第958話 国王と王太子夫妻の覚悟
こちらは王侯貴族の天幕区。開会式を終えたハインラインは、早速専用の天幕に戻っていた。
「ふう……今回は特に緊張したな」
「本当にね! みーんなじろじろ見るもんだから、私不用意に顔出せなかったわよ!」
揺れるタイプの椅子に座るや否や、ナイトメアのベロアが身体から飛び出してくる。そして主君ハインラインの膝の上に座り、自然と撫でてもらえるように仕向けた。
「ああ、いい毛並みだ。我がナイトメアながら落ち着くな」
「昔っからもふもふは人を癒すと相場が決まっておりますのー! 短時間でぱっと疲れを癒しなさい!」
「そうだ……この後もあるのだったな」
気が休まらないなと思いつつも、とにかく手を動かすハインラインであった。
そして三時間程経過した後。
「では皆様、此度の対抗戦の開催を祝いまして。創世の女神の加護があらんkとおを……」
ハインラインが赴いたのは、中央広場の共用区画。ただ広いだけのこの空間では、事前に要請すれば好きなように使うことができる。
今は相応に地位の高い者達が集まって、ささやかな立食会を行っている所だ。
彼は国王として、大勢の者に頭を下げなければならない。魔法学園の生徒達がそうしないといけない分も、全て背負っているのだ。
「これはこれはハインライン王! 本日も大変麗しゅうございますなあ!」
「貴方は……ルナリス殿」
ワイングラス片手にニタニタ笑いながら、近付いてくるのは恰幅のいい男。カムラン魔術協会長のルナリスである。
「今回は我々の参加を認めてくださり、本っ当に感謝いたしますぞ! いやはや三年前が懐かしいですな~。あの頃は我々の主張を一切認めてくださらなかったと言うのに!」
「その主張と今回の観戦許可は別の問題でありますよ」
彼らの滞在を許可したのは、例によって武術戦とほぼ同じ。参謀と呼ばれる人物の影響力故である。
この男が何かしたわけではない――と思っていると。
「あらあらルナリス様、お一人だけずるいですわよ?」
「三騎士勢力が久々に会する機会なのです。もう少しゆっくりとお話しましょう」
キャメロット魔術協会長のヴィーナと、イングレンス聖教会大司教のヘンリー八世もやってきて、
三人の間にハインラインを入れるようにして囲む。
(……圧が凄いのだわっ!)
ベロアはハインラインの中に潜み、客の様子を黙って眺めていた。脳震盪でも起こしたら大変というのが本人の弁。
そしてこの状況は、本当にめまいを起こしそうなもんだとベロアは思った。彼女のみならず、周囲にいた他の来賓ですらもそう思えた。
しかしハインラインは表情一つ変えない。それどころか涼しい顔して、こんなことを言うのである。
「……貴方がたがグレイスウィルに、イングレンスに何を求めているのか、私の預かり知れぬ所でありますが」
「仮に我が国の民に一つでも手を出してみなさい。その時は私が全ての責任を背負い、貴方がたへの報復を許可することでしょう」
「麗しき薔薇には棘が生えていること、ゆめゆめお忘れなきよう」
その言葉に三人とも眉間に皺を寄せる。ルナリスは冷や汗を掻き、ヴィーナは目が乾いていき、ヘンリー八世は不敵に笑う。
どうせただの老人だろうと、高を括っていたら先手を打たれた。
「……な、なーにを言いますがな。我々が手を出そうとしているなんて、そんな証拠どこにもありませんと言いますにぃ……」
「……ええ、覚えておきますわ。でもキャメロットに咲く花の方が、もっと美しくもっと鋭い棘を讃えているのだけどね」
「強気に出ましたなハインライン陛下……どうかその姿勢が仇となりませんように。そう祈って止みませんよ」
それぞれが方便と嫌味を叩き付け合って、相手の出方を伺う。社交界なんてそのような駆け引きの応酬だ。
ハインラインは幼少期からそのような世界に身を置いていた。だがその事実と、慣れているという事象は結び付かないもので。
「はあ……疲れた……」
「誠に立派でありました、ハインライン陛下」
パーティが終わり、再び天幕に戻ってきた後、彼はソファーに座って素を曝け出していた。柔らかい座り心地が緊張し固くなった心を解きほぐしていく。
