第34話 拳一つを手土産に
アーサーとハンスの死闘から数日後。
未だに回復していないのか、アーサーはまだ教室には来ていなかった。
手を頭の後ろで組み、足を机の上に放り出し、時々椅子を揺らしながら、イザークはハインリヒの言葉を反芻させ彼の席を眺めている。
(……先生にあんなこと言われちゃったけどなあ)
(思ってることつったって……)
ふと、自分の右前に座っているエリスの後ろ姿に声をかける。
「……なあエリス?」
「……何?」
「アーサーの容態ってさ、今どんな感じなの?」
「……わかんない」
「えぇ……お見舞いとか行ってないの?」
「……行ってない」
「あー、そうなんだ……え、傷とか心配じゃない?」
「心配だよ。心配だけど……」
か細い声が震える。
「……なんて言葉をかければいいか、わからないの……」
「あー、もういい。もういいよ。何かゴメンな……」
「……別にいいよ」
イザークはエリスから視線を逸らし、またアーサーの席に戻す。
(……何かつまんねえな……)
今はそこにサイリを座らせているが、感じている違和感は席を埋めてもなくならなかった。
(うん……そうだ。難しいこと考えずにつまんないからでいいんだよ)
そう決めて、隣の席のカタリナに視線を移す。丁度彼女と目が合った。
そしてエリスに聞こえないように話しかける。
「なあカタリナ」
「……な、何?」
「オマエ放課後暇?」
「課外活動があるけど……」
「そんなんサボれ」
「へっ!?」
「やっと決心がついたから、今日アーサーの見舞いに行こうと思っている。オマエも一緒に来いや」
「え、エリスは……? エリスの方が……」
「エリスがいたら余計気まずいだけだ。ボクとオマエだけで行くぞ」
「……」
彼女は考え込んだ後、セバスンを呼び出した。
「……今日の活動休むって伝えておいてくれる?」
「了解しました、お嬢様」
セバスンはカタリナの膝から降り、足早に教室を出ていく。
「オッケー、決まりだ。そうと決まったら購買行くぞ」
「え? 何で購買……?」
「見舞い品買うんだよ。まあそんなに高いのは無理だろうけど」
「……ならあたしも出すよ」
「……悪りぃな」
放課後、エリスは料理部の話し合いに顔を出していた。既に席に着いていたリーシャと言葉を交わす。
「おはよ、エリス」
「……おはよう」
「……」
「……」
その後にリーシャは重苦しく口を開いた。
「大変だった……みたいだね」
それに対してエリスは何も返事をしない。
沈黙している中に、ルシュドとヒルメがやってきた。
「はよはよ~。皆元気~?」
「こ、こんにちは」
「うん……? 何かエリっちいつもと違うね。何かあった? てかアサっちいないじゃん」
「おれも気になる……っと?」
リーシャは無言で立ち上がり、ヒルメとルシュドを引っ張り、机から引き離す。
「ちょっとエリス真面目にへこんでいるので。私が説明します」
「中間テストの点数がやばかったとか?」
「テストの点数の比じゃないぐらいにやばいです」
「あー……じゃああれ? 一年生で決闘騒ぎがあったってやつ? あれ関連?」
「あれ関連です。先輩は知ってるんですか?」
「いや、何か一年生が死にかけるレベルの決闘をして、一年生なのにすげーなー程度の認識だわ」
「……それで決闘したのがアーサーなんです」
「マジ?」
「もう一人が転入生なんですけど……知ってます?」
「めっちゃ性格悪いとは聞いてる」
「そうなんです。それでアーサーが目を付けられたって感じです」
「ふーん……」
ヒルメはリーシャの肩から顔を出し、エリスの様子を窺う。
「……これ今日はウチいたらダメなヤツだな。あっち行くわ、じゃあね」
「お気遣いありがとうございます」
「なんのなんの、ちょっかいかけてるのこっちだし」
ヒルメはそう言って別の生徒の所に向かう。
リーシャがルシュドに身体を向けると、彼はエリスに話しかけている所だった。
「……エリス」
「ん、なあに……」
「今、気持ち、どうだ?」
「……わかんない」
「アーサー、いる。楽、なる?」
「……わかんないけど、楽にはならないと思う」
「アーサー、一緒、苦しい?」
「わかんない……わかんないよ……」
エリスは腕を組み、その中に顔を突っ込む。
「……どうして、あんなことしたんだろう……」
腕の中に埋もれたその言葉を、ルシュドは聞き逃さなかった。
何も言わずに離れ、リーシャに近付き小声で話す。
「ちょっと何やってんのルシュド、そっとしてあげてよ……」
「……リーシャ」
「……何?」
「おれ……あいつに会いたい」
「……それって、お見舞いするってこと?」
「そうだ。おれ、言うこと、ある」
エリスの姿を視界に捉えてから、静かに言う。
「そっか。じゃあ話し合い終わったらお見舞いに行こうか」
「今行く」
「……えっ?」
「話し合い、する、言うこと、忘れる。だから、今」
「……一理あるわね。エリスはどうする? 誘う?」
