第260話 ブルーランド臨海遠征

 薔薇の紋章をあしらった船が、悠然と海原を行く。




 船が進む度、青はより澄んで透明さを増していく。珊瑚が増えていき、さあがらアルブリアからの客人を歓迎するよう。




 ここまで来ると、水面をただ眺めているだけでも楽しいものだ。








「エーリスぅ」

「リーシャぁん。なあによぉ」

「いやあ、外に出てみたらいるなあって思って」

「ふっふーん……」


「凄いね、南の海。なんてったって氷塊が浮かんでないもん」

「わたし北の海にすら馴染みがないんだけどぉ」

「去年一緒に行ったでしょーが」



 二人並んで水面を見つめる。船は音も立てずに海原を行く。



「ふふんふんふん……『我らは人形、刹那の傀儡』……」

「あ、フェンサリル。エリス本当に好きだねえ」

「小さい頃からのお気に入りなんだ~」

「へぇ……」




「……」

「……」




 気心知れた友人の筈なのに、沈黙が訪れてしまった。






「……ねえリーシャ」

「どしたん」

「訊きたいことあるの」

「何だしょ」

「騎士王伝説のこと」

「……うむぅ?」




 波が上がって船に打ち付ける音が聞こえる。何だろうと言わんばかりに、リーシャは首を傾げた。




「率直に言うと……あのお話に出てくる、騎士王についてどう思ってるのかって」

「……かなり絞った質問だね? 何かあったの?」

「何もないよ。強いて言うなら、何となく」

「ほーん」




 でも答えない理由もないし、とリーシャは語り出す。






「まあ、現実にいたらつまんねーやつだなーって思うかな。だってめっちゃ優等生だし。近寄り難いし」


「いくら同年代って言われても、程度があるよ。もっと人間らしさがあればなあ……って思うわ」


「でも確か、後の作品になるにつれて、騎士王の人間味って増しているんだよねー。だからと言って焼け石に水程度だけど。結局やってること変わんないし」






 そうなの、とエリスは逆にリーシャに問う。




「そうなんだよね。私も曲芸体操部で学んだんだけど、初期の方って本当歴史書レベルで淡々としている。でも人間味が増してるってことは、創作味が強まってるってことらしいよ」

「へー……」




 騎士王伝説にまつわるちょっとした雑学である。


 それに感心していると、今度はリーシャが質問してきた。




「騎士王アーサーじゃなくて、我らが二年一組のアーサーの話をしてもいいかぁい」

「えっ……何があるの」

「そりゃー勿論これっしょ。エリスはさ、アーサーのことどう思ってんの?」




 右手の小指を出しながら言うリーシャと、項垂れるエリス。どちらも船の手すりにもたれかかった。






「……別に、どうとも。普通って所だよ」

「普通ぅ?」

「うん。ただ色々あって、一緒に住むことになって、色々迷惑かけるだけの仲になってる……友達とか、隣人とか。そんな感じ」

「ふーん……」




「何なの」

「いやーさぁー。友達って思ってる割には、いちゃいちゃしてるなーってさあ」

「……」




 得意げにするリーシャと益々項垂れるエリス。夏の日差しがまともな思考を妨害してくる。




「ん……んんー……」

「やっぱり意識してるんでしょ」


「……わかんない」

「ふぅん?」




「こう……急に来るんだよね。リーシャに言わせると、いちゃいちゃしているようなことをするのが。後で冷静に考えれば、恥ずかしかったって思うことはあるけど……それでも、不思議と後悔はないんだよね」

