第12話

 雪の魔女さんは、



「哀れね」



 と言ったきり、ゼンマイがきれた玩具のように動かなくなってしまった。


 といっても立ったまま気絶したわけじゃなくて、青い瞳はわたしを捉えて放さない。

 彼女は氷像みたいに無表情なので、なにを考えているのかさっぱりわからないけど……。


 火にかけていたお鍋から湯気が出てきたので、わたしは救出作業を再開することにした。

 お湯加減をみて、ちょうどいい熱さになっていたので、凍ったコビットさんたちをそっと入れる。



 ……カラン。



 と音をたてて、泡立つ鍋の上に並んでいくコビットさん。


 底の浅い鍋にしたので、ちょうど肩から下までが浸かるような形になっている。


 しばらくすると、みるみるうちに氷が溶け出す。

 そればかりか、チョコレートの鎧もいっしょに溶け出して、鍋の水を茶色に染める。


 コビットさんたちは無事なのか、わたしはハラハラしっぱなしだった。

 でも、彼らはパッチリと目を開けると、



「ホウ……」



 と、まさに寒い日にお風呂に浸かった時のような、満足げな溜息を漏らしていた。



「よ、よかったぁぁ~」



 ホッとしたわたしは、思わず身全身の力が抜けて、かくんとなってしまう。

 お湯はすっかり真っ茶色で、そしてチョコレートのいい匂いがしている。


 コビットさんたちはもうすっかり温泉にでも浸かっているように、鍋のなかで寛いでいる。

 それがなんとも緊張感のない光景で、わたしもすっかり、戦いの真っ最中であることを忘れてしまう。


 そして……いいことを思いついていた。


 わたしは、そばに汲み置いていた、ユニちゃんミルクの入ったボウルを取ると……。

 おもむろに、鍋の中に注いだ。


 茶色の鍋が、少しクリーミーな色になる。

 入浴中のコビットさんたちを邪魔しないようにかき混ぜながら、サットで出しておいた砂糖をどばっと入れた。


 あとはコーンスターチがあれば良かったんだけど、無いので小麦粉で代用。

 脱穀しておいたものを、ちょっぴり加えた。


 ふと、横から声が割り込んでくる。



「おい、バカじゃねぇの? テメーはもうすぐ死ぬんだぞ? それなのに、なにコチョコチョやってんだよ?」



 わたしはお菓子作りに夢中になっていたので、リンちゃんのほうを見もせずに答える。



「コチョコチョじゃないよ、チョコチョコだよ」



 「チョコチョコ……?」と、雪の魔女さん。



「うん、チョコチョコだよ! ……よしっ! 『ホットチョコレート』のできあがりぃぃぃぃーーーーーっ!」



 ホットチョコレート お菓子レベル3

  チョコレートをお湯に溶かし、ミルクと砂糖を加え、小麦粉でとろみをつけたもの。



 わたしはリュックからマグカップを取り出す。

 『キチント』のレードルで、すくいあげたホットチョコレートをカップの中に注いだ。


 あ、レードルっていうのは、おたまじゃくしみたいな形をした、すくう道具のことね。


 ともかくわたしは、ほっかほかのホットチョコレートをふたつ持って立ち上がる。



「はい、雪の魔女さんもどうぞ! あまくて身体があったまっておいしいよ!」



 片方のカップを笑顔で差し出すと、雪の魔女さんも、肩にいたリンちゃんも、ポカーンとしていた。

 雪の魔女さんは呆気にとられたまま、カップを受け取る。


 ちなみにカップはゾウさんのカップで、ゾウさんの耳みたいなデザインの取っ手が左右に付いているもの。

 だからこうやって手渡すときも、カップを直接持たなくてすむから、熱くないんだ。


 そんなことよりも、わたしは待ちきれなくて、自分のぶんのホットチョコレートをふーふーしてから、ゆっくりとひと口。


 やさしい甘さが口いっぱいに広がる。

 こくんと飲み込むと、まるで太陽を飲み込んだみたいな温かさが、喉を通って、おなかの中に入って……。


 冷たい身体が、春の日差しを浴びているみたいに、



 ……パァァ……!



