勇者達の結末

九十九

勇者達の結末

 時間の流れが穏やかな館の中。

 繰り返す問答と一向に進まない状況に、凛とした姿の青年は遂に耐え切れなくなったらしい。

「どうして入れないんだ!」

 剥がれ落ちた敬意を取繕う事もせず響いた怒号に、私は眉根を顰めた。

 怒号が不快なのではない。剥がれ落ちた敬意に怒りを覚えている訳でも無い。ただ、純粋な目の前の人物が哀れで仕方ないのだ。

 純粋な憐憫。母親が子の行く末に挫折が存在しているのを知ってなお、見守るような気持ちとよく似ている。

「聞いているのか!」

 何時までも口を開かぬ私に、相手は苛立ちを隠す事無く詰め寄って来る。襟元を握り締めて来る力の強さから、私の表情を見て、何かしらの勘違いをしている様子でもあった。

 実際、彼の仲間は勘違いをしていたようだ。彼の隣で人形のように整った顔を厳しく顰めた少女が、強い視線で私をねめつける。

「貴女、この方がどなたか理解しているのですか?」

 言外に早く通せと促す少女に、私は襟元を掴まれたままの首を振った。

「まさか、この方がどのような方なのか、本当に知らないのですか?」

「いいえ」

「では」

「ここから先は禁忌空間です。お通しすることは出来ません」

 再び首を振る私に、馬鹿にされたと思ったのだろう、少女は顔を赤くする。

「彼が何者か分っているのならば、どうして妨げるのですか!」

「禁忌空間だからです」

「禁忌空間だから入る必要があるのです! 私達は世界を救うために動いているのです。その最前に立つ彼が必要だと」

「いいえ、禁忌空間に入る必要は有りません。皆様にこちらは必要ありません。調べ物でしたらあちらをお取りください」

「このっ」

「あちらの禁書が皆様に必要な情報です。禁忌をお求めでしたらあちらも禁忌、一般の方にはけして公開されない、持ち出し不可の禁書です」

 少女は感情に任せて、声を荒げながら私の腕を掴んだ。襟元と腕がきつく締まっていくのを感じながら、私はこの先どうするべきかを考える。

「あ、あの」

掴みかかって来ている二人よりも後ろから、控えめな声が届いた。

「えっと、神祀かみまつりの者です。僕の父から、古書館の物は全て調べて構わないとの許可を貰っているのですが」

「そ、そうです! この子が居るのに止められること自体が可笑しいのです!」

 控えめな声の主、何処か自信無さげな少年がおずおずと切り出すと、それまで私の腕を握り締めていた少女が思い出したとぱっと表情を変えた。未だに襟元を掴み上げている青年は、どう言う事だと顔を顰めて私を見て来る。


 私は改めて目の前に居る三人の瞳を順々に見詰めた。

 濁りの無い真っ直ぐな目だ。正義感とほんの少しの蛮勇を携えた子供の目が六つ、目の前には並んでいた。

 勇者として祀り上げられた青年、魔術研究所の被検体の少女、神を祀る組織で地位を確保している祭司の八番目の息子。

 劣等感の中でやっと掬い上げられた子供達は世界を疑う事を知らないまま、大人達の人柱にされている。


「あ、あの」

「神祀りの祭司様の八男様ですね?」

「は、はい」

「貴方はお父上にどのように託ってここに?」

「古書館には様々な知識があるから勇者様達と行くように、と。その際に全ての場所に入る事、全ての物を調べる事を許可すると」

「禁忌空間も?」

「はい。父も詳しくは無いようでしたが、そこに僕達の助けになる物もあるかもしれないと」

「禁忌空間には私達が必要とする物があるのではないか、と彼のお父様は言っていました。私達の導に関して魔術協会が彼のお父様に一任している事から、間違いは無いと思っています」

