第465話 牢獄の囚人

「ああっ……うあああっ……」



 耳を塞ぎたい。



「ひっ……あああああ……」



 目を閉じて、顔を背けてここから逃げたい。






 身体の傷は残るから痛い。でも心の傷は残らないから痛くない。そう思っていた。



 残らないからこそ、ずっときりきりと痛み続けるんだ。








あああああっ……!!


                 「……これは」


あああああ!!!


       「久々に活性反応が見られましたね」




痛い……いたい、いたいよ……!!





      「いい調子だ……濃度は上げられるか」


「現在は八割ですね。

 最近陛下が痛みを強く訴えるので、

 ここまで下げていました」





やめて、やめて、やめて……!! あああああ!!



       

「十割だ。今この機を逃せば、

 次はいつ増幅できるかわからないぞ。

 しっかりとやれ」


                「了解しました」







いやだ、いやだ……!! 


助けて、お姉ちゃん、お姉ちゃん……!!








「……ギネヴィア。何だその目は。




 この行為がどれ程重要なものであるかは--




 その貧相な頭が破裂する程に説明しておいた筈だ」






お姉ちゃ――   











あああああああああああああああ!!!!!!!!!        
















 吐きそう。




 今日の朝食に紛れて、形容できない憎悪が丸ごと溢れ出てきそうだ。




 頭を揺すっても、殴っても、あの悲鳴にも似た絶叫が、一向に消えてくれない。




 だって、その絶叫の主は、今も目の前で。








「……」






 エリスちゃんは今日も変わらず、白いドレスにレースの手袋と靴下、ティアラとハイヒールの姿で玉座に座っている。




 ……違う。座らされているんだ。あんな仕打ちを受けたのにも関わらず。






「次の者」

「はい……」



 とぼとぼと歩いてくるおじいさんの姿に、わたしは見覚えがあった。



「汝の願いは」

「はい……儂は数ヶ月前に、聖杯より恵みを享受された者でございます。御恵みにより儂の村は干ばつがなくなりました。ですがそれも少しだけ……再び村は干ばつに襲われてしまい、このままでは……!!」

「……」






 マーリン様からの視線に、いつも通り対応するエリスちゃん。




 目が虚ろだった。




 身体に染み込まれた流れで行う動作が、操り人形のように見えた。






「ありがとうございます、ありがとうございます……」






 おじいさんはまた弱々しい足取りで、反対側の道を戻っていく。




 それを見送る最中、わたしは謁見待ちをしている人達を眺めてみた。






 間違いない。




 全員、一度謁見したことがある人達だ。











「エリスちゃん、苺食べる?」

「うん……」

「はい、あーん」

「あーん……」



 ベッドに横たわるエリスちゃんを、わたしは手厚く世話している。



「……美味しい」

「よかった。それは……よかった」


「……」

「……」




 そんな彼女はぼんやりと窓の外を眺めている。ぐったりとしていて指の一本も動かせない。




「……わたし、頑張った……」

「そうだよ。今日もエリスちゃんは、痛いのに耐えたの」

「……」











 欠陥品、劣等者、出来損ない――




 マーリン様はあらゆる言葉で、エリスちゃんを罵倒した。でもそれは事実だった。






 記録にある限り、マーリン様の知る限り。エリスちゃんは、今までの聖杯……女王陛下と比べて力が落ちているらしい。



 それは嫌でも実感できる。ある程度の期間を置いて、また謁見に来る人々を見ていたら。恵みを享受しても、それを使い切るまでの時間が短いんだ。






 聖杯の恵みが急に失われるなんてことはあってはならない、ってことらしい。だからエリスちゃんは、痛いことをたくさんされている。



 今日だってそう――水を張られていて、変な線がいっぱいついた水槽に、裸にされて全身を入れられる。それから数時間、泡立つ水の中で痛みに耐える。



 何でもあの水は純粋な魔力を抽出した水で、浸透圧ってやつでエリスちゃんに魔力が流れていくんだって。痛みが発生するのは、水とエリスちゃんの身体の魔力濃度の差が激しい影響で、水から魔力がしっかりと流れていっている証明なんだって……。






