虚構たるキャスリング

「……はぁ……」






 恍惚、恋慕、愛惜、その他全ての異性に向ける感情。



 しゃぶり尽くすまでに堪能した。味が無くなっても構わない。



 何分でも、何時間でも、何日でも、



 ずっとそれは味わえる。ずっと離さないでいたい。






「……」



 しかし時間は残酷だ。別の刺激が訪れて、彼女にある事実を告げる。



「……ん……」



 でもそれは大したことはなかったのが幸いだ。



「……あ……!」



 何故ならそれは、嬉しい知らせだったのだから。








「きれい……きれいなお月さま……」



「あの人に会えるんだ……!」











「……」



「……うう……」






 目を覚ますと、そこは見慣れた島。



 そこで自分は寝かせられていたのだ。






「……カヴァス……?」



 真っ先に騎士の名前を呼ぶが、応じる気配はない。


 どうやら身体の中にいるみたいだが、魔力を使い果たしたのか出てこないのだ。



「……皆……?」



 ここに来ることのできる友人の顔を思い浮かべる。


 しかし、その途中で、


 心の奥底に命令が走る。






「……行かなきゃ……」


「早く行かなきゃ……エリスが……!」











「ふふ、うふふふふ……」

「ヴィーナ様、大層ご機嫌がよろしいようで」

「そうよ、そうよ、ふふ……今度こそは逃がさない。やっと安定して、もう一度ここに来られたんだから……全てはあの人の……」




「猊下、そろそろ着替えのお時間でございます」

「ん、そうか。そちらの方があったのをすっかり忘れていたな」

「女王の方は我々が見張っておきますので……猊下は我々の立場を守ってもらえることに専念していただければと」

「それもそうだな……だが、確実にやってくれよ?」






「まあ! 噂をすればあそこに! 逃げもしないで堂々と来……」



「やはり降神祭の日には出てきますか。それ、準備を……」



「……」



「……」



「「はぁ……?」」











『我らは人形、刹那の傀儡』




     お母さんお母さん、



     どうしてあのお姉ちゃんは裸なの?



     どうして裸で街をうろついてるの?




『生まれついたその日から 定められた歌劇を踊る』




       しーっ、見ちゃいけません 


       きっと狂気に濡れて参ってしまったのよ




『喜劇に生まれば朽ちても歓笑 悲劇に生まれば錆びても涕泣』




       でもこんな冬に裸だったら、



       寒くて死んじゃわない?




『その時望む結末は 誰にも知られず虚無の果て』




       望んで脱いでいるんだから



       寒さに死ねるなら本望でしょうよ




『遥か昔、古の、フェンサリルの姫君は、


 海の蒼、大地の碧を露知らぬ、空の白のみ知る少女


 誰が呼んだか籠の中の小鳥、彼が呼んだは牢獄の囚人』




       これこれぼうや



       見ちゃいけないと言ってるでしょう




『心を支え、手を取り、解き放つには、一粒の苺があればいい』




       彼奴の姿を――




『さあ、束縛の夜、運命の牢獄から飛び立って、自由なる朝、黎明の大地に翼を広げよう』








      あの恐ろしい黒翼を見ていたら



      二度と奈落の底から這い上がれなくなるよ








「ふん、ふふん、ふんふんふん……」








 その少女はあたかも嬉しそうに、楽しそうに


            やめて、やめて、やめて!


 ああ、恋人との待ち合わせに向かう女というのは


            その先に行っちゃだめ!


 こうして歌いながら


 自分が劇の主役にでもなったつもりで踊りながら


            行ったら戻れなくなる!

     あいつはあなたを手にするつもりなの!


 一歩一歩を踏み締めていくものだ








 通る人は皆一様に彼女に釘を打たれ、離そうにも離せない



 胸、尻、腹、女が女として成立するあらゆる部位を差し置いてなお、




              お願い、お願い……!




 その視線は背中に行く



 荘厳にして畏怖を秘めし、大いなる黒翼




              わたしの声を聴いて……!











