断章:想華恍月

 血の雨が降り注ぐ。




 頬を叩いて悲痛を叫ぶ。鎧に纏わり苦痛を宣う。床に落ちて塵へと還る。




 視界にあるのは、原型を留めていないそれだけ。






 しかしそれでも、




 彼の中に渦巻く渇望は、




 満たされようとはしなかった。











「……」




 暇潰しの素振りを終え、黒き槍にこびりついた血を拭く。






「……今日は上弦の月だったか」


「くだらないな」






 半端に輝く月に意味などない。やはり月は満月に限る。











「……」




 ふと手を止め、扉の向こうに耳を傾ける。


 どうやら近くを通り過ぎているらしい。






「……それでてめえらはのこのこ逃げ帰ってきたってわけかぁ!?」

「逃げ帰ってなんかねえよ!! 戦略的撤退だ!!」

「逃げたことには変わりねえだろうが!! 全く、せーっかくルナリス様がお前らに黒魔法を扱うチャンスを与えたってんのに!!」

「で、でもよお……俺らの正体って、まだバレたらいけねえんだろ?」

「……まあそうだがなあ」

「だったら! だったらこれで良かったんだよ! 本当にあいつやばかったからな!」

「ああそうだな……全く、あいつのヤバさったら、言葉では伝わり切れないのが惜しいところだぜ」


「一応言葉でも言ってみ? そこまで言うなら気になるわ」

「え~、逃げ帰ってきたって馬鹿にするような奴には教えたくないんだけど~」

「街で麦酒でも奢るわ! だから頼む!」

「はい言質取りました~。忘れたら奈落だからな!!」






 どうでもいい世間話。自分達の不始末を、話の種にしているだけに過ぎない。


 その筈だった。






「んじゃ言うぞ? そいつは只のガキだったんだよ。恐らく生徒なんだろうけどさ」

「……はぁ?」

「待て! 話はここからだ! 幻滅したような顔すんな! そいつは白い犬連れててさ、多分ナイトメアだったんだろうな。とにかく一人と一匹からの魔力がとんでもなかった、この時点でやばかった」

「そして、恐ろしかったのはここから――俺らを見つけた途端、何かぶつぶつ詠唱し出してさ。我が剣は闇を断つーってさあ。詠唱だけなのに、もう凄い奔流で、深淵結晶投げつける時間もなかったぜ」

「それが終わったら犬が消えてて、ガキは鎧着ててさ。そんの目付きときたら、もう恐ろしいってらありゃしない――確実に俺らを排除しにかかってたわ」




「……ガキンチョがねえ。そいつ、他に何か特徴なかったの?」

「んー? 金髪で赤目だったってことしか覚えてねえなあ。鎧を着る前は普通のガキって感じだったぜ、ホントに」

「だから俺らもめちゃくちゃびっくりしたっつーか……まあ、そんな感じだ!」

「……はぁ」

「てめえ、せっかく教えてやったのに何だその反応は!!! 奈落けしかけっぞ!!!」











 槍から拭き取れていない血が、雫となって落ちていく。




 それが地面に落ちるまでの瞬間で、彼は幾つもの思考を巡らせていた。








「……我が剣は闇を断つ」




「蘇ったということか。私とだけではなく……も同じように」




「きっとそれは――の願望なのだろう」











 それから程なくして、彼は槍と鎧の手入れを終えて部屋に戻っていた。


 その後に何をするかと言えば、




 裁縫である。








「……」





 純白の糸を紡ぎ、一つずつ縫い合わせていく。


 関節までの長手袋に、太腿の大半を隠す靴下、胸部と陰部を隠すもの、それから首元のショール。


 最後に顔を覆い隠すヴェール――しかし、それを取り付けるものは、まだ完成に至っていない。






「――」






 それらには全て繊細なレースの装飾が施されている。あの子の美しさを最大限引き立たせる装飾。


 数年前は、この装飾を考えるだけでも、日が暮れていったものだ――




 機嫌がいいと彼は歌を歌う。








「『太陽は未熟だ 君の美しさを照らせない』」


「『拷して君を照らし出そう 悶える君は艶やかだ』」


「『大地は愚鈍だ 君の麗しさに楔を打つ』」


「『近き血で口を塞ごう 溺れる君は嫋やかだ』」


「『大衆は盲目だ 君の清さに目も向けない』」


「『意思を否定し姦じり合おう 喘ぐ君は愛おしい』」






「『踊る姿は愛憐なる人形』」


「『狂いに渇いた恋慕たる道具』」


「『口を噤んで儚き下僕』」


「『欲望飲み込み輝く奴隷』」







「……っ」


「ふぅ……ははは……」




 また床が汚れている。



 無理もない話だ。



 あの子がこの衣を身に纏うのだ。



 それを想像する度、気分が高揚する。











「……失礼します」




 静寂に訪れる扉の開閉音。


 その先に居たのは臍を出した風貌の女。






「只今、我が主君からの拝命を遂行し、ここに侍て参りました――」

「……」




 自分で何だが――


 この女の風貌は、とあの子には遠く及ばない。








「……ご苦労だった。それで、報告を」

「はっ。ルナリスは対抗戦に乗じて仲間を増やそうとしていましたが、結果は芳しくなかった模様でございます」

「それは当然だろうな。見るからに怪しい連中の話など、誰が聞くものか」

「ワタシも貴方様と全く同じ考えであります」


「……もう一人はどうした?」

「猛獣の調整を視察しております。今回ティンタジェルの遺跡で発見した物質を、応用できないものかと考えたようです」

「ほう」




 彼は興味深そうに、手元から視線を外す。


 それを待っていたかのように、女は石片を差し出した。




「ティンタジェルの城、玉座の間から押収したものです。強い魔力を感じます。ワタシとも、貴方様のものとも異なる、未知の魔力でございます」

「……」




 それには僅かであるが、赤色が付着していた。


 形状も凹凸があり――何かの装飾が付いていたのだろう。





「……回収ご苦労。これについては私の方で研究しておこう」

「感謝申し上げ――「あああああああああああああああああああああ!!!!」








 扉の向こう側、階下から金切り声。




 劈く振動音が木霊し、壁を微かに揺らす。






「……あいつ!!! 何をしているんだ!!!」

「精神干渉は行ったはずだが……何故ここまで不安定なのか。心当たりは?」

「……ティンタジェルで奴と一度合流したのですが。そこで赤髪の少女を見かけました」

「……」


「ですが緑目ではなく青目でした。それで確保を見送ったのです」

「成程。私の命令が達成できなかったと、そういうことか」

「止めに参られますか?」

「君に一任するよ。私はやらないといけないことがあるのでな」

「承知しました」






 女は背中を向けて、颯爽と部屋から出て行った。








「……」






 糸を紡ぐ手を止め、石片を手に持ちまじまじと見つめる。






「……私も、あの子も、奴も蘇った。それと同様に、君も蘇ったのだろう」




「これが運命だとするならば、他ならぬ君の願望以外に有り得ないからな」




「最も、何処で何をしているのかはわからないが。私とあの子、私と奴はいいとして、あの子と奴の関係性もわからない」






 ベッドに身を投げうち、天井を仰ぐ。






「……とはいえ余計なことをしてくれたね。君が願ってくれたお陰で、私はあの子が何をしているのかわからない。何年も経つのに、未だあの子は見つけられない」




「だが、そうだな――」






 右手の親指で石片の表面を撫でる。






「君がそう願うのなら――私とあの子が出逢わないようにと願うのなら」




「こちらも願わせてもらうとしよう」




「運命の行く末が、私の元に巡るように――」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る