 ただでさえ、裸にされて……それでいて大勢の大人に囲まれて、理解できないことを言われて。




 そんな中で騎士を信じろって言うのも無理があるよ。











「ふわあ……ってまずいまずい」




 休暇明けの朝。わたしは欠伸をしながらエリスちゃんの部屋に入る。



 普段ならエリスちゃんがすっ飛んできて、わたしに抱き着くのが決まった流れだけど……






「……」



 今日はそれがなかった。



 エリスちゃんはずっと、ベッドの上で縮こまって震えていた。






「……エリスちゃん。わたし、来たよ」

「お姉ちゃん……」



 弱々しくて震えている声。



 布団をそっと捲って、様子を確認する。



「……こんなに汗が出てるけど、暑くないの?」

「……ううん……」

「ちょっと失礼……」



 頬に手を当てると、すぐに異変に気付いた。



 普段より熱いのだ。顔色も悪いのと合わせて推測すると、風邪をひいている。



「これは……」

「お姉ちゃん……怖い、怖いよ……」

「そうだね……今、エリスちゃんの身体は、悪い病気と戦っているの。だから休ませてあげないとね」

「……」




 手を握りながら声をかけるが、目は一向にきょろきょろ動いたままだ。




「いたいこと、する……?」

「え……」

「いたいの……いや……いたいこと……いやだよ……」

「……」






 わたしが。



 わたしが、傍にいてあげないと。






「い、いた……いや……こない、で、あっち、いって……」

「エリスちゃん! わたし、ここにいるから……大丈夫……!」

「あああああ……!! いや、いやだよ……!!」

「エリスちゃ――」



 そうだ。



 名案を思い付いた。



「エリスちゃん、ちょっと失礼するね!」

「……え?」




 何とか右手の手袋を外す。




 そうだ、エリスちゃんは聖杯なんだ――




 願いを叶える力を持っているんだ!




「エリスちゃん、自分にお願いしてみて。悪い病気をなくしてくれますようにって!」

「え……」

「できるでしょ? 普段やっているみたいに、手をかざして力を込めるの! やってみて!」

「……」




 言われた通りにしてくれた。




 そして雫はぽたぽたと落ちてきた。







 手のひらからじゃなくって、目元から――








「できない……」

「……え?」


「そんなの、できないよ……」

「……」




「わたしのお願い、叶えるなんて、できない……」

「……そんなこと、やってみなきゃ、」

「できないの! どれだけやっても、できなかったの……!」






 嗚咽が部屋に漏れ出す。




 それは床に落ちて、どんどん溜まっていって、身体を満たしていくようで――








 ――茫然とするな。頭を回せ。



 聖杯は願いを叶えるもの。普段それは人に対して齎される。だったら――






「うん……ごめんね。じゃあこうしよう。わたしのお願いを叶えて」

「……え?」


「エリスちゃんが良くなりますようにって、お願いするから。そうすればエリスちゃんは元気になる――うん、それでいこう!」

「……!」




 普段通りの、聖杯の恵みを齎す儀式――



 杯はわたしの両手。器の形にして、雫が満ちるのを待つ。






「んっ……はぁっ、はぁっ……」

「……だめかな? 苦しい?」

「ううん……ぼーっとして、力、出ない……」



 それでも手のひらからは、微かに雫が落ちてはきている。



「もうちょっと! もうちょっとだけ頑張れる!?」

「う、ん……」



 あと少し。あと少しで、必要な魔力は溜まる。直感的にそう感じた。








 けれども、最後の一滴が落ちる前に、






 聞こえてきたその声は、






 今までの人生で聞いてきた中で、一番冷淡だった。








「……貴様、何をしている」






「答えろ。貴様は何を――女王陛下に何をさせている、ギネヴィア」






「……!!」




「ぐっ……!!」






 ノックもせずに扉を開けて、ずかずかと入ってきた彼は、




 わたしの手首を掴んで立ち上がらせる。






「……マーリン様、これは」

「今自分が何をしようとしていたのか理解しているか。理解しているのか!!!」

「ぐあっ……!!」




 濡れていたはずの手はとっくに乾いていた。エリスちゃんの目からこぼれていた涙も。




「聖杯は万人に対して平等でなくてはならない。それを貴様は! 私利私欲の為に用いようとしていた!!!」

「違う!!! 自分の為だとか、そんなことじゃない!!! これはエリスちゃんのためなの!!!」

「……何だと?」




「わたしがエリスちゃんの病気を治してって、お願いしようとしていたの!!! 確かに自分の願いを叶えようとしていたけど、それはエリスちゃんの為でもあったの!!! だから、わたしは――」




