第6話

 緑の木々がアーチを描き、その下を、蛇行する川がゆるやかに流れている。いつの間にか昇っていた金色の朝日が、水面に反射してきらきらと輝いている。さっきまでの不安が嘘のようにすうっと消えて、まるで映画の中のような光景に、行火は束の間、見入った。

 ばしゃん、と水音が聞こえた。きっと水浴びをしていたのだろう大五郎は、河原で大きく体を震わせると、追いかけてきた行火には目もくれず、一目散に川から離れていく。その行き先に視線を向けてようやく、川を囲む切り立った崖のふもとに空いた、大きな横穴に気づいた。

 大きなシャベルでふもとを一掻きしたような洞穴は、コンビニが一軒まるまる入れそうなほど大きい。暗い穴は奥に深く伸びていて、そこからひょいとまたげるほどの小さな水流が、今まで追ってきた川にむかってちょろちょろと流れている。

 大五郎は、その細い川を辿り始めた。その後を追う。薄暗い洞穴の中はつめたい水を満たしてあるかのようにひんやりとしていて、それでいて何かの息づかいがあるようにも思えた。川底にたまったなめらかな泥のような闇に、行火はTシャツから出た二の腕を無意識にさする。

「大五郎、止まれって」

 行火はずるずる引きずられていたリードを拾い上げると、抑えた声で強く犬に命令した。突然首がしまったオス犬は、不思議そうに振り返った。

「帰るぞ」

 怒った声で、行火は厳しく言い聞かせた。そうして、ふん、と腹に力を込めてリードを引っ張る。じゃりじゃり、とわずかに犬が動いた。いける、と思った瞬間だった。

 手の中からリードが抜けるのと、大五郎が駆けだしたのは、ほぼ同時だった。

「あ、待て!」

 慌てて大五郎のあとを追おうとしたけれど、あまりに暗くてたたらを踏んだ。塗りつぶしたような闇、というものを、行火は初めて経験した。犬の足音はあっという間に小さく遠くなっていく。

 どうしよう。

 洞窟の奥は、もう何も見えないほどに暗い。しばらく迷ってから、ようやく行火は左手首に巻き付く端末を思い出した。今は腕時計の形に収まっている銀色の体を、登録しておいたパターンの通り撫ぜると、絡んだ糸がほどけるように、するりと元のカメレオン型に戻る。頭に指先を置いてロックを外し、LEDライトをオンにした。

 光る両目がぼんやりと洞窟内部を照らし出す。青白い光の円の中を、何かがびゅんとかすめていった。ひ、と漏れそうになった悲鳴を飲み込んで、仕方なく行火はそろりそろりと奥へ入っていく。

 石の間をしみこむように流れている水の音に、大五郎のかすかな息づかいと、行火の足音が混じる。中は次第に狭くなっていって、いまや天井は行火の頭上ぎりぎりだ。大五郎はまだ見つからない。

 ふいに、何の脈絡もなく、行火は熊の冬眠を思い出した。雪深い冬、熊は洞穴で冬眠するという。以前読んだ本の挿絵を思い出す。こんな風に暗い穴の一番奥で、熊はぐるりと丸くなり、声もたてずにそっと目ざめの時を待っているのだ。

 もしこの奥にも、熊がいたとしたら。腹の下の方から恐怖が沸き上がってきて、行火はぶるりと身を震わせた。ただの散歩が、どうしてこんなことになってしまったんだろう。ここで死んだら、ソネさん怒るかな……母さんは、なんていうだろう。

 鼻の奥がツンとした。いま泣いたら、熊に見つかってしまうかもしれない。行火は必死で嗚咽をこらえて歩いた。ついに身をかがめないと通れないほどに狭くなって、行火は中腰の姿勢でおそるおそる後を追った。

「うわあ!」

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