第306話 幕間:ゴーツウッドで嗜む酒

 それからジャネットの家で食事をしたり、魔法音楽のライブを聴いたり、駆けポーカーをして二万程稼いだりした翌日、


 シルヴァは泊っている宿の部屋にて、カルファと一緒に地図と睨み合っていた。






「……で? こっから先どーすんだよ」

「まあぶっちゃけ行く当てはないんだよね」

「聖教会関連を調べるんじゃないのか?」

「それはそれ、これはこれ。お願い事をされたはされたけど、結局いつもの気まま旅と変わりないよ」


「ふーん……で? さっさと本音を吐けよ」

「……うんまあ、ね」




 シルヴァの視線は、平原にある町の一つにじっと向けられている。




「もうずーっと前から言ってるもんな。そして今回も言うんだろ」

「でもさあ、今回は事情が事情じゃん? あいつについての情報、黒魔法方面から出てくる可能性だってあんじゃん。あんな狂った性格してるんだ、フサルク文字の一つや二つ嗜んでてもおかしくはないと思うんだよ私は」

「くっそー……じつを言うとおれもそう思ってた……」

「だっろー!? んじゃあ決まり! 早速馬車を見繕ってこよう!」

「はぁ……」




 ルームサービスの紅茶を飲み干し、カルファも地図に視線を落とす。




「何があるんだろうな……自称『正統なる魔術研究の本場』、ゴーツウッドには」











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       「グオオオオオオオオオオ!!!!」



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   「ワレ、キサマラ、シマツスル!!!!!!」


!!!!!!!!!!!!!_*`<=(&”(!$’(・・・・・………


        「ガアアアアアアッッッ!!!!」








 ………………・・・・・・―――――











「……ワガシュクン!!」




「メイレイ、ハタシタ!!」








 その言葉を受け、彼は静かに降り立つ。




 普通に売られている靴と大差ないものであるはずなのに、




 彼の足音だけは、虚無のように澄み切って聞こえる。








「……ご苦労だった。いきなり予定外の命令を入れてしまって、さぞかし困惑しただろう」

「ワレ、ルナリス、キライ!! メイレイ、シタガワナイ!! デモ、ワガシュクン、チュウセイ、チカッタ!! メイレイ、ゼッタイ!!」

「――そうだな」




 さながら家畜を手懐けるように、彼は大男の頭を撫でながら、




「――如何でしたでしょうか。これこそが我々が、十二年にかけて培ってきたものでございます」








 硝子越しに演習場を見下ろす、黒いローブの人間共に呼びかける。






 凛としているその声には、慄くような覇気が感じられた。




 その場にいる誰もが、彼の意向に反することはできない。






 できない筈だったが。






「そうだとも!! 見たかね君達は!? 我々はただカムランに引き籠っていたわけではない!! この猛獣のような戦力を開発し、更に同胞探しにも明け暮れているのだぞ!! わかっているのか!? んー!?」






