第222話 リーシャの薬草採取
<魔法学園対抗戦・武術戦
十九日目 午後一時 森林区入り口>
「よーし、準備はいいかな」
「いいよー」
「だいじょぶー」
長袖長ズボンのスウェットに全員が身を包んでいる。数日前の課題で仲間の一人が蜘蛛に噛まれ、そこから極度に恐れるようになったのが理由。
「うあーやっぱり暑いわー……」
「命と暑さとどっちが大事なのよー!?」
「いや、暑すぎても死ぬでしょ……」
リーシャは額の汗を拭いながら水を飲む。既に水筒の半分が無くなっている。
「にしてもリーシャ、本当に一人で任せちゃって大丈夫?」
「うん、だいじょーぶだいじょーぶ。私に任せちゃってよ」
「本当にどっから湧いてくるのよ、その自信」
「事前に予習を済ませておいたのでー! さあ早く行っちゃいなよ!」
「うん、じゃあ……また後でね!」
手を振って、班のメンバーは森の先に進んでいく。
「……」
暫く――といっても数十秒程した後に。
「……行ったな」
「わああっ!?」
木の後ろに彼が潜んでいたことはわかっていたが、
それでも生えるように出てきたのを受けて、リーシャは振り向きざまによろめいてしまう。
「む、驚かせてしまったな」
「いえいえいえいえ大丈夫ですよ!?」
「……立てるか? 手は必要か?」
「いえ、立てますよ!?」
ぴょんと立ち上がって、そこから呼吸を整える。目の前の生徒、カルは平然とした表情を浮かべ続けていた。
「……済まないな。俺の我儘を聞いてもらって」
「そんな、そんな謝らないでくださいよ。わがまま聞いてもらってるのはこっちの方です。先輩……明日試合もあるのに、私の課題に付き合ってもらっちゃって……」
「……」
返事をせず、カルは目の前の森に視線を向ける。
「行こう。彼女達が帰ってくる前に、採取を終わらせてしまおう」
「はい……私、頑張ります」
遡ることリネス観光の時まで。エリスに何してたのと突っ込まれた、あの時の出来事。
「……『遥か昔、古の』ー」
「フエンサリルのおひめさま!」
「『海の蒼も大地の緑も露知らぬ……』」
「あとはわかんないのです!」
「この子はもうっ」
スノウを抱きかかえ、正面に広がる光景を見つめる。
弧を描いた帽子に腕を隠すデザインのマント。今ではすっかり珍しくなった、吟遊詩人の服装だ。
すっかり風流な彼が奏でる物語に耳を傾けながら、リーシャは目を閉じる。
「ふんふんふーん……」
「……ん?」
「『さあ、束縛の夜、運命の牢獄……』」
「リイシア!」
「『解放の朝、黎明の大地に……』」
「リイシアったら!」
「……へ?」
スノウが服の裾をつまんで、振り向かせる。そこにいたのは。
「……あ」
「……」
いつも吹き抜けから、曲芸体操の練習を見ているあの生徒。
その時と変わりない学生服に身を包んだ、カルだった。
「……こ、こ……」
「こんな所で会うなんてな」
「こ……こんな……えっ」
「……本当は向こうについてから話すつもりでいたが。ここでもいいだろう」
「な、何を……」
彼は間合いを詰めて、じっと目を見つめてくる。
「これからは、君の練習を手伝わせてもらう」
「え……」
河が流れ、ゴンドラが行き交う音だけが、妙に耳に残る。あんなに聞こえていたはずの、雷のような爆音が一切聞こえなくなった。詩人の歌は前奏が終わり、序盤に入ってしまっている。
「今までは君の練習を眺めていただけだったが……今後は指導もできていければいいな、と。そう思った」
「え、待ってください待ってください」
「これからもよろしく――」
「わーっ、待ってぇ!」
慌てまくって手を振るリーシャ。スノウもきょとんとしてカルを見上げている。
「……あの、正直、こんな所で、突然」
「……」
「まだ、その、心の整理っていうか……」
「……俺もだ。俺も、決意を固めるのに時間がかかってしまったんだ。済まないな」
「え、いや、そんな」
だからと言って平謝りされる筋合いはない。
「……」
「……」
「……あの」
指を組んで、目を合わせないように顔を俯いて。
「よかったら、それ以外でも……いいですか」
「……というと」
「えー……対抗戦の課題、です」
そこから時は流れて現在に至る。
採取の課題を手伝ってほしいという申し出を、カルは快諾してくれ、それから何回か手伝ってもらっていたのだ。
「……先輩」
「何だ?」
「あの、服装……それで大丈夫ですか?」
「……慣れているからな」
「そう、ですか」
カルの服装は色褪せた制服。つまり、普段会っている時と何ら変わりない。
そういえば、彼が制服以外の服を着ている姿を、想像なんてできないなとリーシャはふと思った。
「……それにしても、先輩が対抗戦に来てるなんて思ってもいませんでした」
「……」
「あっ、でも先輩も試合ありますもんね。成績に関わりますからね、そりゃあ来ますよね――」
「……」
「……先輩?」
「……いや、済まない。別のことを考えていた」
「は、はい……」
地面を踏み締める音が、静謐な森にしっかりと響く。今この場には、自分達以外は誰もいないようだ。
現在二人が進んでいたのは第六森林区。数ある森林区のうち、一から十までは薬草を主として生態系が構築されている。
今回の目的は、氷薄荷と呼ばれる薬草で――
「……」
「……わかりますか?」
「ああ。こっちだ」
霜が張った地面を、すいすい進んでいくカル。
