第2話 とりあえずは町へ

「ん……んん!?」



 早朝、ユーリスは家の外に出て衝撃を受けた。


 苺の畑に何者かが侵入した形跡があったからである。



「な、何だこれは……野犬でも来たのか?」



 足跡に近付き観察していると、


 後ろにある木々から物音がした。



 そして何かが近付いてくる気配を感じる。




「……今度は何だ? 苺を食った奴が戻ってきたのか? いやまさかそんな」



 ポケットからブレスレットを取り出し握り締める。しかしそれはすぐに、彼の手からぽろっと落ちることになった。






「……」

「……あ、お父さん……」



 エリスが――大切な一人娘が。



「……」

「え、えっと、これは……訳があって……」



 どこの誰ともわからない少年に抱きかかえられてやってきたからである。




 その光景を前にして開いた口を塞げない所に、ジョージが小走りでやってきた。



「……おいユーリス、こんなところで何やって……」

「ジョージか。丁度いいや。僕にタックルしてきて」

「は? 何だよ急に。というかあいつは……エリスを抱いているあいつは誰だよ」

「抱いているとか言うなぁ!!! 早くタックルしろぉ!!!」

「お、おう……ほらよっ」





\どがっ/

            \ばぎっ/


     \ずばごーん/



 牛タックルにより彼方まで吹き飛ばされたユーリスが戻ってくるまで約十秒。





「――痛ったぁ! 痛いなあ!! ということは現実か!!! これは現実なのかぁぁぁ!!! くそぉぉぉ!!! ほあああああああああああああああ!!!」



 彼は地面に突っ伏したまま拳で地面を叩く。悔し涙を若干滲ませながら。



 そうこうしていたらエリシアとクロまで駆け付けてきた。



「……これはどういう状況かしら?」

「シャァー!」



 流石にこの状況にはエリシアも唖然としている。その下でクロは白い犬に向かって威嚇をし、臨戦態勢となっていた。エリスは顔を赤らめて必死に言葉を探している。




 このようなある意味混迷とした状況の中、それを切り開くようにユーリスが身体を勢い良く起こし、アーサーに対峙する。



「あーもういい!! 何処の誰だが知らんがエリスに関わった以上だ、君も出張販売についてきてもらうぞ!!」

「あんたに命令される筋合いはない」

「……へぇ?」



 ユーリスの目が半開きになり、口先がひくひくしている。もう一つ煽れば次は罵倒が飛び出すだろう。


 彼にとってのアーサーの印象が確定した瞬間であった。



「お、お父さん、青筋立てないで……えっと……とりあえずわたしの言うことを聞いて、ついてきてもらえばいいからね……アーサー?」

「わかった」

「うん……よし。それならまずは家に――あ、アーサーから見て右前の方にあるんだけど、そっちに行こうか」

「わかった」


「あ、待って待って! わたしもう歩ける! 歩けるから降ろして……」

「そうだ! エリスも嫌がっているじゃないか! さっさと降ろせ!」

「てめえは首突っ込むな! ややこしくなる!」

「ふぶっ!」



 またジョージに突き飛ばされて地面に顔を打ち付けるユーリス。


 それを後ろにアーサーはエリスを降ろし、二人は横に並ぶ。



「わ、わたしは着替えたいから家に行くけど……どうする?」

「あんたについて行く」

「う、うん……」





「……何でこんなことになっちゃったのさぁぁぁ~、エリシアぁぁぁ~……」

「……それは私も訊きたいわ……」



 二人が並んで家に向かっていく様子を、ユーリスとエリシアは呆然と眺めていた。








 そんなことがあってから数時間後。エリスとアーサー、ユーリスとジョージはグランチェスターの町に来ていた。



 石と煉瓦で出来ている建物が多く並び、時々潮の香りが風に乗って感じられる。実に風情のある港町だが、今はその風情を感じる余裕はない。




「あ~……眠い。眠いよジョージ眠い」

「おお、君はユーリス君じゃないか。今日は娘さんも一緒なのかい」

「おら~何止まってんだよ進め進め~」

「てめえ、左見ろ左」

「ん?」



 ユーリスはそこで、ようやく声をかけてきた主と目を合わせる。



「おお、デンバーさんじゃないですか~。午前から町長の仕事サボりですか?」

「……どうしたんだね? 今日は機嫌が悪いようだが?」

「はははそんなことはございませんよ~」



 すると急にユーリスは飛び降り、エリスに声をかけて指示する。一方アーサーには氷のような視線だけを送り付けた。