 どうやら更なる地位の取得を目論んでいる祭司殿は、子供達に上手く仄めかせたらしい。容易に予想の付く思惑に自然と眉根が寄る。

 魔術協会に関しては対処があからさまだが、そう言う輩の集まりなので今は置いておく。

「禁書に関しては?」

「えっ、えっと、特には聞いていません」

「聞いていない、とは?」

 私の声の温度を敏感に感じ取った少女が、少年を庇う様に半身をずらした。

 対する少年は困惑した様子で見上げていた瞳を忙しなく右へ左へと動かす。その様子に何も知らされずに動かされているのが見て取れて、酷く可哀想になる。

「ちょっと待て、この質問は必要な事か?」

 仲間の少年の様子に助け舟を出したのか、それとも一向に進まない状況に焦れたのか、恐らく前者であろうが、青年が疑問を口にする。

「必要です」

 青年の質問に簡潔に答えると青年は渋い顔をした。予想を確信に変えるための確認作業ではあるが、今後の方針としても必要なのだ。

「こいつの親父さんから託ったから俺達はここに来た。あんたがこいつの事を知ってるって事は身元も保証されている。勇者の立場としても、こいつの親父さんの意見としても、禁忌空間の調べは必要だ。これ以上何も無いだろう」

「私は管理者ですので」

「あ、あのっ」

 納得がいかない様子の青年と私の間に割って入るように、少年が慌てて声を上げた。

「あの、父は。父は、禁書の事は何も言っていませんでした」

「ふむ。成程、有難うございます」

 どうやら、八男ともなると生贄に出すのは惜しくは無いらしい。馬鹿な男ではないと思っていたのだが、考えを改める必要があるようだ。長い繁栄の中で立っていられる器でも無かったらしい。

「あのっ、えっと、僕もその。僕、だと知らなかったので、父ももしかしたら禁忌空間の中に禁書も含まれると思ったのかも知れません」

 私の含みに何かを思ったのか、慌てた少年は尻すぼみになりながらも父を庇う様に言葉を繋げた。けれども、直ぐに顔を青褪めさせて私を見上げる。

「君は聡い子のようですね」

 あんまりにもあんまりに少年の顔色が酷かったので、出来るだけ怖がらせないように微笑んだ。少女と青年は驚いた顔をしていたが、どうやら私の表情に驚いただけで言葉の真意には気付いた訳では無いらしい。

「あの」

「伯父上とは、仲良くさせて頂いておりますので」

「そう、ですか」

 肉親に心底甘い男の事だ。幼い子供の好奇心に全力で応える姿が容易に想像できてしまい、心の中で苦笑する。

「それで、結局は入れるのか」

「いいえ」

「彼のお父様は許可を下さっているのに、どうして」

「彼のお父上の地位では禁忌空間の立ち入りの許可は下せないからです」

「えっ」

「禁書に関して言えば、ある程度の地位の祭司様でしたら閲覧の許可を下す事は難しくは無いでしょう。ですが、禁忌空間は別物です」

「でまかせだろう?」

「いいえ」

「仮に別物だとして、勇者様が入れないと言う所が腑に落ちません。今は魔王を倒さねばならない危機に瀕した現状です。優先すべきは平和であり、そのためには勇者様の力が不可欠です。その勇者様本人が求められているのに入れないと言うのは一体」

「ここにあるものは貴方方には必要の無いものだからです」

「では、言葉を変えます。魔術協会も祭司様も必要なものがあると示して下さいました。それに対して勇者様も必要があると判断し、私達はここで貴女と話しております。何故、のでしょうか?」

 人形のように整った顔の中で、美しく煌めく眼が真っ直ぐに私を射貫く。実験室の中で無知に育てられた傀儡かとも思っていたが、どうやら想像よりもずっと人間らしいようだ。

 けれど。

「私が管理者だからです」

「だから、それでどうして拒めるのですか! 世界の平穏のための足掛かりがここに有るも知れないのに!」

「ここに有るものが俺達に必要が無いとどうして言い切れる。俺だけの意見や噂話であれば確かに不確かだ。だが、魔王を倒すために魔術協会も祭司達もここに何かがあると考えているのに」

 可哀想な事に彼等はどこまでも、大人達のための礎なのだ。選択肢を与えられなかった子供達は選択肢が有る事を知らないまま、大人達に良いように唆されている。

 大人達によって長い時間を掛けて作られた彼等の世界を揺るがす事は、他人は愚か、彼等自身にも簡単には成し得ない。

 ならば、最後の選択肢くらいこの子達が選んでも構わないだろう。


「申し訳ありませんが、私はこれから用事がありますのでここで失礼致します」

 少々、態とらし過ぎただろうか。

 時計を見る大きな動作に、急な話題の変更。変に警戒させるだろうかと目の前へと視線を向けると、唐突に切り出された話題に三人は驚いた様子で目を丸くするばかりで、警戒をしている様子は無い。