「そういう心理なのね」

「うん……」






 手すりから手を伸ばして、掌を開いて前に伸ばす。






「ねえリーシャ」

「何?」


「桃色の蜘蛛の話……信じてる?」




「逆に訊くけど、それを信じないで育つ女子がいるの?」

「そうだよね……」




 はぁと二人一緒に溜息をつく。




「……女の子が生まれると、どこからともなく桃色の蜘蛛がやってくる。彼女は赤い糸を紡いで、赤ちゃんと別の誰かを結び付ける……」

「その人は、将来結ばれる結ばれる運命の人。小指に巻き付けられた赤い糸の続く先は、人生の伴侶のこれまた小指」




「……」




 何となく、ぼんやりと考えていたことを--




 今この場で口にしてみる。






「……もしも」




「わたしにも、赤い糸が巻き付いているなら」




「それはきっと――」






        ざっぱーん








「きゃっ!?」

「おわーっ!?」




 目の前の水面を、生物が数体横切る。間近だった為波を被った。




「うう、びしょびしょだあ……」

「何事……あっ、イルカだ!」

「えっ嘘!?」






 薄い紺色の身体。三日月のようなフォルム。愛くるしい丸い瞳に、きゅーきゅーという鳴き声。


 そんなイルカを見て、癒されるな萌えるなというのは、かなりの拷問に近いだろう。






「この船に沿うように泳いでる。歓迎してくれるみたい……」

「イルカは人懐っこいって言うけど、本当なんだな~。特にあの子なんて、元気よく跳ねて身体もうねらせて……」

「んー?」




 確かにイルカの群れの中に、一際大きく跳び立つ個体がいたが。






「……」

「……」


「……こっち来てない?」

「え……」






 その言葉の通り、イルカが一体、跳ねながら近付いてきて――






「待って、ぶつかる!?」

「あっち行ってー!! 事故になっちゃうー!!」






 手を振って追い払ってみるも、無駄足。






「――♪」






     ばっしゃーん











 すっかり水を被った後に、先ず視界に入ったのは、




 眼鏡をかけていないヴィクトール。








「……シャドウ?」

「……何やってんの?」

「♪♪♪、!」


「いや、笑ってないでさあ!」

   <貴様、ここにいたのか!!!






 そこに本人登場。後ろにはアーサーやイザークもついてきている。






「ヴィクトール! 騎士の責任は主君の責任でしょ! どういうことなのー!」

「此奴海を見た途端張り切りだしてな……ああ、暑い暑すぎるだろ死ぬぞ」

「海だからしゃーねーっしょ!!」

「まあシャドウって水属性だし、通じる所があるのかも?」

「そうだな。海だからな」


「後ろの二人は何なのよ! 何しに来たのよー!!」

「ちょっと罰としてタオル持ってきてよ~」

「そりゃないよー!!」

「魔法でどうにか」

「火傷したらどうすんのよ!」

「♪」




 上機嫌なシャドウはふかふかのタオルに変身し、エリスに覆い被さる。




「わあーっ!? でもふかふかだー!」

「シャドウ本当に便利だなー。何でも変身できるって、やっぱり凄い能力だぁ」

「無駄に変身されると、その分俺の魔力を喰うんだがな……戻れ、熱中症で死にそうだ。暑さに身を焦がすぞ。きつい」

「~~~」




 シャドウはタオルのまま影に戻っていくが、節々に不機嫌そうな様子を見せた。




「そうだ、先生が話してたぜ。あと三十分で到着するそうだ。今の内に荷物準備しておいた方がいいと思うぞ?」

「はーいありがとー。ていうかそれ言うために来たんでしょ」

「そうだよ?」


「日差しも強いから、このまま甲板にいると日焼けするぞ」

「やばっ、日焼け止め塗り直さなきゃ!」











 白い石で造られた家々は、日光を遮り涼しげだ。木で作られた家も、風が吹き抜ける作りで解放的である。


 カンカン帽を被った、褐色肌の人々が街並みをのんびりと行く。ナイトメアを引き連れても、道幅にはかなりゆとりがある。


 新鮮な魚がぴちぴち飛び跳ね、色づいた野菜が露店に並ぶ。野生の猫や鳥が勝手に奪い取っていく姿さえ、微笑ましく思えてくる。






 ここは南国ブルーランド。大陸の喧騒から解き放たれた、永久の楽園。




 そして対抗戦に匹敵する二年生最大の行事、臨海遠征の幕開けである。











「んひぃ~着いた着いたぜー!!」

「……」


「な!? 長袖シャツだと無理あるって言ったろ!? さっさと半袖に着替えろ!」

「旅館に着いたら検討しよう……」

「今やれよこんにゃろー!!」

「待てっ!!」




 アーサーを脱がせようと、もみくちゃ組み付くイザーク。






 その隣で、きょろきょろと周りを見回すエリスとカタリナ。






「ねえ、カタリナ……」

「うん……」




 視界に入るのは、石と木が混在する建物群、潮風を受ける風車、太陽光を集めているらしい水晶玉、整然と整った街並みを行き交う人々。






「いないね……」

「うん、いない……」




 人工物と自然物が絶妙に混在する、その光景の中には--




 南国の花を纏った、鮮やかな色合いの妖精達。そのような者は、見渡す限りどこにも存在していない。






「……嘘だった? ううん、ローザさんもソラさんも、そんなことは……」

「た、偶々、港にいなかっただけじゃ……」

「うーん……そういうことにしておこうか」




 振り返ると、アーサーの着替えが完了していた所だった。気を取り直して話しかける二人。






「エリス、カタリナ! こっち準備終わったぜ!」

「はぁ……」


「お疲れー。何かあったか知らないけどお疲れー」

「あっちに皆集まってる。あたし達も行こう」

「そうだな!! 早く行かないと乗り遅れちまうぜ!!」

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