪の魔女さんは、顔をくしゃくしゃにしていくと、



「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーんっ!! ママぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーっ!!!!」



 いままでのボソボソしゃべりが嘘みたいな大絶叫。

 そのまま崩れおちて、わんわんと泣き出してしまった。


 あまりの変りっぷりに、わたしは思わず凍りついてしまう。



「もしかしてホットチョコレート、おいしくなかった!? ごめんね!? もしかして、しょっぱいお菓子が好きだった!?」



 しかし彼女は迷子の子猫みたいに、わぁわぁ泣くばかり。

 わたしは犬のおまわりさんみたいに、ほとほと困ってしまった。



「お願いだから、泣かないで、ねっ!?」



 わたしがしゃがみこむと、雪の魔女さんはわたしの胸に飛び込んできて、さらに大泣きする。

 抱きついた拍子に、彼女の耳当てがはずれて、ぽろりと落ちる。



「うわぁぁぁぁぁぁぁん! ママ! ママ! ママぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーっ!!」



 わたしはもうどうしていいのかわからなかったので、彼女の頭を撫でてあげて、泣きやむのを待った。

 しばらくして、ようやく嗚咽レベルにまでおさまったので、わたしは彼女の肩に手をかけて、抱き起こす。


 するとわたしは、ある変化に気付いた。


 真っ白だった彼女の肌が、茶色になっていることに。

 そして顔の横からぴょこんと飛び出た、かわいい三角お耳に。



「わぁ、雪の魔女さんって、ブラウンエルフさんだったんだ! うふふ、その肌、うらやましいなぁ!」



 わたしは何気ない一言のつもりだったんだけど……。

 雪の魔女さん改め、ブラウンエルフさんは、泣きはらした寝ぼけ眼を、これでもかと見開いていた。


 なんだかよくわからないけど、急に表情豊かになっちゃった。

 まるで、知らない人からいきなり頬をひっぱたかれたみたいな、信じられない顔をしている。



「この肌が、うらやましい……?」



「うん! だってチョコレートみたいで素敵でしょ? わたしが村でやってたお菓子屋さんにも、ブラウンエルフさんのお客さんがよく来てたよ!」



「ブラウンエルフが、お客さんに……? あなたは悪魔の子に、お菓子を売っていたの?」



「悪魔の子? なにそれ! ブラウンエルフさんはブラウンエルフさんだよ! 悪魔の子なんかじゃないよ!」



 わたしは、至極当たり前のことを言ったつもりだったんだけど……。



「うっ……ううっ! ううっ! ぐすっ! うわぁぁぁぁぁーーーーーーーーんっ!!」



「わあっ!? 今度はなにがいけなかったの!? お願いだから泣かないで!」



 でももう手遅れだったみたい。

 ブラウンエルフさんはまたわたしの胸に飛び込んできて、またわんわん泣き出してしまった。

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