第505話 幕間:春に近い島の追憶
そこは一面の黒だった。
しかし地面がしっかりと残っており、踏み締めるとべちゃべちゃ音がする。
雪が雨によって溶け切っているのだ。
足の踏み場もないと思わせるような大地。だがそこは、ほんの数日前まで数刻前まで、
人々が暮らしを営んでいた島だったのだ。
「……」
「女王……陛下っ」
「……どうか、膝をおつかれになられないで。この黒には何が含まれているかわかりません。陛下の身に何かございましたら、我々は……!」
騎士が一人、魔術師が用いる絹のローブに身を包んだ、
王冠のように凍った頭髪を持つ女性に呼びかける。
「グルルル……アア゛ッ!!」
「……! マーク殿……」
彼女の肉体から狼の戦士が出てきたかと思うと、
そのまま彼女を--主君を叩き起こし、誠心誠意を込めて叱咤激励する。
「ああ……そうねマーク、行かないと……でなければ無理を言ってここまで来た意味がなくなってしまう……」
「ガルル……ッ!」
「……行きましょう。この島で一人でも多く、生存者を探し出します!」
アガタ島。イズエルト地方の最北端に位置する、王国内では六番目に広い島。
ギョッル島よりも北にある影響で、雪の振り方や土の凍り方はその比ではない。しかし人々はこのような環境でも生き抜く術を心得ている。
降り積もる雪にうずめた野菜は、甘みが増して美味しいと好評。寒さを凌ぐべく作られた編み物の技術は、他とは目を見張るものがある。島を治めている貴族も、雪が積もった際には島民と雪だるまを作って交流を図る等、関係性は至って良好であった。
これらを総評して、観光案内にはこのように書かれた。
『最も北にある島、最も春に近い島』と--
「はあっ、はあっ……!!!」
「うう……ああああっ……!!!」
だがそんな島の営みも、穏やかに訪れていた春も、
帝国歴1058年の冬に、全て黒く塗り潰されてしまった。
「……ごめんなさい……ごめんなさい……!!!」
「私が、もっと強ければ!!! 聖教会を敵に回すようなことをしなければ……!!!」
「皆様は……皆様は、ああ……」
島民だったものは黒く染まってから時間が経ち、肉片と雪が混ざって悪臭を放っていた。一部分が残っていたり、骨が綺麗に見え隠れしているのでさえ、まともな方だと思ってしまう。
加えて建造物も原型を留めなくなってきた。蔓延る黒は生命体だけを攻撃するはずだったが、時間の経過と共にその本質を変化させていたのだ。
この島の歴史を、営みを、存在した証明すらも--
連中は全て否定し、私利私欲の為に滅ぼした。
「誰か……誰でもいいの……返事をして……」
「生きているって声を上げて……迎えに行くわ……」
「私が……ヘカテ・レインズグラス・フリズ・イズエルトが……」
お父さん
お母さん
置いていかないで
置いていかないで
「……!!!」
彼女は一目散に走り出した。
女王としての振る舞いなんて二の次にして--
縋り付く獣のようにがむしゃらだった。
「っ!! 女王陛下!?」
「一体どちらに……!? とにかく追うぞ!!」
気付けば騎士団諸共、拠点にしていた天幕から二十キロメートルも走る大行軍となっていた。
「ああ……げほっ!!」
「……ここに、ここにいるのね……?」
辺鄙な村だった。ありのままの自然がそのまま残っていた。
ギョッル島では見られなくなってきた、永久凍土も僅かに残っている--
「私に、私に、生きているって教えてくれた子……」
「……弱々しい声で、ご両親の帰りを待っている子……」
微かな気配を頼りに彼女が訪れたのは、
奇跡的にも軽微な損傷だけで済んでいた、質素な木の家。
「!! ここにっ……!!」
中に入って片っ端から扉を開ける。長距離を移動してきた影響で、手はかじかみ力が入らない。
それでも魔法を駆使して強引に進む。体温が急激に上昇し、命の危険を警告してくる。
されど最早これが最後だろうと--
開いた扉の先に--
「……!!!」
「あっ、あああっ……!!!」
部屋にあったベッド、それに布団が羽織られていて、中央が不自然に盛り上がっている。
泣く泣く近付きそれを開いた--
「--」
「--どうして」
「どうして、このような--」
少女がそこに横たわっていた。
空腹に頬をこけさせ、寒さに身を固め、干からびたように動きが見られない。
それでも、そんな状況でも--
胸部が一定の速度で上昇と下降を繰り返しているのだ--
「だっ、誰か……」
「--来てください、誰か!!! 生存者です、今すぐ治療が必要なのです--!!!」
大聖堂はアルーイン、及びイズエルト諸島の中で最も大きい聖教会の施設である。帝国から独立した直後に建設されて以降、地域に根付いていった聖教会原理主義者達によって維持と管理がされてきた。
原理主義者は聖教会に属する人間ではあるが、弱い人々から不当な搾取を行う者達に反発して、当初行われていた慈善活動に重きを置こうとしている集団である。イズエルトでは『大寒波』があった影響で、特に多く根差していた。
今この大聖堂で、雪掻きを子供達と共に行っているこのシスター、孤児院も運営しているメアリーも、
聖教会の動向を不信している原理主義者の一人である。
「シスター! こっちの雪どかしたよ!」