紅茶を汲むのは、騎士団長であるジョンソンの役目。彼のナイトメアの全身甲冑アークラインと、それからベロアも一緒に。心置きなくティータイムを楽しむ。
「三騎士勢力に睨まれた時はどぉーしたもんかと思いましたわっ!!」
「私も正直思った……だがそこで気後れしていては、隙を突かれてしまうと思ったのだ」
「ソレヲ見据エタ上デノ宣言、見事デアリマシタ」
アークラインが褒めながら、スコーンの準備を終える。ジョンソンも最大限ハインラインを労わる心掛けを忘れない。
「我々グレイスウィル騎士団一同、国王陛下のお言葉通りに、赤薔薇に刃向かう者を一人残らず断ち切っていく所存であります」
「うむ、良き忠誠だ。だがその過程に置いて、君達自身が断ち切られることがないようにな」
「肝に銘じます! 有難きお言葉感謝致します」
「……ですが国王陛下。運命というものは、どうしようもない時にはとことんどうしようもないのだと、私は常々思うのです」
ジョンソンは苦しそうな顔をしながらそう述べる。ハインラインは大切な家臣の言葉を、一つ残らず耳を傾けた。
「どれだけ訓練を積んできた人間であろうと、死ぬ時は死ぬのだと、最近にも増して荒れる世界を眺めてそう思うのです。何かが違っていたら、私もあの死体の山の一部になっていたのではないか……と」
「……誠にその通りだな。私は国王という身分故、多くの者に守られてはいるが、その警備の薄い所から射抜かれる可能性だってあるのだ」
「あら、その心配は無用でなくって?」
ベロアが普段のおしゃまな調子で口を挟んでくる。
「何故ならそういう所は、このベロア様ががっちりガードしているのだからぁー! そういう事態の為のナイトメアでしょ?」
「……ベロア」
「ジョンソン、最近ヤケニ暗イ顔シテイルナト思ッテイタラ、ソンナコトヲ……」
「はは、アークライン……俺だって大勢の部下を預かっている身。失う不安を抱えているんだぞ?」
普段の様子からは想像もできない心境だ。否、想像させない態度を見せられるからこそ、彼は騎士団長の器に収まったのかもしれない。
「身分があるのは私も同じです、陛下。騎士団長と言えど一介の騎士であることには変わりないのですから。お互い身の回りに注意しながら生きていきましょう? そしていつ死んでも大丈夫なように、胸を張りましょう」
「ん、そうだな。誇りを胸に生きていく……見本となる者にとっては、大事な姿勢だ」
互いに心労を感じているからか、笑いかけるタイミングが同じだった。
「……上に立つ者の役目。死の恐怖を感じていながらも、それを顔に出さず平然と振る舞う」
「やってみるとわかるこの大変さ……だがそれを務めているからこそ、高級品に囲まれて生活をしている」
「つまり高級品をたんまりと使ってやるのも上に立つ者の役割と言えるのだわっ!」
「ベロア様ノソノヨウナ発想、私ハ尊敬イタシマス」
「失礼、騎士団の配置を確認させてもらってもいいかな?」
「はっ、ただちに! ……ジョンソン団長は、現在ハインライン陛下の所においでですが……」
「構わないよ、資料だけ見せてもらえれば」
騎士団本部にやってきたのは王太子ハルトエル。彼がすっかり騎士団にいる光景も慣れてきたものだ。当初は壁があるような対応をしていた騎士達も、今では上司に接するのと同じように関わってくれている。
「ふむ……北の辺りの配置が薄いね。理由は聞いている?」
「はっ。以前女子生徒の天幕区に、カムランの参謀が姿を見せたとの情報がありまして。今回も同様の事態の恐れがあると判断し、女性騎士の多くをそちらに回しているのです」
「女子、女子天幕区か。ふーむ……」
確かにできるものなら、極力そちらに人員は割いてもらいたい。何故なら愛娘ファルネアがそこで寝泊りしているから。
「とはいえ北は革命軍と接しているんだよね。彼らもまたどう動くかわからない現状、人員は多くしておいた方がいいと思う。他の勢力は、正直対応に『慣れ』があるだろうから、少なくてもいいんじゃないかな」
「女性騎士の配置は変えずに、それ以外の所からちょっとずつ回す方向で。提案してもらってもいいかな?」
