第959話 医術の聖域たる者の覚悟
<魔法学園対抗戦・総合戦
二日目 午前八時>
「では……以上が対抗戦中における、アスクレピオス協会の行動指針となります。不自然なものを見かけたら、一人で行動せずに、必ず上司の判断を仰いでください」
「「「はっ!」」」
白いローブに蛇が絡んだ杖の紋章。アスクレピオス協会は、今回も対抗戦に協賛し現地に赴いている。
「ボナリス、エルク。早速業務を始めましょうか。ティンタジェル周辺にいる浮浪者の保護をお願いします」
「了解なのだわー!」
「へーい。ま、やりましょうかね」
何かあった時に自分達がいると、他の勢力が安心して動きやすくなる。医術とはそういうものだ。
とはいえここにやってきた理由は、それ以外にも二つに分かれている。一つ目が先に挙げた浮浪者の保護だ。
「うっ、ううっ、聞いてください、故郷が革命軍に……」
「わかりました。一先ずは身体に着いた傷を治しましょう。こちらに」
「グルルルル……」
ヘンゼルは自分のナイトメア、お菓子の犬グレーテルにも案内させながら、要保護者への適切な対応に当たる。
対抗戦が執り行われている中でも、人間を取り巻く環境は刻一刻と変化している。故郷を追われた者が、対抗戦で人が集まっているだろうと言うことで、ティンタジェルを目指しているのも少なくないのだ。
「ヘンゼル様ー、さっきのでこの団体は終わったみてえっす。皆口々に革命軍つってましたね」
「そうでしたか……やはり彼らは何かを企んでいる」
二つ目の理由がその革命軍である。クロンダインを支配している革命軍は、アスクレピオスの協力も得ながら何とかその体制を維持していた。
しかし最近になって兵士達に異常が見られるようになった。出歩いている誰もかもが、虚ろな目をしているのだ。医術的観点からすれば明らかに異常なのに、革命軍は診療どころか接触すらも拒んできた。
そのような状態なのに、総出で対抗戦の観戦に赴くと言うのだから、不審に思わない方が無理がある。
「場合によっては、タンザナイア支部の撤退も視野に入れないといけないな……」
「ヘンゼル様っ! また別の村からって人が来たのだわ。どうするのだわ?」
「保護しかないでしょう、ボナリス。とは言っても……」
ヘンゼルは近くに設置してあった時計で、時刻を確認する。午後十二時を回ろうとしていた。
「体力がないと、人を救う者が逆に倒れてしまいます。一旦昼食を食べましょうか」
「ヤッピィー!! 休憩の時間ダァ!!」
「ちょっと、騒ぎすぎよエルク! 怪我している人も見ているんだから、自重なさい!」
こうして三人は休息を取る。アスクレピオスの本部に戻って、購買部で購入したお弁当を食べるのだ。
「購買部で買うなんて何年ぶりだぁ~!? うめ~!」
「私は逆に頻度が高くなっているのだわ! グレイスウィルの購買部は世界一の品揃えなのだわー!」
「おうおうリネスも負けてねーかんなー!?」
カツレツが挟まったサンドイッチが、ぴったりと入れられた弁当。整った見た目は眺めているだけでも幸福を齎す。
「しかもこの品質で、お値段お安めってのがまたいい! 生活大助かりなのだわー!」
「ああ、安いのはいいことだぜ! 日々をケチって貯金して……賭博でボーン!!! くぅ~溜まらんぜぇ~~~!!!」
「まっ!! けったいなことね!! 貴方賭博をする為に生きてるって言うの!!」
「そうだが咎められる要素皆無では~~~??? ちゃんと正当に得た金で!! 正当性が保証されているギャンブルにつぎ込んでる!!」
「合法だけどなんか印象悪いのだわー!! 私みたいに魔法音楽に全力捧げている方がまだ健全なのだわー!!」
「趣味に健全もクソもあるかバーカ!! 楽しんだもん勝ちだよ!!」
エルクは弁当を平らげ、早速ラストウェナンの
「なんか今回色んなとこからお偉方集まってきてるけどよぉ。俺サマにはそんなの関係ないねー!! いい感じに金を稼いで賭博で脳汁ダバダバ!! これが俺サマ理想の生き方よ!!」
