第967話 沼の者の覚悟
<午前十一時 中央広場出店区画>
「いいいいいいらしゃいませー!!
「現在は展示だけを行っておりますの。よければ見ていきます?」
「あ、そういうの大丈夫です。フローラさんに会いにきたんですから」
「ぶっ!!!」
フローラは噴き出してしまい正面から倒れ込んだ。
「あわわわわわ……ま、まさか対抗戦まで、あたし達の為にわざわざ……!?」
「だって僕は『ヴァルタ』の……いや! フローラさんの一番にして古参のファンです! どこまでも追っかけたくなるのがファン心理です!」
「ほわあああああーーー!!!」
「いや~フローラったらぁ。モテてんなあ!!」
「これはボーイフレンドですわ。カタリナさんがそう言ったのも頷ける」
「うちのフローラはテンパることが多いですがぁ~! よろしくお願いしますねぇ~!!」
次々と囃し立てるフローラの仲間、暗殺者一族『沼の者』の若者達。彼らは現在、暗殺とは程遠い服飾の仕事に身を置いている。
そして彼らは揃って、このような他人の恋愛話を思いっ切りネタにするという行為は、人生では初めてであった。今まではそんなことをする余裕がなかったのである。
「ふふふ……フローラはもしかして、私達の中では初めて、一族以外の者と結婚することになるのかしら」
「なーにを言いますかメリッサぁ。あんたもいい男いないの!?」
「わ、私はまだ仕事を頑張っていきたいし……」
「そういう女は行き遅れて、結局結婚できずに人生終わるんだって! 最近買った本に書いてあった!」
「……そうなの? 女らしさを磨いていれば、勝手に結婚できるのではなく?」
「周囲が固めてくれるってのは、それこそあたし達の一族ぐらいだ。ほら、確実に子孫残さないといけないから……」
「ああ……そっか、そう言えばそうだ……」
このブランドが設立し、服飾の仕事を始めてから一年が経とうとしている。アルブリアで過ごす日々の何もかもが、暗殺しか知らなかった若者達にとっては新鮮だった。
刺激は認識に作用し塗り替えていく。そのうちの一つが、『女も積極的に行動しないと結婚できない』というものである。
「……こうやって世界の常識に染まっていくんだな、人って」
「へへへ……もう沼の者なんて古いんだなって、思い知らされるね!」
「古い……そうか古いか」
「あっしらはつくづく化石のような人間ってことですなあ」
会話に花を咲かせる沼の者達の前に、現れた人物三人。一族の長であるトムと、その側近ソールである。
そして二人に挟まれるようにしていたのが、
「ぞ、ぞ、族長……! い、今のは貶める意図はなく……!」
「トムさんったら、自分の古さ気にしてるの? ならタピオカを水で飲むのやめない?」
「そんなことを言われてもだな……私は紅茶は苦手で水が好きなのであって……ああ、別に私は怒ってないから安心してくれ」
「古いっていうのは馬鹿にする言葉ではありやせん。そういうのに固執している奴から滅んでいくんでやんすから」
カタリナは早速売り場に入り、展示している服を眺めつつ、やってきた客に紹介もしている。
一方でトムとソールは服飾のことなんてわからないので、スタッフが待機している裏側にそそくさと向かっていった。
「今更だがこの雰囲気だと我々の服装は浮くな……」
「そう思ってんなら違う服着てきてくださいよ!」
「とは言われても……申し訳ないが、暗殺以上に難しいことだ……」
「つくづくあっしらは前時代の人間でやんす。でも、変えたいなあって気持ちはあるんでやんすよ?」
「その気持ちがあれば十分ですよ」
メリッサが二人にお茶を淹れる。ついでにこのタイミングで、フローラが一旦戻ってきた。
「ぶぶぶぶぶへえ……あたし、緊張したっす……」
「いい気味だ」
「なんでそうなるんすかぁ!?」
「だってよくよく考えてみろ!! 俺達の中でいっちばん最初に固定客着いたの、フローラなんだからな!?」
「あ……そっか」
一見すると恥ずかしいボーイフレンドという言い回し。しかし見方を変えればそういうことだ。
誰よりも早く特定の人物から期待を寄せられている。それがフローラだった。
「……だったらあたしはますます頑張らないと。暗殺業はへっぽこだったけど……暗殺じゃないことなら頑張れる」
「そうか……ああ」
トムはそんなフローラの様子を見て、言葉に詰まってしまった。
「……言いたいことがありすぎて、言葉が出てこない……」
「族長ったら……」
「ははは、最近涙もろくなってきやしたな!」
とか言っているソールも目が充血している。
「ソールさんも駄目じゃないですか。ほらハンカチ」
