第280話 療養の日々・前編

 明るい日差しを受けて、ぱちぱちと目を開ける。




 それからきょろきょろと周囲を見回す。素朴な木造り、装飾は殆どなく剥き出しになっている。




 自分の部屋ではないことを確認する作業も、そろそろ慣れてきた所だ。








「エリスちゃーん、おはよ!」




 扉を開けてソラが顔を覗かせる。彼女の腕には丁寧に畳まれたタオルが積まれてあった。






「これさ、下まで一緒に持って行こうよ! 一人じゃ重くって!」


「……」




 頷いて同意してから、


 寝間着姿のまま、一歩踏み出すと。




「ワンワン!」

「……!」




「あはは、ボクのことも忘れんなってさ。んじゃあ二人と二匹で行こう!」

「わっふ~ん」




 ソラ、ブレイヴ、カヴァスと共に、エリスは一階に降りていく。











「ん~……」

「味薄いと思わない?」

「まあ……私は濃いのが好きだから、もっと濃くしてもいいと思う」


「んじゃあこれも入れてみよう!」

「何だそれは」

「魔術調味料の試供品! こいつをどばーっと……」




 入れようとしたタイミングで、




「にゃわー!!!」

「おわーっ!!!」






 ウェンディが横にすっ飛ばされ、魔術調味料が台所の隅まですっ飛んでいく。




「ああ、間に合ってよーかった!!!」

「何すんのよレベッカ!! ローザさんが料理わかんないっていうから、このうちが教えてあげてたのに!!」

「貴女が教えると大惨事にしかならないのよ!!!」

「……はあ」


「すみませんね!!! 完全に失念してました!!! 今後この子は絶対に厨房に立たせないでください!!! いいですね!!!」

「お、おう。わかったよ」






 どたばたしている厨房に、エリスとソラもやってくる。






「……っは!? ロザリンが料理してる!?」

「うっせーな私だって自炊の技術ぐらいはあるよ一応」

「毎日第二階層の総菜買って食べてるロザリンが!?」

「ソラァ……その先言うといくらお前でも手加減できねえぞぉ……」

「林檎の皮剥きでさえ魔法で済ませちゃうロザリンがぁー!?!?!」




 デスボイスを発しソラを追いかけ回すローザ。


 それを横目に、レベッカが着々とスープを作っていた。




「ねえエリスちゃん。この五人の中だと、多分貴女が一番料理カースト高いわよ」

「……?」


「ソラがどうだか知らないけど、ウェンディとローザは駄目だわ! とりあえずこっち手伝って!」

「……」


「あー、洗濯物? よしウェンディ、騎士様の出番よ! 行ってらっしゃい!」

「らじゃー!!」




 エリスからタオルの山をぶん取って、外に駆け出すウェンディ。








 それから数十分して。








「いやー朝からお腹空いちゃったよ!!」

「誰のせいだと思っていやがるてめえ!!」

「はいはーい、さっさと挨拶するから座って座ってー」




 コンソメスープに今朝はトースト。軽めのサラダも添えた、バランスの良い朝食である。






「でもってエリスちゃんはこれね……」

「……」




 レベッカに渡された小瓶を、自分の紅茶の中に振りかける。




「どう? ポーションの味にも慣れてきたでしょ?」

「……」




 薄荷の匂いが鼻につく。口にこびりついてしまいそうなぐらいには、すーすーとした味がする。




「まあ、あんまりこんなこと言うのもあれだけど……エリスちゃんのために特別に調合したんだからね。本当の代謝用ポーションって、もっとえぐみが強いから……」

「よーやく口に苦しってやつだねぇ~」

「口に入れて喋んなよ」


「……でもやっぱり、少し変わった物を食べるのって、とても心にくると思うんだよね」

「……」




 紅茶を飲み干し、トーストに手を伸ばす。




「何だ、もう飲んだか。私がお代わり淹れてきてやるよ。勿論別のカップにな」

「……」


「そんな顔すんな。これぐらい普通だよ」











 朝食を食べ終え、午前の活動。事前に決められた活動を行うことになっており、今日は勉強の日。


 普段の学園生活と同じ時間割で勉強を教えてもらうのだ。