 どうやら他の人間達は、ルナリスの声によって緊張が解けたようだ。






「あ、あのですね……戦力とは言いますけど、今ルナリス殿のことを嫌いって……」

「だが奴には絶対的な忠誠を誓っているのだ。そして奴は、この私に忠誠を誓っている!! つまり、私の戦力であるも当然!!」

「は、はぁ」

「お取込み中失礼しますが」




 彼の声が、解け始めた緊張を再び切り裂く。




「彼は身体を動かした所為で、腹が空いています。もしよろしければ、餌をこちらに放り込んでいただければと思うのですが」

「あっ、は、はい! 了解しました! おい、三番の扉を……」








 魔術による駆動音を背に、彼は階段を上って演習場から観察室に戻る。






 底の見えないような穴を覗き込んでいる、そんな錯覚に襲われるような足音が消え去ったその後に、




 四本足で、頭が大きく、言葉を話す餌が続々と放り込まれていく。











「さて、着きましたぜ兄さんよ」

「ありがとう。はいこれ、お礼」

「……銀貨三枚でいいって言ったんだけどな?」

「でも乗り気ではないって言ってたでしょう。無理してまで連れてきてくれたお礼ってことで」

「へへっ……」



 馬車から飛び降り、御者に銀貨を五枚渡すシルヴァ。



「いいか、中で話した通りだ。あんまり深入りはしない方がいい。もし連中に目を付けられたら、最後どうなることか……」

「わかってるよ、変な真似はしない」

「頼むよ本当に……俺が死に場所に案内してしまったとなったら、気が滅入っちまう」



 そして互いに会釈を済ませると、御者は再び馬車を走らせ去っていく。






「……さて。とうとう来てしまった」

「やっぱり入り口はものものしいな。話に聞いていた通りだぜ」

「んー……」




 町への門の近くには、最初にここを通っていきやがれと主張を繰り返している建物が二つ。左右対称に建って、門を通ったばかりの人々を吸収していく。




「あそこでパンフレットとか貰えるんだっけ?」

「らしいな。何かこう、無視はできなさそうだな」

「確かに結界が張り詰めてあるねえ……仕方ない、観念して行くしかないか」











 街に並ぶ建物は、どれもが前衛的な趣を感じさせる。




 屋根も壁も黒系統で統一され、質感は妙に滑らか。装飾が凝らされているものもあれば、平たく仕上がっているものもある。


 その装飾はというと、魔物を模したアラベスクだったり、虫をモチーフにしたオブジェだったり、人が悶えている絵だったりと、一般的には気色が悪いと思われるものばかりだ。


 道行く人々だって、それによく合っている人物が多い。ボロボロの服を着た浮浪者、酒気を帯びた傭兵、嬌声を上げる女、豪胆な商人、黄色いスカーフの男など。




 その中でも一際目に付くのは、黒いローブの人間達。




 通りを歩いていてすれ違う人のうち、半分程度は彼らだろう。この町を造り上げた、とある魔術協会の人間だ。











「マスター、ここで一番のカクテルを頼むよ」

「はいよ……お兄さん、さては町の外から来たね」

「わかりますか」

「見慣れない顔……というよりは、この町の風景を見て、肝を冷やしてるようだからな」

「……マスターは慣れてるんですか?」

「まあなあ……俺はもう、ここでしか生きる意味を見出せなくなっちまったからなあ……」




 現在シルヴァがいるのは、昼でも営業している酒場。御者の男に言われた通り、カルファは身体に戻して沈黙させている。




「お待ちどう。この店っていうかゴーツウッドで一番のカクテル、『大いなるルギハクス』だ」

「……何だぁこの色」

「『白痴の魔王』っていうワインがあってな。それをソーダで割って塩を少々」

「……」




 差し出されたグラスには、水色の液体が注がれているが、それは並々ならぬ異臭を放っている。


 血の匂いをベースに、涙腺を刺激するようなつんとした匂い。それでいて薄荷のような爽快な香りに、芳醇な花の香りまでしてくる。


 瞬きすれば匂いが変わる。そんな感じの、確信を持てない不明瞭な匂い。






「……よし。頂こう」




 口に入れば、それは益々拡散する。




 喉を通して鼻腔に入り、食道の動きを鈍らせていく。






「……これは。……中々。……癖が、強いな……」

「癖が強いと言うか。兄さん、中々通だねえ」

「お、褒めの言葉どうも……」


「まあ一般人には飲めない味だぜ、正直。カクテルにしてようやくいけるかどうかってレベルだ」

「元はもっと匂いが濃いのか……」

「あまりにも強すぎて密室で管理しているぐらいだ。でもな……」




 マスターは親指で、店の隅を指差す。




 その先では、黒いローブの人間達が一本のワインを嗜んでいた。






「あの連中が飲んでいるものこそ『白痴の魔王』だ。ここでは提供する条件として、魔術を用いて匂いの遮断をしてもらうことになっているがな」

「ええ……浴びるように飲んでる……」


「ついた異名が『黒魔術師御用達』。異端に堕ちればその味がわかるってことらしい」

「……今、黒魔術師って言いました?」

「そりゃあもうこの町では有名な話よ。正統とか何とか言ってるけど、絶対に連中が研究してるのは黒魔法だ。ちょっと他の奴とっ捕まえて話聞いてみろ、不穏な噂がウヨウヨ出てくる」

