第466話 騎士さまの夢・前編
「よっ、と……」
今日も今日とて、わたしは何をしているかというと。
ボウルに牛乳と卵白と砂糖を入れて、柳の枝を加工した棒で、
めちゃくちゃ掻き回している。
「ふおおおおおお……」
ケーキに塗るふわふわ……得た情報ではシャンティクリームって言ってた。それを作る方法がこれ。
牛乳と卵白と砂糖を入れて、ふわふわになるまでかき混ぜる。でもそれまでがすごいすごい長い。
「……」
ああー今日も時間切れだ……
扉を開けて、マーリン様が部屋を覗いてくる。
「……女王陛下がお戻りになられる。配置につけ」
「はい……」
再び扉が閉められた後、ボウルの中のべっとりとした何かを、悔しそうに見つめる。
これでも大分時間は縮まった方……最初は四時間とかかかってたんだけど、今は二時間を切ろうとしている。
というか二時間、頑張って一時間半ぐらいには収めないといけない。でないとエリスちゃんがいない間に、ケーキを作ることが間に合わない。
「……」
ボウルの中に指を突っ込んでぺろり。
感触は悪いけど、味は牛乳と砂糖なので美味しい。
「うみゃい……」
あと一口、あと一口だけ。
うん、これを舐め終わったら、エリスちゃんの元に……
「お姉ちゃん?」
「にゃーっ!?」
ひっくり返った。腰をもんぞり打った。いたぁい。
「……ぷっ、あははっ。びっくりしすぎだよ。何をしていたの?」
「え、えっと」
「……ん?」
「あっ、それは」
今指でぺろぺろしていたボウル……
「お姉ちゃん、これなあに? 美味しいもの?」
「あー……」
内緒で作って、びっくりさせようと思ってたのに……
でもまあいいか……見られちゃったら仕方ない。
「それは……シャンティクリームだよ」
「クリーム? じゃあ食べられるの?」
「そうだよ。舐めてもいいよ。甘くて美味しいんだ」
「……」
エリスちゃんは左手をじっと見つめる。ってそうだ、手袋してるんだった。
「はいはい、じゃあこれ舐めて」
「あーん……」
わたしの指ですくって、エリスちゃんの口に入れる。
「……」
「……美味しい……!」
これまで色んな料理をエリスちゃんに振る舞ってきたけど――
シャンティクリームを舐めたその表情は、一番きらきらしていた。
この表情を見れたのは二回目。当然一回目は、苺を食べた時である。
「ねえお姉ちゃん! もっと舐めたい!」
「いいよー。じゃあ……全部舐めていいよ。今スプーン持ってくるからねー」
こんな感じで作ったクリームは、全てエリスちゃんに平らげられた。わたしももう少し食べたかっ……いやいやいや。
「お姉ちゃん、ごちそうさま! 美味しかった!」
「それは良かった~。わたしもせかせか作った甲斐があったってもんだよ」
「どうやって作ったの?」
「こんな感じで……」
ボウルを持って、棒で掻き混ぜるふりをする。
「……」
「これがさ~、すっごい根気強くやんないといけないんだ! わたしが休憩入っている間にやれればいいんだけど……はぁ」
「……やりたい」
「え?」
「わたしもそれ、やってみたい!」
「……」
そうか。その手があったか。
自分だけで作るのに時間がかかるなら、一緒に作っちゃえばいいのか。
「えへへー。張り切って準備しちゃったー」
「……」
「……だいじょぶ? 茫然としてない?」
「え、えと……物がいっぱいで、びっくりしちゃった……」
小麦粉、バター、卵、牛乳、砂糖、卵白、そしてたっぷりの苺。
道具は包丁、焼き型、泡立て器、木べら、ボウルが二つ、そしてわたしの部屋にある竈。
この時の為に色んな材料と道具を取り揃えたのだー!
