11-2 目の前に現れた

「――――」


 何も発することが出来ず、ただただ目の前に現れた彼女を見る。

 対する彼女もじっとこちらを見据え、僕と同様に黙ったままだ。

 見つめ合ったまま数秒の沈黙が流れる。さわさわと木々の揺れる音と自身のせわしない心音だけが聴こえてくる。


「い、痛っ……」

「あ、ご、ごめん!」


 取り押さえたままの両手を慌てて離し、僕は速やかに彼女の上から退いて隣に座る。

 ゆっくりと上体を起こす彼女に、僕は改めて問いかける。


「三上瑠里、なの?」


 問われた彼女は、ゆっくりと頷く。


「……うん。三上瑠里で間違いないよ」


 優しい笑みを浮かべて、彼女は言った。

 雪のように白い髪に大きくて赤い瞳。そして、儚げな表情で笑いかける彼女。

 透明感のあるか細い声だって、確かにあの頃に聞いたものと同じだ。

 違う点と言えば、髪を後ろに束ね、中性的な装いでいるくらいだ。

 前はワンピースやリボン付きのブラウスを着たりして、その――もう少し女の子らしい服装だった気がする。


 だが、そんな違いは些末な問題だと思う。

 最も僕が驚いているのは――。


「でも、瑠里はあのとき……」

「死んだはずだ、って?」


 口にするのを少しためらっていると、瑠里がそれを口にした。


「あの後通りすがりの人に助けられて、一命を取り留めたんだよ」


 少しためらいがちに、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「そう、だったのか」

「生きてることを知られるとまた狙われる可能性があったから、このことは公にはなってないんだけどね」


 瑠里本人から告げられた知らない事実。僕はいまいち飲み込むことが出来ず、目の前の彼女の存在すらも夢か幻想の類ではないかと疑いを拭えないでいた。


「ふふっ……宗治、まだ信じられないって顔してるね」


 面白そうにクスクスと笑って、いたずらっ子の表情で僕を見る。

 瑠里はひとしきり笑った後、ふっと目を伏せた。


「でもね、こんな再会のしかたになってしまったのがちょっぴり残念」


 刹那、釣り目がちの赤い瞳でキッと僕を睨みつける。


「な――!」


 彼女は立ち上がり、右手に握っているナイフをこちらに振りかざす。

 鞘付きの刀でなんとか防いで立ち上がり、瑠里と距離をとる。

 が、とった距離は一気に詰められ、素早い動きで次々と攻撃をしかけてくる。

 真っすぐに、立て続けに攻められ、反撃の余地を一切与えられない。


 が、ナイフが鞘とぶつかり、ナイフが鞘から離れる瞬間――次の攻撃をしかけてくる直前に、彼女の振り下ろされようとしている右手を左手で捕まえた。


「は、離して……っ」


 力づくでこちらの左手を振り払おうとする瑠里。

 だが彼女の力は弱く、赤もやしと呼ばれる僕でも簡単に押さえつけられてしまう。


「流石に力で女の子に負けるわけにはいかない、かな……っ!」


 瑠里の背後にある大木に、彼女を押し付ける。

 力んでいたせいか、身動きが取れなくなった彼女の頬は紅潮していた。


「う……むぅ」


 瑠里は少し悔しそうに下唇を噛みしめて、僕を見上げる。

 その表情に心臓が一拍大きく脈打つ。

 その感覚が何となくくすぐったくなって、僕は思わず吹き出してしまう。


「……ふっ、ふふ」

「な、なんなのその、不気味な笑いは」

「いやあ、なんでも」


 正直、僕にもどうしてこんなにくすぐったいのか分からない。

 だけど、気持ちの悪いものではないことは確かだ。


「襲われてるのによく笑っていられるね。狂ってるよ……」


 瑠里はそう言うと、口を尖らせて溜息をついてみせる。

 その表情も僕にはまたもやくすぐったくて、やっぱりにやけてしまう。


「狂ってる、そうかもしれないね」

「宗治、もしかして酔ってる……?」


 僕は「いやいや」と首を横に振って、掴んでいた彼女の右腕を解放する。

 数歩ほど後ろに下がって、彼女と少し距離をとる。


「なんで俺を襲ったの?」


 右手に持っていた鞘付きの刀を腰に差し、彼女に問う。


「……ごめん、理由は言えない」


 瑠里は僕から視線を逸らし、静かに答えた。


「でも、ボクは負けを認めるよ。だからもう宗治を襲ったりはしない」


 目を閉じて、彼女は口角を上げる。


「やっぱりボクは、宗治には敵いっこないや」


 僕を見て困ったようにふにゃりと笑った。

 再び心臓が、一拍跳ね上がる。

 だが、僕はその一拍を無視して冷静を装った。


「分かった。襲った理由はきかないでおくよ。その代わりに一つ瑠里にお願いがある」

「お願い? どんな?」


 瑠里は首を傾げて、僕に尋ねる。

 そう。瑠里とのまさかの再会に驚くも束の間、僕にはこの後にやらねばならないことがあるのだ。

 それは――。


「ただで泊まれるような宿って、どこかにないかな」

「無料の……宿」


 彼女はぱちぱちと瞬きをして、僕を見上げていた。


 僕の“ただで泊まれる宿”という言葉を聞いた数秒後、瑠里は無言で顔をしかめた。

 それはそうだろう。そもそも宿屋はただでないから成り立っているのだから。

 そんな虫のいい話は本来あるはずがない。


 瑠里は軽蔑の眼差しで僕を見る。うんと圧力を上げた無言で。


「……ごめんなさい、冗談です」


 僕はその圧に完敗した。


「まあ……気のいい村人さんあたりがもしかしたら泊めてくれるかもだけど」


 瑠里はそう言って、山中の村を指差した。


「例えば、あそこに見える村とか。ね」

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