第279話 自責

「ふんふんふふーん……」




 朝日が昇る演習場への道を、鼻歌交じりに進むのはダレン。




「――」

「ん? 何だリグレイ、俺の顔何かじーっと見ちゃって?」

「……」


「あー、確かにそうだな。そろそろ学園祭だし、演劇部にもちょこちょこ顔出さないといけないな」

「!……」

「いやー今の今まで忘れてたとかじゃないぞ!? 現に台本読み込み出しているってお前も知って……」






 彼は普段から上機嫌であることが多いのだが、


 今日は行きつけのトレーニング・ルームを覗き込んだ途端、






「……っ」




 一気に雲がかかったように、表情が暗くなる。











「……」




 ペンチプレスの土台に横になって、天井を見上げる。




 味気のない白い天井。もっとも、訓練を行う場所に余計な装飾なぞ不要なのだが――








「……入るぞ」




 そう言って入ってきた人物を、




 起き上がらずに見つめるアーサー。






「……ダレン先輩」

「アーサー……」

「……おはようございます」




 目だけは辛うじて向けているが、身体を起こす気配がない。身を投げたままだ。




「……」

「……」






「……その、こう言っちゃあれだが」

「……」




「武術部の後輩も、演劇部の後輩も……皆噂してたよ。お前に、お前達に何が起こったのか……」

「……」




「お前もお前で、体調崩して大変だったそうじゃないか。その……折角の臨海遠征だったのに、な」

「……」






「……はは」






 乾いた笑いをアーサーは浮かべた。






「……情けない、ですよね。皆頑張ってるのに、自分だけ力になれなかった」


「それはオレに力が足りなかったからなんですよ。皆なんだかんだ言ってくれますけど、結局はそうなんですよ」


「だから強くなりたくて、ここに来て訓練しようって思ったんですけど……」






「……それって、逃げているんじゃないかって、思って」






 この部屋に似つかわしくない、気まずい静寂が広がる。






「アーサー……」

「皆頑張ってくれたのに、それに対して何の償いもしないなんて。自分を鍛える前に、他にやることがあるだろって」


「オレが、オレがもっと強かったら……皆に、苦しい思いをさせることはなかったのに……」

「……」






 音もなく啜り泣く後輩を前にして、何も言えなかった。


 筋肉でも演劇でも、どうしようもできないことがあると、この日実感してしまった。











「……」






「……話しかけるタイミングを逃した」

「あとで直接いけよ」

「直接って……何処にさ?」

「あいつの家だよ! ほら、おまえに情報教えてくれたやつに聞けばいいんじゃないか?」

「あー……乗り気はしないけど、そうするかあ……」











 日も暮れ、授業が終わり、家に帰ってくる。




 今までになかった一人で帰る道。




 一人でいることには慣れていたはずだ。






 それなのに――








「……ん」




 ふと、家の横を見ると。


 人影があった。






「……おい。帰ってきたぞ」

「本当? よかった、行き違ったんじゃねーかって心配してたよ」






 飄々と近付いてくるのはシルヴァ。足元にはカルファも一緒だ。






「……そういえば四大貴族の方でしたね」

「四大貴族の方だよ? で、ここに来たのは四大貴族の視点から話をしたいと思ったからなんだけど」

「……紅茶でも淹れましょうか」

「うん、おねが~いっ」

「キモい……」











 セイロンのストレートが二つと、ベルガモットのアールグレイ。今朝焼き上げたばかりのスコーンと、ホイップクリームたっぷりシフォンケーキ。


 学生が貴族に提供するには、こんなもので十分である。







「ん~うみゃいうみゃい」

「おい、人んちで食べすぎだぞ」

「また暫く甘味を補給できない日々が続くんだよ? 今のうちに食っとけ食っとけ~」

「……どういうことですか?」




 湯気の立ったセイロンに手も付けずに、アーサーは訊く。




「私が色んな所を旅してるってことは知ってるよね?」

「そのせいで部下に存在を忘れ去られたとも」

「誇張が過ぎるよそれは! ……まあそういうことなんだよ。んで、また旅立つことになったんだけど、今回は毛色が違くてね。今までの気まま旅から一転、あるお願いも兼ねられているんだわ」