 って、あったかくなったんだ……!

 わたしは思わず、コビットさんみたいな溜息をついていた。



「はふぅ……! お、おいしいぃ~! 寒いときにはやっぱりホットチョコレートだよね!」



 って、笑顔で言ったんだけど……。

 目の前にいる雪の魔女さんは、むっつりしたままだった。



「雪の魔女さん、飲まないの?」



 すると肩にいたリンちゃんが、



「ハアァ!? バカじゃねぇの!? 魔女ってのはなぁ、テメーみてぇにバカみてぇに、飲んだり食ったりしねぇんだよ! 悪魔と同じで、怒りや嫉妬、嫌悪や憎悪、恐怖や戦慄を食い荒らすのさ! テメーみてぇなバカな魔女を、たっぷり震えあがせてな!」



 リンちゃんはけしかけるように、わたしを指さすと、



「さぁ、コビットどもは元に戻った! お菓子の魔女の最後の願いを叶えてやったんだ! 雪の魔女よ! さっさと嬲り殺しにしちまえ!」



 しかし、雪の魔女さんは動かなかった。

 カップを手にしたまま、ふんわりとあがる湯気を顔に浴びている。


 しばらくして、その湯気で氷像の表面が溶けたかのように、ぎこちない動きで視線を落としていた。

 今度はカップを中を、無言のまま見つめている。


 瞬きすらせずに、たただただ、じっと……。


 その横で、わぁわぁと騒ぎたてるリンちゃん。



「ヒヒッ! 雪の魔女にあったかい飲み物なんて、ちゃんちゃらおかしいよなぁ! そんなクソみてぇなの、さっさと凍らせちまえ! そして鈍器にしてブン殴ってやるんだ! 自分の作ったチョコに殺されるお菓子魔女なんて、傑作じゃねぇか! ヒーッヒッヒッヒッヒ!」



 カップがゆっくりと持ち上がり、雪の魔女さんの顔に近づいていく。

 リンちゃんは慌てた。



「ちょ……!? テメーまさか、ソイツを飲む気じゃねえよなっ!? バカじゃねのっ!? 相手はお菓子魔女だぞ!? なにが入ってるのかわからねぇんだんぞ!?」



「へんなものは入ってないよ。レシピにないのは、コビットさんのダシくらいで……。それでもわたしが飲んでもなんともなかったし、すっごくおいしいよ!」



「テメーは黙ってろ! おい、お菓子魔女の言うことになんか、耳を貸すんじゃねぇぞ! 一体どうしちまったんだよ!? 雪の魔女となったお前は、永久凍土みたいに心を閉ざしてきたじゃねぇか! どんな魔女の甘言にも耳を貸さず、表情ひとつ変えず、その槍で貫いてきたじゃねぇか!? それなのになんで、そんなただの泥みてぇなのに、心を奪われてるんだよぉぉぉぉっ!?!?」



 信じられないといった様子で、頭を掻きむしるリンちゃん。



「わたしはお菓子魔女だから、お菓子を作ることしかできないけど……! でもそれで、雪の魔女さんを、笑顔にしたいの! だから飲んで、ねっ!?」



 すると雪の魔女さんは、



「私を、笑顔、に……?」



 途切れ途切れにつぶやいた。


 その声は、さっきまでの冷たいものではなく……。

 わずかではあるものの、人間の感情のようなものを感じさせた。



「うん! わたしといっしょにホットチョコレートを飲もう! そしてふたりで笑おう! わたし、あなたとお友達になりたいの!」



「私と、友達に……?」



「うん! せーのでいっしょに飲もう! 顔をあげたら、ふたりともぜったいに笑顔になってるから!」



 わたしがゾウさんカップを両手で持つと、彼女は槍を落として、同じようにしてくれた。

 リンちゃんは手を伸ばして、それを阻止しようとする。



「やっ……! やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーーーーーーーー-------------------------っ!!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る