「あらご苦労様。では……次は聖堂のお掃除を手伝ってくれる?」
「うん!」
「シスター、私寒いから休みたい……」
「そうね、無理しないでいいわよ。今あったかいスープを持ってきましょう」
「やったー!」
「シスター、私達も頼めるかしら?」
「まあ、ヘカテ陛下にイリーナ様……そのような雪だらけで」
スコップを持ったヘカテとイリーナが、メアリーの前に並ぶ。子供達も一緒だ。
「ふふ、これでも小さい頃はお城の雪掻きを手伝った経験があるのですよ?」
「女王さま、力持ちだったよー!」
「ぼくたちの何十倍も雪掻きしてたー!」
「そうでしたか……ではではお二方もこちらに」
「恩に着る――」
温かいスープで一休み。日中だとこのようなささやかさが効いていく。
「……」
ささやかな間にへカテの視界に入ったのは、
一回り大きい墓標の数々だった。
「あっ、女王さま……! どこに行くの?」
「そこにある墓のようだ。ダニエル、来るか?」
「うん……今、女王さまは思い詰めたような顔してたから」
「ダニエルが行くならおれも行くもんねー!」
「よし、アントニーも私と一緒に行こう」
大聖堂の裏庭にある、名前のない墓達--
それらに名前がないのは、刻むべき名前が多すぎるから。
区別の為に用いられているのは島の名前。
『大寒波』の犠牲となった--
「……」
「……母上。やはりこちらにいらしてしまうのですね」
「イリーナ……ええ、私は……」
「このお墓の名前、ダニエルは読めるか?」
「うん……何とか。『アガタ島』だって……」
孤児の二人はあることを思い出し、しゅんと顔を俯ける。
「……リーシャお姉ちゃんの出身地だ」
その時大聖堂の方から、二人の人物がやってくる。
「……!」
「お前は……!」
「カルディアスさま!」
ダニエルとアントニーは子供らしく、やってきたカルに飛びつく。彼は優しく頭を撫でてあげた。
そうした後離れてもらうように促し--一緒に来ていたメアリーと共に、彼は墓に近付く。
手には雪華の花束が握られていた。
「……母上、姉上。お久しぶりです」
「……息災で何よりだ、カル」
「私達を心配して来てくれたの?」
「ええ……そのつもりでしたが、どうやら要らぬ心配だったようですね。話は氷賢者殿から聞きました」
「いや、彼が来訪したのは奇跡に近かったからな。お前が心配するのも無理ないよ」
「後で改めてお礼を言いに行きましょうね」
「はい、そのつもりです。ですが一先ずは……」
カルは最初に、へカテとイリーナの背後にあった墓に視線を向けた。
「『アガタ島民慰霊碑』……帝国歴1058年2月16日」
「お前も知っているだろう。この島は、大寒波で最も悲惨な状況だった地域だ」
「リーシャ姉ちゃんはこの島の出身なんだよな、シスター?」
確認を求めるアントニー。それに対して頷くメアリーに、カルは驚愕の表情を見せる。
「……前に孤児院の皆でお話している時に、出身地の話題になって。そこで姉ちゃんが教えてくれた……」
「リーシャはね、アガタ島唯一の生き残りなの。誰もいなくなったお家で、静かに頑張っていたの……」
誰よりも鮮明に彼女のことを語るへカテ。
一方カルの心にはどんどん衝撃が広がっていくばかりで。
(アガタ島--最も春に近い島)
(リーシャがそこの出身ならば--)
(……)
(……俺は直に、彼女の傍にはいられなくなる)
(あの夢を見る頻度が増えてきたということは――そういうことなのだろう)
(絶対零度がその力を――その意味を。俺に思い出させてきているんだ――)
「……ところでカルディアスさま。カルディアスさまも、お墓参りに来たんだよね?」
「ん……ああ、そうだ」
彼はダニエルの言葉に、きょろきょろと墓標を見回した後、
「確かに墓参りに来たのだが……やはり、俺が会いたい人の墓はないようだ」
そう言って肩から掛けたバッグを開き出し--
そこから取り出したある物体を、メアリーに渡す。
「……そういうことでしたら、私は有難く務めを果たさせていただきますわ。一度聖堂に戻りましょう……」
「……」
「ヴェローナ……」
「……『大寒波』からもう四年。あの子と別れから四年……」
「……」
「私も……花を添えたいわ。マーク、一緒に行きましょう」
「ニーア、お前もついてこい……」
ダニエルとアントニーは、聖堂内に戻っていく大人達にはついて行かず、その場でひそひそ話。
「……カルディアスさま、誰のお墓参りに来たんだろ?」
「ここに墓がないってなると……別の所にあるのかなあ」
「でもやはりって言っていたよ。大聖堂にないならどこにもないってことじゃない?」
「そんな人って……ん」
アントニーは目を凝らして、メアリーの姿をよく見てみる。
すると彼女が持っていた物、カルから渡された物が見えた。
それは黒くてひらひらした布――服である。
「あれは……知ってる。チュチュって服だ」
「ぼくも聞いたことある。リーシャお姉ちゃんに教えてもらったもんね」
「そうだそうだ。曲芸体操する時に着る服。姉ちゃんの憧れだったもんな」
「……じゃあ、カルディアスさまのお墓参りの相手って、曲芸体操の演者さんなのかな?」
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