可憐な華、狂いし月

「『……我らは人形、刹那の傀儡』」


「『生まれついたその日から 定められた歌劇を踊る


 喜劇に生まれば朽ちても歓笑 悲劇に生まれば錆びても涕泣


 その時望む結末は 誰にも知られず虚無の果て』」


「『遥か昔、古の、フェンサリルの姫君は、


 海の蒼、大地の碧を露知らぬ、空の白のみ知る少女


 誰が呼んだか籠の中の小鳥、彼が呼んだは牢獄の囚人』」


「『心を支え、手を取り、解き放つには、一粒の苺があればいい』」


「『さあ、束縛の夜、運命の牢獄から飛び立って、解放の朝、黎明の大地に翼を広げよう』」








「……はぁ、はぁ……」




「う……ううう……」






 外と隔離された離れの中、自分の部屋。



 エリスはずっとそこにいた。食事も取ってないし、入浴もしていないのに、何故かずっとそこにいることができた。



 そこにいなければならない程に、彼女は苦しんでいた。背中は依然として熱い。



 好きなもの、フェンサリルの姫君の歌。気を紛らわそうとしても、継続して背中はいたいまま。








「い、いや……」




         ……




「……いたいの……いやだ……」




         ……エリス




「ま、また、いたいの……くりかえし……」




         エリス




「いたい、いたい、いや……」






         私の声が聞こえるかい、エリス











「……」




「……!」






 その声は指輪から聞こえてきた。



 そう、彼に貰った指輪から――彼の優しい声が。








「……あ……ああ……!」

「やっと繋がった。今までも何回か試行していたが……ようやくだった」


「……こ、これで……」

「遠くにいても話せる。さあ、最近の状況を教えておくれ。私は君がどうしているのか、それが気になるんだ」

「……」





 言いたかったことは一つだけ。


 あらゆる悩みや問題を放っておいて、一つだけ。





「……背中がいたいの……」






「ほう……前にもそんな話をしていたね」

「うん……焼けるように、燃えるように、いたいの……」

「成程。して君は、それに苦しんでいると」

「……うん」

「……」




「エリス」




「――痛いと思うから、痛くなってしまうんだ」








 痛いのに、苦しいのに、




 彼の言葉はとても集中して聞くことができた。








「その感覚を痛みと思わずに――受け入れてごらん。そうすれば君にずっと纏わり付いているそれは、相応の感覚を与えてくれる」




「……もうじきだ。もう少しだけ待っていてくれ。神々が舞い降りると言われているその日に――美しい満月の日に。私は君を迎えに行こう」








 それを最後に、彼の言葉は途切れた。











「……」




 背中の痛みは依然として残っている。


 しかし、今はそれに対しても対応できる。


 漠然とした自信が心に渦巻いていた。




「受け入れる……」






 うつ伏せになった。押し付けていては、受け入れられないから。


 布団は床に投げ出した。ものがかかっていては、受け入れられないから。


 上着を脱いだ。接しているものがあっては、受け入れられないから。


 スカートを脱いだ。全身を覆うものがあっては、受け入れられないから。


 下着を脱いだ。とにかく身体に触れるものがあっては、受け入れられないから。




 ずっと身に付けていたヘッドドレス。



 大切な彼からの贈り物。彼のことを思い出せる唯一の物体。



 それも



 脱ぎ捨てた












 ベッドに身体を預けて、すっと目を閉じる。


 魔術暖房の魔力は切れている。今日はアルブリアに初雪が降り、夜の気温は昨日と比べて数段下がっていた。






「……ん……」






「あ……」






「ああ……んっ……」








 受け入れれば、それ相応の感覚を



 燃えるような痛みが、艶やかな快楽と変わる



 背中から広がり、首に、脚に、裏から表に、影から光に



 愛撫され、抱かれ、口を付けられたような、とろける甘さ



 奇跡でも起きない限り、二度と這い上がれない――








「はぁ……ああっ……!」






 窓から覗く月が少女の姿を照らす。



 華奢で豊満な身体から、黒翼が生えていた。
















 月は世界を等しく照らす。



