第962話 教師の覚悟・後編

「いけぇフォンティーヌゥー! そのまま木を飛び越えるんだー!」

「ヒヒーン!」



 演習区の片隅にある森林地帯。アドルフはちょっとそこを借りて、ナイトメア・フォンティーヌとの騎乗訓練を行っている。



「ふっ……清々しい! 風になったような気分だ!」

「ヒンッ!」



 どれだけ障害物があっても、向かい風が強くても、怯まずに飛び続ける訓練。これができてこそ魔法を安定して放てるのだ。



「よし! 準備運動も終わったし、魔法の訓練に移行しよう!」

「ヒーン!」



 拠点にしていた場所に降り、そこで愛用の杖を手に持つ。





「……」



「懐かしいな。昔お前が俺に懇願してきた時も……」



「そんな風にじーっと見ていたな……ヘルマン」




 ふと木陰に向かって呼びかける。するとそこにいた者が、笑いながら出てきた。



 学園長になる前、普通の教師だった頃に面倒を見てやった生徒。今ではクラスを受け持つ担任である、ヘルマンである。




「あ、あはは……訓練の邪魔しちゃってすみません、先生」

「構わん、休息だって必要だ。しかし今の態度からするに、根っこの性格はやはり変わってないか?」

「そうかもしれませんね……」



 手頃な切り株を見つけて二人は座る。その間に、ヘルマンのナイトメアである幽霊サタ子が、フォンティーヌの上に乗って遊び始めた。



「……ここ数年は、お前がこうやって俺のことを訪ねてくることもなかったが。今回やってきたってことは、悩みがあるな?」

「そうなんです実は……生徒の進路相談、どのようにしていけばいいかなって」

「ん?」



 彼は何度も担任を受け持ったことがある故、方法が全く分からないというわけではなさそうだが。



「どのようにって……普段のお前がしているようにやればいいじゃないか。化粧とか幽霊とかを使って、生徒の心に寄り添うんだ」

「それなんです。俺がやっている行為は、ただ生徒を甘やかしているだけなんじゃないかって……熾烈になるこの世界を生き延びる為の方法を、もっと心を鬼にして教えてやるべきなんじゃないかって……」

「成程な……」



 昨今のイングレンス情勢が、彼の心に迷いを齎したらしい。





「なあヘルマン……お前はどうして教師になったんだっけ?」

「え? それは……先生ならご存知でしょう」

「知っているからこそ、もう一度聞きたいんだ。今のお前の心持ちをさ」

「……」



 すぅと深呼吸をして、一回間を置いてから。



「俺はどうしようもない陰キャでした。人に話しかけに行くのが苦手で……でも先生が褒めてくれたから自信が持てて、少しずつ前に進めるようになりました」


「だから俺もそんな風になりたい……俺にとってのアドルフ先生のように、学園生活を諦めている生徒の力になりたい。そう思って教師を志しました」




 うんうんと頷くアドルフ。生徒の言葉を汲み取り、教師はこのように返す。




「学園生活、ってのがお前の重要な信念だな。つまり将来がどうこうって言うよりかは、学園生活そのものの方がお前にとっては重要と言うことだ」

「あ……確かにそうかもしれません」



「口に出してみて思い出せたな。信念って言うのは外殻が変わることがあっても、中身まではそう変わることがない……変えられないんだ。俺がルドミリア先生のように、冷静な考古学者を今からやれと言われても無理だ」

「想像できませんね、それは」



「んだろぉ? だからヘルマンも同じだ、無理して自分の信念曲げて何かを教えようとしなくてもいい。そうすると変な感じになってしまって、自分のやりたいこととどんどんズレていく。それは教師自身にとっても、生徒にとっても不幸なことなんだ」

「先生……」




 ヘルマンはまた昔のように、アドルフに悩みを聞いてもらえてとても満足していた。


 