「な……な……?」

「狂ってる……一体何のつもりなんだ……?」

「は、早く捕えなさい!! 逃げてしまうわ!!」

「……ヴィーナ様!! あの少女に近付こうとした結果――弾き飛ばされて――!!!」

「な、何ですって……!?」




「……猊下。私はあのメリアめがしていたことでさえも一歩引いておりましたが。これは……」

「……一刻も早く捕えよ。狂気に落ちた女王は、我々が救済せねばならない……」

「ですが下からの報告によると……女王の周辺に結界が展開されており、近付けないとのことで……」

「何……?」











「ぐっ……があああっ!!」






 悲鳴を上げる身体に鞭を打ち、ただ足を動かす。



 行き先は離れ。いつも通りなら、あそこに彼女はいるはず。



 だが――






「……っ!! エリス……!!」






 彼女は大聖堂に向かっていた。



 丁度それを見かけたので追っていく。






 裸であることには気付いていない。



 ふらつきながら、よろめきながらも、どうにか彼女の後を追う。



 しかし距離は一向に縮まらないのだ。






 視界にいるのに、確かにそこにあるのに、






 伸ばした手が届かない――











「ねえ、何をしているの!? 早く魔術師達を出して!!」

「それが……!! 入り口に謎の結界が張られてて、外に出ることができません!! 外に控えていた者も、妨害にあって身動きがとれていません!!」

「だったら早く解除するのよ!! それもできないと言うの!! 貴女達は何の為にあの方の下で魔術を研究してきたの!!!」




「……猊下。大聖堂に立ち入ることができません」

「何だと?」

「我々を拒むように結界が展開されているのです。また、他の司祭達も次々に倒られてしまって――」

「……急げ。残っている連中を掻き集めろ。女王は大聖堂に向かってる。早く捕えなければ――奴の、奴等の思い通りに――!!」
















 今日は素敵な降神祭。万物の主、偉大なる女王にして、時と秩序の行く末を見守る者。かの者とそれに仕える八のしもべを讃えて、敬虔な祈りを捧げる日。



 ここは大聖堂。彼等八の神々と創世の女神を讃え、崇める場所。



 いつも静かなこの場所は、今日は一際静謐を湛えている。



 雪が降り積もり音を取り込んでいくからだ。






 虚無が積もって何もかもを奪っていくからだ








「……あ……」



「いた……!」






 創世の神話を描いた壁画の前。



 それを見つめるようにして、彼は立っていた。






「……」



「会いたかったよ、愛しい人」





 足音に反応して彼は振り向く。



 やってきた彼女は胸に飛び込んでいった。



            ぐっ……!






「わたしも……会いたかった……」

「よしよし。待たせてしまって辛かったね……」

「……」



 狂喜に満ちた声は、次第にすすり泣く悲哀の声に変わっていく。



「……どうしたのかな?」

「……わたし、わたし……」



「……もうここからいなくなりたいなって、そう思ってるの……」








 雪に反射する月光。



 それが彼女の背中を照らし出す。



 刻まれた黒翼は、喜んで輝きを増していく。






「……それはつまり、死にたいってことなのかな?」

「死にたい……そうなっちゃうのかな……でも、でも、死ぬのはいやだって、思うの……」

「ならば、何処か遠くに行って、誰とも関わらないままに生きていきたいと、そういうことだね?」

「……うん……」








 抱擁は愛の証明。



      何でそんなに嬉しそうな声をするの



 指輪は愛の真実。



      その男が何をしたか覚えていないの



 言葉は愛の妄信。



      ……わかってる、覚えていないよね



 彼女に見えないように、彼は穏やかに嗤う。



      今のあなたからすれば、

      優しい男の人だもんね――








「私は知っている。君の願いが叶う場所をね」



「……ほんと?」






 彼の顔を見上げる。


 泣き腫らした目は充血して、そこには希望が浮かんでいた。






「ああそうさ。実は指輪を通じて話しかけてから今日までの間、私はその準備をしていたんだ。君を迎え入れる為のね」

「……!」




「エリス……君はもうひとりぼっちではない。そこに行けば君は一生幸せに過ごせる。ぐにゃぐにゃな人間共にも、恐ろしい怪物共にも、一生震えることなく暮らしていける。他人を傷付けることも当然ないんだ」






「だから、私と一緒においで」








「……うん……」




「ずっと一緒だよ……」




        モードレッド、さま……











「……っ!!」






 視界に入った大聖堂。




 開いたままの扉の先で、




 大切な主君と――知らない誰か。






「エリス……!!」








 中に入ったその瞬間には、もう遅かった。



 二人の姿はそこにはなく、転移に使ったであろう黒い魔法陣が消え失せていく。











 数歩、数歩と近付き、そして愕然と崩れ落ちる。






 間に合わなかった。






 そうだ、間に合わなかったのだ




 使命とか、義務とか、そんな全てを差し置いても




 自分は、大切な人を――











「ひひひ……」

「うふふ……」






 背後から近付く二つの声――



 ふと嗤いを止めたかと思うと、それは、肩を掴んでくる。








「ふふ、うふふ……アーサー。初めてお目にかかるわねぇ……」

「君の話は聞いておりましたぞ……随分と、学園をサボっていたようで……」






 ヴィーナとヘンリー八世。キャメロットと聖教会のトップ。



 名前だけは聞いたことがある二人が、今背後にいる。






 しかし理解はできても、抵抗できるだけの力は残っていなかった。




 肩から今度は片腕を掴まれ、見るも無残にずるずると、




 雪が付着するのもものともされず、哀れに連行されていく――








(――ああ)




(ごめんな、エリス)




(オレは何者にもなれなかったよ)




(フリッグを救うオージンになんて――オレには――)








 涙が積もった雪に吸い込まれる。








 募る想いは全て虚無の彼方に--

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