第963話 ナイトメア研究者の覚悟
<午後三時 グレイスウィル運営本部>
「ローランド……ですか」
エリスはティーカップを口に含みながら話す。紅茶を嗜む所作も、とても洗練されてきた。
「ええ……それが私のナイトメアの名前です」
「先生のナイトメア……でも、この世界にはもういないと」
隣にはアーサー、正面にはハインリヒ。面談という名目のお茶会中である。
そこで切り出されたのは、ハインリヒという人間の根幹を為す過去。
「貴方がたにこの話をするのは……知る権利があるからです。三年生の時の出来事を覚えていますか?」
「あの年のことは忘れるようにしています」
「エリス、気持ちはわかるが。それ言ったら話が進まないだろ」
アーサーはエリスの背中をさすり、慰めながら話を引っ張っていく。
「……割と本気でそう思っているからわかんない。先生は何をしたんですか?」
「悪に唆されて貴女を襲いました」
「ああ……言われてみると、そんなこともあった気がする……」
「当時は単なる発狂ということで収められていましたが……それの理由がローランドと」
「はい。私はその時、エリスが聖杯の力を持つことを教えられまして。それを手に入れればローランドを蘇らせることもできる……と」
つまり彼は、私利私欲の為にエリスを捕らえようとしていたのだ。
その意味を知って、エリスとアーサーは真顔になる。
「……それだけ先生にとっては大事なことだったんですよね」
「……ええ。最初に話しますが、私は彼のことが嫌いだったんですよ」
「ぶっ……?」
大事なことと嫌いだったこと。提示された二つの落差に、アーサーは思わず紅茶を噴き出してしまう。
「えほっえほっ……すみません」
「いいんですよ、衝撃的ですよね。ローランドは筋骨隆々な石像のナイトメアだったのですが……その見た目が好きではなくて。どうして自分の所にやってきたのが、こんないかつい見た目のナイトメアだったのかと、腹が立ちました」
「……先生って、昔は結構性格悪かったんですか?」
「そりゃあもう。隙あらば文句に陰口に難癖、付け放題でしたよ。それを変えてくれたのもローランドでした」
ハインリヒは懐かしむような態度を見せながら続ける。理知的で冷静な彼が、このような思い出話に興じるのは珍しいことであった。
「私は……ローランドに酷い扱いをしてしまいました。悪口はしょっちゅう、時には暴力も振るって。言葉も喋れない出来損ないと罵りましたが、今思えば私が彼の声を聞こうとしなかっただけなのです」
「……オレとエリスが入学した当時。関係性を大事にすることを仰ってましたが、そういうことだったんですね」
「はい、私の経験則から来ています。主君にすら見捨てられては、騎士はもうどうしようもないのです」
ハインリヒの紅茶を飲むペースが、どんどん早くなっていく。揺れ動く感情を押さえようとしているのだろう。
「ですがローランドは、それでも何も言わずに私に尽くしてくれました。命令されたことを忠実にこなしてくれる、騎士の鑑とも言えるナイトメア。それでも一つだけ……命令に背いたことがあって」
「『最終戦争』、覚えてますか。もう六十年以上も昔のことですけどね」
かつて千年もの間栄華を誇ったグレイスウィル帝国が、その歴史に終止符を打った最後の戦争である。
「……歴史の授業でやったことぐらいしか覚えてませんけど」
「その程度で大丈夫です。私はその戦争の当事者で……反乱軍に追われて生死を彷徨ったのですよ」
「……」
歴史は事件と結果だけを語る。それを生きた人々の心は何一つ残してくれない。
今からハインリヒが語るのは、その心である。彼という人間の信念たるもの。
「最後の最後にもう走れなくなって、槍を向けられた時……ローランドが勝手に飛び出していったのです。私が戻るように命令しても、必死に戦ってくれました」
「その間に私に逃げてもらいたかったのでしょうが……愚かなことに、私は彼を引き戻すことを優先して、逃げ遅れてしまった。敵が放った魔術が命中し、それを真正面から受けて、ローランドは消滅してしまった」
「そしてその魔術は、彼でも完全に防ぎ切れず、私の肉体に影響を及ぼしてしまった……私の瞳はそのようにして潰れたのですよ」
ハインリヒは瞼に力を込めてそれを動かす。隠れていた眼球が露わになったが、黒目がなく白濁しており、既に機能を停止していることをありありと伝えてきた。
「……運び込まれた直後は、すぐに処置を行えば回復すると言われたのですが。私はそれを拒みました。この瞳と共に生きていくのが、私の贖罪であると」
「ローランドはどれだけ主君に酷いことをされても、決して逃げることなく仕えてくれた。逃げ出したい時もあっただろうに、ナイトメアとしての存在意義がそれを許さなかった。ただでさえ縛られているのに、私は更なる追い打ちを加えてしまった」
「ローランドを失ってしまってから、私はそれに初めて気付かされた。人は失って初めて気付く生物だと言うが、それは愚者のすることだ。帝国の皇子という、賢者の教育を受けられる家系に生まれたにも関わらず、私は誰よりも愚かだった……」
「故に私は相応の報いを受けねば生きられないと……罪を忘れて生きていくことはできないと、そう決意したのです」
息をつかせる間もなく、ハインリヒは語った。
エリスもアーサーも真剣な態度でそれに臨み、そして受け止める。彼が抱えていた苦悩、これまでの日々を。
「……先生、さっき性格が悪いと言いましたけど。ローランドがそれを治してくれたんですね。罪を背負ってでも生きる先生は、とても立派です」
「……エリス、ありがとうございます」
「ローランドの件が切っ掛けとなって、ナイトメアの研究を始めたということですね。二度とローランドのような、悲しいナイトメアを生み出さない為に」