「はっ……貴重な助言、感謝いたします!」
「いやあ、それほどでもないよ」
謙遜しながらハルトエルはその場を後にする。昔の彼なら、これ以上に女子天幕区に割く人員を増やしていただろう。
そうしなかったのは、娘を――あと三年で王族の仲間入りを果たす、第一王女ファルネアを信頼していたから。暴漢が襲ってきても、案外彼女は強いからなんとかなるのではないかと。
「ん……メリィにレオナ殿じゃないか」
「ハルト! こっちに来てたのね!」
「わたくし達今からお茶にしようと思って~。それでハルトエル殿下も誘いましょうということに~」
「お茶会だって? 僕はそんなの……」
ハルトエルは最初乗り気でなかったが、実際に行ってみると自分も混ぜることに納得がいく内容だった。
メリエルとレオナの二人は、ファルネアについて話し始めたからである。
「この間お城に来た時、私がちょっと声をかけてね。身長を比べてみたのよ」
「僕の知らない間にそんなことを。どうだったの?」
「なんと! 私との身長差、20センチ!」
「ええっ! それは凄いや!」
ハルトエルが驚いている隣で、くっくっくとこらえ切れず笑う者が一名。レオナのナイトメアである黒いバフォメット、フォーである。
「フォーさんったら~……これはとても素晴らしいことなのよ?」
「ぶはは……! いや、悪りぃ! 姫様はいつだって小さいもんだと思っていたが……ちゃんと成長してるんだな!」
「そうよ、そうなのよフォーさん! 私達の見ない所で、本当に……」
思慮深く溜息をつくメリエル。感動に身を委ねていたが、突然ぱっと真面目な表情になる。
「いつの間にかあの子は、とても立派な顔付きになったわ。王になっても恥ずかしくないぐらい……寧ろそれより彼方を見据えているような」
「そうかなあ……僕の目には変わらず可愛いままに見えるけど……」
「ハルトエル様ったら親バカですの~。わたくし、最近魔法学園に訪れてみて……ひしひしと感じますのよ」
レオナはグレイスウィル魔法学園の出身である為、時々稽古を付けにいっている。温和な表情から想像もできない格闘術を振るうのだ。
「学年が上がるにつれて、皆目が引き締まっている。一人が真面目だからそれに釣られるようにして、皆頑張っているのですよ~」
「騎士や宮廷魔術師も訓練は頑張っているけど、それと同じかそれ以上の気迫があるわ。だからこそ……」
「だからこそ?」
「うん……私達はもっと堂々としていていいんじゃないかしら、って」
若者が奮闘しているのに、上に立つ者が気後れしていてはいかがなものか。
そう訴えてくるメリエルの瞳に、ハルトエルも黙って頷く。半分だけ飲み干した紅茶が日に照らされていく。
「……そうだね。僕は……グレイスウィルの次期国王で、君はその王妃だ。いつ国を任されてもいいようにしておかないと」
「まるで今までは自覚がなかったかのような言い方ね?」
「それは……そうかも」
国王としての責務は、大抵父ハインラインが執り行ってくれていたからである。
「でもファルネアは違うのだろうね。彼女は王ではないけれど、誇りを抱いて行動している……僕だってそんな気持ちがなかったわけじゃないけど」
「ファルネア様は、魔法学園で素敵な出会いをいたしましたの~。尊敬できる先輩、というね~」
「なんでぇ、ボーイフレンドよりそっち先に上げるのかよ」
「うふふ~。でもねフォーさん、ファルネア様は彼女の話をしている時が、最も楽しそうにしているのよ?」
「言われれば確かにな……」
フォーも薄々感じていた。五年前の夏季休暇前に出会ったあの少女は、とても真っ直ぐに物事を見ているのだと。
「あの小娘の行動が周囲を巻き込んで、いい影響を与えるって所だな」
「エリスさんのことね? 彼女はなんだかそういう素質に溢れているわよね……」
「ならば僕らも影響されるとしようか。多分彼女達の物語においては、背景にも等しいと思うけどね」
役割を理解できたなら、あとはそれに準ずるだけだ。四人の間にはそのような雰囲気が漂うのだった。
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