「古書館は日が落ちるまで開いておりますので調べ物は可能ですが、私はこれから明日の昼まで所用のためここから離れますので、館内での重要な受け付けや手続きは明日の昼以降となります」

 今が好機とばかりに必要な情報のみを与えていく私に対して、目の前の三人は上手く状況が飲み込めていない。

「基本的には私は古書館を離れませんので、詳しい手続きなどは明日以降でお願い致 します。禁忌空間に関しては先程話した通り、皆様には必要が無いと管理者として判断しております。また、彼のお父上の許可では入れませんのでご了承ください」

 呆気にとられた子供達が、ただ目の前で帰り支度を始める私を目で追うことしかして来ないので、まるで巣立ち前の雛鳥のようだと心の中で苦笑する。

「あ、あの、では、許可を取るとしたら誰に」

 いよいよ外へと足を向け始めた私を、我に返った神祀りの少年が止める。遅れて、我に返った少女と青年は少年に呼応するように頷いた。

「皆様に一番近しい所で言いますと、神祀りの総括殿でしょう」

「そっ!」

「禁書でしたら何時でも開示しております。皆様に必要なものは禁書の中に御座います。この後、閉館まで読んで下さっても大丈夫ですので。それでは」

 揃って目を見開き、全然近くないと愕然とする子供達を後ろに、私は言葉を残して歩き出した。

 この先をどうするのか、選択は子供達次第だ。



 本棚の立ち並ぶそこは上下右左と空間が捻じ曲がり、いつも気紛れに形を変えている。

 今は大きな書物庫と化しているその場所で、私は梯子の一番上に腰かけながら本のページを捲る。

丁度、物語が幕を閉じた所で入口から気配がした。

「選択は自由だからね」

 苦笑して来客を待つ心の内はさほど軽くない。


 魔術協会の最新の被検体なだけあって、細工を施したいくつもの扉をいとも容易く解除してくる少女には舌を巻く。優秀な検体をこんな事に消費していいのか、とは思うが相手は魔術協会だ。恐らくそこら辺は抜かりなく次の優秀個体が確保できているから消費に回したのだろう。

 技術が少女であるならば、知識は神祀りの少年で、力が勇者の青年だろうか。細工にも幅を持たせてあったのだが、各々の役割の元に力を合わせて確実にこちらへと向かって来る。

 こんなところで消費されなければ、それなりの名声を得るなり、賢く暮らすなり出来たであろうに可哀想だ。

 遂に、重い音がして空間への入口の扉が開かれた。

「いらっしゃい」

「なんでここに居るんだ」

「貴女はここには居ない筈では」

「どうして」

 梯子の上から挨拶をすると、私の存在に気付いた三人が勢いよく顔を上げた。警戒した顔が二つと驚いた顔が一つ、誰も彼もが困惑と焦りを瞳の中に滲ませている。

「罠だったのか?」

 青年は少年少女を咄嗟に背後に庇いながら、腰に付けていた剣を手にしてこちらを睨む。

「罠を張ったつもりは無いよ。そもそも、君達の方がここに入ってはいけない筈だろう?」

「それは」

 性根の曲がっていない青年は自身の非を指摘されて口籠る。

 褒められた手段では無いと分っていながら後には引けないとここまでやって来た青年は、大人達にとってどれだけの価値を持っているのだろうか。 

 哀れだと思う。選ばれてしまったから、作られてしまったから、そうあったから、なんて些細な理由で可哀想な子供達はここに立っている。別に彼らである必要なんて無かったのに。

「まあ、君達に選択肢として提示したようなものではあるだろうけれど」

 もし私が古書館から離れないと知っていれば、彼らは強硬手段に出ずに終わったのかも知れない。少なくとも今日ここに訪れる事は免れただろう。

「それでもこのに来る事を選んだのは君達だから」

 それでも、彼らはこの道を選んでしまった。他の選択肢を選ぶ事も、選択を放棄して大人に教えを乞う事も出来たのに。

「だから、まあ仕方がない。この先は、君達が選んだものの結末なのだから仕方がない」

 

