ナイトメア・アーサー/Knightmare Arthur ~Honest and bravely knight,Unleash from the night~

ウェルザンディー

序章 桜の花びらが旅をする季節に

第1話 少女と少年

『巡り行く運命の狭間に 主君と騎士は出逢いて

 奏で合う律動の軌跡に 忠義は夢幻爪弾く』


――『ユーサー・ペンドラゴンの旅路』、

   冒頭の一文




『束縛の夜、運命の牢獄は崩れ去り、

 解放の朝、誰とも知らぬ黎明に、

 二人は旅立っていった』


――『フェンサリルの姫君』、

   最終盤の一節






 魔法が芽吹き、異種族が生を謳歌するイングレンスの世界に、今年も桜の花びらが旅をする季節がやってきた。


 東からの風に吹かれて青い空を舞い、西からの風に吹かれて緑の大地を見下ろす。




 そうして旅をしてきたであろう花びらの、旅の終着点はアヴァロンという名の村。


 その村のとある民家、軒下に座っている赤髪の少女の頬に花びらが触れた。




「ん……」



 心地良い感触を肌に感じ、少女は目を開ける。




 緑の双眸が見据えたのは翠緑を纏った森、彼方に広がる家々、そして目の前に広がる畑。特に畑の中にはまだ茶色いままのものもあれば、緑の蔦や赤い果実を実らせているものもある。