「その通りです、アーサー。当時は帝国が崩壊して、ナイトメアが世に広まろうとしていた黎明期というのもありましたがね。ただ絶対数が広まってしまうと、その分だけリスクは高まる……」
「どのみちその手の有識者が求められる状況だったと。成程……ふふっ」
突然アーサーは口角を上げて、少し緩んだ表情になる。
「どうされましたか、アーサー」
「いや……もしもローランドがいなかったら、先生がナイトメアの研究をすることもなくて、そうしたらオレに出会うことはなかったのかもしれないと……そういった意味では、オレはローランドに感謝しないといけないなって」
「ああ……確かに、そう考えれば確かにそうですね……!」
自分が今まで罪として背負ってきたものを、前向きに考えてくれた。新たなる視点に思わずハインリヒは感嘆が漏れてしまう。
その時改めて、ハインリヒは目の前に広がる光景の偉大さを知った。エリスとアーサーは、入学当初は将来どころか何をするべきかもわからない子供だったのに、身の上話を打ち明けられるような若者に成長したのだ。
「でも、ローランドは消滅したって。だとするとこれは……」
「……消滅したのは私の思い込みだったようです。彼は秘密裏に回収され、そして残酷なことになってしまった」
エリスがハインリヒに見せたのは、要注意対象のチラシ。それは三年前の総合戦でも配られていたもの。
内容に至ってもほぼ同一。『石像のナイトメア』が恐ろしい強さだから気を付けなさいと。今回に関しても目撃された為、早々に生徒達にも配られていたのである。
「じゃあ、このナイトメアって……ローランド……」
「これを初めて見た時、私も驚いたのです。他人の空似と言うにはあまりにも似すぎている。魔物よりも強いというのは、きっと元となった私の魔力が関係しているのでしょう……」
「……
グレイスウィル帝国の復活を目論む組織『帝国主義』。彼らは人から奪ったナイトメアを改造し、このような兵器に仕立て上げている。
「ローランドにとっては、きっと消滅するより屈辱的だ。あのまま消えることができれば、騎士の務めに殉ずることができれば、どれだけ幸福だったか……なのに、くそっ、くそっ、セーヴァの野郎……!!」
「先生……」
とうとう感極まって、感情が露わになってしまったハインリヒ。涙を流しそうなのをギリギリでこらえている。
そして立ち上がると、エリスをアーサーに向かって頭を下げた。
「……エリス、アーサー。貴方達にお願いがあります。聖杯の力持つ女王エリスと、使い魔たる騎士達の王アーサーに……」
「どうか、ローランドを見かけたら殺してやってください。私に会わせてやりたいとか、そういうのは考えなくて結構です。私からでさえ酷い扱いを受けていたのに、これ以上の仕打ちは、もうたくさんだ……」
「他のナイトメアも、その主君達も、完全なる消滅を望んでいることでしょう。宮廷魔術師達の研究では、
「ナイトメアはたった一人の主君に仕えることが存在意義……それを踏み躙るような連中の行いは、これ以上看過できない。どうか、どうかお願いします……」
それは教師としてではなく、一人の人間として。ハインリヒ・ロイス・プランタージ・グレイスウィルとしての頼みであった。
「わかりました先生。わたしが、わたし達が責任を持って……先生の願いを叶えます」
「でもその中でも、少しでも希望があるのなら……それを探してみますよ。先生は立場とかあってできないだろうけど、オレ達は自由な若者だ。確かに願いを叶えはするけど、方法は好き勝手にやらせてもらうぞ」
「アーサーったらもう……男の子だから? どうしてそんな強気なこと言うの~」
「え? いやだって……やるからにはベストを尽くしたいだろ?」
「それをしようとして、返り討ちに遭ったら本末転倒じゃない! 帝国主義は最近雲隠れしてて、今どれだけの規模かわからないんだよ? あまり調子乗ったことは言わない!」
「ええ~……そんなこと言われたら、オレもう会話できなくなっちまうよぉ~……」
「……ははは。ありがとう。ありがとうございます……」
あまりにもたくましいものだから、思わず笑顔になってしまう程。
ハインリヒは涙と共に笑顔を浮かべながら、身体を起こすのだった。
間もなくして会話は終わり、エリスとアーサーは応接室を後にする。
残されたのは自分だけ。誰もいなくなった部屋で、ハインリヒは身体を休める。
「……」
気が緩んでしまったついでに、魔法の効力も切れてたらしい。自分の容姿を若く見せる魔法だ。
鏡は灰色交じりの白髪に皺だらけの老人を映し出している。年齢にして八十歳相当の姿。その風貌は、国王ハインラインが実の弟だということを、否応なしに実感させるものであった。
「……はあ。ここまで気が緩んだのは初めてだ」
「きっとそれも……自分の過去を打ち明けられたからかな……」
彼女らには知る権利がある。何度も前置きを繰り返しても、とても清々しい気分であった。
「……僕は二人を教え、導いていたはずだ。なのに今は懇願し、願いを叶えてもらう立場だ」
「六十五年前の僕……見ているか。人に嫌われて孤独死しそうと、ゲルダやゼラやトパーズに散々罵られていたが。今では教師という最も人に近い仕事をしている」
「それもこれも……ローランドが導いてくれた、運命ってやつかな……」
忠騎士ローランドが遺してくれたものは、彼にとって大切なことばかりだ。今までの出会いも、これから為すべきことも。
「ならば僕はその運命に従おう。女王と騎士王、物語の主役になれる二人を育てて見送った後……逆に助けられる。とても感慨深いシーンだと思わないか?」
その問いに返事を返す者はいない。窓の外では二月の寒空が吹き抜けていくだけである。
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