「よーし手も洗ったことだし、早速作ってこう」
「何からするの?」
「まずはケーキの土台だよー。ここに小麦粉を入れてね」
「はーい」
その後にバター、卵、牛乳、ほんのちょっとの砂糖を入れてもらう。
「これをね、木べらを使って掻き混ぜるんだ。見本を見せるねー」
左手でボウルを抑えて、右手でしっかりさっくり掻き混ぜる。
それをじっと見ているエリスちゃん。
「はい、ここからエリスちゃんの番。ボウルはわたしが押さえてあげるから、ぐるぐる掻き混ぜてみよう!」
「うん!」
がしゃがしゃ、
ぐるぐる、
がたんがたん。
ぎこちなく掻き混ぜること五分ぐらい?
「もう大丈夫?」
「うん、ばっちり! 次はこれを焼き型にいれまーす!」
「それで竈に入れると、ケーキができるんだね!」
「そうそう! でもまだ土台だから! 次は土台を飾り付けする為の、シャンティクリームを作りまーす!」
「あの美味しいやつだー!」
わたしは別のボウルに、慣れた手付きで牛乳を入れ、そこにエリスちゃんが砂糖と卵白を入れる。
「見ててねー。これはさっきみたいな掻き混ぜ方じゃだめなの。こうして、大きく動かして、空気を混ぜ込むように……」
「空気を混ぜ込む……」
エリスちゃんの目が真剣になる。
それならこちらも真剣に掻き混ぜるしかない!
「……っとまあこんな感じ!」
「うん! じゃあ……わたし、やってもいい?」
「いいんだけどその前に! この泡立てる作業はね、とっても時間がかかってとっても疲れるの! だからわたしと交代交代でやろうね!」
「はーい!」
かしゃかしゃと二人で交代しながら掻き混ぜる。
普段ならすっごく腕が疲れるけど、交代しているから。
何よりも話しながらだから、楽しく作業ができる。
「もうすぐかな?」
「どれどれ……えっと、このすくった時にね……角がつるんと立つんだけど。それがもうちょっとほしいかな?」
「わかった! わたし、頑張る!」
「そしたらわたしは土台を焼き上げにいくね~」
この後焼き上がった土台にクリームを塗って、切った苺を盛り付けて……
「完成ー! ホワイトケーキだー!」
「わぁ……!」
雲のような白の中、引き立つ赤い苺のケーキ。エリスちゃんはそれをじぃっと見て、目をきらきらさせている。
……実はわたしも。まさか本の中の存在だと思っていた食べ物が、今目の前に……ぶっちゃっけめっちゃ感動中……
本当、人生って何があるかわかんないなぁ……
「んじゃー紅茶を淹れて、ティータイムにしますかー! 今回はわたしが……」
「……」
「……エリスちゃん?」
「……ん。なあに、お姉ちゃん」
「えっと……今、しんみりとした顔してたから……」
「……そっか。紅茶わたしが淹れるね」
「あ、うん」
橙色のストレートなティー。甘味が引き立つさっぱりテイスト。ホワイトケーキにぴったりだ。
それを二つ注いだら、いよいよ実食の時。
「創世の女神様、今日もありがとうございますっと。いただきまーす」
「いただきまーす」
手を合わせて挨拶をした後、フォークを使ってケーキに切り込む。
そのまま切り取った破片を口の中へ……
「んみゃあ……!!」
ふわふわスポンジ、あまあまクリーム、ぷちぷち苺……
お口の中が~~~至福の宝箱~~~
「しあわせぇ……」
うん、頑張った甲斐があった……やっぱり料理はいいわぁ……自分で好きな物作れ……
……違うよなぁ!? 違うよねー!?
わたし、エリスちゃんに食べてもらいたくて頑張ってきたんだよねー!?