「間違ったことはしていない!!! 聖杯に仕える騎士として、わたしは正しい判断をした!!!」











「――」




「そうか」






 それだけ口を開いた後、





 彼は、





 無言でわたしを投げ飛ばした。








「ああっ……!!」




 強い力で壁に打ち付けられた。


 多分脳が揺れた。視界がくらくらして、段々気が遠くなっていく。




「お姉ちゃん!! ……!!」






 どこにいたのだろう、数人の魔術師が入ってきて、



 ベッドを取り囲む。人の壁が世界を隔てていく。



 あの、洗礼と呼ばれているあれと、同じような光景。






「――創世の女神に感謝するがいい」


「その剣がなかったら、今頃貴様の首を刎ねていた所だ……!!!」






 ――ああ気付いた。気付いてしまったよ。


 思えばそうだったじゃないか。




 美味しいご飯だって、

 素敵なアクセサリーだって、

 自分に優しくしてくれる人だって。



 その力を使えば、何だって引き寄せられるじゃないか。



 なのにそれはされていない。していない。

 してはいけないと教えられてきた。




 大勢の名前も素性も知らない。

 いい人も悪い人もいる。


 そんな『人々』の為に――『世界』の為に。

 自分が幸せになることを禁じられてきた。



 たったひとりの人間が、

 全ての人間の苦難を背負い――



 そうした上で己の幸福を捨て――

 世界に安寧を齎す為の

 感情のない装置として生きていく。



 そうして苦難を背負われている人々は、

 その人間がそうして生きていることを。



 人としての幸福も許されないような、

 そんな日々を送っているなんて

 絶対に知らないし、

 世界は知られないように隠蔽する。



 知られてしまったら、

 この世界に住まう人間全ては、

 耐え難い苦難を背負うことになるから――





    それが偉大なる先達とやらが導き出した、


      世界の在り方に対する答えか?





 こんなのまるで――


 牢屋に閉じ込められて、

 罪を償っている囚人と、

 何一つ変わりないじゃないか。



 一体何をしたっていうんだ?

 どんな罪を犯したか言ってみろよ。

 『洗礼』を受けているのも償いか?

 身に覚えのない罪を、

 丁寧にお膳立てされて、

 突き付けられているのか。




 ふざけるな――




 ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな。




 赤い髪に緑の瞳の可愛い女の子。

 食べ物が大好きで苺は特に大好物。

 お城の中から町に興味を示して、

 おとぎ話を聞いて空想に耽る。



 普通の女の子は、

 進んで人の罪を背負おうなんてしない。


 普通の女の子と、

 全く同じ感性を持っているあの子は、


 その罪を望んで背負っているわけじゃない――






 クソッタレな運命め。


 どうしてあの子を、それに選んだんだ――






「……ううっ」






 再び目を覚ました頃には、日が暮れかかっていた。



 視界の先にはベッド、その上には――






「エリス、ちゃん……」



 よろめきながら立ち上がる。



 そしてベッドの側まで来た所で崩れ落ちた。






「……」



「おねえちゃん……」






 ただでさえ白い肌が、血の気が引いてもっと青白い。頬も少し痩せこけて見える。



 腕にはガーゼが巻かれてあって、テーブルの上には薬草とか気味の悪い色の液体。その隣に殴り書きされたメモ書きが残されてあった。



 ――血を抜かれたんだ。



 そして、そこのメモ書き通りに、わたしは看病を続けろと。








「……」



 おかしいな。言葉が出ないよ。






「……ごめんね」



 力強い言葉をかけて、励ますはずなのに。






「ごめんね……!」



 声が震えて、涙が出てくる――






「本当に、ごめんね……!」








「わたし、わたしっ……約束、したのに……選定の剣カリバーンに誓って、何があってもあなたの力になるって……」


       ……ちゃん


「でも、でも、何も……できなくて……毎日、痛いことばかりで……わたし、見ていることしかできなくて……」



       ……おねえちゃん



「本当に、馬鹿だよね……!! 選定の剣カリバーンに選ばれたのに、わたし、何もできていない……!!」




       ねえ、おねえちゃん




「ごめんね、ごめん……」


       ありがとう






「え……」








「……おねえちゃんは、まっすぐな人」




「おねえちゃんが来るまで、わたしの周りはぐにゃぐにゃの人ばかりだったの」




「みんなじっとわたしを見ているけど……本当にわたしを見てはいない。わたしの力とか、身体とか、そういうのばかり見ているの」




「気持ちがわたしに届く前に、それがぐにゃぐにゃに曲がっていって、違う所に落ちていくの。だから、考えてること、わからなくて、怖いの……」






       でも、おねえちゃんは違う






「おねえちゃんはまっすぐわたしを見てくれる。わたしの心に向かって、色んなことを言ってくれる。わたしの目に合わせようとしている。聖杯としてじゃない、本当のわたしをわかってくれている」




「……だから、大好き」




「まっすぐなおねえちゃんが……ぐにゃぐにゃじゃないおねえちゃんが。わたし、大好きなの」











「……うん」



    情けない。



「わたしは、そうだよ」



    励まそうと思ったのに、




「わたしはぐにゃぐにゃなんかにならない。ぐにゃぐにゃに生きるなんて、わたしにはできない」



    逆に励まされてるなんて――



「ただ目の前のことを、まっすぐににこなしていくだけ」








「今までも、今も、これからも、ずっとわたしはそうして生きていく」


「エリザベス様みたいに、人を惹き付ける魅力もないし、マーリン様みたいに、人を指示を出せるカリスマもないし、モードレッド様みたいに、武術も魔法もできるわけじゃない。だけど――」


「誰かの話を聞いて、誰かの気持ちになって考えて、誰かのために行動することだけは……できるから」








「……」




「ありがとう、おねえちゃん」



「わたしのこと、考えてくれて……わたしの側にいてくれて」






 ううん、お礼を言うのはこっちの方だ。



 辛い心が楽になったんだ――








「……こちらこそ」



「ありがとう、エリスちゃん……」

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