「……で、この間はどこまでやったんだっけ」

「……」

「おおーそうだ、終飾語。ちょっと待ってな……」




 ローザは魔法学総論で使っている教科書をばらばら捲る。




「確か、対抗戦とかでも使っている奴を見たんだってな」

「……」




 ヴィクトールとウィルバートの戦いは、全てが一切合切映し出されて、大勢の生徒の知る所だった。




「とはいえまあ、やることなんて文字通りだ。神誓呪文の最後にくっつけて、魔法効果を高める。面白い……注意してほしいのは、その神様に合った内容の言葉じゃないと、しっかりと強化されねえんだ」


「ええと、エリスが見たってのは……明朗に、溌剌にフェリクシアか。エルフォード神、風属性の魔法を強める終飾語だな。風属性の中ではかなり普遍的なやつだ」


「神誓呪文のフレーズ覚えてるか? 奔放なる風の神、だ。だから風属性の終飾語は、自由とか快活とかいったのを連想させる単語が入るぞ」




 こくこく頷きながらノートに書き取る。柔らかい光が差し込む午前十時。






「でー? 次はどこを指定されてたかなっと」

「……」


「おお見つけたか、えっと『霊脈理論』……あ? 今これもやるのか」

「?」




 ローザの物言いに首を傾げる。




「今は使われなくなった、前時代の魔術理論だよ。私ん時はどうせ使わねえからスルーって言われたのによ。一応言っとくと、霊脈っつーのは魔力が大気中に満ち溢れている場所のことだ」

「……」


「ああ、そこに書いてある通り『ユーサー理論』とも呼ばれている。『ユーサー・ペンドラゴンの旅路』は、世界各地の霊脈を巡る物語だからな。因んでいるそうだ」

「……」




 魔力が吹き荒れているというのは、どういう状況なのかと想像してみる。




「聖杯時代以前はでかい霊脈が山程あって、円卓八国の首都は全てそれの元に築かれてきた。でも人の営みが千年も経ちゃあ当然魔力は枯渇するわな。だから死に理論なんだよ」


「その原因が小聖杯とも言われている。魔術で属性を増幅させたってことにはなってるが、真偽の程はわかんね。とまあそういうことだよ」





 一通りノートに書き終えたエリスは、ローザの瞳をじっと覗き込む。






「……何だよ」

「……」


「おい、ふふっと笑うなって。気になるだろうが」

「……♪」






 一瞬ご機嫌に見えたエリスだったが、






 急に思い詰めたような顔になる。








「……どうした?」

「……」




 紅茶にも手を伸ばさず、顔を俯ける。




「よしこうしよう。雑紙だ。言いたいことあるなら書いて寄越せ」

「……」




 ペンを走らせていく。






『声が出せたなら、皆と同じように魔法の訓練できるのにな』






(……)






         こんこん






「……ん」

「……?」




         がちゃり






「失礼ロザリン、あーんどエリスちゃん。何かこの家に用があるって人がいたから、連れてきたよん」

「え、ちゃんと確認取ったかよソラ」

「ルドミリア様ん所行って許可証を貰ってきたって……」


「……!」




 ソラが連れてきた客人を見て、目を丸くするエリス。




「おうエリス、何だって――」

「エリス!」

「……!」


「え――」






 抱き合う二人。



 ローザとソラが呆気に取られていると、



 女性の身体が光り、黒猫がひらりと降りてくる。






「君達がエリスの面倒見てくれてる魔術師かにゃー?」

「そ、そうだけど」


「……母親か?」

「その通りだにゃ。ご主人はエリシア、にゃーはクロにゃ。うちのエリスがお世話になってますだにゃー」




 甲斐甲斐しくクロは頭を下げたのだった。




「ワンワン、ワオンッ!」

「シャアァー!! ……って何にゃ、何でカヴァスがここにいるんだにゃ」

「アーサーが心配だからって、護衛につけてくれてるんだ」

「なるほどにゃぁ……それなら仕方ないにゃ」

「ワッフーン!!」

「それとしてその態度はむかつくにゃー!!」

「……そういう会話してんの?」

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