三節 「エンドゲーム&リザルト」

二人の好きな歌

「……おーい? お前何見てんだ?」

「ああ……これだよ。騎士王伝説の壁画の写し」


「騎士王伝説だぁ? この場面はっと……カムランの戦いじゃねえか」

「騎士王が死に絶えた最後の戦いだ。俺ぁどっちかっつーと、敵の方が好みでさぁ……」

「モードレッドだろ? カムランの戦いでしか登場しないのに、三騎士って崇められてるんだから、ある意味すげーかもな」

「そこまで言及している史料は少ないのに、どうしてこうも印象的なんだろうなー」

「決まってるだろ、カリスマだよ。当時の連中も惹き付けられる何かがあったんだよ……」




「あと有名な論争あったよな。モードレッドと暗獄の魔女ギネヴィア、戦ったらどっちがつえーんだろうかっていう」

「俺も聞いたことあるわそれ。どっちも史料が少ないって点で共通してて、その分だけロマンがある」

「一応生きていた年代が被ってないんだよな。ギネヴィアと入れ替わりに現れたのがモードレッド。だから直接出会ったことはなかったんだろうけど……」

「そういう存在が実際に会っていたら、どういう展開になるか! 歴史考察の醍醐味だよな~」




「なーんて話している間に、空いたぜ」

「やっと回ってきたか。さーて早く帰りましょうかねぇー」











 口々に不満やら愚痴やらと共に、続々と黒魔術師達が魔法陣から現れる。


 ここはカムラン島。大陸から隔離された、カムラン魔術協会の本拠地であった。








「あ゛~。ひっさびさのご帰還だぁ」

「数ヶ月の出張でも、こんなに長く感じるもんだな」

「ルナリス様が上機嫌だったせいだな……あの方まだゴーツウッドに残るって話だけど」

「まだ向こうで指示を飛ばすってよ~。何かアルブリアを征服するとか意気込んでたなあ」

「支部の開設式だけじゃご不満だったのかぁ?」

「何でも今のアルブリアには、ヴィーナとヘンリーが来てるらしいぜ。大方便乗って所だろう」

「あの豚そういうのは好きだよなあ。周囲がどうなるのか知ったこっちゃじゃねえんだ。まっもうこっちに戻ってきたからには、関係のないことだぁ~っ」

「そうだそうだ、思う存分羽を伸ばそう。おーいマスター!」






 黒魔術師が町の片隅にある酒場に入り、普段通り声をかける。


 この時間帯は昼ということもあり、比較的静かなのだが、この日は様子が違った。






「……何でこんなに騒がしいんだ?」

「向こうに集まってるな。何だ……大道芸人でも来たのか?」



 答えは襤褸を着た放浪者。そいつは絵描きが使うイーゼルという道具を持ってきて、そこに描かれた絵について熱弁していた。



「何だ何だ。皆言葉を失ってるじゃねーか。おーい俺らに見せろー」



 前の方で固まっている人間を押し倒すのはそう難しくはなかった。何故なら完全に見惚れていたのか、放心して抵抗もしなかったからだ。






「さあて、そんなに心を奪ってしまう絵とは……」



「いった……い……」











 美しい少女だった。



 それを描いた人間の技量が素晴らしいのもあったのだろうが、しかしそんな理屈はすぐに吹き飛ばされてしまう程、可憐な少女。



 すっと膝で立つ彼女は、華やかなティアラを被っていた。そこから背中にかけてレースのヴェールが伸び、裾を両手でそっと握っていた。



 顔立ちと比較して、非常に豊かに見える二つの果実。腰回りの肉つきも艶やかで、それらは繊細なレースの衣によって嫋やかに包まれている。身体のラインをくっきりと見せつけ、くびれも臍も魅惑的だ。



