第253話 エイルルの影
「以上を持ちまして、朝の挨拶終わりっ!! これから暑くなっていく頃合いですが、素晴らしい騎士の誇りを見せるべく我慢するなんてことはせずに、熱いと感じたら水分補給を行いましょう!! 解散!!」
「「「真紅の薔薇に栄光あれ!」」」
胸に手を当て礼をした後、騎士達はそれぞれ持ち場に散っていく。
「あぢー。あぢーーーーーよーーーーーー。何が騎士団長の鎧だこんなの脱ぎ捨てたいんですけど」
「あらそうかしら? その鎧を着てらっしゃるジョンソン様、とてもご立派ですのに……」
「はははははい!! そうですね!! 国王陛下が私のために仕立ててくださった鎧です、似合わない道理がありませんよね!!」
「遂に声真似にも反応した……もう駄目だこの団長」
ジョンソンの後ろを、ダグラスとデューイがついて行っていると、
「……ン?」
「おや」
「久しぶりに見る顔!!」
ひょいひょいと人の合間を縫っていき、声をかける。
「レーラ! 暫くぶりだな!」
「あ……団長。ご無沙汰しています」
「お久しぶりですレーラさん。最後に会ったのいつ以来でしたっけ? 五月入ってから?」
「そう……なるかしら。実感が沸かないわ」
「はぇ……時の流れを忘れチマウ程根深い問題なのかイ、ウィンシュマーズ関連ハ」
「……」
苦悩するような表情が、彼女の顔を包み込んでいる。
「……なあ、何か思う所があったら、俺達に話してみないか? 力になれるかもしれない」
「ですが、これは種族の問題です。関係ない団長達を巻き込むには……」
「真紅の薔薇に忠誠を誓った時点で、オイラ達は一心同体サ。ナア、聞かせてくれヨ。オイラ気になるんだヨォ」
「何ならウェンディも呼んできましょうか? あいつも一応魚人だし……」
「……それはいいわ。あの子にまで重荷を背負わせたくない」
「……場所を変えましょう。この話をするには、あそこが一番適しているの」
『私は確かに、かの御方の姿をこの目で見たのだ』
『白い衣に身を包み、揺蕩う流水のごとき髪。静謐な水面のような瞳で、じっとそれらを見つめている』
『そしてあの御方は、ただ一言、それだけを仰られた――』
『何て醜い、冒涜的な連中なの、と』
「セロニムさん」
「……」
「セロニムさんったら」
「……ん」
「お客さんですよ」
少女に肩を揺すられ、目を開いた瞬間扉が開く。
ここに来る客人の用事と言ったら、大抵決まっている。
食事と歓談と後は――秘密の話。
「おっと、レーラさん。お疲れ様です」
「セロニムさんこんにちは。ちょっとここを借りてもいいかしら?」
「構いませんよ。何かお飲み物をお出ししましょうか?」
「そうね……何か飲みたい物ありますか?」
「「「……」」」
しかし三人の目は、セロニムの足元にいた少女に釘付けになっている。
「……娘!?」
「レーラさんに隠し子だと!?」
「オマエ……やるジャン」
「……」
「何か言ってくださいよ。私一人じゃ弁明無理ですよ」
少女は艶々とした白髪に、切れ長の黒い目をしていた。
「まあとにかく座ってくださいな。お飲み物、指定が無いならブルーランドリンクになりますけど」
「美味いの?」
「青いです」
「コーヒーで」
「私にもオレンジジュースください」
「パール、今からは大人の話をするのだけど」
「ウィンシュマーズ関連でしょう。貴女に助けてもらった身として、私も知っておきたいんです」
パールと呼ばれた少女は、カウンターの椅子に座る。
飛び乗って座った挙句、足が全く届いておらずばたばたさせてる。
「土台持ってこようか?」
「いいです。無理はさせたくないので」
「そ、そうか……」
「じゃあ……準備も整ったことだし、話をしましょう」
『あの連中が今、私を探している。人間の皮を強奪して羽織っていた、あの連中が、今度は私の皮を剥ごうとして、岩の様な目で周囲を探っている』
『頭の先から足の爪まで、全身が得体の知れない鱗に覆われている。ぎらぎら輝いて鱗の一枚一枚がよく見えてしまう。鈍色と深緑を混ぜ込んだ、生気を感じさせない肌だ』
『極め付きに、あの声は人の出すようなものではない。ぎゃあぎゃあ、ぐえぐえ、があがあ、どの言葉が似合うだろう。思い出すだけでも気がやられてしまう。そんな声で共鳴し合うのだから、心がすり下ろされて削れていってしまう。そうして残った粉末で、彼らは飯を食うのだろう』
『誰か止めてくれ、あの海から這い上がってきた連中の、王を讃える不協なる大合唱を、一思いに止めてくれ』
「魚人には二種類いるっていうのはわかるわね?」
「上半身系と下半身系だろ? わかるわかる」
「セロニム先生は上半身系でしたよね」
「うん。たまーに魔法かけて誤魔化すの忘れちゃうんだよね。この間の対抗戦の引率でも、それでど偉いことになりかけたよ」