 可哀想に、と口の中だけで呟いた。

 ざわつき始める背後の空気に耳を澄ませて、その瞬間を待つ。

 筆舌しがたい不気味さを伴って空間の空気が揺らめく。上に下に、右に左に。遠くへ、近くへ。空気を忙しなく震わせながらは姿を現した。


 空気の揺らめきが途切れてから一転、静寂に包まれた空間には三つの浅く早い呼吸音が響いていた。

 呼吸の主たちの顔色は気の毒なほどに白く、立っている事さえ困難なように思えた。

 研究室の外を知らなかった少女や家柄に守られていた少年は、腰が抜けてしまったのだろう。地べたへと力なく座り込み、放り出された足は震えるばかりで一向に立てそうにない。

「なんなんだ、これは」

 絞り出したか細い声が青年の口から零れた。

「お前は魔王の手先か?」

 必至に吐き出した声は、けれども強い意志を持っていた。

 青年は片膝こそ着いてはいるものの、担ぎ上げられた名に相応しく、いまだに勇ましく剣を構えながら背後の二人を庇い続けながらこちらを睨み上げていた。

「魔王を信じているの?」

「は?」

「大人の言う事は正しいのかな? 今までずっと見てくれなかったのに」

 私の意図が掴めない青年は探るように私を睨んでくる。

 数秒、私は青年の動向を、青年は私の真意を、互いに探るように見つめていた。

 ふと、視線をずらすと、青年の強い意志につられてか後ろの少女と少年が力を取り戻し始めていた。

「あ」

 咄嗟に声が零れるのと同時に右頬を緩く風が撫でた。

 一度瞬くと、少女の細い身体から赤色が溢れる。

「え?」

 青年と少年は勿論、当の本人である少女も何が起きたのか分からないまま、溢れる赤色の根元を見詰めた。

「あ、あ」

 束の間の静寂の後、響いたのは絶叫だ。濁音だらけで言葉として機能していない、単純な音としての叫び声が小さな少女の口から溢れ出した。

 混乱の中で少年は少女の傷口を両腕で抑えて止血を試みる。が、赤が辺りに滲むばかりで願い通りに止まってはくれない。

「それでは止血はできないよ。君は神祀りの子だろう?」

 少年の必死な様子に声を掛けると、たった一言で察しの良い少年は解決法を思い出したらしい。腰に備え付けられた小さな鞄から札を一枚引っ張り出すと、少女の腕の付け根に張り付けた。

 すると、それまで滲んでいた赤色はぱたりと途切れ、少女も息は早いながらも痛みに叫ぶ事を止めた。

 どうやら少年の父親が下した評価よりもずっと彼は優秀であるらしい。

「言い遅れてしまったけれど、ここで魔術式を記すのは危ないよ。嫌っている方が居るんだ。それ以外にも色々あるのだけれど大凡が気分で決まるから、まあ下手に突かない方が良い」