「エリスちゃん、どう? これ、美味しいかな?」
我に返ったわたしは訊いてみるけど。
エリスちゃんは答えずにケーキをちょこちょこ食べていた。
でもその顔は、やっぱりしんみりしていて……
「……どうしたの? 味がお気に召さなかった?」
「ううん……」
フォークと皿を置いて目を瞑る。
「お姉ちゃん」
「桃色の蜘蛛のお話……覚えている?」
「……うん。だってわたしがしたからね」
女の子が生まれると、桃色の蜘蛛が突然目の前に現れる。
その蜘蛛は女の子の小指に赤い糸を巻き付けて消えていく。
その糸の先は、将来結ばれる相手の小指に結ばれているのだという。
きっと誰もが夢見るおとぎ話――
「わたしの小指の赤い糸の先……」
「わたしの運命の相手……」
「……その人と一緒にケーキを食べられたら、いいなあって」
あ……
ああ……
「……会って、みたいの?」
「……うん」
「……」
「本音を言うと、ね。でもわかってるもん……わたしの結ばれる相手は、
「でも、その人は……騎士さまのように、わたしをいたいことから守ってくれるのかな。友達のように、わたしのことをまっすぐ見てくれるのかな。恋人のように、わたしを愛してくれるのかな……」
そう言って笑い、またケーキを食べた。
諦観に満ちた乾いた笑顔だった。
十代の若々しい女の子がする顔じゃなかった。
「……『我らは人形、刹那の傀儡』」
「『生まれついたその日から
定められた歌劇を踊る
喜劇に生まれば朽ちても歓笑
悲劇に生まれば錆びても涕泣
その時望む結末は
誰にも知られず虚無の果て』」
「『遥か昔、古の、
フェンサリルの姫君は、
海の蒼、大地の碧を露知らぬ
空の白のみ知る少女
誰が呼んだか籠の中の小鳥、
彼が呼んだは牢獄の囚人』」
「『心を支え、手を取り、解き放つには、
一粒の苺があればいい』」
「『さあ、束縛の夜、運命の牢獄から飛び立って、
解放の朝、黎明の大地に翼を広げよう』」
ケーキを食べ終わった後、エリスちゃんが口にしたその歌は――
お屋敷に閉じ込められていたお姫様を、勇敢な男の人が助けに来てくれる、
そんな物語の冒頭に必ず挟まれるものなのだそう。
エリスちゃんはその物語が、その歌が大好きだ。
だからきっと欲しいんだ。自分を助けてくれる勇敢な男の人。
ケーキは美味しく作れた。
けど……忘れられない。
あの美味しさ以上に、エリスちゃんが笑った顔が。
自分に言い聞かせるように、慰めるように――
エリスちゃんは聖杯、持っている力はあらゆる願いを叶える。
世界に恵みを齎す万能の存在。それが齎す恵みがあるから、イングレンスの世界には平和が敷かれている。
そうだ……ほとんどの人は思っている。聖杯が、エリスちゃんが世界で一番偉いんだと。実際はそうじゃないのに……
でもみんながそう思っている以上、エリスちゃんに対しての態度はもう決まったようなもの。恐れ、敬い、崇める。
そうじゃないんだ……エリスちゃんが会いたいのは、そうじゃないんだ。
自分のことをまっすぐに見てくれる人。それでいてぽっと出の
いない。そんな人はいないんだ。
イングレンスの世界に生まれた以上、聖杯は大いなる存在として認知に刻まれてしまう。
その前提がある以上無理なんだ。聖杯という力を抜きにして、エリスちゃんのことをまっすぐ見るっていうのは。
わたしが、
だったら。
もしも、その前提がなかったとしたら。
生まれた時から、聖杯なんてものは関係なくて――
運命の相手のことを、まっすぐ見るように命令された存在だったら?
これは夢だ。エリスちゃんが見ている夢。
自分をまっすぐ見てくれて、親しくしてくれて、そして愛してくれる人。いたいことから守ってくれる人。物語の世界にしか現れないような、理想の騎士さま。
騎士さまの夢――
――誓ったんだ。何があってもあなたの力になる。この
今がその時だ。その時なんだ。
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