第471話 赤い糸の続く先

……




……




……ああ。







まだ腹の辺りが疼く……




最悪の目覚めだ。鞭で叩かれて、無理矢理起こされるみたいな。




選定の剣カリバーンよ、痛みを和らげてくれ……











……うん、まあこれぐらいで。



……さて。






ここは……



……牢屋? 独房、かな……






……何でわたしここに閉じ込められてるんだ?



思い出せ……



思い……出……ああ……






……エリスちゃん、エリスちゃんはどこ……



くそ、邪魔だ……選定の剣カリバーン……鎖を壊せ……








「この捕虜の扱いはどういたしましょう!」

「ああ……骨が折れてるか。なら使えんな、ぶち込んでおけ!!」

「はっ!!」




 牢屋の外……騎士かな。



 ……誰の命令で動いているんだ?




「……っ!? 何だ貴様は!?」

「あああああああああ……!!!」


「止まれ!!! ここは反逆者を捕える牢であって、貴様のような平民なんぞが――」

「知るかよ!!! 上に出てみろよ!!! もうこの街はお終いなんだ……!!!」




 ……何だ?



 本当に、何が起こっているんだ?








 かしゃんという音が聞こえた。どうやら鎖が外れたらしい。




 わたしを繋いでおいたやつの--






「……ふんっ!!!」






「なっ!! 貴様は反逆者「どいて!!!」



「がああああっ……!!」






 選定の剣カリバーンで無理矢理叩き伏せた相手に、心の中でちょっと謝ってから、



 地上に続く階段を昇っていく。











 地下牢……ここに来たての時に、一度だけ話を聞いた。



 城は聖杯がある以上、神聖さを重視して作れないから、町の外れに詰所が設置されている。



 今昇っている階段が、そこに繋がる――











「……え?」






 黒。



 一面の黒。



 やけに油っこくて粘性のあるそれが、地面を這っていた。






「な……」



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「何、これ……」




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「……っ!!!」






 液体が一つに集まり、形になる。散々見慣れたゴブリン。



 でもその姿は黒一色で、目も鼻も口もない。声も出さないのに、禍々しさを全身に纏っている。






 咄嗟に思わず剣で斬り付ける。その一撃は、弾力のある身体に弾き返されてしまった。



 なので今度は落ち着いて、選定の剣カリバーンに魔力を込めて落ち着いて斬った。するとこの一撃は、ゴブリンの形をしていた液体を両断した。






「……動きも遅いし、大したこと、ない……?」






 否、あるだろう。



 動きが遅いだけならここまで溢れ返らない。



 わたしと同じように訓練を積んできた騎士なら、余裕で対応できるはずだ。



 なのにそうじゃないことは、詰所担当であった騎士が、残らず事切れている姿を見れば、想像つく。






「行かなきゃ……」



「一体何が起こっているの……!!!」
















 詰所を出て町に向かう。



 そこにはさっき聞こえてきた通りの、この世の終わりとも言えるような光景が広がっていた。






 死んでいく人は、戦えない人々。逃げていくのは、聖教会の連中。商人っぽい人も、その手下なのだろう。



 阿鼻叫喚、終末の呼び声が響く町を行きながら、



 会いたかった、でもこの状況では一番会いたくなかった、



 そんな人に出会う。






「……!!!」




「あ、ああ……ギネ、ヴィア……」

「コックさん……!!!」






 町ぐるみで立食会をした時、一番最初に料理を作ってくれた、実質コックさん。


 やさぐれた目付きが、瀕死の状況でもっと悪くなっている。胸を抑えながら、息も絶え絶えに転がっていた。




「えっと、魔法を……!!」

「いいんだ……俺はもう助からない。炎魔法で一回焼かれちまった……」

「炎……!? 一体誰が!?」


「……わからない。この町に住んでいる奴全員、わからないと思う。城から騎士が飛び出してきた途端、町の外から続々侵入して、魔法で暴れやがった……」

「……っ!!!」




 今でも聞こえてくる。金属のかち合う音に魔法が放たれる音。



 コックさんに寄り添いながらわたしはそれを聞く。店主がいなくなってしまった屋台に隠れながら。






「……わたし、ずっと地下牢に閉じ込められてたんです。その間にこうなって……!?」

「……ああ。騎士連中、お前のこと嫌っていたもんな。計画が邪魔されるだろうと思って、先手を打ったんだろう……」

「どういう……?」






「突然、突然だった。騎士共が出てきて、聖杯を掌握したこと、これから自分達がイングレンスの支配者になること、それを宣言したんだ。気に食わなかった聖教会の連中、それ以外の騎士や魔術師が交戦を初めて、すぐに町全体が血で覆われた」








 その時、



 足首に何かが、



 掴むように纏わりついて、






「あっ、あああああ……!!!」

「……来ちまったなあ」






 振り返るとあの黒い液体が、わたし達の周囲を囲んでいる。



 そして、わたしの足首を握っていた液体――それは。


 