「町長、これから僕達仕事に入りますんで。邪魔なのでとっとと消え失せてくださると有難いです」

「お、おお。頑張ってくれたまえよ」

「あ~い……エリス、やり方はわかるね?」

「うん。わかんない所あったら、ジョージに教えてもらうよ」

「それならいいんだ。じゃあばっちり仕事してくれよ?」



 エリスには微笑みかけ、アーサーをぎっと睨み付けた後、


 ユーリスは自身も屋台の設営に入っていく。





 一方で取り残されたデンバーはというと――アーサーを興味ありげに見つめていた。



「……」


「……はて。あの少年、どこかで見たことあるような……」






 屋台は木で作られており、優しい雰囲気を醸し出していた。そのような屋台がずらっと並び、人々の賑わう声で飾り付けられている。


 今日の食材を購入しに来た貴婦人、散歩途中の老人、それから黄色いスカーフを巻いた男など。並べられている作物に負けないぐらい、色々な人が屋台群を訪れている。




「アヴァロン村っていうかアンディネ大陸に住んでいる農家はこうやって作物を直売に来るんだよね。月一ぐらいでね。町の商会に営業登録していればどこの屋台使っていいかって連絡が来てね。それが来たらこうして直売にやってくるんだよね」



 ユーリスは説明口調の独り言を呟きながら、今日の予定の確認をしている。時々アーサーの方を見ながら。


 意識されていることを気にも留めず、アーサーはエリスの指示の元黙々と設営を行っていた。



「だからこの直売は農家にとってはお客様と繋がれるいい機会なんだよねー。そこの所をねー、分かってほしいんだよねー」




 ユーリスはそんなことを言いながらどんどん直売所から離れていってしまい、


 終いには直売所の入り口付近まで来ていた。




「……」



 自分の馬鹿さ加減をうっすら自覚していると、白い犬を連れて少年がやってくる。



 ぎょっと振り返って警戒すると、それは見覚えのある人物。アーサーであったのだ。



「次は何をすればいい」

「……え、もう終わったの?」

「終わりそうだから次は何をすればいい」


「……僕に命令される筋合いはなかったんじゃないの」

「あんたに指示を受けろと言われた」

「ワン!」

「……なるほど、なーるほど……」



 ユーリスが顔を引き攣らせ、アーサーがそれを眉も動かさずじっと見つめ返す。どちらも引かない拮抗状態になったが。




「きゃあっ……!」



 エリスの悲鳴が聞こえてきたので、それどころではなくなった。




「なっ、エリスの声……!?」

「……」

「ちょ、ちょっと待ってよ!」



 悲鳴を聞くや否や、アーサーはその場から消えるように走り出していた。それを追うようにユーリスも走る。






「はあ、はあ……あ、アーサー……お父さんも」



 屋台の中は物が散乱しており、その中でエリスが膝を落として倒れている。ジョージがその隣でエリスに足をくっつけて回復魔法を行使しており、黄緑と白の波動が彼女の足を包んでいた。



 アーサーが駆け付けた少し後にユーリスも到着して状況を確認していく。



「すまねえユーリス。誰かが入っていたのに気付かなかった。見つけた時には苺を盗まれていて、抵抗したんだが……このザマよ」

「あー……うん、大丈夫だよ。そういうこともある……二人が無事なら、それで」

「でもお父さんの大切な苺……盗まれちゃって、わたし……」

「……」



 アーサーは治療に片付けに追われる二人と一匹を無視し、街並みを見つめている。




 太陽は頂点よりもやや東。そろそろ商店街にも人がやってきて賑わいを見せてくる時間。




「……追ってこい」

「ワン!」



 アーサーから出現した白い犬は、返事のように一吠えする。


 そして屋台の商品を置く部分を飛び越え、石畳の匂いを嗅いだ。



 少し経った後、白い犬が駆け出す。




 そして、アーサーは屋台から勢い良く身を乗り出しそれを追う。



「……アーサー!? どこに行くの!?」



 エリスが叫ぶ頃には、一人と一匹の姿は遠く離れようとしていた。


 彼女は慌てて起き上がり、その後を追っていく。魔法の途中だったジョージは呆然とし、ユーリスは頭を掻きむしった。



「お、おい!? エリス、まだ回復途中だぞ!?」

「……ああもうあのクソガキ!!! やっぱり碌なことにならなかった――!!!」






「……こっちか」

「ワンッ!」




 商店街から離れ、周囲は徐々に海原が見えているという開放感がなくなっていく。代わりに建物が多くなり、窓から洗濯物を干したロープが出されていたりと生活感が漂ってきた。

 