「おー。エリス、やっと起きたかにゃ?」



 何かに呼びかけられてエリスは上を向いた。




 すると屋根の上から黒猫が下りてきてエリスの隣で丸くなる。黒猫の背中を撫でてやると、気持ち良さそうにごろごろと喉を鳴らした。



「……クロ。わたし寝ちゃってた?」

「そりゃもうぐっすりだったにゃ」

「ん……そっかあ」



 エリスは腕を組んで上に伸ばした。橙色に染まった空が一日の終わりを告げている。





 それから少しすると、彼女の近くに赤い牛が近付いてきた。



「よう、エリス。今日も美味い苺がたくさん採れたぜ」

「ジョージ、今日もお疲れ様……うん」

「わかってるよ。苺食いたいんだろ? ほら一個持ってけ、それぐらいならユーリスも許してくれるさ」

「えへへ……それじゃあ一口」



 立ち上がってジョージの背中に乗っている籠を覗く。


 そして程よい大きさの苺を見つけると、三個口の中に入れた。



「……クロは見ていたにゃ。今一個って言われていたのにエリスは三個食べたにゃ」

「おいおい……全くお前って奴は」

「だって美味しいんだもん、お父さんの苺……」

「はははっ、そうかそうか。それは苺農家冥利に尽きるなあ」




 苺を頬張るエリスの後ろから、麦わら帽子を被った男性が現れる。しっとりと潤った黒い瞳に、灰色のツーブロックヘアーが特徴的だ。



 彼は両手いっぱいに籠を持ち、その中には山盛りの苺が詰め込まれていた。




「あ、お父さん。今日もお疲れ様」

「ただいま、エリス。今日も苺がたくさん採れたよ。これだけあれば明日は大いに売れるだろうな」

「そっか……明日なんだね、グランチェスターに行くの」


「そうそう。エリスも行くんだろ?」

「うん。わたしもお父さんのお手伝いがしたいから」

「それは嬉しいなあ。いや本当、嬉しいったらありゃしない――」


「ユーリス、早く片付けろ。明日は早いんだから早く飯食って準備をしよう」

「あーそうだそうだ。じゃあエリスは家に戻って母さんの手伝いでもしていなさい」

「うん、わかった」

「クロもエリスと一緒に行くにゃ」



 ユーリスとジョージは家の隣の倉庫に、エリスとクロは家の中にそれぞれ向かっていった。






「エリシアー、何か仕事くれにゃー」

「お母さん、わたしに何か手伝えることある?」


「あら二人共、ありがとう。それじゃあエリスはシチューの鍋を見ていてもらえるかしら? クロは洗濯物畳むの手伝ってくれる?」

「はーい」

「了解にゃ」




 エリスはエリシアと入れ違いに厨房に立つ。鍋の中を覗くとシチューがふつふつと音を立てて煮込まれている。



 それを確認すると、後ろにいるエリシアとクロの方をそっと見遣った。




「今日は大変だったにゃ。森を散歩していたらケットシーに追いかけられたにゃ。それも紫のやつにゃ」

「あら、ということは闇属性? この辺りにも出るようになったのね」

「とは言ってもアンディネ大陸には色んな魔物がいるから、珍しいことではなくないかにゃ?」


「んー、でも闇属性ってデュペナ大陸の方に多く生息しているイメージねえ。リネスの商人達が運んできたとかそっちの方を考えてしまうわねえ」

「そうかにゃー、最近そういう話も多いからにゃー……」




 エリシアが取り込んできた洗濯物を、クロが魔法でタンスやクローゼットに飛ばしていく。一糸乱れぬ連携の様子をエリスはじっと見つめていた。




「ん。何にゃエリス。こっちばっかり見て鍋の方はどうしたにゃ」

「……はっ!?」



 エリスは我に返り鍋の中を見る。幸いにも焦げてしまう直前で、慌てて木べらでシチューを掻き回す。

 


「あらあら、エリスったら。私とクロが仲良くしているのが羨ましかったかしら?」

「……えへへ」

「うふふ……大丈夫、エリスも近いうちにこうなるわよ」



 すると家のドアが開き、ユーリスとジョージが入ってきた。ジョージは先程とは違って家に入れる程度の大きさに縮んでいる。



「おっ、今日のご飯はシチューか。僕はエリシアが作るシチューが大好物なんだよな~」

「まああなたったら……いつも一言多いんだから。エリス、シチューの様子はどう?」

「いい感じになってきたよー。今からよそうねー」






 数十分後、リビングのテーブルには器に盛られたシチューとこんがりと焼けたパンが入ったバスケット、コップに注がれた牛乳、そして苺のホールケーキが並んだ。



「いただきまーす……」




 食事の挨拶の後、スプーンを手に食べ始める。日はすっかりと沈んで今日も夜がやってきた。天井から吊るされたランプが食卓を温かく照らす。




「……はむっ。はあ、美味しい」

「あらエリスったら。先にケーキ食べるの?」

「好きなものは先に食べるからねっ。もぐもぐ」

「ほら慌てない慌てない。口にクリームついてるよ」

「あっ……えへへ」



 エリスはスプーンを動かしながら、ユーリスの隣に座っているジョージを見つめていた。



「どうしたエリス。ジョージが気になるのかい?」

「うん。ジョージ……というか、ナイトメアって不思議な生き物だなって」



 さっきまでエリスよりも大きかった牛は、今はエリスよりも少し小さいぐらいまで大きさを変え、エリス達と同じシチューを美味しそうに食べている。





「……ナイトメアは友人であり相棒。主君のために戦い仕える騎士。主君の喜びは我が報酬、主君の悲しみが我の敵……」


「我は鞘で主君はつるぎ。二つが奏でる魂は、世界を駆る光なり……ってね」



 昔の吟遊詩人の詩を口にしてから、エリスは両親の方に向き直る。



「わたしの所にも早く来てほしいな。わたしのために尽くしてくれる騎士様!」

「はははっ、まあそうだよなあ。エリスももう十二歳だし、そう思うのは自然なことだ」


「十二歳……早いわねえ。あなたもあと少しで叙任式。そうすればエリスの所にもナイトメアがやってくる」

「そうなの、そうなの。わたしのナイトメアはどんな姿をしているのか、考えるだけでドキドキするの。黒い猫かな、赤い牛かな、それとも……」

「……イケメンの男の子とか?」



 エリシアがそう言った途端、ユーリスがむせた。



「うぇっふう!!! ちょっ、エリシア……ない!!! それはない!!!」

「あら、そうかしら? エリスはすごく可愛い子だし、それぐらい来ても……」

「いやいや、本当にあり得ないんだってば。大体は動物や魔物や無機物、人間が来ても同性か極端に年が離れているかだ。同年齢の異性、ましてやイケメンなんていうのはまずあり得ない」