 付け加えて、四肢を包むは長手袋とハイソックス。これまたレースの輝く糸で織られており、白く包まれている点が益々情動を誘う。






 赤い髪に緑の瞳――



 少女は絵の中で、愛しき人に笑みを向けていた。
















「……はぁっ……んっ……」




 少女が一人、部屋の中でくつろいでいる。



 それはすっかり階下の街で噂になっている、世にも美しい少女だった。



 長いソファーに横になり、背中よりの快楽に身を預け。時々テーブルの上にある苺をつまむ。



 幸せそうに吐息を零していた。



 白いレースに包まれた――花嫁かと見紛う、あの姿で。








「たった今戻った……っと。まだ寝ているのかな?」






 ううん、そんなことはないよと、叫ぶ前に身体が飛び起きる。






「ふふ、元気な子だ。また苺を買ってきてね……美味しいんだ、これが」

「ほんと? 早速いただきます……」






 ソファーに座り直して、もぐもぐと苺を頬張る。



 その姿は幼い子供のように、無邪気で、愛くるしくて。






「その服の居心地はどうかな?」

「んっとね……ぴったりだよ。何だかわたしの心にも寄り添ってくれて……とっても気持ちいいの……」




 開いた窓から風が吹き込む。


 穏やかなそれが彼女のヴェールを揺らす。




「……何だか不思議な感じ。昔にもこんなことがあったみたいなの」


「あなたみたいな人に……こんな感じの服、プレゼントしてもらったことが……」






 気分は益々高揚していく。片や安心から、片や充足から。互いに幸福を感じているのは間違いなかった。




 彼は開けた窓に向かい、そこから空を眺めている--








「『太陽は未熟だ

  君の美しさを照らせない』」


「『拷して君を照らし出そう

  悶える君は艶やかだ』」



「『大地は愚鈍だ

  君の麗しさに楔を打つ』」


「『近き血で口を塞ごう

  溺れる君は嫋やかだ』」



「『大衆は盲目だ

  君の清さに目も向けない』」


「『意思を否定し姦じり合おう

  喘ぐ君は愛おしい』」




「『否呼、否呼、盲目白痴の果しなき魔皇よ


  世に憚る愚者共の、何たる世界の狭きことか』」






「『踊る姿は愛憐なる人形』」


「『狂いに渇いた恋慕たる道具』」


「『口を噤んで儚き下僕』」


「『欲望飲み込み輝く奴隷』」






「『可憐な華には狂いし月を』――」








「……それって歌?」




 彼女が訊いてきたのを受けて、彼は振り向く。




「……どうして歌だと思ったのかな?」

「えっと……音楽に乗せているみたいだったから。言葉は上手く聞き取れなかったけど……」


「……それなら、今のは君が言う通り歌だ。これは私が一番好きなものでね……」

「一番好きな……」




「……じゃあ、わたしも歌うね。一番好きな歌!」






 彼が言葉を続ける前に彼女は歌い出す。






「『我らは人形、刹那の傀儡』」




「『生まれついたその日から

  定められた歌劇を踊る


  喜劇に生まれば朽ちても歓笑

  悲劇に生まれば錆びても涕泣


  その時望む結末は

  誰にも知られず虚無の果て』」




「『遥か昔、古の、

  フェンサリルの姫君は、


  海の蒼、大地の碧を露知らぬ、

  空の白のみ知る少女


  誰が呼んだか籠の中の小鳥、

  彼が呼んだは牢獄の囚人』」




「『心を支え、手を取り、解き放つには、

  一粒の苺があればいい』」




「『さあ、束縛の夜、運命の牢獄から飛び立って、

  解放の朝、黎明の大地に翼を広げよう』」








 一人分だけの拍手が送られた。




 しかしその音の、大層乾いていたことときたら――最も彼女はそれに気付かない。






「素晴らしい歌声だったよ。それが君の一番好きな歌なんだね」

「うん! わたしは気分がいい時には、この歌を歌うの!」




「気分がいい……時には……」






    『お前がその歌を歌う時は、

     とても気分がいい証拠だ』








 みるみるうちに少女の表情が覚めていく。




 そうしている意図は、何かを思い出そうとしているということ。




 気分がいい時にはと――気付かせてくれたあの人。






(……)