 人形の部品が壊れたようにすっぱりと抜け落ちてしまった少女の腕を眺めながら、遅れた注意を促す。

「お前は何なんだ。この化物は何なんだ」

「化け物とは酷いな。君達だって拠り所にしているのに。ああ、でも君達は尊ぶ時、自分に近しい姿を連想する事が多いね」

「何を?」

 勇者と担ぎ上げられた子供は目の前に現れた理解不能の存在に震えて、今にも崩れ落ちそうだ。それなのに、彼は後ろの二人を守るために二本の足で立とうしている。

 何をどうしたら自身に危害が及ぶのかなんて分らないのに、こちらに向けられた剣は震えこそすれ、ただの一度も逸らされることは無かった。

「この世界にはね、魔王なんて優しい存在は居ないんだよ」

 その姿がいじらしくて、出来るだけ優しく私は語りかけた。

「何を言っている?」

 青年の声が混乱で上ずる。

「例えば、どこかの国の賢王と逞しき民達」

「は?」

「例えば、たった一人を守りたい英雄の成り損ない。例えば、生まれ持った大きな力に悩まされる子供。例えば、本の気まぐれで姿を変えられた善良な村人」

「何の話をしている?」

 青年の焦燥が手に取るように分かった。気絶した少女を支えている少年は血の気の失せた顔で私と青年とのやり取りを見守っていた。

「例えば、勇者に祀り上げられた者の成れの果て」

「だから何の話を」

 聞きたくない、と青年の目が訴えていた。

「作られた敵を分かり易く示すために、人はそれを何と呼ぶのだろうね?」

「違う、魔王は居ると」

「どこかの正義と正義の話は、どこかの魔王と勇者の話になる。この世界には魔王なんて優しい偶像は居ないんだよ。君達に標した本は結局、読まなかったんだね」

 そう言って梯子の上から微笑むと、青年は怯えた目で剣を強く握り締めた。


 恐らくどこかで違和感に気付き始めている。それでも、それを受け入れられるほど彼らはこの世界の外側を見ていない。大人達に積み上げられた壁はどこまでも高い。

 自身の立っている場所を根底から揺るがす事実を人はそう簡単には許容できない。


「それが禁書に書かれていた事なんですか? 世界の仕組み、あるいは隠された歴史がある、と。僕らの役割は、僕らが眺めている視界は、作られたものである、と」

「君は賢いね。流石、神祀りの子だ」

 神祀りの少年が真っ直ぐな目で私の目を見詰める。顔色こそ悪いものの少年は落ち着いていた。彼の中で何かが腑に落ちたのかも知れなかった。

「僕らに禁書を進めたのは、僕らの勇者と魔王の概念が作られたものだと教えるためですか?」

「お前、何言って」

「選択肢を知らなければ、選択する事は出来ないからね」

「作られたものって何だ? なあ?」

 苦しそうな表情の少年は一度大きく深呼吸すると、狼狽える青年に静かに目を合わせた。

「僕らは、例えば僕は父に多分、生贄みたいなものに出されたんだと思います」

「そんな事」

「今ここに、禁忌空間の中に存在する方々は神様です。本当は空間の事も禁書の事も知っていたんです。とは言っても何となくですが。でもそうしたら、父が僕に、僕達にさせたい事は、ただの使い捨ての駒だって考えたら」

 青年がぐずる子供のように首を振った。認めたくないと少年を見詰めるが、少年は力なく笑い返すのみだった。

「神祀りは通常、神との謁見に対して手順を踏まなければなりません。神様の怒りに触れますから。だから、ここを父が示したという事は、つまりはそういう事なんだと思います。考えてみたらおかしい所はありました。それでも」

 少年が言葉を区切る。


 可哀想に、と唇が言葉をなぞった。

 彼らが大事に抱えていた宝箱は空っぽだったのだ。それどころか、宝箱を抱き締めていた小さな身体ごと突き飛ばされた。

 ああ、可哀想に。



 少年の言葉が途切れて幾ばくか経った頃、ふいに、こつりと床を蹴る音が空間の中に響いた。

「お前達、こんな所で何をしている」

 音の方向へと視線をやると、音の主は思わぬ客人の存在に苦い顔で入口に立ち尽くしていた。

「ああ、いらっしゃい」

「なんで客人が居る?」

「誰だ?」

 覇気の無くなった青年が新しい来客者に首を傾げた。

「彼は責任者だよ。ここの最高責任者」

「安い見かけだけの張りぼてだがな」

「優しくて可哀想な勇者でもある」

「その呼ばれ方は好きじゃない」

「だろうね。でも私にとっての君はだから」

 色々なものに突き飛ばされてなお手を伸ばす事をずっと諦め切れずにいる男に、私は笑って答えた。

 禁忌空間の最高責任者になんて傀儡同然の扱いの席に就いてまで。下手をすれば神への供物に一番近い位置に立ってまで、人を助ける事を考えている狂人なんて、勇者と呼ばずに何と呼ぶのか。

 今もまた軽口を叩いてように見えてその実、私の様子を探ることで神々の機嫌を見極めている。子供達を連れ出すため注意深く空気を読みながら距離を詰める彼の頭には、見捨てることなんて端から選択に無い。