「……まさか、連中が?」
「そう、いたんだよ連中。青いローブ被って見た目は誤魔化してたけどさ。でもエイルルがどうこうって、生徒達に声かけてた」
「そ、そう……反応した子は?」
「いた。でもそういった子については、後でこっそり声かけてた。トレジャーハンターなんて碌なことにならないからやめとけって」
「よかった……」
レーラが胸を撫で下ろす隣で、ダグラスがコーヒーのお代わりを行う。
「一見した感じでは只のトレジャーハンター集団に見えたんですよね。笑顔で愛想振り舞いて、夢とロマンを語りまくって」
「そうして引き込まれたが最後、二度と海淵の底から這い上がってこれなくなるのよ。それが連中、ウィンシュマーズ秘密教団の恐ろしさ」
「おっとォ、ドストレートだなア。ていうかウィンシュマーズってそもそもナンナンダ?」
「元々は魚人の区分でしたよね。妖精族で言うところのフェアリーやトロールみたいな」
「そうよ、よく覚えていたわねパール。上半身系がウィンシュマーズ、下半身系がマーマンとマーメイド。でもこの区分って、魚人が地上を主体に生活するようになってからは殆ど使われていないの」
「それこそ……あれだよ。知っていること自体が、秘密の合言葉にはなるぐらいには」
第一階層にあるこの店は、中から海が見える所に位置している。今日は窓を叩いてくるような高波がよく見えた。
「秘密教団ねえ……どれぐらい前からあるの? 私の記憶ではそんな連中聞いたこともないのだが」
「秘密教団を名乗り出したのは、ここ二、三十年からだと言われています。それ以前にも名を変え形態を変えずっと活動し続けていました」
「……そこまでしてやる目的って何?」
「古代ウィンシュマーズの王の復活。暴虐で傲慢な、愚劣で醜悪な王ダゴスの復活です」
五人しかいない店内に、しんと沈黙が訪れる。
「……さっぱりわからん。そこまで言うべきもんなの?」
「神に反旗を翻そうとして、結果マーシイ神のお怒りを買って、彼の王国ごと海に沈められたと言えば、その恐ろしさがわかりますかね」
「ヒエッ」
「そして、その王国の都がエイルル。聖杯時代より以前の文明の中では、最高峰の技術を有していたと言われているわ」
「近隣の魚人の街に、供物を捧げていた人間の壁画とかありますからね……」
じゅーとストローを啜る音がする。パールが飲み干したようだ。
「セロニムさんお代わりです」
「はいよ。パールちゃん大丈夫? 飽きない?」
「いいえ、全然。興味深いです。続けてくださいな」
「はいはい。で、マーシイ神の裁きを受けた直後なんですけど。どうもエイルルの町には氷冷睡眠の技術が確立してあって、それに瀕死のダゴスの肉体をぶち込んでおいたそうなんです」
「コールドスリープ! それってガチなのカ?」
「それって、現在のあらゆる理論において実現不可能って言われてたやつじゃ……」
「神々が身近にあって、魔力の質が違っていた古代ですし、その当時の魚人の肉体構成も、今とは全然違いますし。魚人一人に限って成功できる可能性はなくはないです」
「それに失敗してたら、そもそも秘密教団なんて結成されてないよ。成功しているって確信しているからこそ、こそこそと動き回っている」
「ぐぬぬ……何かやばい連中って感じだな、本当に……」
「そんなヤバい連中について、レーラは調べ回ってたワケだネ?」
「ええ……」
アイスのカプチーノを飲み干し、続けてお代わりを注ぐ。
「アスラン自治区って知ってるわよね?」
「アグネビット領内の、獅子の獣人の自治区か」
「そう。それで第一階層の傭兵ギルドあるでしょ、あそこの掲示板を覗いたら、アスランからの依頼が来ていて。魚の怪物に襲われているから、腕の立つ者を募集しているって」
「へえ、領主を通さずギルド経由……まあ獅子だもんな、腕っぷしが強い奴の集まりだ」
「それに行ってみたわけか」
「そういうこと。本当は僕が行けば良かったんだけどね……」
「先生は対抗戦があったから仕方ありませんでしたよ。だから私が代わりに請け負ったんです」
「なーるほド、普段やってる調査の他に追加で引き受けたと。そりゃ一ヶ月も帰ってこないわけダ」
「それで結果は?」
「……」
レーラが服のポケットから取り出したのは、青く光る魔力結晶。
「何だァコレハ」
「連中から押収したもの……でもこれを使わせるつもりなんて、毛頭ないんでしょうね。死ぬ間際に全て粉々にしてしまったわ」
「何か時々黒く光ってません? 気のせい?」
「気のせいではないわ。多分黒魔法と同じ魔力が含まれている。でも……不完全なのか、量は微弱でこうして持ち歩いていても影響はないわ」
「後で魔術師に解析してもらうルートっすねこれは」