「礼を言う……」
「いや~……あっしらの時代じゃあ、将来なんて決められていた。暗殺に生きて、暗殺ができなかったら落ちこぼれ。でもそれ以外の生き方ができる、そんな時代が来るなんてさあ……」
感慨深くなっているおじさん二人を差し置いて、若者達は次の仕事に向けて準備をしている。
「……よし。泣くのはこれで終いだ。私は覚悟を決めたぞ」
「私は未来を作っていく若者達の為に、全力で族長としての責務を果たそう。皆に刃を突き立てる者がいるなら、私が代わりとなって立ち向かおう。それで安心して仕事ができるというのなら」
「あっしも族長に同意っす。若者を守ってやるのが、年食ったおっさんの役目ってもんでっせ。流行をとかを体感するには歳を取り過ぎたもんでさあ……ならそれを守る為に戦う方が、気が楽だ」
「ちょっと族長、ソールさんも! 守ってくださるのは結構ですけど、くれぐれも斃れないでくださいよ! なんかそういう雰囲気に溢れています!」
「む、勿論そんなつもりはさらさらないぞ。命あっての物種だ」
「そうですよ! でも……族長が気合入れてるなら、尚更私達は応えないといけませんね」
メリッサの言葉に周囲の若者達も頷く。
「私達は自分のやりたいことをして、一族の未来を切り開く。血塗られた歴史に終止符を打って、明るい自由を手にする」
「やりたくないことをやらなくてもいい世界へ! どれだけ泥を投げ付けられても突き進む! それがあたし達の、あたしの物語だ!」
フローラが力強く叫んで、全員の思いが一致した。
「……生存本能以外のことについて、命を燃やすというのは、これ程までに快感を得ることだったか」
「そうですね。とても人生を謳歌しているって感じです」
「ははは……」
ふと、トムは裏側から展示区画を覗く。そこでは姪のカタリナが、未だに客を相手に商品の説明をしている。
「そういえば、さっきボーイフレンドがどうとか聞こえてきたが。カタリナにはそういう話はないのか?」
「あれ、確かに聞きませんね。でも……カタリナさんが想いを寄せる相手なんて、ほぼ一人のようなものじゃないですか」
「ああ……そうかもしれないな……」
誰が抱いたかもわからない哀愁に、花は静かに揺れる。
「
「首が落ちても共に――胃袋は奪われた――心を包まれて――」
「……来たか」
「結構な物を持っているのね。誰に貰ったの?」
二人の人間が相対する。ここは対抗戦の開催場所から少し離れた、ログレス平原に古くから生えている森。魔物の縄張りになっているので、誰も近付かない。
人間が近付かないということは、他人に聞かれたくないような話をするような者にとっては都合がいいということで。
「誰だと思う?」
「カタリナでしょ? 桔梗の花を贈るのは『沼の者』の習わし。そして贈るに至るまでの感情を抱けるのは……あの子ぐらいなもの」
片方の若い女性は、普段は髪を染め目には魔術水晶を入れ色を変えているのだが、今回は全てを抜いてきた。普段はグロスティ商会でメイドをしている女性、オレリアである。
もう片方は外見を変えるということに無頓着な男性。その髪と目の色はオレリアと一致している。今世界を騒がせている革命軍所属の画家、ヴァイオレットこと本名ヴィリオ。
「正直言うとね、予感はしていた。あの子もそろそろ結婚が認められる年齢よ。あの子は誰と結婚したいのか……それについて考えた時、貴方の顔しか思い浮かばなかった」
「ずっと前には、訓練以外で付き纏うのはやめろって、お前に釘を刺されたこともあったな」
「あの子の方から近付いていくから結局無駄だったけどね。で、それはまあいいのよ。問題はいつ頃貰ったものなのか……プロポーズはいつだったのよ」
「……」
これを言ったら怒られる、と予感しながらも伝えた。
「一年前」
「は……」
「一年前だ。一年もの間返事を返せずに……それ以来あの子に会えていない」
オレリアはその話を聞いて、思わずヴィリオに殴りかかっていた。
「……お前は!! お前はまたそうやって、あの子に絶望を味合わせるのか!!」
「……」
「お前がいなくなったと聞いて、あの子は深く悲しんでいた……!! 折角会えて想いも伝えたのに、それに返事もせず姿をくらませた!? お前のした行為は裏切りと同じだ!!」
「……」
「……反論しろよ!! お前がそうじゃないって言うなら、今ここで伝えろ!! 私が代わりに……!!」
「いい。俺は裏切り者で構わない」
「……!?」
ヴィリオは左手でオレリアの身体を掴み、そのまま引き剥がして持ち上げた。