 人間の姿で、人間の手で、わたしを見上げるようにして掴んでいた。






 この屋台で雑貨屋さんを営んでいた、泣いていたわたしを励ましてくれた、



 笑顔が素敵なおばちゃん――






「……!!!」




「……さっき言ってた外からの連中。黒いローブを着たあいつらともどんどん戦闘が始まっていって、泥沼になっていくうちに現れた――どうやら連中にとっても想定外だったみたいでよ。今は交戦というより、こいつらの駆除に追われっ放しだ」

「くそ、くそ……!!!」






 選定の剣カリバーンを駆使して液体を斬り捨てていく。



 それ以上に、液体が流れてくる方が早くて、






「っ……!!! コックさん!!!」




「……ああ。人って、その意志がない時に限って、こんなにもあっさりと死ぬもんだなあ――」






 斬っても斬っても追いつかない。



 液体がコックさんを飲み込んでしまう。






「……ギネヴィア。お前は正義感が強いから言っておこう。諸悪の根源は、きっと城にいる――今すぐに向かうんだろ?」




「一度は捨てようと思っていた、この人生――あんたと出逢えて、俺は、」











 その先に続く言葉は、黒い液体に飲み込まれてしまって、なくなってしまった。











「あ……ああ……」






 液体は次々と形を為していく。



 魔物もいるが、それ以上に人が多い。








 一緒に遊んだ子供達



 八百屋のおじさん



 陶器売りのおかみさん



 好き放題していた騎士



 いい顔をしていなかった魔術師






 みんな、みんな、みんな――




 黒一色で、のっぺらぼうに――








「……ああああああああ……!!!」






 逃げた




 逃げるように走った






 遠くから、聞き慣れた声が聞こえてくる




 騎士王と円卓の騎士が、駆け付けたと
















「……いや……」




「どうして……ねえ、どうして……」






 もう一度詰所に戻った。



 昇ってきた階段にも、液体が流れ落ちている。



 散々聞こえてきた金属と魔法の音も、だんだん小さくなっていく。






「聖杯、聖杯に願う……」



「……エリスちゃん……」






 城の方を見上げる。その外観は変わらない。



 でも、中は――中では、きっと――






「……」



「……?」






「ゆらゆらと、動いて……陽炎……?」



「今、夏じゃないのに、そんな、熱く……」








 鼻についた煤が燻る臭いが、



 わたしの思考を巡らせ、そして城まで走るように背中を押す。
















「……ふぅ」



「何という結末だ」



「散々奴に利用された君は、報われることもなく、使い捨てられる」



「それについてどう思っているかな――騎士王よ」






        ……






「っと……」




「……少しぐらい、構えを解いて話をしてもいいとは思わないか?」






「――ははは」




「実に。実に、面白い」





       ……




「そうだ。そうだったな。私も君も修羅に生きる者。その背に負うものは何もなく、己の為に戦うのみ」




「他人の存在など全て我が存在を揺らがせるもの。全てが邪魔で、不愉快で、憎むべきもの――そうだ、私の他には、愛しいあの子だけがいればいい」






「さて、君はどうだ?」




「空虚で満たされたその胸に訊いてみるがいい」






      ――






      ……






「愛されたいだろう。安らぎたいだろう。誰かの胸に蹲ったまま、瞳孔から零れ落ちる涙で、その衣を濡らしたいだろう」




「死なないで」「気を付けてね」「頑張ってね」




「この中に君の知っている言葉はあるか?」






     ――








「ほら」




「隙ができたな、騎士王」
















「……アーサー!!!」








 すっかり炎に焼かれて爛れた皮膚、煙を吸って機能を落としつつある五感と共に、




 わたしは玉座の間の扉を開け放った。








「……」

「おや……まさか君が生き残っていたとは。それも選定の剣カリバーンの恩恵かな、ふふ」






 そう言いながらモードレッドは、アーサーの肩から槍を引き抜いた。



 それは黒い槍。表層には意味のわからない金色の模様が浮かんでいて、赤い液体を滴らせている。



 ――町に蔓延っていた黒い液体と、同じ禍々しさを感じた。






「……、……」

「アーサー!!! 無茶しちゃ……ぐっ……!!!」




「ほう、彼のことを知っているとは……マーリンが生み出した道具だと思っていたが、どうやら違うようだな」




「……最も今となってはどうでもいいことだ」






 斬りかかろうとしたアーサーを、その方向も見ずに、モードレッドは槍で受け流す。



 衣は一つも羽織ってない。わたしと同じように皮膚は焼け、息も不安定だ。






 でもそれを楽しんでいるかのように、彼は槍を振るっている。



 鎧が砕けて、多量の血を流して、息も絶え絶えなアーサーとは正反対だ。








「こ、この炎……おまえが……!!!」

「マーリンだ。奴は町に住む者を救出しようと考えていたようだが、生き残りが少ないと悟ると、見捨てる方針に変えたようだ。私が逃げられないように、騎士王を遣わせてからな。逃げることも可能ではあったが――最後まであの子は、私に従おうとはしなかった」




「悪い子にはお仕置きをしなければな――」






 悠然と攻撃を受け流す後ろに、



 カーテンで隠された玉座。






 ――人が座らされているのが見える。



 そうだ、きっとそうだ、あれは――!!!






