第464話 女王と呼ばれる少女・後編
「お姉ちゃん、紅茶淹れるね」
「あ~お願いしま~す」
お風呂から上がった後は、湯冷まし代わりのティータイム。品の高い味には慣れたけど、注ぎ方は未ださっぱり。
そこはエリスちゃんの方が手慣れている。紅茶の質は人の品格って、よく言ったもんだなあ。
「今日はねー、苺のスコーンを作ったんだよー」
「苺! わたし大好き!」
「生の苺もあるからねー。いっぱい食べてねー」
「うん!」
わたしが来るまで、エリスちゃんが苺を知らなかったことは、
苺どころか、葡萄とか人参とかシチューとかグラタンとか、わたしが食べ物や料理と聞いて思い浮かべる物はほとんど知らなかった。
すごい衝撃だったから話を聞いてみた所、エリスちゃんは毎日パンと牛乳で生活しているとのこと。あとおやつの紅茶とスコーン。これらは魔力が込められた特別な加工品で、聖杯の力も相まって栄養失調とかは起こらないらしい。
変な物を口に入れると何が起こるかわからないからってのが理由だそう--でも食べることって、それでいいわけがないんですよ!
「エリスちゃん、他に何か食べたいものあるー?」
「んっとね……あれ、食べてみたいな。名前、何だったかな……」
「何でもいいよー。わたし、頑張って作るから」
だからわたしは市場から食べ物を買ってきて、こうしてエリスちゃんに振る舞っている。それだけじゃ物足りなくなってきて、最近は料理をしたり、食べ物をまとめた本を買ってきて、どれが食べたいか訊いたりしている。
そしてエリスちゃんは、色んな物を食べた中でも、特に苺を気に入ってくれた。毎日のようにねだってくるので、部屋の隅にストックがもりもり。
当然マーリン様には内緒だけど――別にいいでしょこれぐらいっていうのが、本音。
だって、食べることって人生の半分を占める行為だよ! 毎日の半分は食べることを考えるんですよ! そこに喜びがなかったら、何で生きてるんですかってレベル!
「そうだ! 『ほしをみあげるもの』!」
「うん、あのね、今何でも頑張って作るって言ったけど、その中に『ほしをみあげるもの』は入っていないんだなー」
「どうして? すごく素敵な名前じゃない? きっと美味しい食べ物なんでしょ?」
「いいかいエリスちゃん、世の中には名前と内容が一致しない物事が実に数多く存在しているんだよー」
「……へっ?」
「えっとですね!! わたしそれ見ると吐きそうになるんでだめなんです!! だから無理なんです!! ごめんなさい!!」
これは事実である。何故かと言うと、あの人に焼き立てのやつ押し付けられて、無理矢理完食させられた結果翌日吐いた記憶がある。
そうでなくても、魚が死んだ目してパイから顔出してるの見たら、エリスちゃん絶対泣く。名前とのギャップ加減に泣く。
全く、何故創世の女神様はあれがイングレンスに存在することを認めているんだぁー!! 教えてくれよぉー!! おまえの創造主だろ、話訊いてこい
「……そっかあ。お姉ちゃんが言うなら、我慢する」
「うん、ごめんね。でもそれ以外ならいいよ。何かあるかな?」
「えっとね……それじゃ、ホワイトケーキっていうのを食べたいな」
「ケーキ……」
それもホワイト、白と呼ばれているものである。思わず悩んでしまう。
「……だめ?」
「ううん、大丈夫。でも……しばらく時間が必要、かな」
「……わかった」
正直わたしも、ホワイトケーキについては噂でしか聞いたことがない。
ふわふわのパン? 生地? に、これまたふわふわの白い何かを塗って、苺を乗せた美味しいお菓子。
その白いふわふわを作るのがすごい難しいらしくて、熟練のコックさんしかできないんだとか。
それこそ……そういう人を雇える程に、高い地位にある騎士様なら、毎日食べられるもの。そう思っていた。
「ケーキ、ケーキ……えへへ。どんなお菓子なのかな」
わたしの買ってきた本を捲り、口角を上げる。
紙に描かれた、決して触れられない世界の光景に、思いを馳せている。
普通の女の子だ。どこからどう見ても。
