第33話 颶風の決闘

 ハインリヒはホームルームの為一年一組の教室に来ていたが、


 その途中で異常な魔力の奔流を感知していた。



(……これは何だ。複数の奔流が混ざっていて判別しにくいが……)



「せんせーい、急に黙ってどうしたんですかー」

「……ああすみません。そうですね、もう何も言うことないので終わりましょうか。皆さん今日も頑張りましょう」

「頑張りましょうー」




 生徒達は次々と自分の時間に入る。


 ハインリヒはそんな生徒達の談笑に耳を傾けていく。




「あーあ、アーサーの奴とうとう休んじまったよ。最近変だったから心配してたんだけど」

「……」



「……カタリナ? 今オマエに話しかけてるんだからな?」

「えっ!? ど、どうしてあたし……?」

「だっていつもの四人の中で二人休みだぜ。そしたら残った二人で絡むしかねーだろ」

「いつもの四人……?」



「エリス様、アーサー様、イザーク様、そしてお嬢様の四名でございます」

「ああ、そっか……そうだねセバスン。それにしても、アーサーだけならともかく、エリスもだなんて……珍しいね」

「暴漢に襲われて看病してんじゃねえの? アーサーがかばって大怪我したから看病してるとか?」




 イザークとカタリナの会話を聞いて、嫌な予感を巡らせていると、


 それを肯定するように突如教室の扉が開け放たれる。




「――ケビン先生にリーン先生!?」

「ど、どうしたんですか二人揃って……!?」

「ハァ、ハァ……うっ、傷口が開きそうだ……!」


「まだ完治していないのに急ぐから……! ハインリヒ先生、ちょっとお話が!」

「……廊下で話しましょうか」





 三人の教師は廊下に出てから、更に隅に移動し、生徒達に聞かれないように話をする。





「先生、決闘結界です。学園内のどこかで張られています」

「……やはりそうでしたか。私も感じました。そしてそれに混ざって二つの強い魔力の集合体があります」

「……それって!! 片方は風属性の力が強くありませんでしたか!?」

「ご名答です、リーン先生。もう一つは様々な属性が混ざった集合体――恐らくアーサーが力を使っています」

「なっ……」



「リーン先生の様子からすると、結界を張ったのはハンスでしょう。そしてエリスも結界の中に巻き込まれている……」

「失敗した!!! あいつの反対押し切ってでも、ちゃんと荷物検査しとけば良かった……!!!」

「結果論ですよ先生。今は現状を打開することだけを考えましょう」








「オラァ!」



 ハンスが腕を掲げると、大気が集まり渦を巻いていく。



 それが身体の二倍ほどの大きさになったところで、



 アーサーに投げ付ける。




 狂風が吹き荒れ砂煙が舞う。その中から人影が煙を引き裂いて突進してくる。




「いいぜ、もっと楽しませろよ……!」



 アーサーはハンスの眼前まで瞬時に迫り――



 首筋目掛けて斬りかかる。




 だがその一撃は風に弾かれ、虚しく空を切った。



 同時に砂煙がまた起こり、ハンスの姿を隠す。




「――っ」



 風が押し飛ばさんと吹き荒ぶ。自分に味方をしてくれる気配は一切感じられない。


 足に力を込め、左手の指先で態勢を整えつつ踏ん張っていると、



 突然脇腹に痛みが走る。



「……ぐっ!?」



 アーサーが傷口を見てもそこには何もない。




 そこで上を見上げると、



 無数の刃が浮かびアーサーを卑下していた。




 辛うじて視認できる線が、鋭利に輝く。




 空気で生成されているそれが、狙いを定めて降ってくる。




「くそっ……!」



 足に魔力を込め、風に抗い刃を避けていく。


 だが風は獲物を追い詰めるように荒れ狂う。



 脇腹、背中、足、腕。塵が具現化したような刃が身体に突き刺さっていき、山のような量の血を噴き出させる。



「……集中しろ……!」



 アーサーは身体の全神経に魔力を滾らせ、命令を出す。仇敵を探せ、見つけたら知らせろと。




 それから暫くの間、刃を避けながら演習場を疾駆していると、


 身体のどこかが信号を出す。




「――」




 それを察知した刹那、走っていた勢いを嘘のように殺し、



 何もない正面に向かって剣を振り下ろす。




「がっ……!」


「――背後にいたか」



 ハンスが姿を現し、同時に彼が統制していた刃も消え去る。



「ははは。ははははは……ギャーッハッハッハッハァ!」




 背中に大きな斬跡を背負い、血を滴らせながら、嗤う。




「面白い――面白い面白い面白い、なあぁぁぁぁぁっ!!!」


「退屈してたんだよ!! ウィーエルの人間共は腑抜けで、誰もぼくに敵わないんだから!! 久々に殺りがいのある相手じゃないか――!!!」




 滾り、嗤い、狂いながら、ハンスは地面に手の平を向ける。大地は何かに反応しているように、一瞬緑色に光った。




 アーサーがその因果関係を予測している間もなく、



 突如地面から突風が吹き出す。




「なっ……!」



 それはアーサーの身体を押し上げ、宙に浮かせる。




 グレイスウィルの城下町、アルブリア島を囲む海。生活拠点を見下ろせる高さに、アーサーは一気に押し上げられた。




「どうだ……これなら、こっちのもんだぁぁぁ!」



 鮮血が颶風に煽られ、赤い雨を青空の元に降らせる。ハンスはものの数秒でアーサーと同じ高さに追い付き、組み付く。



「ぐっ……!」

「ははははは、はっはっはっはァ……!」



 足でアーサーの首を締め、上から殴り続ける。