「……ここだ」
立ち止まった所には、凍り付いた草がいくつも生えていた。
「これが……っ」
「薄荷の亜種だからな。鼻は勿論目にもくるかもしれない」
「だ、大丈夫です。こんな時は……スノウ」
「はいはーい! なのです!」
呼び声に応じて、スノウが身体から出てくる。
「これはどのようにさいしゆすればいいのです?」
「普通に鎌と手で構わないぞ。いや、君は鎌は握れないか」
「でも魔法があるのでだいじようぶなのでーす!」
上機嫌で薬草を採取していくスノウ。てきぱきと手際が良く、おかげで二人はその間何もすることがない。
「……リーシャ」
「は、はい?」
「スノウは……随分と個性のある話し方をするな」
「そう……ですね。何か、詰まる音と小さい音がダメみたいで」
「……もしかしたら、私が未熟だからかなあ、なんて」
「……」
何と言えばいいのかわからなくて、思わず視線を逸らす。
するとカルの表情が暗くなった。
「……先輩?」
「向こうに何かがいる」
「えっ……」
「俺が様子を見てくるから、ここで待っていろ」
そう言って、彼は草木を飛び越えて行ってしまった。
「……」
「リイシア! たくさん採れた……あれ? カルせんぱいは?」
「……スノウ」
「採れたやくそう、せんぱいに見てもらつて、はんだんしてほしいのです! でも……」
「スノウ、構えて!!」
「えっ――」
「――ひゃあっ!!!」
頭上から剣が飛んでくる。
それはスノウの眼前に落ち、
彼女は驚いて後ろに転んでしまった。
「……いつからいたのよ」
「それをお教えする道理はありませんわ!」
周囲の木陰からぞろぞろ人が出てくる。
それは紛れもなく、カトリーヌとその取り巻きの女子生徒達だった。
「あああっ!! この森は、本当に、足を取られて歩きにくいですわ……!!」
彼女達の服装もまた、普段通りのロングドレス。百歩譲っても採取に来る服装ではない。
つまりそれは、採取以外の目的――自分を狙っているということ。
「させるとでも?」
「ぐっ……!!」
リーシャは腰に下げていた杖を手に取ろうとするが、
瞬時にフレイアの剣閃がその手を弾き飛ばす。
「あーっはっはっは!! いい気味ですわ!!」
「あなたねえ、最近調子に乗り過ぎなのよ!! 変に護衛とかつけちゃって、貧乏人の癖にっ――!!」
「だからぁ、今日を気に、本当の身分というものを思い出させてあげるわ!!」
フレイアと他のナイトメア達が、一斉に自分を睨んでくる。
「――!!」
「リイシア――!!」
それよりもより痛烈な一瞥が、状況を一変させる。
そこにいたのは、先程離れていったはずの、
「……!! な、ぜ……!!」
「……」
参上した彼は顔を上げて、カトリーヌ達を一睨する。
「ひっ……!!」
「ち、近寄らないで!! この醜人!! ああ、ああああっ――!!」
「な、なんて醜いんですの――!!」
「バケモノ!! こっちに来るな!!」
取り巻き達は口々に恐怖を宣い、逃げる者も中にはいた。立ち向かおうとした者もいたが、結局全員逃げていった。
唯一残ったカトリーヌとフレイア――その目は、決して他人に見せることのないような、真剣なものであった。
「……」
「……カルディアス、殿下」
「噂は本当だったのね……?」
彼が溜息をついた声だけが、リーシャには聞こえた。
彼女の視界は一面の吹雪に覆われて、何も見えない。風の音が耳も凍て付かせる。
吹雪が舞っている――というよりは。
冷気が彼の命令に従い、覆い隠しているようで――
「……ああ。急いで来たから、
「君がどのような噂を聞いたのかは知らないが……」
「今君が見ている全てが、俺の真実だ」
「言いふらすかどうかは判断に任せよう――」
それを最後に、カトリーヌとフレイアは何かの力で吹雪から弾き出された。
「きゃあああああああ……!!!」
「うわあああああああ!!!」
それだけが見えたリーシャは、不思議な感覚を覚えた。
その光景は、権力者が戯れに集めた玩具を、飽きて放り捨てるように見えたのだ。
吹雪が止む。先程の静寂が戻ってきても、何も言えなかった。
ただ自分を守るように立っている、彼の背中を――
見つめていることしかできなかった。
「……先程から彼女達の気配は感じていた」
彼の右手が突然顔に触れた。
「だが中々出てこないようだから、わざと君から離れて揺さぶったんだ。危険に晒してしまって――済まない」
そう言って、振り向いた彼の姿は、
最初に森に入った時と同じだった。
「え……」
戸惑いを安心で隠し切れずに、声が出た。
「……」
「スノウ、氷薄荷は採れたか」
「は……はい! なのです!」
「見せてくれ」
「どうぞなのです!」
茫然とするリーシャを横に、カルはスノウに近付き、かごに入った氷薄荷を一つずつ見つめている。
「……先輩、横で見ててもいいですか」
「構わない」
「……はい」
一瞬カルの隣にと迷ったが、あえてスノウの隣にしゃがむ。
「……」
カルとスノウの会話にそっと耳を澄ます。
その彼の表情は真剣であり、時々温和な感情も感じさせる。
醜いだなんて、嘘みたい――
「……意味はない」
「え?」
「今ここで隠しても、意味はないんだ。そうだ」
「……明日の試合で、君に見せ付けることになるのだから」
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