「とても不幸すぎる生き方なのだわ……!!」
「てめーボナリス!! さっきから俺に文句ばっか付けおってよー!! そういうてめーはどうなんだよ!!」
「私は当然! 魔法音楽なのだわー! 『トゥバキン』のドラマーとして、魔法音楽の火付け役として! 今という事態の主役達に、雷の旋律が齎す快感を! 布教するのが私の使命なのだわー!」
「うわ出た気色悪ぃ。そういう重ったるい諸々抱えるのはごめんだね!!」
「貴方がそう思っているだけなのだわー!! 実際はとても楽しいのだから、取り敢えず魔法音楽聞きなさい!!」
「ぎゃあああああ飛びかかるなチビィ……!!」
「……ふふっ」
めったに笑うことのないヘンゼルが、この時珍しく笑った。
ボナリスもエルクも目を丸くし、挙句彼の足下にいたナイトメア・グレーテルも、興味深そうに彼を見上げている。
「……いやあ、すみません。没頭できるだけの趣味があるなんて……羨ましいと思いまして」
「……ヘンゼル様ぐらいご長命だと視点も変わるもんなんスね~」
「ならヘンゼル様もそういう趣味を作ればいいのだわっ! 魔法音楽は数百年を生きるエルフも歓迎するのだわー!!」
「お気持ちだけ受け取っておきますよ」
ヘンゼルは空の弁当箱を机に置いて、ゆったりとソファーにこしかけて身体を休める。グレーテルに膝上に乗ってくるよう指示を出し、その毛並みを撫でた。
「私ぐらいの年齢になるとね……世界のあらゆる摂理に疲れてしまって、趣味どころではなくなるんです。それこそ、今回の革命軍だって」
「今は休憩中っすよ? 仕事の話題は厳禁っす。せめて競馬予想にしてほしいっすよ」
「エルクには人の心というものがないのだわー!?」
「うるせー休む時にはしっかりと休みたいんだよ俺は!!」
片や真面目で片や不良。ボナリスとエルクが何かと口論をする様は、ヘンゼルにとって見慣れたもの。
一見仲が悪そうに見えるが、実は内面を最も理解し合っている。こういう組み合わせこそ仕事で最大限の実力を発揮するものだ。
「ああでも、何も楽しみがないというわけではありませんよ。貴女がたのような若い人達が成長するのを見るのは、代え難い喜びがあります」
「そう言ってくださって何よりなのだわー!!」
「喜んでるって言うならその礼として、丸くってキラキラした物をいただいても~!?」
「人の!!! 心が!!! 以下省略!!」
少しだけ微笑んだヘンゼルは、グレーテルにこっそり耳打ち。
そして立ち上がってエルクに近付いた。
「ええ、貴方には感謝しておりますのでね。これは礼ですよ」
「んひょーやったー!!! 言ってみるもんだナァー!!」
一切の遠慮なくエルクは右手を差し出す。
そこにぽとんと落とされたのは、赤い飴玉だった。
「丸くてきらきらしているでしょう? グレーテル謹製です、味わってくださいね」
「バウッ!!」
「……魔術大麻中毒を治療してもらった時から思ってたンすけど。やっぱり貴方には敵わねーっすわ」
「それはどうも。生きてきた年数が違いますからね、様々な人間の裏を掻く方法もたくさん知っているのですよ」
それから昼食を食べ終え、午後の仕事が始まる――
「おや……またしてもぞろぞろと」
「総合戦が始まりますからね、ご挨拶にと!」
「ヘンゼル先生、お会いするのは久しぶりですねえ。そして、会えてよかった」
数百年生きてきた中で、最も印象に残っている教え子達。活発なトパーズ、ひねくれたゼラ、大人びたゲルダ、大人しいハインライン、そして生意気なハインリヒ。
全員揃って六十は超えている老人ばかりだが――どれだけ老いぼれた見た目になっても、可愛い教え子である。
「あたし達も寿命が来てますんでねえ。いつ斃れてしまうかわからない」
「ゼラちゃんったら気が滅入るようなことをー!! でもね、そういうことを言う人に限って長生きするもんなのよ!!」