そんなこの子が、聖杯の力を持っている。今わたしが生きているイングレンスの世界は、この子を中心に回っている。
「ん……」
コンコンと扉が叩かれる音。
「……私だ。まだ起きているかな?」
「あ……」
「モードレッド様。只今扉を開けます」
深めの皿に苺を入れ替える作業を中断し、急いで扉を開く。
「こんばんは、二人共。今からティータイム……おや、これは苺だね」
「はい……城下町で安かったので。何でも今は旬? と呼ばれるものみたいなんですけど」
「ふむ……旬か」
モードレッド様は空いているソファーに腰かけ、手につまんだ苺をじっと眺めている。
「女王陛下、私の分の紅茶は必要ありません。少しばかり様子を見に来ただけですので」
「……うん、わかった」
ポットを置いて、エリスちゃんは自分のソファーに座る。
そしてそのまま――
「……寝ちゃった」
「お疲れなのだろう。暫くはこのままでも構わないと思うが」
「んー……」
まあ……いいか。お風呂上がりだし、眠くなるのも無理はないかもしれない。
「それよりもこの状況だ。何か私に言いたいことがあったら言ってほしい。女王陛下の前では言えないこともあるだろう?」
「……いいんですか?」
「いつも通りだ、私は誰にも口外しないよ」
「えっと、じゃあ……」
まずはつつがない話題から……
「さっきさらっと仰ってましたけど、モードレッド様は旬というものが何かご存知ですか?」
「勿論だとも。旬とはその食物が一番美味しい季節のことだ。苺の場合、種類にもよるが大体冬から春先だと言われている」
「へえ、食べ物の美味しさに季節が関係するんですか」
「この町がログレスという場所にあるからこその恩恵だな。南の砂漠や北の寒冷地帯は、一年を通して気候が一定だから、季節という概念がそもそも存在しない」
「はぁー……」
モードレッド様は色んなことを知ってるなあ……。
わたしに対しても優しくしてくれるし。正直この方と話している時は、エリザベス様やマーリン様に比べて気が楽。その上めっちゃ強くて詳しい。わたしの剣術を見てくれることもあるし、魔法についても色々知ってる。
あとエリスちゃんに色んな食べ物を買ってあげてることも、知ってはいるけど黙ってくれている。女王陛下にも気分転換が必要だって。
そういえばエリスちゃんの手袋と靴下、モードレッド様に貰ったって言ってたな。ってことはわたしが来る前から、エリスちゃんのことを気遣っていたんだろうな。
そうだ。折角だからあのことも……
「……あの、今から言うこと、特に内緒にしてほしいんです」
「……敢えて強調するということは、余程重大なことなのかな?」
「その、エリスちゃんの身体に関わることなんですけど……言っても信じてもらえないかなーって」
「ほう……一先ずは言ってみるといい」
「えっと……」
エリスちゃんの背中にあった、黒い翼のことを話す。
「……ああ、それか」
モードレッド様の返事は、まるでよくあることだでも言いたそうな口ぶりだった。
「それは奈落の刻印と呼ばれる物だろう」
「奈落の刻印?」
「名前は知らなくても構わない。それよりも君はこれまで、身体の何処かに形のある黒い痣を持った人間を見たことがないだろうか」
「んー……」
記憶を漁ってみるが徒労に終わった。
「……覚えて、ないですねー……」
「そうか。まあ、それに越したことはないのだがな」
「えっと、凄いものですか? 不味いものですか?」
「後者だな。禁術に手を染め、堕落した証明となるものだ」
「禁術……?」
名前からしてやばそう。いやいや、エリスちゃんがそんなのと関係しているなんて有り得ない。仮にも聖杯の力を持つのに。
「簡単に言うと、他の人間の命を代償とした魔法だ。威力は高く発動も手頃だが、イングレンスの理に逆らった愚者としての烙印を一生押されることになる。そしてこれは、親に存在しているのならば、その子にも受け継がれるんだ」
「んー……?」
つまり、エリスちゃん自身は関係なくて……
「お父様かお母様、どちらが禁術を……?」