 密集した建物同士が重なりあって、活気溢れる街の中に淀んだ影を作る。そんな路地裏の一つを前にして、白い犬は立ち止まった。アーサーは警戒しながら路地裏を覗く。




「……ひぃっ!? な、何なんだよアンタ!」



 そこにはまるで襤褸切れのような服に身を包んだ男が腰を下ろしていた。



 荒れた両手で木編みの籠を持っており、そこには苺が――エリス達が販売していた苺が入っている。


 男はアーサーとカヴァスを前にして、身体が小刻みに震えてしまっていた。果たしてそれは恐怖からか、罪悪感からか。





「――それを返せ」




 剣のように鋭い瞳で男を見下ろし、言葉を突き刺す。



「うっ……ああああああ……!」




 男は渾身の力で身体を起こし、路地裏の奥に逃げる。すかさず白い犬は消え去り、アーサーの姿を鉄の鎧に変えさせ、剣に光を宿す。


 その剣を一振りすると、風の流れが変わる。




 そのまま風が刃となり、男の後頭部に衝撃を与えた。




「ぎゃあっ……!!」



 男はそのまま地面に顔を打ち付け、目視できるほどに身体を震わせる。恐怖と罪悪感の双方が入り混じって、男の深層を深く鳴動させていく。




「やっ、やめてくれ……! 許して、許してくれよ……!」

「――主君の喚呼は開戦の号令」



 男は身体を起こし、太陽を背にしたアーサーに許しを請う。




 だが男の如何なる行為も彼を止めることはできない。



 そのまま剣を上に掲げて光を纏わせる――




「全ては主君の――」



 剣が振り下ろされようとしたその時、



「だめ! アーサー!」



 エリスがアーサーに体当たりをしてきた。






「――」



 そのまま体勢を崩して前に押し出されてしまい、やむなくアーサーは掲げた剣を下ろさなければならなくなった。




 剣が光を失った後、後ろを向いてエリスを見つめる。



「……何故止めた」

「そんなの! そんなのアーサーが人を斬ろうとしてたから……!」

「こいつは苺を盗んだ。あんたは苺を盗まれて悲しい、そうだろう」


「……それは、そうだけど」

「だったら苺を取り戻せばあんたは悲しくなくなる。違うか」

「……それは……」



 エリスは喉を詰まらせながら、完全にへたれ込んでいる男を見つめる。



「す、すまねえ……俺すごく腹が減って……食えるもんが欲しかったけど、でも路地裏暮らしだから金なくて……だ、だから、女とナイトメアだけなら、いけると思って、つい……頼む! 苺は返す! だから……殺さないでくれぇぇぇ!」



 男は鼻声で叫びながら正座をし、そのまま頭を擦り付ける。




「……もういいです。苺はあげます。だからわたし達にはもう関わらないで」

「ひっ……!」



 エリスが低く小さな声でそう返すと、男は立ち上がって籠を持ち、そのまま路地裏の奥に消えていった。






「……行こう。お父さんもジョージも心配してる」



 エリスはゆっくりと来た道を戻る。白い犬が瞬時に出てきて彼女についていき、元の姿に戻ったアーサーはエリスの後を追う。その間彼はずっと無表情で、口を結んだままだった。






「……凄いな。散歩していたらとんでもないものを見てしまいましたよ」



 路地裏から商店街に戻る二人と一匹を遠目に見ながら、赤いローブを身に纏った男性が呟いた。



「とんでもないものとは何でしょう。私に教えてください」



 その男性の後ろにいた、薄いクリーム色のローブの男性が言った。右手を赤いローブの男性と繋いでおり、どうやら彼に誘導されているらしい。




「いやもう、情報量が多すぎて――見たまんまのことを伝えます。最初にどこからともなく犬がやってきましてね、そのちょっと後に少年がやってきたんですよ。どっちも凄い勢いで。んで、路地裏にいた男を見つけて、その後犬が一瞬で消えて、そうしたら今度は少年の方が鎧を纏って剣から衝撃波を出してまして」



「……その後少女がやってきて少年を止めたと」

「ええ、聞いていた通りです。戻る時にまた白い犬が出てきて、そうしたら少年の見た目が鎧じゃなくなって、一般人みたいな感じになって帰っていきました」

「……ふむ」




 クリーム色のローブの男性が、手を顎に置いて思索に耽る。赤いローブの男はそれを見つめて次の言葉を待つ。




「……先程強い魔力の奔流を感じましてね。例えるなら魔物、巨人のような強大な魔物が数十体集まって咆哮したような、そのような感じの膨大なものです」

「巨人が数十……ああ、そういえば少女の方が少年の名前を呼んでいました。アーサーって」

「アーサー……ですか」



「……まさかアーサーって、アーサーだったりするんでしょうか?」

「貴方の見たことと照らし合わせれば恐らくそうでしょう。しかし九割九分を十割にする必要があります」

「……そうですね。もしも手違いがあれば大変ですから」

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