モードレッド、黒き翼の神の真意

「う……うあああああああ……」






 逃げた。



 城まで逃げた。



 城まで逃げた後に、とうとう耐え切れなくなって、吐いた。






「おえ……」






 酒精の臭いが今でも鼻に残っている。



 それに加えて、心の底から湧き上がってくる嫌悪感が、嘔吐を促進させたのだ。








 ああ……



 エリザベス、あの女……



 エリスちゃんを、商売のど、ど……



 うう……



 聖教会……



 エリザベスの部下も、あんな、あんな……








 ……うああっ。



 自分の吐いた物の臭いで、また吐いてしまいそうだ。



 部屋に、部屋に戻らなきゃ……








「……」






 歩き出そうと立ち上がり、城を視界に収める。



 一回目を擦った。瞬きを繰り返した。



 しかし、それでも、



 感じる違和感は消えない。



 漠然と違和感が覆っていて、言葉にできないのだ。








「……何かいるのかな」




 選定の剣カリバーンを抜き、両手で構えながら、わたしは城に進入する。
















 中は不思議なぐらい静かで、物音の一つもしなかった。



 夜間用の松明は全て消えている……ことに気付いたのは、暫く歩き回ってから。



 松明がなくても全然城内を歩くことができるのだ。






 ――窓の外から。



 青白い月の光が煌々と差し込んでくるから。








「何も……ないの?」






 何も起こらないまま二階まで到着。



 今は玉座の間に続く廊下にいる。



 このまま何事もないなら、自分の部屋に戻ってもいいけど、



 けど――






「……」






 この城において、最も神聖な場所であろう所に続く、その扉は静かに閉じられている。



 森厳に佇むそれは、開かれるのを待っているよう。



 中に入れと、誘惑している――






 気が付くと、手が動いてそれを押し開けていた。
















「……」




「これは、これは」




「予想だにしていない客人が来たものだ」








 謁見の間は今まで以上に月の光が差し込んで、



 まるで敬意を払うように玉座までの道を作っていた。



 その一番奥、聖杯の力持つ女王が座る玉座に。






 彼は足を組んで、悠然と座っていた。








「ふふ……驚いたかな。もう少しこちらに来るといい。互いに顔が見えるようにね」






 その言葉を聞いて、わたしの頭は誘いに乗るべきか思考を巡らせていたのに、



 わたしの足は勝手に動いていた。



 玉座の下の階段付近で止まり、彼を見上げる。



 そして初めて気付いた。








 モードレッド様、全裸だった。











「……目を丸くしてしまって。もしかしなくても殿方の裸体に慣れてないかな。そこは年相応、君にも女性らしい所があるのだろう……」






 いや、確かに目のやりどころに困ってはいるんですけど……



 それ以上に、この状況が……






「さて……あの子が来るにもまだ時間がある。少し話をしようじゃないか」




「――時に、君は運命というものについてどう考えているかな」








 え。






「ああ、少し漠然としすぎたかな。では先ずはこう訊くとしよう――」






 え?






「君のこれまでの人生経験において、最も運命的だと思っていることは何かな?」











「……」




 何だ、何だと言うんだ。



 運命だって? 何でそんな話を――






「……わたしが、聖杯に仕える、騎士になれたこと、です」




 またしても口が勝手に動いた。



 勝手に事実を口にして――






「そうか」




「ならばその事実から、考えてみようか」






 背後の窓から入る月の光を背に、




 彼は雄弁に語り出す。











「君が騎士になった理由は唯一つだけ。選定の剣カリバーンを引き抜き、それを騎士達に発見されたからだ。だがその事象に至るまでには、様々な経緯を踏む必要があった」




「先ず、君は選定の剣カリバーンが刺さっている石の近くを通りかかる必要があった。それは君の主が、あの町を訪れたことによって成立した。だがそれだけでは足りず、もう一押しが必要だった。それが君の主の剣が壊れてしまったという事象だ」