「そうね、これの中身が分かれば、連中が何をしているのか足掛かりが掴める。そしてこれを回収できたのも、他でもないパールちゃんのおかげよ」
「ここで出てくるのか」
自然と視線がパールに向けられる。
「……私、ここに来る前は一人旅をしていまして。その途中であのお魚さんに捕まったんです」
「はぁ!? それってヤバいんじゃねーの!?」
「私も凄く焦ったわよ……また犠牲者が増えるって。でもそれから二、三日は、アスランへの襲撃が急激に弱まっていってね。チャンスだと思って一斉攻撃を仕掛けたの」
「その間私は幽閉されて、お魚さん達が魔法陣を描いているのを見ました。恐らく何らかの儀式で、私から魔力でも奪うつもりだったんじゃないでしょうか」
「いや! いや!! 生死の境目彷徨ったのによく平然と居られるな!?」
「……それぐらいなら慣れましたから」
「……あ、何かごめん。ジュース注ぐよ」
「でしたらこれを……」
ダグラスがパールのグラスに、オレンジジュースを並々と注ぐ。
「それで儀式が始まるかーって頃合いに、レーラさん達が飛び込んできて。私もすかさず便乗して戦いました」
「パールちゃんの他にも幽閉されていた人はいてね。皆身寄りがある人達で、そうでないパールちゃんだけが取り残されてしまったの。それじゃあ可哀想だから、ここに連れて来たってわけ」
「ひっさしぶりの屋根付きふかふかベッド。レーラさんとセロニムさんには感謝してもしきれませんよ」
「フーン……」
マドラーでドリンクをかき混ぜるのを、ぴたりと止めるデューイ。
「戦闘の進行はどうだったのサ?」
「……楽勝の部類に入るのかしら。あっさりと制圧して、救出することもできたわよ。儀式の最中ってのもあったと思うけど……」
「まあ、強さなんて一見でわからないもんなア」
「とにかくレーラさん、お疲れ様でした! 俺達の知らない所でそんな大冒険を繰り広げていたなんて、感服します!!」
「もう、最初に言ったけどこれは種族の問題なの。大冒険なんて言える程気楽じゃないのよ」
はぁと溜息をつく姿からは、悲壮さを感じさせる。
「まあ何だ、俺達も事情を知ってしまったことだし。これからは力を貸すよ」
「……すみません、私や他の仲間だけで片付けられたらよかったのですけど……敵が強大すぎて」
「強大な敵には皆で立ち向かうのがセオリーだぞっ。まあ給料減額を免除したり、休みを取り計らうぐらいしか思いつかないけどな!」
「それでも十分ですよ……」
「……そういえば、今他の仲間って言いましたよね。皆この店でコンタクト取ってる感じなんですか?」
「そうよ。『王の港』集合って言えば、大体皆何のことだかわかってくれるわ」
「この店そんな名前なのか。看板とかなかったけど」
「そんなの立てたら密会所の意味がなくなるからね。あとは一般的にも、隠れた名店ってコンセプトで通している」
「フンフン。それって、お兄さんが一人で切り盛りしてるのカイ?」
「いえ、実質的に店長やっているのは他の人です。今日はその人が休みを取って、急遽僕が代理に。後は料理のアドバイスをしたりね」
「そういえば先生、学園で料理部の顧問やってますもんね」
「こっちの都合もあるからちょこちょこ抜けないといけないのが辛いね……課外活動に関しては、今年に入ってから数える程しか顔を出してないよ。あはは」
「大丈夫です。先生が教師のお仕事に専念できるよう、私達も最善を尽くします」
「レーラさんはいつも心強いなあ……本当にありがとうございますよ」
ダグラスはグラスから手を放し、メニュー表を見つめている。
「んへえ、やっぱりあるんだスターゲイジー」
「ここに来られる方は好きな人が多いんですよ」
「でも普通のメニューもあるんだロ? ゼリーくれよゼリー」
「俺揚げ物三点セットで。腹ごしらえがしたい」
「じゃあ俺肉の揚げ物でー」
「はいはーい。パールちゃんも何かどう?」
「……合い挽き肉のタリアステーキセット」
「おおっ、豪勢だなあ」
「量は半分ですからね! 食べられないとお料理に失礼なので!」
「うーんそこは子供」
こうして店内に、香ばしい匂いが満ちていく――
『それは涜神的で、背徳的な存在そのものである』
『一度そのまなこが開かれ、口業が唱えられれば、瞬刻の内に抗拒なる者は藻屑と散り行く』
『しかし我々の祈りは通じた。かの水を司る女神が、あの存在を大海に沈め返していった』
『我々は加護を得たのだ。冒涜的な連中ではなく、慎ましやかな我々を、女神はお選びになられた』
『ああ、女神よ。端麗にして閑麗な、静謐なる女神よ』
『貴女様より授かりし御恩を忘れないように、我々は今宵も小夜曲を捧げましょう』
――『古代都市エイルルの最期』より
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