(アーサー……)




(わたしは……んっ)






「んんっ……」




「あっ……んっ……」








 途端に身体が熱くなる。




 暖房や布団の熱さとは性質の異なる、渇きを伴う熱。




 拒絶と受容が交互に迫り来る。いつまで続くのかと思った瞬間に、終わった。








「……君をを、思い出しそうになっていたからね」


「気を紛らわせてあげようとしたんだ……」






 彼はそう言うと少女の背後から回ってきて、


 そして正面にやってきて、跪き、彼女の両手を包み込んだ。






「私だけを見ろ……私だけをに見ていればいい。そうすれば君を傷付けていた、の存在からは逃れられる」


「君は幸福になれるわけだ……私は君が穏やかに過ごせることを、何よりも望んでいる」






 揺るぎない瞳。揺るぐ物が見当たらない程に、虚無しか湛えていなかったから。


 包み込むような声。深層より掌握するように、巧妙に生み出した演技。






「……うん。あなたがそう言うなら、これからそうする」


「わたしも、幸せになりたいから……」






 水を、栄養を、日光を、土壌を。


 あらゆる環境に飢えた華は、月が輝く真意を見抜くことができない。








 そして今宵も、華が月に照らされる時間がやってきた。








「……ここでの生活にも慣れてきたかな」

「……最初はちょっと怖かったけど、もう大丈夫になってきたよ」


「このお部屋にいれば、ずっとひとりぼっちじゃないもの……」




 ベッドにうつ伏せになった彼女は、うとうとしながら彼と言葉を交わしている。






「……んんっ。また、寝ちゃってた……」

「そういう時は無理をしないで、眠気に身を委ねるといいさ」

「でも……」



 窓から覗く月を、名残惜しそうに見つめる。



「何も月は眺めるだけのものではないよ。照らされて、見守られて眠るのもまた一興だ……私が傍にいるから、今日はもうお休み」

「……うん。そうするね」




 彼女が瞳を閉じる、その直前に。




 彼女がうつ伏せになって露わにした背中――




 そこに刻まれた黒翼をなぞった。






「……!」



「そ、そこは……やめて……」






「……君の姿を見ていたら、ね」

「くすぐったくて、あっつくなるの……落ち着かなくなっちゃうから、やめて……」

「気を付けるよ」






 口約束程度で衝動は抑え込めない。抑え込めるわけがない。






「……あのね。お願いがあるの」

「何でも言うといい」


「……寝ている間、わたしの手を握っててほしいの」

「それぐらいならお安い御用だよ」






 彼は彼女に言われた通りにする。




 それから彼女がすやすやと寝息を立てるまで、そう長い時間はかからなかった。






(……ここは、とても素敵な所)




(誰も苦しめることもない……いたいこともない……)




(あなたも、一緒に、いる……)











 黒翼。左右対称に、一切の違いもなく。肩甲骨から腎部の近くにかけて、所々飛び跳ねて。だが敢えて自然体にしている様が、より鬼気迫って感じられる。


 触れれば指先を覆うのは背中ではなく、羽の質感だと、そう思えてしまうような。








 彼は再び愛おしそうに、彼女の刻印をなぞる。



 ヴェール越しに見る寝顔はとても安らかで。だからこそ翼に触れて、反応を見たくなる。



 満月は過ぎ去り、今は半月。然れど寒空に極光を放ち、窓から入り込む。



 チェスゲームの勝者は悠然と笑うだけ。








「……昔、昔に」



「君が思い知った真実が全てだ」



「この子は生まれながらに私の半身で、私と添い遂げる運命にある」



「君にしてやれることは何一つとしてない――」

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