「あらぁん、その理屈で言うとトパーズが逆に逝ってしまいそうなものだけどぉ」
「えっ! あらやだゲルダったら!」
何言ってんのと手を振るトパーズ。淑女達の会話を、隣にいる男二人は微笑ましく眺めている。
ので自分から会話を振ることにした。
「そういえばハインライン。開会式の立ち振る舞い、見事でしたよ。教師として誇りに思います」
「えっ!? あ……光栄であります、先生」
「素で驚いたのかよ……僕が言った時もそうだったな」
ハインリヒが乾いた笑いを添える。生意気な態度だって、長年見ていると愛着が湧くものだ。
「……先生。僕は前を向こうと思っています。ローランドのこと、少しでもいいから話してきます」
「……そうですが。ですが辛くなったらいつでも私の所に来なさい。泣くことを許可しますよ」
「泣いたりはしませんよ……もう大人なんですし」
「それは絶対に泣く者の言葉ですね。私はいつでも待っていますよ」
きっとそれが、教える者の役割だと思うのだから。
「あーっとそうだ先生!! 私提案があるのですけれど!!」
「どうしましたかトパーズ」
「いやね……今って学生の皆が、騎士や宮廷魔術師に稽古つけてもらっているじゃない! それと同じように、先生にもう一度……」
「……最近はあまり攻撃系の魔法を使っていなかったのですがね」
「うっふん、だったら逆に私達が教えてあげるわぁ。先生程じゃないけど、こちらも人生長いのよ?」
「ははは……それは心強いですね、ゲルダ」
昔ハインリヒには、教え子が成長するのは教師の本懐と教えたことがある。
それを自分が自覚することになるとは、一切想定していなかった。
「とは言っても現在仕事が立て込んでいますので……時間を作ります。あとでグレーテルに連絡させますよ」
「よろしくお願いいたしますわー!」
「そいじゃ、用件も伝えたしあたし達はずらかろう。先生、お時間取ってしまって申し訳ありませんでした」
「いいんですよ。皆さんにまたここで出会えた。それだけでも気力が沸いてきます」
それからも言葉を少し交わし、ヘンゼルは難民保護という仕事に向かっていった。
歩いている途中で、グレーテルが話しかけてくる。
「ワンワン!!」
「ん、何だグレーテル……さっき私が楽しそうにしていたって?」
「ワオーン!!」
ナイトメアは主君の心の動きを察知する能力に長けている。どうやら自分が思っている以上に、教えるということを楽しみにしているようだ。
「……それはどうしてだろうな? 昔のように戻れることが嬉しいのか」
「ワンワンッ!!」
「違う? だとすると……『教える』ということ自体に、喜びを感じているのか」
不意に足が止まる。先程ボナリスが話していた言葉が脳裏を過ぎったからだ。
「……」
「ワオーン?」
「……いやね。ちょっと閃いたんだ。没頭できる趣味」
「バウンッ?」
「当然タンザナイアが落ち着いてからになると思うけど……医術師を育てる学園とかいいんじゃないかって。医術を教えて生徒の成長を眺める。僕の好きなことを一気に満たせるんだ」
「ワオーンワオーン!!!」
グレーテルがこの上なく喜び走り回っている。素敵なことだと褒め称えるように。
「これこれ、落ち着きなさい。もしかしたらこれが僕の役割なのかもね。誰かを教え導く……純血のエルフに生まれたのも、沢山それができるようにという、神様の配慮だったのかもしれない」
数百年の日々を過ごしてきて、ようやく自分の存在意義が見出せた。逆に数百年過ごしてきたとしても、それが無意味な日々であるのならば、存在意義は見つからないということだ。
それに気付けただけでも数々の出会いに意味はあった――ヘンゼルはその事実を噛み締めて、残り少ない今日の仕事に励む。
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