「お前達、早く出るぞ」

「えっ」

「出れるのか?」

 近付いて早々、意識の戻らない少女の身体を担ぎ上げながら彼は言った。

 子供達は揃って、きょとんとした表情で彼を見遣る。

「出る」

 戻れないと悟る子供独特の勘に、彼は苦い顔をしながらも出口を促した。彼の言葉に子供達の顔に少しの生気が戻り、余計に彼の顔は苦し気に歪む。

 その様子を見ていると彼の望む通りにことを運んでしまいたくもなる。

 だが。

「駄目だよ」

 可哀想だがそれは叶えてあげられない。

「気に入られたのか? それとも何かを与えたのか?」

「選択肢を与えたね」

「どう言う?」

「端的に言えばここに入るか否か、かな」

 彼は癖で下唇を噛み、青年と少年は自身の行く末を恐れの中で見守っていた。

「代わりになる、なんて提案は?」

「そんなつまらない結末が通ると思う? 君は神々に見守られているからね。足掻かないで気紛れに世界に石を投げ込まれても知らないよ」

「だよな」

 彼は頭を強く掻き毟り、禁忌空間内の人物を確認するように順々に見渡した。

 そうして、勇者として担ぎ上げられた青年へと真っ直ぐ向き直る。

「二つ、選択肢がある。お前が決めろ」

「選択肢?」

「全員が神の供物になるか、一人を生贄に出して他が助かるか」

「全員で一か八かで逃げるのはお勧めしないよ。結果は前者と同じになる」

 補足して言葉を投げると青年の顔が引き攣った。

「なんで」

「代償が必要なんだ。お前達はここに、神の空間に入ることを選んだ。お前達の選択を神は捕捉している。入ることを選んだという事は、神の気まぐれに晒されることを選んだ事になる」

「単純な話、神様の領域に入ったのならそれ相応の結末が待っていると言う話だよ。仲良く散るのか、たった一人を残して他を救うのか、好きな結末を選ぶと良い」

 張り詰めた空気の客人達を横目に、先に戻した本より右手側の本を手に取りページを捲る。結末の部分はいまだに空白のままだ。


「それなら僕が生贄になるのが良いと思います」

 張り詰めた空気の中、眉をハの字に下げた少年が、不意にそう口を開いた。

「僕は父に不要とされている八男です。それに神祀りの者ですので、神への代償を払うと言う役割で見ても適任だと思います」

 そう言って穏やかに笑う少年の声は震えていた。

 少年の言葉を聞いた青年は縋るような目で一度、口を開きかけて、一呼吸の後にきつく口を結んだ。青年の足は震え、握った拳は色を失っている。

 それでも、青年は少年の言葉で何かを決めたらしかった。誰かに祀り上げられたものだとしても勇者は勇者であるらしい。

「どうして俺に選択を?」

 心は決まっている、それでも背中を押す力が欲しいらしい青年は、目の前の大人に尋ねた。

「お前が勇者だからだ」

 利用するためでも概念を植え付けるためでもない、それは確かな青年自身を見た故の言葉だった。

 彼の言葉に青年の顔に血の気が戻る。その瞳は眩く煌めいていた。

「なら、答えは決まっている」

 精一杯の強がりと、それでも晴れ晴れとした顔の青年に、私と彼はその姿を焼き付けるように見詰めていた。

 


 古書館内に備え付けられた部屋の中、椅子に深く腰掛けた状態で来客を待つ。

 かちり、と何かが嵌る金属音の後、扉がゆっくりと開かれ、疲れた様子の彼が顔を覗かせた。

「お疲れ様。二人は?」

「無事に少年の伯父の所まで送り届けて来た」

「有り難う。これであの伯父馬鹿に恨まれないで済む」

 彼は疲れた顔で目前の椅子に深く腰掛けて、目元を手で覆った。

 私は手持無沙汰に禁忌空間から持ち出した本を手に取り、ぱらぱらとページを捲る。

「ああ言う子達を見ていると昔を思い出す。と言っても私達はもっと愚かだったけれど」

「ああ、そうだな」

 彼の目が遠くを見つめた。

 あの子達のように途中で止まれたら良かったのだろうか。或いは旅の果てに終われたら良かったのだろうか。哀れな私達は今もまだ止まれないままだ。

「ねえ、勇者様は今もまだ愚かな子供を、助けたいの?」

 不意に口を突いて出た言葉は思った以上にか細い。感傷で口を突いたにしては温度が伴っていない言葉は、神様の気まぐれで心を引っ掻かれたからだろうか。

 短く息を呑み目元を覆う手を退けた彼は、泣きそうな顔をしていた。昔はよく見ていた筈の懐かしい表情に、私は目を細める。

「ああ、君だけが変わらないね」

「そんなに俺は愚かか?」

「愚かだよ。君は勇者だから。あの子も君も、愚かで哀れだ」

 勇者はいつも愚かで哀れだ。それなのに、優しくて、自分よりも他者を優先するから嫌になってしまう。

「さて、次の勇者はどんな子だろうね。今度はどの神様の琴線に触れるんだろう」

 呟いた言葉に渋い顔を作った彼に笑って、私は結末が描かれた本を閉じた。

 傍らの私達の本の結末は未だ白紙のままだ。

 

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