「君の主は騎士という身分に対して、強い憧憬を抱いていた。何としてでも、力が入ってしまった。そのような粗暴な扱いをしていたら、壊れるのは必然と言えるな」




「あの町は大気中の魔力が豊富なんだ。騎士のみならず、多くの人間が様々な理由で訪れる街だ。気分転換とか旅行といった具合にね。そんな交友が見込まれる街なら、騎士に相応しい有望な人物が訪れる可能性も高い。故に馬上槍試合トーナメントが実施されるのも考えられる話だ」






「そして――君があの町に至った根底の理由。それは、君が住んでいた村を飛び出したから--」






「--からだ。その切っ掛けは、幼い頃に出会った騎士のようになりたいから--」








 では何故君は、




 自分の人生を変えるような騎士と出会った?






 それは極めて簡単で、単純な真実。




 君を選定の剣カリバーンの主と認め――君に人々を導く光になってほしいと、




 万物の主、秩序の王。天上より彼方の行く末を静観する、からだ。








「――さて」


「わかっただろう?」




「習わし、仕来り、血筋、身分。己の力が及ばない事象のことを、人は総じて運命と呼ぶが」


「真に運命と呼ばれるのは、そのような諦観の果てに生まれた言葉ではない」








「その刹那、その時勢に応じた――




 より強い力を持つ者の願望だ」





















「――お姉ちゃん?」






        声に気付いて振り向いた。






「どうして、お姉ちゃん?」






       閉めたはずの扉を開いてやってきた、






「……いや……」






        月光に照らされたその子。






「だめ……お姉ちゃん、逃げて……!!」






        わたしを見ると途端に顔を歪ませ、



        泣きそうな声になって。






「死んじゃう……お姉ちゃん、死んじゃうの……!!」






        最初は歩き出したけど、



        だんだんと走り出して、



        玉座の前――部屋の丁度中央に――











「……」




「……あっ?」








 いたい。せなか。








「……この一撃は、私から君に向けた嫉妬」






 ひっぱられる。いたい。






 そのあと、わたし、たちあがれなくなって。






「私という男がありながら――あの子は私より君に懐いてしまった」






 いたいところを、おさえた。








 手のひらが、血で汚れた。











「……!!!」






       ぐっ……






       あああああああ……!!!
















「……その傷は致命傷にはならない。選定の剣カリバーンに選ばれた君なら、尚更ね」



「……君がやってきたお陰で、私の計画の針は進んだ」



「予定よりも早く、数年早く――あの子を手に入れることができた」






「心臓を外したのはその礼だよ」











 血を流して膝をつくわたしを背に。



 そいつはとうとう立ち上がり、



 こちらもとうとう地面に割座をしてしまった、エリスちゃんに歩み寄る。







「悪かったね。どうやら普段通り結界を展開した中に、彼女がいなかったらしい。今日は珍しく外に出ていたようだ」

「……いや……」


「言っただろう、致命傷にはならないと。彼女は私の計画に仇為す可能性が高いからね。暫く眠ってもらおうと思ったわけだ」

「殺さないで……!」


「……私が何を策しているか。何故今日という夜に――誓いを交わした満月の夜ではなく、その一つ手前である今日に、君を呼び出したか。それについては訊いてくれないんだね」

「お姉ちゃん、お姉ちゃん……!! 死んじゃう……!!」




「……全く」






「私だけを見ろ、エリス」




「君のが話をしているのだぞ?」
















 血を流して、深く呼吸をして、目を見張ることしかできない。




 穏和な声の裏には狂った真意が現れている。




 マーリンやエリザベスなんかと、比べ物にならない悪意だ……!!!








 そいつは片膝をついて、エリスちゃんを見下ろしている。穏やかであればある程、声に秘められた狂気は増幅していく。




 すると丁度あいつの背中が月光に照らされる。窓から覗く、狂ったように輝く、あの月が。








 月が命令に応えて、わたしに背中を見せつけるようにしている――




 刻まれていた。








 荘厳な雰囲気を纏う、漆黒の双翼








「……!!」




「な、奈落の、刻印……!!!」






 忘れもしない。するもんか。だって、こいつが教えてくれた。




 親が禁術に手を染めたら、その子にも――!!