「恐らく父上の方だろう。母上は一代前の女王として、聖杯の恵みを齎していたからな。禁術に手を出す余裕すらもないはずだ」
「……」
人の命を代償に……
「……考え込んでどうした? 疑問があるならぶつけるといい」
そう言った後そっと肩を叩き、優しく微笑む。
モードレッド様はこうして的確に--
人の気持ちを引き出すのが上手だ。
「……えっと、あの、だとすると禁術を使うってことは、人を殺すのと同じって捉えていいんでしょうか?」
「そうだな。殺すも代償にするも、言葉は違えどその結果は変わりないな」
「だったら……何でそんな人が、エリスちゃんを……」
「……」
紅茶を飲んで口を潤した。その動作も手馴れている。
「我々は相手の素性を知り得ないからだ」
「え?」
「女王陛下が成人に近い年齢になられたら、この街で
「……」
それって結ばれる人が、
粗方決まっているようなものじゃないか。
「……そこで勝てば、どんな人間でも関係ないんですか?」
「その通りだ。極端に言えば、君が昔仕えていた主のような人間でもな」
「……っ」
そんなの理不尽だ。
「可哀想だと思うか?」
「……」
「だがこれは習わしなんだ。君は勿論、私が声を挙げた所で、大勢を納得させることはできない」
「……」
「精々人間性に優れた、素晴らしい人格の青年が勝つことを、創世の女神に祈ることしかできないのだよ」
そう言ってモードレッド様は、
わたしの首元に左手を当ててくる。
当然わたしは驚いて声を上げ――あれ? 出ない?
「――ああ。君は常に全力で正義感が強いのだろう、それが露実に現れているよ。一生懸命で真っ直ぐな目だ……」
その後ソファーから立ち上がって。
「君のような目を持つ者が、この子の夫になれば良いのかもしれないが――運命はそれを許さないのだろう――」
背中を向けたまま、それだけを言い残して、部屋を出て行ってしまった。
「……」
……何だったんだろう。
いや、いつもあんな感じか。モードレッド様は頭がいいから、時々わたしにはわからないような言動をする。
「……ん?」
元の体勢に身体を戻すと。
「あ……」
「……」
起きてた。エリスちゃん、身体を起き上がらせて、こっちを見ていた。
でも、その目は丸く見開いていて――
「どうしたの?」
「……」
驚いていたようだったけど、
紅茶を口にして、苺を食べるうちに落ち着いたみたいだ。
「……ううん。モードレッドさま、急に帰っちゃったから、びっくりしただけ」
「そっか……」
じゃあ最後の会話は間違いなく聞かれていたかな。
もしかしたら、奈落の刻印の話も聞かれていた可能性もあるけど……
「……」
そんなことを確認する気には、到底なれなかった。
「……お姉ちゃん」
「明日、日曜日、だよね……」
暗く沈んだ声で、そう切り出されたら。
「……」
「……うん。明日は……『洗礼』の日だね」
歯痒い。
歯だけじゃない、目も、耳も、手も足も心臓も――
全部が痒い。掻きたくても掻けない。掻いた所で収まらないのに。
「いやだ……いやだよ……」
すすり泣く。わたしはすぐに立ち上がり抱き締める。
エリスちゃんを、わたしの胸の中で泣けるようにしてあげる……
「……あのね。マーリン様にお話したんだ。わたしもあの部屋に入れてもらえるようにって」
「……ほんと?」
「うん。わたしも傍にいるよ。だから……」
背中をぽんぽん叩き、より強く抱き締める。
「頑張ろうね。頑張って、美味しい苺、食べようね」
「……」
「あ、そうだ。よかったらお話をしてあげよう。桃色の蜘蛛のお話なんだけど……」
「……蜘蛛?」
「そうそう。でも怖い存在じゃないよ、むしろ可愛いの。その蜘蛛は桃色の身体をしていて、女の子の前に突然現れるんだ……」
「……ひっく……うん……」
濃紺の星空に、エリスちゃんがすすり泣く声だけが昇っていく。
今だけはあの空で輝いている星々が恨めしいよ。
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