第418話 嘘を吐いた日

「……」

「……」



「……エリス。その」

「……大丈夫。大丈夫だよ……」






 心躍る日曜日。そんな日にエリスとアーサーの二人は、冷たい衝撃を受けていた。






『臨時閉店 開店時期は未定です ごめんなさい』




 そう書かれた紙が、グリモワールの店の入り口に、貼られていたからだ。






「どうして……「おや! そこのお二方! この反逆者の店跡が気になるので?」




 そう言って話しかけてきたのは、白に緑の装飾が施されたローブを纏ったエルフ。


 寛雅たる女神の血族ルミナスクランの一員だ。




「反逆者……」

「そうだ! このグリモワールとか言う女は、我が寛雅たる女神の血族ルミナスクランの膝元であるユディにおいて、やれファッションだのやれカジュアルだの喧しい――人間如きがな! それでアルブリアに逃げていたようだから、仕返しに潰してやったのだよ!」

「……」




「これでまたイングレンスの世界から、エルナルミナス神が見守る大地から、また蠅が一匹減ったというものだ――はっはっは!」






 訊いてもいない話をして勝手に帰っていく。



 同様に、店が無期限休業していることに衝撃を受けている人が何人か見受けられた。



 そして、寛雅たる女神の血族ルミナスクランと思わしきエルフも。






「……アルブリアに支部を作ったという話だったが。半信半疑だったが、流石に信じざるを得ないな」

「……」


「何だか最近は色んな組織がアルブリアに進出しているな……カムランもだし、聖教会もキャメロットも……」

「ねえ」




 話を遮り、きっぱりと口にするエリス。






「……何だ?」

「わたし……グランチェスターに行きたい」

「グランチェスター?」

「うん。その……お父さんとお母さんに会いたいなって」



            嘘だ



「……ユーリスさんにエリシアさん、きっと今頃復旧支援とかで忙しいんじゃないか」

「わかってる……でもわたしに会いたいのは、向こうも同じだと思うから」

「そうか……」




            嘘を吐いている




「ならばオレも……」

「アーサーはいいよ。わたし一人で行く」

「……」


「んっとね、アーサーには授業のノートとか、取っててほしいなって……あとわたしのこと、風邪ひいて休んでるって……」

「……そうだな。二人揃って出ていったら、それこそ変だと思われるよな」


「うん……そういうことだから、よろしくね……」






         そうして吐いた嘘で




         お前は何をする?