「お願い?」

「君達を襲った、あの男についてだ」




 その瞬間、アーサーの表情は一気に険しいものになる。




「……何かわかったんですか」

「いやね。どうにもあの男は、聖教会からお尋ね者にされていたらしくてね。それも滅多に使われない白金貨が数枚程懸けられていたんだと。名をマルティスと言うんだと」

「……」




 知らない名前だった。


 全く知らない何者かに、エリスは。




「……それ以外にわかったことは?」

「そーれがさっぱりなんだ。あの男は現在城の地下牢に投獄してるんだけど、中々口を割らないらしくて――」

「投獄――」




 しかも城の地下牢。それはつまり。




「……あの男が今、ここにいる?」

「そうだよ。君達が帰った数日後にね、そーっと連れて帰ってきたんだって。多分王国としても聞きたいことがあったんだろうねえ」


「……そんなことは聞かされていない!」

「聞いたら恐怖に怯えることになるだろう?」

「……っ」




 確かにその通りだ。




 力がある自分はいいが、他の皆は――伝説に謳われる騎士王なんかじゃない。






「君はそれ聞いても大丈夫、というか寧ろ知りたいだろうからこうして教えにきたってわけさ」

「……ああそうか。四大貴族の方でしたね……」

「君の正体も当然知っている。まあ実際の所は、二ヶ月前に初めて聞かされたんだけどね!!!」

「いっつも留守にしてるのが痛手に出たってことだな!」




 カルファも紅茶を飲み終え、ぷはーと一息つく。




「で、話を元に戻すとだ。あの男にはわからないことが多すぎる。何故聖教会から目を付けられていたのか、何故ブルーランドで研究を行っていたのか。それを調べてこいって、命令されちゃったのさ私」

「気ままな性格が今回は良い方向に働きましたね」

「そう言ってくれると心が休まる~ん」




 お茶菓子を完食したシルヴァ。手持ちのハンカチで口と手を拭く。




「そういうわけだ、暫く皆とはお別れだよ。今までしごかれた日々を胸に、私はまた大陸に赴いていくぜい」

「……絶対に成果を上げてきてくださいね」

「ふふん、まあ任せておいてよ――そうだ、これ片付けどうしよう」

「オレがやりますよ」

「んじゃあお願い~。済まないねえ、急にお邪魔しちゃって」

「いえ、こちらも情報を教えてくださりありがとうございます」

「たっしゃでやれよ!」






 シルヴァはカルファ共々立ち上がり、玄関に向かう。




 それを横目にアーサーは食器を片付ける。











「……ああそうだ」




 去り際。憂いを帯びた声で 。




「……何か?」

「君さ、自分のこと責めてるでしょ」




「……」

「後悔するのも、大事っちゃ大事だけどさ……あんまり過去に固執しても、良いことないよ。だって我々は、今この時を生きているんだから」




「大事なのは、起こってしまったことを胸に、この先どうしていくかなんだよ――」






 それだけを言い残して、


 シルヴァ・ロイス・スコーティオとその相棒カルファは、去っていった。











「……」




 食器を片付けるのも忘れて考え込む。


 最終的には気が向かず、一旦部屋で休むことにした--











『火と水と来て、次は土属性。目的地は北方パルズミール地方の中央部だ。この地域には獣の耳や尻尾が生えた、獣人と呼ばれる者達が住んでいる』


『獣の種類が多彩なように、獣人の種類も多彩だ。聞けばパルズミール地方では、種族が生き残りを懸けて日夜争っているのだそう。所変われば事情も変わる、新たなる地への期待を夢見て私は旅立った』




『リネスからパルズミールとなると、やはりログレス平原を突っ切って行くのが早い。海路という選択肢もなくはないが、持ち合いがそこまでなかったので諦める。何より久々にログレス平原を行きたい気分だったのだ』


『季節は初夏もいい所だったので、私は町で馬を借りた。人に対して恐れを知らない彼と共に、私は風と一体になる。どこまでも続く緑が、それなりに旅を続けてきた私を迎え入れる』




『平原を駆る私の隣を、ずっとついてくるのは草イルカ。途中立ち入った泉にて、背中を流してくれたのはドリアード。襲ってきたワーウルフには、猪を狩って肉を寄越すと喜んでいた』


『アンディネ大陸、及び世界の中心ログレス平原。その生態系が非常に豊かであることを改めて思い知らされた。そして年中を通して生命が住みよい環境であることは奇跡であると、徐々に北に見えてきた荒野を見て思う--』











 ベッドに転がって愛読書を開く。文字を読むと情景は浮かんでくるが、


 片隅には現実が浮かんで消えてはくれない。残暑の生温い風が、開けっ放しの窓から吹き込んでくる。




 寝付きたくても寝付けない。果たしてそれは、暑さの所為だけだろうか--









 何度も消えない現実。それは大切なあの人の顔。







『やったー!

 その歌覚えてくれて、わたし、嬉しいっ!』






 前向きで明るく、自分を引っ張ってくれていた。


 友人とのおしゃべりが好き。苺も大好き。






『……ありがとう。ずっと傍にいてくれて。

 わたしのこと、励ましてくれて……』






 時には少女らしくか弱い時もある。


 けれども立ち直れば、また普段通りに笑ってみせた。






『わたし……

 伝説の騎士王なんかより、

 目の前のアーサーの方が、好感持てるもん』






 人格形成に与したのは間違いなく彼女だ。




 感情の枯れた荒野に咲いた、一輪の清純な花--








 それを蹂躙し踏み荒らした奴がいる。






 そして、そうされている様を、


 ただ指を咥えて見ているだけで、何もできなかった奴も。








 自分でもそいつでもいい。


 誰かを責めないとこの気持ちは収まらない――






「……エリス」




「エリス……っ」






 叫んでも返事すら返ってこない部屋で、血が滲むように拳を固く結ぶ。

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