「だったら……街、黒いのは……!!!」

「あれについても私は――いや、原因については心当たりがあるな。君にはわからないと思うが言っておこう。私が反旗を翻すと知って援軍に来たカムランの者共が、禁術を行使した。その影響で何かしらの均衡が崩れたのではないかな?」






 雄弁と語っている間を見て、わたしは剣を抜く。




 踏み込んで一撃喰らわせようとしたのに、




 モードレッドの一薙ぎで壁に叩き付けられた。






「がはっ……!!!」




「……選定の剣カリバーンに認められようとも、肉体が傷を負うのには変わりないか。私に一矢報いろうなど考えない方がいい。この騎士王と同じ末路を辿るだけだ」




「……!!!」






 どれだけ傷が増えても、立てなくなっても、



 一切表情を変えない。






 まるで目的をこなすように、与えられた命令を果たすように、



 アーサーはただモードレッドに向かっていく。






 やめてって叫ぼうとしても声が出ない。



 やめてって叫んでも、聞いてはくれないんだ――!!!








「……!!!」

「……そろそろ終わりにしよう。流石にあの子も――」




「これで、私だけを






 でも、でも、でも!!!



 それだけは、やめろって叫ぶ!!!






 アーサーを――わたしが造った、大切なその子を!!!



 エリスちゃんを――普通の生活すら許されなかった、大切なあの子を!!!











「殺すのは、縛り付けるのは、やめろ――!!!!!」





















 魂。




 人間に宿っているそれは、膨大な魔力を有していて、




 いざという時には、強大な魔力源として作用するのだと言う。






 例え魔法使いでなくても、一度だけなら、文字通り命と引き換えに、強力な魔法を行使することができる。



 まして、選定の剣カリバーンに選ばれたわたしなら、尚更だ――








「ぐっ……がっ、はあっ……!!!」






 悶えるだけの気力はまだ残っている。



 そして、両手の感覚を確かめる力も。



 左手には傷だらけのアーサー。右手には苦しむエリスちゃん。



 文字通り魂を懸して救出に成功したけど――けど――






「……」

「アーサー……」


「……」

「ごめ、ごめんね……わ、わたしの、せい……」






 息も途切れ途切れで、今にも死にそうなのに、



 それを表情に出すことすらできない。許されていない。



 わたしがそう造れなかった――






 最初からそうだったのかもしれない。わたしが造り出さなければ、こんなに苦しい最期を送らせることはなかった。



 何も幸せを与えてやれなかった。






「……おねえ、ちゃん……いた、い……」

「!! エリスちゃん……」


「いた……くるし……いたい……いや……いたい……」

「……うう……」






 玉座に拘束されて、ずっと炎に焼かれ続けていたのだろう。



 顔も手足も身体も火傷だらけで、煙も吸って上手に呼吸もできない。






 あいつが作ったのであろう衣装だけが憎たらしく輝く。



 身体の一部しか隠れていない扇動的な衣装。






 これを着せて、あいつはエリスちゃんに好き放題やっていた。



 気付いてやれなかった。








「……大丈夫」

「……ぁ……」

「――大丈夫だよ」






 赤い糸のおとぎ話。



 女の子の小指には赤い糸が巻き付いていて、運命の相手の小指に繋がっている。






「苦しいよね、苦しいよね! でもそれもなくなるの!」

「……」


「怖いならわたしの手を握っていて! 目は無理に開けなくていい――閉じたままでいいよ! 空を見上げると、余計に苦しくなるだけだから――!!」






 わたしも夢見たおとぎ話。



 でもわたしの赤い糸はどこにも繋がっていなかった。






「いいエリスちゃん、今からあなたは少し長いお昼寝をするの。長い長い時間が経って、目覚めたら素敵な世界にいるの! そこでは全ての人が幸せ――あなただって幸せなの!」






 宙にぷらぷら浮いた赤い糸。



 その持ち主には何ができよう?






「だから怖がらないで――せめて穏やかに、目を閉じて――」








 答えは一つだけ。



 わたしが、赤い糸の代わりになること。








 残り少ないわたしの魔力――魂と、選定の剣カリバーンの魔力。



 全部使う。全部使って、わたしは赤い糸になる。騎士としての務めを全うする。






 遠い未来、すごく遠い未来だから、大体千年後ぐらい。



 そこでエリスちゃんとアーサーは再び巡り合って、幸せに暮らすの。



 もちろんエリスちゃんは普通の女の子だ。アーサーだって普通の男の子。そう生まれ変わるように、選定の剣カリバーンを造った創世の女神に、全力でお願いするんだ。








「……おねえちゃん」



「おねがい、」



「わたしのて、にぎって、」








 もちろんそのつもりだ。



 アーサーの手を左手で、エリスちゃんの手を右手で、強く握り締める。



 間に入って二人を繋ぐように。



 運命の赤い糸は今ここに結ばれる。











「――」




「それじゃあ」




「次に目覚める時まで、おやすみなさい――」











 意識が薄れ行き瞼が落ちる。



 その間際に、桜が風に吹かれて旅立っていくのが見えた。

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