「あらあら、私は別にエリスと近い歳のだなんて言ってないけど? それにどうしてイケメンっていうのを強調するの?」

「うっ、それは……げふんげふん」




 ユーリスは咳き込んでから、そのまま一気にシチューをかきこみ始める。



 それを横目にエリシアとクロは、微笑みを添えてエリスの方に向き直った。




「とにかくエリス、どんな姿のナイトメアが来ても驚かないで仲良くするのよ?」

「余程やばそうなのがこない限り大丈夫にゃ」

「うん、それはもちろん!」




「……よし! ごちそうさま!」



 シチューの皿を勢いよく置くユーリス。どんと音が鳴った。



「さあて、明日は早いからもうお風呂に入って寝よう。ジョージ、早く沸かしに行くぞ」

「んあ……もう行くのかよ。だがお前の、ご主人様の言うことなら仕方ねえな」

「そうだぞー、僕はご主人様だぞー」



 一人と一匹は軽いやり取りをしながら立ち上がり、風呂場へと向かっていった。



「あら、あの人ったらお皿片付け忘れてる。エリス、悪いけどお父さんの分も片付けてもらってもいい?」

「はーい」








 夕食から時間は過ぎて真夜中。月は真上から西に傾き、ほんの少し暗い空が明るくなってきているようにも思える。




(……変な時間に起きちゃった。明日グランチェスターに行くのが楽しみだからかな……)



 エリスは庭に出て空と畑を交互に眺めていた。夜特有の冷たい空気が肌に張り付いていく。



(十二歳……わたし、もう十二歳になるんだ)




 家々から少し離れた、小高い丘になっている所を見つめる。



 今いる場所からは何かが建っているのが目に入った。夜の闇も相まって形を詳しく認識することは難しいが。




(あそこに赤ちゃんだったわたしがいて……たまたまそこを通りかかったお父さんとお母さんが拾ってくれたんだっけ。だからわたしの本当のお父さんとお母さんはわからない……)



 ふっと息をついてまた空を見上げた。



(今わたしがいられるのもお父さんとお母さんのおかげ。それに感謝しなくっちゃ――)





 目を閉じると、冷たい風が一層心地良い。





『我らは役者、刹那の傀儡――』



 右腕を広げて、左手を胸元に当てて。



『生まれついたその日から

 定められた歌劇を踊る者


 喜劇に生まれば朽ちても歓笑

 悲劇に生まれば錆びても涕泣


 果てに望む結末は

 誰にも知られず虚無の果て――』



 くるりと回って、スカートがふわり。



『遥か昔、古の、


 フェンサリルの姫君は、


 海の蒼、大地の碧を露知らぬ、

 空の白のみ知る少女


 誰が呼んだか籠の中の小鳥、

 彼が呼んだは牢獄の囚人――』



 夜空に浮かんだ月が、一人の演者を照らし出す。


 

