第555話 幕間:失望

 男が一人荒野に立っている。



 それは別の角度から見ると、男が一人平原に立っているようにも見えた。



 つまり――






 男は荒野と平原の境に立っているのだ。











「……ン?」




 それを見つけたのは猛獣一人。


 毛皮を被り、顔すらも窺えない大男。


 持ち前の五感で男を視界に捉え、




 そして怒った。






「キサマ!!! ソコヲドケ!!! ソコハワレノユクミチダ!!!」

「――なら、尚更通すわけにはいかねえなあ」






 腰に差した剣を抜き出す、白みがかった髪の男。


 髭はすっかり剃り落し、持ち前の整った顔が現れる。


 黒と赤の鎧姿は、誰も見たことのない彼の本質。




 真っ直ぐと剣を構えるその眼は、


 戦場を乗り越えてきた歴千の戦士のものだ。






「グオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

「死に絶えるがいい、安寧を脅かす者よ――ってな」








 二つの存在が、こうして激しく衝突した。




 片や鋼鉄の剣で。片や傷の深く刻まれた腕で。




 異なる物質が響かせる音は、壮絶なる戦闘の合図。











「おお~、始まったねえ!」

「……」

「ルシュド? ひょっとして不安かな?」

「ううん……」





 ヴァレイス荒野とログレス平原を繋ぐ門。その付近で突発的に行われた戦闘には、当然のように野次馬が群がる。



 ルシュドとルカの姉弟もその中に紛れていた。二人は単なる野次馬ではなく、戦闘中の男――竜賢者に誘われてやってきたのだが。





「これからすっごいこと始まるって言われて、ついてきたらこれだ。勝てるのかなあの人……」

「勝つよ」


「んでも敵もでっかいし。巨体を武器にして襲ってきていて、今にも押し潰されそう……」

「あの人は強いんだ。負けるわけがない」

「……ルシュド。何か根拠でもあるの?」

「言えないけど、ある」

「……そっか」



 弟の頭をぽんぽん叩くルカ。帽子があるので頭部に衝撃は走らない。



「……にしても似合ってるね、そのキャスケット帽。買ったの?」

「うん。そ、その、キアラ……」

「あーわかった。選んでもらったとか、そういうんでしょ。ひゅーひゅー」

「えへへ……」








 誰もかも時を忘れてしまうぐらい、固唾を飲み干す戦闘が続いた後――








「ヌ!!!」

「どうした、まだ終わってないぞ!!」




 竜賢者が振り下ろした大剣を、一歩も動かず生身で受ける大男。



 直前の激しい攻撃から想像もできないぐらい静まった態度。流石にそれには警戒せざるを得ない。




「キョウハココマデニシテヤル!!!」

「何だと?」

「ワガシュクン、メイレイ!!! ワレノキズヲイヤス!!! テッシュウダ!!!」

「……」




 正直、ここまで戦闘したからには追い詰めてやりたい気持ちで一杯だが。



 観客は予想以上に集まってしまった。それを完全に守り切れるかというと、五分五分。



 今はまだその時ではないか――




「二度とガラティアの土を踏みに来るな」

「フン!!! グオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」






 災厄の雄叫びが彼方に沈む。











 ともあれ侵略者を打ち負かした竜賢者は、その後群がる群衆も無視し、ルシュドとルカの元に向かっていった。






「お疲れ様! 見てたよ!」

「どうもどうも。まあ、あれが俺の本気ってわけだ」

「ただの寡黙な中年じゃなかったんだね~」

「お前、少しは言葉を選べ……ったく」



 そう話しながら手配していた馬車に乗り込む三人。



「……」

「どうしたルシュド」

「……やっぱり強いなあって」



 彼の視線はずっと竜賢者の顔に向けられている。








(……ああ)



(こいつ、さては気付いているな)



(でもまあ、それもそうか。あのお方の友達だものな)