「美しいだろう?」






 顔だけをこちらに向けて、




 あの黒い瞳で、嗤いかける。








「かつてこの世界はウィングレス――『翼を失った者』の世界と、そう呼ばれていた」




「神々が人間を造る際に、自分達が住まう天上に向かってくることがないように、その唯一の手段である翼を奪っていったんだ」




「他にも翼を持つ生命は数多くいるが、彼らは代償として知能や美貌、言葉を失っている。それら全てを兼ね備えた生命が生まれないように、神々は理を定めた」




「仮にそれを全て備えた生命が生まれたのなら――」







「その生命は資格を得る。あの天上で鎮座する神々の連中に、反逆する資格を」



「私と、この子がそうだ――」











 ――!!



 首、がっ……!!!








「お姉ちゃん……!!!」






 視界がぼやける。音が遠くなる。でもエリスちゃんが、モードレッドを振り切って、



 わたしに駆け寄ろうと――






「……」

「きゃあっ……!!!」






      ……




      何だ?




      何だ、この衣装は?






「君はこちらだ。何故私が君を突然呼び出したか、それを教えてあげるとしよう」

「……いや、いやだ、やめて……!!」






   わたしの目の前でエリスちゃんは倒れ落ちた。



   モードレッドに背中から叩き付けられて、



   そのまま地面に押し込まれている。






   だから、その姿がまじまじと見えるけど、




   何だこれは?








「これは祝宴だ。私の計画は明日成就する。最後の欠片を嵌め込み、全てが一つになる前に――君と一つになっておきたいと思ってな」

「いたい、いたい……!! あああああ……!!!」




「抵抗する割には、準備は万端ではないか。ほら、こうして噴き出している……ふっ、ははは、いい子だ、とてもいい子だ……」








      白金でできたティアラ。



      そこから伸びているヴェール。



      手袋は普段使っているものだけど、



      これって、これって、






      まるで――花嫁――








「今宵はいつにも増して特別なひと時。互いに感じ合い、満たし合い、姦じわるとしよう――大好きな、『お姉ちゃん』を前にしてな」




「……」






      静かに涙をこぼす




      そいつは背後から覆い被さるようにして




      そこでとうとう意識が落ちた





















選定の剣カリバーン。創世の女神が自ら手掛けた、先導者の象徴」



「竜殺しの剣士、村一番の怪力、巨万の富を得た大商人、人望のある貴族。多くの者がその剣を引き抜こうと試みたが、誰一人としてできなかった」



「しかし君は容易く引き抜くことができた。選定の剣カリバーンに選ばれたんだ」



「武芸も教養も満足に学んでいない、卑しい身分の出身である君が、何故選ばれたのか疑問に思っていたが――今、ようやく答えが見つかったよ」








     どうやら創世の女神は、



     常に全力で正義感の強い、



  一生懸命で真っ直ぐな人間がお好きらしい








「きっとその人間こそが光だと思っているのだろう。その人間こそが、人々を導き、幸せに生きていける世を創り出していくのだと、そう盲信してやまないのだろう」




「だが決して、そのように事は運ばない。万物の主と呼ばれる存在でさえも、叶いもしない幻想に縋っているだけに過ぎない」






「そういった人間には必ず限界が来る。何故なら世界にいるのは自分に従う人間ばかりだと信じているからだ。そうでない人間に遭遇した時に、自らの無力さに悩み、苦しみ、逡巡する間に、自分を嘲笑する者に踏み潰されて、破滅を迎える」




「ギネヴィア。君にしてやれることは何一つとして存在しない。生まれた時からあの子は私の半身で、私と添い遂げる運命にある」






「実直な人間は歪みに飲み込まれる――君が人間である以上、私のような人間に打ち勝つことなど不可能だ」

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