 辛うじて風に支えられているが、二人は高度をだんだん落としていった。




「……ふんっ!」

「があっ……!」



 戦況が動いた。アーサーが剣を足に突き刺したのだ。血が零れ落ち、ハンスの足の力が弱まる。




 散々吹き荒れていた風はぴたりと止む。大地は宙に舞う二人を引き寄せ始めた。



「これで――終わりだ」

「ぐっ……ぐぅぅぅ……! 放ぜぇ……!」



 アーサーはハンスを地面の方に向け首を絞める。もがくハンスの腕を剣で突き刺し、後は大地が裁きを下すだけ――






 その直前、




「やめて――!」




 可憐な声が微かに耳に入る。





「何っ……!」

「――」




 二人の周囲の大気の流れが変わる。それは二人を柔らかく包み込み、静かに地面に着地させた。




「……もう、やめて、やめてよ……」



 アーサーはハンスに馬乗りになったまま顔を上げる。




 その先にいたのはエリスだった。彼女は手を二人に向けていた。風の残滓が彼女の周囲を、ほんの僅かに渦巻いているのが見える。



 当の本人はというと、顔は涙と恐怖に歪み、身体を震わせながら膝をついていた。




「どうして、こんなことするの……」



 だが彼女は立ち上がった。僅かばかり残っていた、どうにかしないといけないという正義感か、


 あるいは別の感情で立ち上がり、二人に近付く。



「こんなに、血が出て……」



 学生服と鎧を赤く染め上げた二人を見て再びエリスは膝をつく。それを洗い流すように大粒の涙を零していった。




「アーサー、何してるの。その子から降りて」



 次に彼女が発した言葉は、とても冷酷で。


 まだ若い年齢ながら、主君としての務めを果たそうと、精一杯振る舞っていた。





「……こいつは」

「早く降りて」


「……こいつは、あんたを」

「ねえ、聞いてるの? 早く彼から降りてよ」



「……あんたを、殺そうと」

「早く回復魔法をかけなきゃ死んじゃうの。わたしがかけるから、降りて」




「――こいつはあんたを殺そうとした!」

「知らない! そんなの知らない!! いいから早く降りて!!! わたしの命令を聞いて!!! それでも――わたしのナイトメアなの!?」




 エリスは涙声で、精一杯声を張り上げる。




 それに対してアーサ―は、



 何も言うことなく静かに立ち上がり、ハンスから降りた。






「わたしが、わたしが、どうにか、しなきゃ……」



 ハンスは辛うじて呼吸はしているものの、完全に気を失っており顔も青褪めていた。エリスは傷口に手を当てて、震えた声で何かを呟き始める。


 その隣で、アーサーはカヴァスを呼び出し鎧から学生服に戻っていた。




 そして流れる血を気にも留めないまま、歪みきったエリスの顔を見つめていた。







「よし、やっと壊せた――!」



 エリス魔法をどうにかして行使しようとしている所に、ケビンがふらつきながら駆け寄ってきた。



 続けてハインリヒとリーン、そして演習場の周りから大勢の生徒が詰め寄って来ている。



「ああ……どうしてこうなっちゃったの……!」

「……リーン、先生……」

「エリス!」



 ハインリヒの後ろからカタリナとイザークが顔を出す。



 特にイザークはアーサーとハンスの姿を見ると、すぐに口元を手で覆った。



「……オマエとエリスが心配で来たけど、正直きついわ」

「……」



 血の付いた鎧は隠せても、傷口までは隠せない。傷口が服に触れ、まだ止まっていない血がみるみる滲んでいく。



「エリスちゃん、大丈夫よ。彼のことは私達に任せて。カタリナちゃん、エリスちゃんのことお願いできる?」

「は、はい!」

「よし、それじゃあ回復魔法を使って……ケビン先生、担架を持ってきてもらってもいいですか? ついでに生徒達を落ち着かせておいてください」

「わかりました……ぐっ! もう少しだ、持ってくれ私の身体……!」






 リーンとケビンが二人の治療をしている中、ハインリヒはアーサーに近付き耳打ちをする。



「何故剣を抜いたのですか」




 悪魔のように冷酷な声色だった。



 アーサーはエリスの方を見ながら、感情のない声で返す。



「あいつを襲おうとしたからだ」



 その返答を聞いて、ハインリヒの表情が暗く、冷たくなっていく。



「それはいつのことでしたか」

「さっきだ」


「何故襲おうとしたのですか」

「あいつの姿を見かけたからだ」


「エリスとハンスとの関係性は」

「オレとの関係を言ったら殺すと言われた」




「……何故それを、自分と彼との関係を、私に言わなかったのですか」

「誰かに言った時点で殺すと言っていた。だから言わなかった」

「……そうですか。ならもう大丈夫です」



 身体ごと視線を僅かに逸らす。閉じられた目が憂いを帯びているようにも見えた。




 そしてイザークのいる方向に身体を向けたまま、言葉を続ける。



「さて、貴方も保健室に行きましょうか。今立っているということは歩けますよね?」

「……ああ」



 ハインリヒはアーサーと共に歩いていく。




 しかしイザークの隣に来た瞬間、彼に耳打ちをした。



「貴方の思っていること、彼に伝えてあげてください」

「……はぁ」



 そんなイザークは、一緒に来た教師や友人達を見送った後、殿を務めるように戻っていった。





 演習場から誰もいなくなったその時、丁度雨が降り出す。地面に着いた血を、二人の生徒の戦いの跡を全て洗い流していく。

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