「……」




 何とかカクテルを完飲し、ぜぇと息を吐く。




「お冷とお通しと普通のワインを……ブラッディナイトでもソーヴィニョンでも何でもいいんで……」

「はいよ、ちょっと待ってな」


「……」






 店内を見回しただけでも、異質さが際立っている。


 酒の臭いに加えて、血の滴る鉄の臭い。千鳥足に加えて、明らかに焦点の定まってない目。ゴーツウッドの外に出てしまえば、自警団に差し出されるような不審な輩ばかり。






「こりゃあ……調査をするのには骨が折れそうだ……」











 ゴーツウッドの町には、一際目を引く巨大な建物がある。


 それは巨大な聖堂。八つの尖塔が周囲を囲んでいるのが人々の目を引く。


 例によって建材は非常に滑らかで、引っ掻き傷の一つもつかない。模様は一層禍々しさを増し、常人なら卒倒して去っていくだろう。








「……」




 彼はそんな建物の最上層から。




 静かに、されどおどろおどろしく営まれる町を眺めていた。








「うおっほん! 失礼するよ!」




 彼の為に懇切丁寧に用意された部屋。




 そこにノックの音も無しに入ってくるルナリス。




「……これはこれはルナリス殿。いかがなされましたでしょうか」




 ソファーから身体を向け、視線で彼に座るように促す。






「なあに私の仕事が一段落したのでな! 君がどうしているかと思って様子を見にきたのだ!」

「それはそれは、お気遣いありがとうございます」


「そういえば君はこの後の予定はどうするつもりだ?」

「まだカムランの方に三人を待たせているので。彼が回復次第、戻るつもりです」

「そうかそうか! いやー研究熱心で大変素晴らしい! ついでにあの三人には、私のことを豚とか呼ぶのはやめてほしいと伝えておいてくれ!」

「ええ、そのように取り計らいましょう」




 無論伝えるわけがない。




 軽く舌を滑らせた所で、彼はブランデーを飲む。






「……」

「……どうされました?」

「む、むぅ……」


「私は貴方様の参謀でございます。ご用件があれば、何なりと」

「……おっほん! 君はだね、自分の主君が入ってきたのにも関わらず、その、美味そうなブランデーをだね! 薦めるような真似をしないのかね!?」

「ああ……」




 彼はグラスを軽く振り、水面を見つめる。




「このブランデーは私好みに作っているものでございまして。貴方様のお口には合わないかと思ったのです」

「そんなの私が決めることだ! だから寄越せ! でないと不敬罪として斬るぞ!」

「承知しました。少々お待ちを……」




 終始にこやかな表情で、彼はブランデーを注ぐ。スプーンに乗るか怪しい程度の量を。




「……これだけか?」

「先ずは一口ですよ。これは本当に癖が強い味ですので……」

「そ、そうか! では……いただくぞ!」




 グラスを傾け、そのまま舌で転がすルナリス。








(……)



 甘酸っぱい味。どうやらこれは、苺のブランデーのようだが――






(……!?)






 口が狂気に陥った。



 辛味、酸味、渋味、苦味が代わる代わる広がり、鼻も目も耳も覆い尽くす。



 最後に残ったのは塩っぽさ。加えて、仄かに広がる深い味。牛乳のようだと思ったが、それよりも薄く、にも関わらず甘みが強い。



 それ自体は心地良いものだった。しかし舌にも喉にも、依然として苺の味が残って、逃げようとしない。






 苺の味であるのに、放置しておくと狂ってしまうような――








「……」

「如何だったでしょうか?」


「……こ、これは……」

「私の好きな味なのです。どういうわけか、人が飲むと好みが分かれるようでして」

「そ、そうだな」




 滴る汗を拭いて、咳き込む。あくまでも動揺を見せないように。




「あー……確かに、単品で飲むのには、少し癖が有り過ぎるかもしれん! ブルーチーズを合わせれば美味しく飲めると思うぞ!」

「そうですか」

「だ、だがな! 私はこの一口で、このブランデーのことを全て知り尽くした! よって再び飲まなくても大丈夫だ! うむ!」



 この返答は彼の想定通りだ。



「……用事を思い出した! 私はこれで去るとしよう! これからも研究に勧誘に勤しもうではないか――全ては黒き翼の神のために!」

「ええ、黒き翼の神が顕現なさるその日まで」

「うむ! では失礼したぞ!」



 ルナリスの後ろ姿には、あのブランデーの味に悶絶している心情が見て取れた。



 それを遠巻きに眺めながら、彼はグラスを揺らす。








「……」




 ブランデーは果物をワインで漬け、甘味や酸味を引き出した酒。




 彼が特注で作っているというそれは、苺のブランデーなのだが、




 元のワインの色がわからないぐらいに、真っ赤に染まっている。






「……あの子もこんな髪の色をしていた」




 グラスの水面に薄荷を一枚落とす。




「そして、このような美しい緑の瞳も」




 恍惚そうにグラスを見つめるその姿は、何かに焦がれているようで。








「……そういえば」



「君も苺が好物だったね」



「彼女が持ってきた苺を、君は毎日美味しそうに食べていた」



「私もそれが切っかけで、苺を嗜むようになったものだ――」






「――それも、遠い昔の話になるのか」



「本当に彼女はとんでもないことをしてくれた……」






 窓の外を見遣る。




 記憶によれば今日は下弦の月。満月には程遠い。






「黒き翼の神……」




「……とはいえ、実に心地良い呼び名だ」

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