         そうだ、彼に会いに行くんだ











「……」




 罪悪感と背徳感が渦を巻いている。片方が押し寄せれば、もう片方は引いていく。それを繰り返すうちに、自分が乗っている船はグランチェスターの町に到着した。



 リネスと同じか、あるいはそれ以上の規模で、この町も再建に追われていた。黒いローブの人間が闊歩して、土木作業や物の売り買いを行っている。




「あっ……ごめんなさい」

「おらぁ!? 何処見て歩いてるんだぁ!?」

「ご、ごめんなさい……!」



 強引に人の波を潜り抜け、路地裏に入っていく。











 お気に入りのブラウスとオーバーオール型のスカート。宝物の緑色のヘッドドレスを着けて肩からバッグを下げて、こげ茶色のパンプスを添える。


 当然指輪も着けたままだ。




 ここまで着飾って――もしかすると、ここまで服に気を遣ったのは、これが初めてかもしれない。






「……いない」




 静かなはずの路地裏にも音が聞こえてくる。建材を持ち運ぶ音、報酬で揉める音、相変わらずな商売の音。




「いない……どうして……」




 そのような音が聞こえなくなる程に、彼女は焦っていた。




「いつもはいるはずなのに……」




 彼に会えない、たったそれだけの不安。








 しかしそれも、やっと今解消された。



 ふと立ち止まったその時に――






「……済まないね。連中の様子を見ていたら遅れてしまった」


「だが以前に言った通りだ――君が望むのなら、私は何時如何なる時でも馳せ参じる」






「……こんにちは、エリス」






 その人は右手の甲に口付けをした後に、



 そっと微笑んでくれた。






「あ……」


「ああ……」






 身体の力が抜けてしまう。本当なら崩れ落ちてしまう所を、



 彼が優しく受け止めてくれた。






「……!」

「おっと。こんな形で初めての抱擁になってしまったね……ふふ」




 彼は周囲を見回し、座れる場所を見つけたようで、そこに歩いていく。



 自分の肩をそっと抱き締めながら。




「あっ……ううっ……」

「少し歩きにくかったかな。だが、どうか許してほしいな」




「……君を離したくなかったんだ」






 座った後、耳元で包み込むように囁く。後ろには小さな噴水があるベンチだった。








「それで……どうやら私のことを探していたようだが」

「はい……えっと、その……」



 言いたいことは山のようにある。


 一つ一つが重大で、じっくりと話を聞いてもらいたい。


 迷えば迷う程、益々決められなくなる。



「ほら、これを」

「あ……苺……」

「今日もまた持ってきていたんだ。召し上がれ」

「いただきます……」



 不思議とその苺は美味しく感じられた。


 前にも食べたことがあるはずなのに。人生の中で、一番であると。






「……ふぅ」

「お腹も満たされたことだし、落ち着いたかな?」

「はい……」



 膝を彼の方に向ける。



「グレイスウィルが……魔法学園が……」

「ふむ……もしかして、聖教会とキャメロットが介入してきたという話かな」

「そうです! それなんです……」



 当然ながら彼も話は聞いている。



「連中が如何にして魔法学園を踏み荒らしているか、痛々しい話が耳に入ってくるよ。君も……辛いだろう」

「……はい」



 担任を始めとした教師陣は、ほぼ全員が外された。代わりにやってきた聖教会とキャメロットの大人達は、ぞんざいな授業と無意味な傲慢ぶりを披露するだけ。


 生徒のことなんて何一つとして考えてくれはしない。



「わたしのクラスの子も、何人か地下牢に……」

「地下牢? 連中はそんなものも作ってしまったのか」

「……生徒を矯正する場所、らしいです」



 つくづく連中は、誇大的な行為を好む傾向にあるようだ。



「あ……いや……」

「悪いことを思い出してしまったかな」

「悲鳴……地下牢から悲鳴が……授業中も……ずっと……」



 頭を抱えて苦しそうにする彼女。






「……辛かったね」




 彼はその身体を優しく包み込み――



 背中を撫でながら、言葉を続ける。






「……」

「君が望むのなら、何時までもこうして抱き締めていよう」

「……から」

「人は何時だって温もりを――おや」


「わたしが、いたから……」

「……」




「わたしが、いたから。わたしのせいで、みんな、悪いことに巻き込まれて……」






             ――違う!






「……どうしてそう考えたのかな?」

「……四月に入ってからの悪いこと。みんな、わたしの周囲でばかり起こるんです。ヴィーナはわたしを狙って襲撃しました。アラクネもわたしがログレスにいる時に現れました。魔法学園がおかしくなったのも、わたしが……」

「そうか、そうか」



 何故運命はここまで過酷な試練を与えるのだろう。



「でも……でも。もしかしたら、考えすぎだって、言われるのが怖くて……」

「そうだね……君は今まで良い印象を人に与えてきたのだろう。そのような人が原因だと、大勢は考えないのが普通だ」




 自分の腕の中で、彼女は静かに涙を流している。



 儚くて、可哀想で、



 今すぐに守りたい壊したい




「わたしが良い人……」

「そうだとも。君が優しくて他人に気遣いができる子だって、皆が知っている。当然私もね……」




「……」




「……そう、かな?」




 久しぶりに自然に笑えた。




          ――あなたは何も悪くないの……!






「ふふ……私と話して気が楽になったようだね」

「……はい。友達とか先生には言えませんでしたから……」

「それなら良かった……」




 彼女が安心できるように、力強く抱き締めた。




 その後も心からの優しさを受けて、穏やかな時間が過ぎていく。




 これでまた暫くは頑張れる――








 エリスがそう思って帰還した矢先に、また事件は起こってしまう。








「……え?」






 船が停泊する第一階層。そこには多くの人が詰めかけ、騒然としていた。


 それは楽しいものではなく、生死の境を感じて、惑う人々の群れである。




 降り立った港の中からでもそれが窺える。それどころか、外に出航する船に乗ろうと揉みくちゃになっているのだ。






「……失礼。エリス・ペンドラゴンさんで間違いないですね?」



 そう言って話しかけてきたのは、白銀の鎧に身を包んだ騎士。



「え……は、はいそうです……」

「ああ、良かった――ファルネア殿下が貴女様のことを探しておられまして。それでアルブリアの外に出ていると聞いたものですから、ここで待機していたのです」


「……ファルネアちゃんに何が?」

「帝国主義の襲撃を受けて、現在意識が低迷しておられます」





 詳しい話は道中、と言って歩き出す騎士。



 すっかり解消したはずの罪悪感が湧き上がってくる。

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