彼の利き腕は右だと知っているので、オレリアは驚愕してしまう。利き腕ではないのにここまで力が出るのかと。
そのことを問い詰めようとした矢先、悲鳴が聞こえた。
「……丁度いい機会だ。一緒に来い」
「は? 一体何が……」
「俺が返事でもしてしまったら、あの子を悲しませる。その証明だ」
オレリアはヴィリオに誘われるまま、悲鳴がした方向にやってきた。
「ちょっ……革命軍の拠点が近いじゃない」
「どうにかこそこそやってくれ。お前なら得意だろう?」
「言ってくれるわね……」
悲鳴を上げたのは、目の前で悶えている革命軍の兵士だった。
彼は胸を押さえて泡を吹き、呼吸困難に陥っている。ヴィリオはそれに近付き、まずは声をかけた。
「もしもし……俺がわかるか?」
「……が、か、ど、のぉ……」
「わかるようだな。じゃあ……」
そこからオレリアが目撃した光景は、とても信じがたいものだった。
「へあ……ありがとうございます……」
「……俺は全ての兵士に対してこれが許されてるってのも、不服なものだが」
「部隊長達は……半分以上が……くたばってますからぁ……」
「日に日に奴の力は強まっている。近いうちに爆発すると思うが……」
「嫌だ……死にたくない……」
兵士はもぞもぞと起き上がると、革命軍本部の方に向かって去っていった。
ヴィリオも立ち上がり、一部始終を見ていたオレリアに向き直る。出会った時よりその目はやつれていた。狂気すらも感じてしまう程に。
彼は前髪を手でかき上げ、そこにあるものを見せ付けながら――
「オレリア。今俺の目の前で、覚悟を決めてくれないか」
「……!!」
じりじりと歩み寄ってくる彼を見て、オレリアは察した。
戻れないと言って一族を去った彼は、戻れない所まで来てしまったのだと。
「何があってもあの子を……カタリナを守り抜くことを」
「俺があの子を手にかけそうになったら――お前の手で俺を殺すことを――」
目の前には到底受け入れられない現実が広がっている。それはさらに追い打ちをかけてきた。
「おや、誰かと思えば侵入者か。しかもこの下僕共がこぞって目の敵にしている、『沼の者』とやらではないか」
「そういやお前の大切なものも、このような紫と緑をしておったな。つまり目の前にいるこれが、そうであるのか?」
オレリアはヴィリオの隣に並んだその少年に、只ならぬ気配を感じた。見た目は前に一度だけ肖像画を見たことがある、クロンダイン王族の生き残りダイアーであったのだが――
そこから放たれる気配は凄まじい。並々ならぬ訓練を受けてきたオレリアでさえも、圧迫されて気絶しそうであった。
(この気配……! 感じたことがある、確か……)
(エレイネ事変の時だわ! カタリナやエリスさん、アーサーさんと一緒に立ち向かった、あれと同じ――!)
「……っ!?」
思考を巡らせすぎて気付かなかった。彼が来た途端、ヴィリオの挙動がおかしくなったことに。
もはや目には生気すら宿っていなかった。古代の壁画に描かれるような、象徴としての意味しか残されていない。
そんな目をしている幼馴染、兄弟子、優秀な同僚、一族を捨てた者、妹の想い人が――
「――あああああああっ!!!」
オレリアは死に物狂いで足を動かし、その場から逃げ出した。
後ろも振り返らずに走り続ける。その際考えていたのは、あの巨大すぎる気配のことではなかった。
(カタリナを殺すですって……ヴィリオ、どうしてそんな諦めたことを言うの)
(母さんにはそんなことを教えられたの? 母さんがそんな甘いことを教えるもんか!)
(クソッ、気に喰わない! どうしてカタリナを手にかけることが前提なの、どうして未来が決まったように話すの!! 貴方のカタリナに対する想いはその程度なの!!!)
(認めない――そんな覚悟なんて、私は認めない!! だから私は逆を行かせてもらうわ!)
(何が何でもヴィリオを連れ戻して、カタリナに会わせてやるんだから……!)
「ぐっ、うっ……」
「ふぅむ、取り逃がしたか。紫と緑、ともすれば主と同じ戦闘力を持っていると考え、手駒にしたかったのだがな」
「きさ、ま……これ以上、俺の、身内を、巻き込むな……!!」
「うむうむ。主のその精神力、いつ見ても美しい。どれだけ侵食が進もうとも理性を失わず、痛痒に敗北することもなく、余に抵抗心を見せようとする。とはいえ……」
「ぐあっ……!!」
「間もなく奴と衝突する時が来る。その時に背かれては困るのだ。故に少しばかり痛め付けておこう――」
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