「教えるには健全な身体があってこそだ! 教師が自分を大切にしないと、生徒を大切にしてやれない。そういうもんなんだぞ~?」

「じゃあアドルフ先生は、自分を大切にしてらっしゃるから、生徒にも部下にも慕われているのですね」

「その通りだ! ううーん領主やってる俺ってば超偉いー!」



「ヒン……」

「そういうのは求めてないってフォンティーヌが冷たい目で見てるぅー!!」

「♪~」

「サタ子よかったな、フォンティーヌに遊んでもらえて。これからも仕事頑張ろう!」






 こうしてヘルマンはアドルフの所を去り、森から出たのだが――




「……ん?」

「ああ……ヘルマン先生ぇ……」




 出てきたタイミングで近付いてくる生徒が数十名。自分が受け持っている、五年四組の生徒達だ。よく見ると一部の生徒に至っては目が充血している。




「ふええん……せんせぇ……」

「ど、どうしたんだ……そんなめそめそして、フラれたか?」

「違いますよぉ……先生のことぉ……ええーん!!」

「うええっ!? 俺何かしてしまったのか!?」



 生徒は泣き出して話にならなかったので、冷静だったリーシャが解説に入る。



「さっきまでクラスの皆で集まって、先生の話してたんです。そしたらあと二年で卒業して、先生に会えなくなるってこと実感しちゃって……」

「実感してしまったら涙があふれてきちゃったんですぅー!! 先生と離れたくないよぉー!!」



 女子生徒のみならず、男子生徒もそうだそうだと追撃を加えてくる。



「先生といると楽しくて、時間があっという間に過ぎるんすよ。だから先生といる時間が、とっても短く感じるっつーか……」

「きっと残り二年だってあっという間だ! だから先生、おれ達に色んなこと教えてくださいね! 約束ですよ!」




 集った生徒達の表情を見て実感する。


 自分は少なくとも受け持っている生徒達には、学園生活を楽しんでもらえるようなことができたのだと。




「……ああ、それは勿論だとも。それが先生の役割だからな」

「先生泣きそうになってるじゃないですかもー」

「そりゃあこんな大人数で来られたらな……リーシャ」



 ヘルマンは、自分が思い悩むきっかけとなった、薄い茶髪のポニーテールの生徒を見つめる。



「私も皆と同じ意見です。先生が何か与えてくれるなら、先生にしか与えられないものがいい。それは思い出だと思うんです」

「……そうだな」



「だから先生! 今から私達とお話ししましょう! とっくに会場はセットしてあるんですよー!」

「わー待ってくれ、引っ張るなー! 俺は歩けるから~!」




(……)

(そ、そうだなサタ子……泣いている生徒もいるのに、進路の話なんてできるわけがないな!!)




 こうしてヘルマンは今日も、生徒達と楽しさを分かち合う日を過ごしたのだった。









「ねえねえサラ~。あんたってさ、ディレオ先生に何かしてやりたいと思ってないの」

「は? ただでさえ人の研究にちょっかい出している所に、突然何を」




 サラは例によって演習区の片隅を間借りして、魔術研究の真っ最中。そこに五年五組のクラスメイトが視察にやってきている。彼女の研究内容を、次の試合に活かせないかとのことだった。


 渋々それを了承したサラだが、だからといって調子が狂わされるようなことはない。そしてクラスメイト達は、五年も一緒だったが故にサラの扱いを心得ており、遠慮も強引もない程々の距離感を保って会話を持ちかけた。




「サラってさ、露骨にディレオ先生に冷たいじゃん。先生泣いちゃってるんじゃない~?」

「ワタシ程度で泣くならこの先が思いやられるわね」

「そしてそういう生徒に何かしてもらえると、先生は嬉しいと思うんだけどな~」

「……今が七年生ならまた違っていたでしょうがね。ワタシまだ五年生よ。恩返しよりかは研究を優先すべき学年よ」


「じゃあ七年生なら検討してもいいと!!」

「揚げ足を取るなクソが……」






 という何気ない生徒達の会話を、耳にしてしまった教師ディレオ。


 とりあえず思い浮かんできた生徒から話を聞いていこうと、こうしてサラの研究場所にやってきたのだが。そこからタイミングを掴めずに、木陰でこそこそしていたのである。




(あはは、今日もサラさんに言われちゃってるなあ……根本的に僕とサラさんは合わないんだろうから、仕方ない)


(前はへこむこともあったけど、今はもう慣れてしまったなあ。んー、んん-……)




(だからといって一言ぐらいは褒められたいっていうのは、まだまだ僕が青二才な証拠かな……)

「でもそうね……真面目にアリな気がしてきたわ」






 今までだったら徹底的に蔑んで終わりだったろうに、この日のサラは違っていた。




「……え? 私も面白半分で言ったんだけど」

「でもワタシは結構真面目よ。最近、アイツみたいな優しさが身に染みるようになってきたのよね」

「お、おいサラ大丈夫かよ。酒でも飲んだのか」

「今のワタシは寛大だけど、それでも許せないことはあるわクソが」

「ぎゃあああああああ……!!」



 突っかかってきた男子生徒を蔦の魔法で制裁しつつ、サラは続ける。



「アイツ、何度ワタシが拒否しても声をかけてくるのよねえ。生きている余裕がない者ってのは、他人に目を向けようともしないから。その点ではアイツの優しさは異次元よ」

「褒め方がサラらしいや」

「ぜーぜー……そういやサラ、エレイネ事変の時は現地にいたって話だったよな。そこで何か経験した?」

「……ま、色々とね」



 思えば自分の父と担任、二人は似た者同士なのかもしれない。たとえ嫌われたとしても、誰かの為に優しさを尽くそうとしている。



「まあないとは思うけど……今更ワタシのことを無視するなんてことになったら、キレるわよ。ペースが崩されるって」

「なんて偏屈な言いがかりなんだ」

「これは広義の意味でのツンデレってやつですなアーッ!!!」

「男子っつ~生き物は理解していながら何度も地雷を踏み抜くよなオオ~ン!?」

「あでゅあー!! 背中がバキバキになるぅー!!」






 という一連の会話をばっちり聞いてしまい、ディレオは茂みの中に隠れる。




(サラさん……サラさん、僕のことをそんな風に……)


(い、いや最近何かあったからって言ったじゃないか……僕が主要因じゃない。もっと別なことだ)


(で、でもたとえそうだとしても……優しさに気付くことができたってのは……成長……!?)