「何よぉ、互いに見つめ合っちゃって」

「男のアイコンタクトってやつだよ」

「何じゃそれぇ」











 こうして三人はガラティア国の首都、ラグナルに戻ってきた。






「さってぇーまだ日は昇ってるわけだけどぉ」

「スミスん所にでも顔出すか?」

「そうっすっかー」




 以前にも増して街の様相は変わった。主に悪い方向に。



 浮浪者、乞食、魔術大麻の中毒者。とかくそういった類の人間が増えてしまったのだ。




「ドーラ鉱山に全部持ってかれたもんな……」

「でもそっちって今管理者だか何だかがいるって話じゃん。諦めて戻ってこないかな?」

「恐らくそれを差し置いても、あの鉱山で採れる鉱石の方が質が良いのだろう。一度拠点を展開してしまった建前ってのもある、易々と撤退するわけにもいかん」




 大通りに並ぶ店の中には、扉を閉め切ってしまい、人がいるのかどうかもわからない状態の建物が数並ぶ。




「ほんとにさ……何で、ガラティアばっかりこんな目に遭うんだろうね……」

「お前はこの国が好きか?」

「……半々かなあ。嫌いかって言われたら、素直に首を横には振れないよ」

「大人ならともかく、思春期真っ只中の女子の心境なんざ、そんなもんでいいさ。揺れ動くのが普通だ」


「……優しい人、親切な人はいるから。そういった少数のバカに振り回される人達のことを思うと、ね」

「着いたよ。集会所」

「おっすどうもルシュドォ」











 そこは一際大きな石造りの建物。入ってすぐにある階段を昇り、唯一ある扉を開くと、そこは会議用の部屋。



「おおルカちゃんに竜賢者様。ルシュド君も来てたかい」

「スミスさんこんちゃー。何の話してたの?」

「ルカちゃんにはちょいと難しいことさ。はははっ」

「竜賢者様には難しくないってことだな」

「ええまあ……どうぞ、見ていいですよ」





 恐らく会議に参加していた人間に配布していたであろう資料。



 それを手にする竜賢者、部屋を眺める振りして視線を落とすルカ。








『ラグナル大火山の急激な環境の変化、及び溶岩の温度低下について』








「ん……?」

「げっ……」





 部屋を開け放ちやってきたのは。



 竜族の男達、族長ルイモンドを含む側近数名。





「お前もいたのかよっ……」

「……」

「う……」





 ルイモンドは、三人を視界に捉えると。





「グルルルルルルル……」





 側近二人と何やら声を潜めて会話をし――





「……え?」




 ルシュドの前にやってきて、頭を下げた。











「……すまな、かった」




「……え、え?」

「我々は、お前に、悪いこと、してきた」


「……!」

「お前を、傷付けた、お前の、気持ち、知らずに」


「……」

「どうか、許して、ほしい、我々は、お前を、受け入れる。誇り高き、竜族の戦士に」






 そうして差し出された手を、



 突然のことに動揺しつつも、しかし嬉しそうにしながら、



 握ろうとするルシュド――








「……何が誇り高き、だよ!!!」






 その直前に。






「行くよ!!!」



「あっ……!」






 ルカが彼の手を奪うように掴み、そのまま部屋の外まで進む。



 急展開ぶりに驚きを隠せないスミス。竜賢者は無言で立ち上がり後を追う。






「……グルルゥ!!」

「ニャアアアアア~~~!!!」




 突如、部屋をきつい臭いが包み込む。



 あまりの辛さに目を閉じようになった瞬間、目に入ったのはピンク色の猫。ルカのナイトメア、チェシャである。




「ガル……!!!」

「う、うえ……ルカちゃん、わざわざ置き土産していかなくても……」











(……あたしが聞き逃すとでも思ってんのか?)




(『竜族の癖に、帽子を被っているなんて一族の恥』なんて……やっぱり何も変わってないじゃねえか……!!!)











 姉弟はそのまま集会所を出て、馴染みの深いアイスの店にやってきていた。






「おっちゃん、岩塩アイス二つ」

「あいよ。最近トッピングってのを始めたんだけど」

「いらない!! プレーンで!!」

「お、おう……はいお待ち」



 スプーンも取ってルシュドに渡し、そしてベンチに座る。



「食べな。食べて心を冷やしな」

「……」


「……ああうん、そうだよね。一から説明しないとわかんないよね」

「……ねえちゃん、おれ、こと……嫌い……」

「違うぞルシュド、ルカはお前のことを案じてやったんだ」



 追い付いた竜賢者がそう慰める。彼も同様にアイスを注文した。






「で、でも、謝って……おれ、受け入れる、言って……」

「そう言われて嬉しいって気持ちになったでしょ? そこに付け込もうとしたのよ」

「……?」


「ルシュド。竜族が住んでいるラグナル大火山の頂上。何があるかは知ってるよね?」

「……うん。でっかい門、でっかい結界。何か、封じてる……」




 竜族に生まれた者はこの伝承を、幼い頃からおとぎ話として聞かされて育つ。




「それに何かあったんじゃないかって話なのよ」

「え?」


「火山の環境の変化……頂上に近い所から特に色濃く出ている。普段竜族が住んでいる村だって例外じゃない。それを証明するように、近くを流れる溶岩の温度が下がっている」

「俺も最後まで資料を読ませてもらったが、結論も出ていた。まあこの手のお約束、人身御供だ。竜族の者から生贄を選んであの火口に飛び込んでもらおうとしている」

「一応数は莫大になるけど竜族以外の異種族や人間でもいいんだって。でも竜族なら少人数、最悪一人で済む――特に強い力を持つ、族長の一族だったらね」


「……名前も直接挙がっていた。ルシュド、お前をその贄にすると」

「……!!!」




 あの陳謝は誠実なものではなかった。



 気付いてしまって、突き付けられてしまったルシュドはどうしようもない気持ちに包まれる。






「……相棒。悔しいよな。お前の真っ直ぐな性格、連中は都合のいい道具にしか思ってないんだもんな……」

「うう……」

「ったく、自分達で進んで身内売ろうって魂胆なのに、何が誇りだよバカにしやがって……」



 ジャバウォックが出てきて背中を叩く。丁度そこでチェシャもやってきて、にゃあとルカの膝の上に乗る。



「ご苦労さんチェシャ。それでだな、恐らく連中はずっとルシュドのこと狙うと思う。人間に近い見た目してる純血なんて、一番生贄にされても文句ない立場だもん。だから……もう帰った方がいいと思う。そして二度とガラティアに来ちゃ駄目」

「……」

「ははは、そんな悲しい顔すんなあ。手紙出しゃいつだってあたしと話はできるできる。その気になったら姉ちゃんアルブリアにも行くからな。心配すんなあ……」






 再びぎゅっと弟を抱き締めるルカ。



 包容力に促されて、涙と嗚咽が零れる。






「……うん。わかった。姉ちゃん……」

「よーし。それじゃ、もう明日にでも出発してしまおう。今日は竜賢者様の家に泊ってさ」

「いい、ですか?」

「まあバレないように結界でも張っておくから、心配するなよ。その辺の宿よりは断然安心だ、部屋は狭いが」

「……ありがとう、です」

















 考えてみれば竜族というのは不思議な連中だ。




 出来損ないと罵りながらも、その存在を強く求めている。




 その理由というものは――自分にすら話をしてくれない。








「……へへっ、久々にいい一撃喰らったぜ」


「で……何で武力行使に出たか、話してもらっても?」




(この者は我々竜族に置いておくべき存在だ)


(魔法学園等という名の外に出てもらっては困る)




「だから説明しただろ。外に出るつっても七年間だけだ。それを終えたらまた戻ってくる」


「出来損ないと腫物扱いするなら――ちょっとは知識を付けさせて、役立てようとは思わないのかね?」






 腹の傷を労わりながら奴と話した。



 その傷口から出るのは血液ではない――魔力の奔流だ。



 これが流れ出るということは、消滅直前まで持ち込む程の勢いだったことを示す。



 奴はそれ程までの勢いを持って、腹を爪で裂いてきたのだ――






(知識など必要ない。出来損ないは出来損ないらしく、一生惨めに這い蹲ればいい)




「穀潰しを飼っていられないのは、竜族だろうが例外じゃないと思うんだがなあ?」


「そうじゃないと言うなら証明してくれ。お前の言葉のどこに筋が通っているのか――」




「……ぐっ!!!」






 今度は背後から殴られた。肉を抉るように、引き裂くように。



 この時点で確信した。もし今後反論するようなことを言えば――容赦はしないと。



 第三者の意見を受け入れないということは、破滅の第一歩だ。






「……はあっ!!!」




(……!)




「……どうだ、ルイモンドよ。これが俺の本気だ。こうなってしまった俺は、誰にも止められないぜ――」






 加えて周囲は火属性、更に昼下がりだ。本気を出すには好条件。



 あまり見せたくなかったものだが、生死が懸かっている以上贅沢は言えない。



 新たに手にした大剣で、他の連中も峰打ちで切り捨てていく――






(……)




(……いいか、あいつに伝えろ。絶対にここに帰ってくるようにと)


(それができなかったら同胞が地の果てまでも追い詰める。お前の居場所は何処にもないと)




「へっ……魔法学園入学、認めてくれてどうもどうも」


「しかしあれか? お前達があいつにやけに固執している理由――」






「昔あいつとお前が出かけた時に、帰ってきたあいつが、のと関係あるのか?」






 その後の一撃を避けるように翻し、



 そのままの流れで集落を去っていく。

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