『心を支え、


 手を取り、


 解き放つには、


 一粒の苺があればいい』




『――さあ』


『束縛の夜、運命の牢獄から飛び立って』


『解放の朝、黎明の大地に翼を広げよう――』






 その時、何かが蠢く音が聞こえた。



「……ん?」



 歌を中断し、音のする方向に振り向くと、


 苺畑に物影が見えた。




 それは屈んだ姿勢をしており、畑を漁っているように見える。




「もしかして苺を食べてる……?」




 不安が過ぎったエリスは、倉庫からスコップを持ち出して物影に近づく。




「なっ、何してるの――」




 するとそれはエリスに気が付いたのか、


 慌てて森の中へと飛び込んでいった。




「あっ……! 待って!」






 月はいよいよ空の頂点に達し、人々の目印となって君臨する。星はその隣で静かに瞬いているのみ。



 雲一つない空。そこに浮かぶ全ての者達が、予感を感じて静かにしているようにも見えて。






「……こっちの方に逃げたかな……?」



 森の中を掻き分けて進んで行くエリス。鬱蒼と生い茂る森は夜の闇を取り込み、殊更に暗くなっている。



「……苺の味を覚えてまた来るかもしれないから、ここでどうにかしなくっちゃ……あっ!」





 エリスは足を止め、そこにいた者を発見した。




 尻尾が二つに割れ、鋭い牙と爪を覗かせ、瞳のない目で睨みつける四本足の化物。





「ケットシー……クロが言っていたやつ、ねっ!」



 手にしたスコップを振り下ろして攻撃する。


 しかしケットシーはそれをするりと避けると、低く響き渡る鳴き声で鳴く。



「えっ……何、これ……」




 暗闇の中から赤い点が現れる。それは二つで一組になっており、鳴き声が広がっていくのと同じように次々と増えていく。




「もしかして、一匹だけじゃなかった……?」




 非常に悪い状況になってしまった。


 身に宿る心臓はそれを知らせるべく、そしてこの状況を脱するべく彼女の身体に血を流し続ける。




 彼女もそれに気付いたのか、不安と緊張が身体を震わせてしまい、手からスコップを落としてしまった。




「きゃあっ……!」



 エリスが立ち竦んでいると、ケットシーの一匹が木の合間から出てきて飛びかかってきた。あと少しの所でそれを避け、そして来た道を戻ろうとするが。



「はあっ、はあっ……!」



 走っていく先には先程見た赤い点――獲物を狙う化物の目が待ち構えている。それに誘導されるかのようにエリスは走っていく。






「……え……」





 最後に彼女の前に現れたのは岩壁であった。自分の身長よりも遥かに高い壁が聳え立っている。





「ああ……」



 エリスは後ろを振り向き、そして足の力が抜けてしまう。




 そこには沢山の赤い目が光っており、


 持ち主の幾つかは、エリスの前に姿を現していた。




「うわあああああっ……!!」



 凶爪が襲いかかる。非力な少女は顔を下に向け、自然の摂理に身を委ねる所だった。








(……)




(……えっ?)





 だが何も起こらない。



 何も感じない。



 ただあったのは足の力が抜けた感覚だけ。





「主君の喚呼は開戦の号令」



 少女はゆっくりと、震えながら顔を上げる。



「主君の涙は戦の象徴」



 目の前に依然として居るのは獰猛な狩人達。



「主君の敵は己が仇敵」



 だがその全てを数え切る前に、目に入ったのは。



「我が剣は闇を断つ――」




 鉄の鎧を身に着け、右手に剣を持った少年。




「全ては主君の御心のままに」





 詠唱が終わった瞬間、

 

        剣は煌光を纏う。






 放たれる剣戟は不埒な獣共を切り伏せていく。




 断末魔の声も飛散する血も、大地を踏み締め剣を振るう少年の姿も、全て等しく昇ってきた太陽に照らされる。


 優美で、高潔で、幻想的。年端もいかない乙女が憧れるような、王道の物語。


 その物語の一部を再現させたかのような光景は少女から言葉を奪う。




 気付けば今この場で生きているのは、



 少女と少年だけになっていた。




「大丈夫か、あんた」




 安堵感と共に、少女は少しずつ幻想から現実に戻っていく。



 風がそよぎ、草花は微笑み木々は囃し立てる。




 少年は剣を鞘に納めると少女の方に近付き、



 眼前で片膝をついた。




「オレの名前はアーサー。あんたを守る騎士だ」



 星のような金色の髪を靡かせる、精悍な顔立ちの少年は、燃えるような紅い瞳で少女をじっと見据えている。






「……あ、あの……」



 生命の危機は去ったが、エリスの心臓はまだ収まらない。それどころか見知らぬ彼と二人きりである現在の方が、より早く鼓動を打っている。



「……よろしくね、アーサー……」



 高鳴る心臓を押さえ付け、顔を下に向けて目を合わせずにして、ようやくエリスは何とか言葉をひねり出した。




 目の前にいる彼に対して、何者か尋ねる前に、忠誠を誓われたことに対して応える責任の方が勝るエリスであった。



「えっとね……とりあえず家に戻りたいんだけど……ま、まだ足が動かないみたいで……その、早速で悪いんだけど、連れてってくれると嬉しいな……」

「わかった」

「……えっ」




 アーサーは迷うことなくエリスを両手で抱きかかえ、首と腰を支えた。下から見上げるアーサーの顔がエリスの視界に入る。首を支えられているので顔を背けることもできない。




「えっ、えっと……あっ、この辺りのことわからないよね、それなら……」

「出てこい」

「へっ?」



 するとアーサーの目の前にどこからともなく白い毛並みの犬が現れた。


 犬はワンと返事をすると、地面の臭いを嗅ぎ始めて勝手に進んでいく。




 そして犬が現れたと同時にアーサーの姿も変わる。


 白銀の鎧から質素なシャツとズボンに服装が変わっていたが、顔は依然として変わらず星が落ちてきたように美しい。


 態勢も変わらず抱きかかえられたままだった。




「行くぞ。あんたはじっとしていろ」

「えっ……」




(……えええええっ!?)

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