「おおおおおんっ……」

「何をしているんだディレオ先生」



「――うおおおおおおっ!?」

「声が大きいぞ、皆気付いた」





 ディレオに声をかけたのは、同僚のニースだった。彼女はディレオを立たせると、引っ張って五年五組の生徒達の前に連れていく。




「おおーディレオ先生だ! いつからいたか知らねえけど、もしかしてさっきの話聞いてた!?」

「何のことか言っちゃったらサラにタマキン潰されるんで秘密だけど!」

「フン……」



 恥ずかしさがまだ残っているのか、サラはディレオに一切目を合わせず黙々と研究を続けている。



「てかニース先生だ。サラに何かご用事ですか?」

「ああ、魔術研究の協力をね。ほら」

「ありがとう」



 流れるように別の生徒が、サラがニースから受け取ったかごの中身を覗く。そこには黄色と薄茶色を主にした植物が並べられていた。



「わ、何だこれ。砂漠っぽい植物だ~」

「そうよ、これはエレナージュの砂漠地帯に生えているやつ。あの辺今入国審査厳しくてねぇ……」

「それで私に白羽の矢が立ったわけだ。私は国内に知り合いがいるからね、そのツテでってことだ。クラスを持たない教師だが、そんな私にでもできることだ。サラの役に立てて嬉しいよ」

「それはどうも……」




「……ああ! ねえ皆、あとディレオ先生! ちょっと見なさい!」




 その発言でディレオは息を吹き返したように立ち上がる。他の生徒にもみくちゃにされながらも、何とかサラに急接近。




「いいいいいい今僕のことナチュラルに先生って!!!」

「いいからこれを見やがれってんだクソ教師!!」

「だーっ!! ……えっ? 何これ?」



 サラが見せ付けてきたのは瓶だった。その中には砂漠の砂が入っており、そして一つの芽が顔を覗かせていた。



「砂漠から植物が生えている……ように見える!」

「正解ッ!! 『紫の森』の植物が持つ、毒を内包できるだけの生命力――砂漠の植物の水がなくても生きられる特性――二つを掛け合わせて作った栄養剤、上手く行ったわ!!」




 興奮が止まらないサラ、駆け付けてきた生徒一人ひとりに瓶の中身を見せ付けていく。


 一周回って最後はディレオの所まで戻ってきた。




「先生! アナタのお陰よ、アナタがこうして研究場所を覚悟してくれたから、ログレスに出ている間も時間を浪費せずに済んだわ。ありがとう!」

「さ、サラさん……」



「何よサラったら~~~! さっきはツンって感じだったけど、めっちゃ感謝してんじゃん!」

「感謝も何も、これは事実だから。そしてワタシはされた側だから、何か相応の謝礼が必要かもしれない……」

「だったら魔術研究で稼いだ金で、皆で焼肉行こうぜ。先生好きだろ?」

「自然な流れで自分達も混ぜるんじゃねえクソが」




 和気あいあいとした五組の生徒を前に、ディレオは涙をこらえ切れなくなってきた。ニースが少し生徒の輪から外した後、声をかける。




「先生、教師というのはこういう仕事だよ。今蒔いた種は数年後にやっと目を付けるものなんだ。自信がなくなったり迷ったりすることもあると思うけど、余程非人道的なことでないなら、それは間違いじゃないんだ」

「……はい! はい、ニース先生……ここまで来て、僕はやっと『教師』になれた気がします……!」




「いや違う……皆に『教師』にんだ……!」





 目を強くこすって涙を消し飛ばし、笑顔を作って輪に戻っていくディレオ。





「ねえ皆! 皆はあと二年で卒業するからそろそろ進路のことを考えないといけないよね! 僕は話を一生懸命聞くからね! あと僕の方から皆に聞きに行くかもしれないから、よろしくね!!!」




 ちょっとしつこいかな、と発言した後にディレオは考えた。しかししつこいぐらいがちょうどいいのだと彼は割り切った。


 そしてこのしつこさ、愚直な優しさこそが彼の本質であると、五年五組の生徒達は気付いていた。




「わかりましたよ~先生。何かありましたらよろしくっす!」

「その代わり先生も、悩み相談とかしてきていいんですよ! ウチらでよければ聞きますんで!」

「フン、まだまだ生徒からも心配されているんじゃない。まあ頑張れば?」




 あれだけ他人との関わりを避けていたサラが、魔術研究の手を止めて会話に混ざってきている。


 入学直後から彼女を見てきたディレオは、その成長に感動を覚えながら、泣きそうになるのを笑顔でごまかすのだった。

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