「いい。誘う、しない。おれ、おまえ、二人だ」
「わかったわ。ヒルメ先輩!」
リーシャは鞄をごたごた抱えながらヒルメに呼びかける。
「ん、どした?」
「急用を思い出しました。後で話し合いの内容、連絡版に書いておいてください」
「了解した。それじゃ行ってら」
「行ってきます」
「おれ、行く! します!」
校内の生徒達は騒がしいが、保健室の前には重苦しい空気が渦を巻いている。外には雨が降り頻り、曇り空が時間の感覚を狂わせていく。
「あ、リーシャ……あ、あたしのこと」
「カタリナじゃん、おはよ」
「ようルシュド。元気そうだな」
「イザーク、こんにちは」
一年一組の二人と料理部の二人はほぼ同じタイミングで保健室の前にやってきていた。
「そっちの女子は知り合い?」
「うん。活動、同じ。そ、その子は?」
「クラスで席が隣同士。んでそこの彼女。ボクはイザークでこの黒いのがサイリ。オマエは?」
「リーシャ・テリィよ。よろしくね。こっちの雪だるまがスノウ」
「……カタリナ、です。この子がセバスン……」
「ルシュド、ジャバウォック」
軽い挨拶を済ませた後、話題は一瞬で変わる。
「料理部ってことは、アーサーの見舞い?」
「そうだよ。貴方達も?」
「まあいつもつるんでいるからな。そのよしみってヤツよ」
「……話、聞いた。アーサー、死にかけた……」
「どうやらそうらしいなあ」
「……エリス……」
そこからルシュドは口をつぐみ、拳を握り締める。
すると保健室の扉の方から開いた。
「おっとびっくりしたぁ!」
「あらあら可愛い生徒さん、こんなところでどうしたのぉ?」
長い耳でピンクの髪、それでいて白衣に身を包んだ女性が四人に話しかけてきた。
「お、お見舞いに来ました、ゲルダ先生。アーサーと今話せますか?」
「アーサー君ね。彼は今起きているから話せるわよぉ。それにしても、こっち入ってから色々話せばよかったのにぃ」
「いやあ、どうもね……まあいいや。もう中に入っちまおうぜ」
「中は狭いからナイトメアは仕舞っておいてねぇ」
窓の外では雨が降り頻る。
数日前、決闘をした時と同じような、全てを洗い流すような雨。
空から降り注ぐ雫は、葉に、花弁に、幹に滴り、それから大地に落ちていく。
ベッドに横になりながらずっとその様を見ていた。
彼が何を思っているのかは、無表情な顔からは読み取れない。
『私は私自身が産まれた時のことを、はっきりと記憶している。産声を上げる私の上空を、黄金の穂を引く紅い彗星が掠めて通った。その光景に加えて、私の金髪と紅い瞳を見た両親が、あれはこの子の為に流れた吉兆の星だと叫び、それを聞いた村の者も同様に口を揃えた』
『ブリタニアと呼ばれる私の故郷、そこは飢饉と悪天とに支配され、作物が実らない辺境であった。特に私が生まれた年は酷く、私を最後に新たな子供は村に生まれないだろうと予言されていた。しかし私が生まれたことでそれが覆った』
『小麦は地平線を覆い尽くすように実り、苺の実が謡うように生える。その光景を見て、私は恵みを齎した奇跡の子だともてはやされ、そして人々からの尊敬をも集めた。ただその間、私が何をしていたかというと、母に抱かれて乳を飲んでいたことだけだということは強調していおきたい』
時折気分を紛らわせるように、『ユーサー・ペンドラゴンの旅路』を開く。
その時目に浮かぶ光景は雨模様の空ではなく、物語の中で繰り広げられる壮大なイングレンスの世界に向けられるが、
景色から彼は何も感じ取ろうとしない。景色は景色であると、それだけ心が受け取っている。
「失礼するわよぉ。アーサー君、お見舞いの子達が来たわぁ」
外と部屋を隔てるカーテンが開く。
ゲルダは四人を通した後カーテンを閉め、再び外と遮断してから去っていった。
「よぉアーサー……見舞いに来たぜ」
イザークが笑顔を浮かべながら声をかける。アーサーは本を閉じ、何も言わず窓の外を見つめているまま。
「見た感じ傷治ってるじゃん。どうよ調子は」
「……」
「実はもう教室にも来れるんだろ? だったら来いよ。来なきゃバカになるぜ?」
「……」
「授業とかわかんない所あったら聞けよ? わかる範囲で教えてやる。まあぶっちゃけると真面目にノート取ってるのほとんどないけど」
「……」
「あー……もうダメだ」
イザークはベッドの隣の丸椅子に座って頭を掻く。
カタリナとリーシャは突っ立ったまま、ただアーサーを見つめている。
「何もないか?」
「……うん」
「そうだな……」
「まだ、まとまってないかな……」
「じゃあ、おれから」
そう言ったルシュドはアーサーの隣に立つと。
「……ぐっ!!」
「えっ……!? な、何してるの!?」
「はぁ!? ちょっ、はぁー!?」
「オマエッ……!?」
アーサーの胸倉を掴み、右頬を拳で殴った。
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