第473話 少女の回想
聖杯。
大昔に、この世界を創った女神さま。偉大なるそのお方の血が注がれた、万物の願いを叶える杯。
それは大気中を漂う魔力として具現化し、扱われた。
多くの人がそれに対する適性を持たずに倒れていく中、唯一それを扱えた人物。
その人は自分の身を捧げた。代々自分と同じように、創世の女神の血に耐え得る血筋の者に力を受け継がせ、代々自分と同じように、人々の為に奉仕することを強いた。
わたしのおばあさまも、お母さまも、ずっとそうだった――
「……では、次の者」
玉座に座って世界を見ている。
きらりきらりと輝いた、ぐにゃぐにゃに歪んだ世界。
背筋を正せとか、唇を結べとか、
謁見する人は頭を下げているのに、どうしてそんなことをするんだろう。
「汝の願いを」
「はい……我々の村は、悪しき盗賊に襲われ、溜め込んでいた資材を全て奪われてしまいました……このままでは冬を越せなくなってしまいます……!!」
「……承知した。では、杯を捧げよ」
腕を伸ばして力を籠める。
この人の村が、再び元に戻りますようにって。
すると掌から雫が落ちて、それが差し出した杯に落ちていく。
大きい杯から、小さい杯に中身を移し替えるように。
「ありがとうございます……ありがとうございます……」
いそいそと杯を掲げながら、その人は去っていく。
男の人かな。お爺さんかな。子供だったかもしれない。
何もわからないし覚えていない。だってぐにゃぐにゃに歪んでいたから。
そんな人達が、カーテンの向こうから続々とやってくる毎日だ。
「……では女王陛下。今日もお心を決めになられますよう」
マーリン・グレイスウィル。
「……陛下。早急になされてください。既に予定が立て込んでいるのですよ」
むっすりとした嫌いな人。
「私も手荒な真似はしたくないのです。どうか、ご自分の手でお着替えなりますよう」
笑いもしないし怒りもしない。淡々とわたしにいたいことをしてくる。
何を考えてるのかわからないんだ。ぐにゃぐにゃに歪んで、本当の気持ちが読めない。
一緒に連れてくる騎士もそうだった。わたしの為って口では言うけど、視線はわたしを見ていない。わたしの力を見ているんだ。矛と盾がぶつかって、ぐにゃぐにゃに壊れてしまっている。
「今日もお疲れ様でした、女王陛下。さて入浴の時間と参りましょう」
エリザベス・ピュリア。
「……どうなされました? 早くこちらに。それとも私が着替えを手伝いましょうか?」
にこにこ笑顔の嫌いな人。
「それとも先にティータイムに致しましょうか。ええ、それで構いませんよ。ちゃんと入浴してくださるなら……ふふ」
いつも笑顔で仮面を被ってる。その視線は、わたしのカラダに向かっているのもわかってるんだ。
胸とかお尻とか、そういう所を見て笑っているのが気持ち悪い。お風呂はいいけど、どうしてお花摘みにまでついてくるんだろう。
この人の部下だってそう。わたしのカラダをじろじろ見て、視線が合うと知らんぷり。やましいことを考えてるのに、そうじゃない振りをして、隠せているつもりでいるからぐにゃぐにゃだ。
わたしはお城の中で一人ぼっち。町に行きたくても逃げ場はない。
誰もちゃんとわたしを見てくれる人はいない。わたしに向けた興味関心は、いつもどこかでぐにゃりと曲がって、わたしの心じゃない所に着地する。
ここはお城じゃなくて牢獄なんだって。わたしは女王じゃなくて囚人なんだって。わたしを守る騎士じゃなくって、わたしを見張る看守なんだって。
そう思うことにした。そうしなきゃどうして自分が生きているのか、わからなかった。
だから心が疲れて、悲しくなっていた所に、
「そ、そんなことは、ございま……ないよ!! そんなことは絶対にないよ!!」
お姉ちゃんが来てくれたんだ。
「わたしは、人を傷付けるような騎士じゃないよ!! わたしはそんな騎士にならない――皆を助けられるような騎士が、わたしの夢だから!!」
最初は騎士だって言ったから、またぐにゃぐにゃなのかなって思ったけど、
「だから!! だから安心して!! わたしはあなたを傷付けない!!」
すぐにそれは間違いだって気付いた。
「んーと……エリスちゃんの髪、さらさらで気持ちいいなって」
お姉ちゃんはぐにゃぐにゃじゃなかった。まっすぐだった。
「うん。わたしも傍にいるよ。だから……頑張ろうね。頑張って、美味しい苺、食べようね」
まっすぐわたしのことを見て、わたしのことを聞いて、わたしに話しかけてくれる。
わたしのことをまっすぐ考えて、わたしの為にまっすぐ何かを言ってくれる。
「今までも、今も、これからも、ずっとわたしはそうして生きていく。誰かの話を聞いて、誰かの気持ちになって考えて、誰かのために行動することだけは……できるから」
ぐにゃぐにゃだった世界の中で、お姉ちゃんだけがまっすぐ立っていた。
わたしの目印になっていた。わたしを受け止めてくれた。