 路地裏で一人、静かに佇む彼もまた照らされている。



 左手の薬指の指輪を見つめ――



 恍惚そうに笑みを零す。







「我が主君!!! こちらにいましたか!!!」

「どけ!!! ワタシが先だ!!!」

「グオオオオオオオオ!!! ワレ、イソグ!!!」

「……狂信者共め。急ごうとも我が主君は逃げはしない」






 黒い鎧の青年、臍を出した服装の女、毛皮の大男、しわがれた老人。


 四人揃ってこちらに向かってきた。




 思えば彼らを造った時から十四年。


 そう――彼女に焦がれていた期間と同じ時間が流れている。








「……夜分遅くまでご苦労。成果は如何かな?」




「はっ!!! 貴方様が拝命なされました通り、奈落共をばら撒いて平原を通る行商を幾らも襲って参りました!!!」

「この朴念仁を制し、我々に疑念が向かぬように配慮して参りましたっ!!!」

「グオオオオオオオオオオオオオオオ!!! ワレ、ニンゲン、クッタ!!! セイキョウカイ、キャメロット、ジャマ!!! ワレ、クウ、チカラ!!! グオオオオオオオオオオオオオ!!!」

「豚共が手を上げた商談、及び依頼の整理を。幾らかの資金は流れてくるかと」






 口々に喧しい声を上げる、自分だけの眷属。



 手を数回鳴らし、次の命令を出すことを伝える。



 すると嘘のように黙り自分の言葉を待つのだ。





 我ながら実によくできたと、自惚れてしまうよ






「……チェスゲームは間もなく勝敗が着く。他の勢力はどうやら……クイーンを狙っている間に、それが本来の目的であることを忘れてしまったらしい」

「馬鹿の集まりだ!!!」

「正しくその通りだよ。故に今チェックメイトをかけているのは我々――私だ。直にそれを取りに向かう」

「……!!! 遂に、遂にこの時が……!!!」


「ああそうだ、やっと来た。待ち侘びたこの時が――君達には本島にある城の掃除をしてもらう。埃の一つも残さぬようにな。連中が何か仕事を任せてくるようなら、殺してもいい」

「承知……承知いたしましたっっっっっ!!!」

「貴方様が望む以上の結果をご覧に入れましょう……っ!!!」

「グオオオオオオオオオオオ!!! ワレ、ソウジ、ヤル!!! ブタドモ、タオス、モットヤル!!! グオオオオオオオオオ!!!」

「全ては貴方様の為に……」






 そして四人揃って、黒い霧に包まれて消えていった。






 常闇の静寂に彼だけが残る。




 無謀にも背中を刺そうとする影が一つ――








「……さて。少し君の相手をしてやるとしようか」




     アアアアアアア……




「おや……君のことは覚えているよ。確か私が、フォーマルハウトの炎で焼いてやった」




     ぐああああああああ!!!




「その時からこうして、未練を残したまま大地にしがみついている――」




「愚かなものだ」






 戯れとでも言うかのように。暇潰しに弄ぶように。




 彼が槍を振るうと、人の形をしたそれは霧散していく。






「……ウォーディガン。何も知らない現世の民には、そう呼ばれている」




「私に会えて、その渇望は幾らか満たされたか?」




「満たされなくとも、些細なことだが――はははっ」








 夜空を背に、街を眼下に。






 徐々に満ちていく月がその男を、






 露わにした背中諸共照らし出す。








<――FNGRY>




<――漸増するフェイル我が渇望ニイド愛こそがギューフ造り替えるラド黒昼より白夜にユル――>




嗜せる狂月よフングルイ






「『太陽は未熟だ

  君の美しさを照らせない』」


「『拷して君を照らし出そう

  悶える君は艶やかだ』」



「『大地は愚鈍だ

  君の麗しさに楔を打つ』」


「『近き血で口を塞ごう

  溺れる君は嫋やかだ』」



「『大衆は盲目だ

  君の清さに目も向けない』」


「『意思を否定し姦じり合おう

  喘ぐ君は愛おしい』」





「『否呼いあ否呼いあ、盲目白痴の果しなき魔皇よ


  世に憚る愚者共の、何たる世界の狭きことか』」






「『踊る姿は愛憐なる人形』」


「『狂いに渇いた恋慕たる道具』」


「『口を噤んで儚き下僕』」


「『欲望飲み込み輝く奴隷』」






「『可憐な華には狂いし月を』――」

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