大好きだった。初めてできた大切な人。失いたくないお姉ちゃん。
だから。
だから――
「――君が私と姦じわったことを、他の者に言ったのならば」
「君の大切な『お姉ちゃん』の命は無くなるだろう」
「わかるね? 君はこれからどうするべきか――」
わからなかった。
あの時は何も知らなかった。
わかっていたのはお月さまがきれいだったってことだけ。
覚えているのはたくさん触られたこと。
たくさん舐めたこと。玉座に押し倒されたこと。
身体が熱くなったこと。白くてべとべとしたもののこと。
とっても、とっても、いたかったこと――
「ははっ、いい子だ」
「いい子にはたっぷりとご褒美をあげよう」
モードレッド。
お姉ちゃんが来るまでは、一番優しい人だと思っていた。
でもお姉ちゃんが来てからは、一番嫌いな人になった。
毎月、毎月、満月が輝く夜。
誰もいないお城でずっといたいことをされた。
マーリンはわたしがいたいことをされていても、表情を一切変えない。
それは聖杯を崇めにやってくる人々の為だって、割り切っているから。
エリザベスはわたしがいたいことをされると、憐みの仮面を被る。
隠し切れていない自分の欲望が、叶って嬉しいから。
でもモードレッドは――
わたしがいたいって言う度に、静かに嗤っていた。
わたしにいたいことをするのが目的だった。
それだけだった。まっすぐなものもぐにゃぐにゃなものも、何にもなかった。
何もなかったから、何もわからなくて、何もできなかった――
看守は囚人を好きにできる。わたしはあいつがされること全部に耐えなきゃいけない。
わたしは囚人だから。悪いことをしたから。でもそれは一体いつのことで、具体的には何をしたの。
満月が近付いてくる度そう考えた。怖くて苦しくて悲しかった。わたしのご先祖様を、創世の女神を心の底から憎んだ。
きれいなお月さまなんて、二度と来ないでって思った。だけどその時が来たら、辛い気持ちは押し込めて、早く終わりますようにって叶いもしないのにお願いして、あいつの所に向かう。
そうしたのはお姉ちゃんがいたから。
「――ああ。君は常に全力で正義感が強いのだろう、それが露実に現れているよ。一生懸命で真っ直ぐな目だ……」
「君のような目を持つ者が、この子の夫になれば良いのかもしれないが――運命はそれを許さないのだろう――」
あの時モードレッドは、お姉ちゃんの首に黒い首輪を付けていた。すぐに溶けてなくなっちゃったけど、あれは呪いだってわかった。
いたいのを我慢しないと、お姉ちゃんはあの首輪に締め殺されてしまう。
大好きなお姉ちゃんを守りたかった。だから、ずっと、ずっと、何回も耐えてきた。
「……おやおや。今日は私が来た途端に涙を零すとは」
「顔を俯かせるな……私だけを見ろ。その瞳に捉えるのは私だけでいい」
「……そこまで恐ろしいと思っているなら、いいことを教えてあげよう」
「『痛みがなくなるおまじない』だ」
「私の後に続けて言ってごらん――」
わたしは愛でられるにんぎょう。
わたしは狂い果てたどうぐ。
わたしは何も言えないしもべ。
わたしは欲望を受け止めるどれい。
あいつが教えてくれた、いたみがなくなるおまじない。
それを唱えたらいたみは消えた。でもそれはとっても悪いことだって気付いた。
いたいと思った瞬間に、幸せだって気持ちが浮かぶ。わたしはあいつに愛されているんだって。でもいたいことには変わりないって、満月が終わった後に気付く。
満月が来る度増していく気持ち。受け入れてしまったら戻れなくなるその気持ちを、あいつに植え付けられていた――
背中に刻まれた黒翼の意味。
それを知ったのはついさっき、今の自分に生まれ変わってから。
何度も見てきた。いたいことの中で、あいつの背中を見る機会は何度もあった。
あの時目に入って、漠然と怖いと思っていたそれが、自分の背中にも刻まれている。
奈落の刻印。黒魔法を操り堕落した者の証明。親が堕落したなら子にも継がれる烙印。
それは呼吸をしているこの間すらも、生々しく知らしめていた。
わたしとあいつは血が繋がっている。
――愛しい人とか。
そんなの勝手に言ってろよ。
わたしはおまえなんかと死んでも一緒にならない。
運命だなんて認めない――わたしはそれを斬り裂くの。
今度は迷わない。利用されることもない。
わたしは、わたし自身の為にこの力を使う。
大切な友達――カタリナ、イザーク、リーシャ、ルシュド、クラリア、ハンス、サラ、ヴィクトール。
それから一番大切な人。わたしだけの騎士さま……アーサー。
他にも色んな人、たくさん。わたしと関わって、わたしを心配してくれて、わたしを見守ってくれる人。
みんなと戦う為に、みんなを守る為に、この力を使うの――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます