9-3 政光隊1

■■■


「……ん」


 暖かい日差しの中でゆっくりと目を開け、僕は目を覚ました。

 ……などということはなかった。


「……寒い」


 寒さに身体を丸めながら、僕は起き上がる。

 目の前ではしとしとと雨が降り、中庭に水溜まりが出来ている。

 時々雫が腕や顔に当たって、ひんやりとした感覚を残していった。

 そう、僕が寝ていた場所は外――中庭の見える縁側だ。


 うたた寝をする前までは暖かい日差しがあったのに、気付けば雨雲が空を覆っている。


「秋の空はよく分からないな」


 ぽつりと呟いた言葉も、雨音の中に消えていった。その後に、眠っている間に見た光景を思い出す。


「懐かしい夢を見たな」


 しかし僕は、懐かしさを感じると同時に罪の意識を感じていた。

 中学一年生の夏、八年前の風景。その中に居た一人の白い髪の少女。

 少女――三上瑠里は、僕にとって大切な存在だった。

 自身しか守れないと気付く前の、たった一人の守りたい人だった。


「……瑠里」


 既にいない少女の名を口にする。

 たとえ彼女が僕ではなく親友を見ていたとしても、僕にとってかけがえのない存在であることには違いなかった。

 彼女のために強くなりたいと、そう思えた。

 四年前の、あの日までは。


■■■


 外ではしとしとと雨が降っていた。

 窓際に咲く紫陽花あじさいの葉の下で小さなカエルが鳴いている。

 少し蒸し暑い和室の中から、そんな風景を布団の上でぼんやりと見つめる。

 寝ぐせのついた髪と少し乱れた浴衣のまま、僕は半目でそれを見つめていた。


「おはよう、真田。昨夜はよく眠れたかい?」


 襖の開く音に振り向くと、そこには茶髪の男の人が立っていた。


「はい……なんとか」


 彼の問いかけに、僕は少しかすれた声で答える。


「そうか、それならよかった。でも、この生活にはまだ慣れないだろう?」

「ええ、まだ少し」

「俺も隊長なんて大役は初めてだから、お互い少しずつ慣れていくしかないね」


 彼は笑ってそういうと、襖を静かに閉めて出ていった。

 まだ見慣れない部屋に残され、僕は辺りを見渡す。


 ここは『はるどき』と呼ばれる小さな温泉旅館。真田家を離れ『はるどき』に滞在し始めてから、約一週間が経っていた。

 高校二年生の時分はまだ宿に泊まった経験が浅く、旅館での生活に少し戸惑うこともあった。

 しかしそんな戸惑いよりも、自身の背負うこととなった責務への不安の方が圧倒的に大きかった。


 ――“二界統合案”によって各地で勃発している抗争の抑止。

 それが政府によって秘密裏に結成された集団――政光隊に与えられた使命だ。秘密裏と言っても、実際のところ結成自体が予告されていなかったというだけで、世間には徐々にその存在が知られていった。

 先ほどの茶髪の男の人は、翁令人おきなれいとという人で、政光隊の隊長である。僕は翁隊長に剣術の腕を見込まれ、政光隊へ入隊することとなった。

 政光隊はこの旅館を貸し切り、ここを拠点として利用していた。


 二界統合案は、現実世界である『実界』と人工的に創られた幻想世界『幻界』を統合するという政府の提案だ。

 しかし、幻界に住む人の多くはそれを反対していた。理由は単純で、そもそも幻界は実界では叶わない願い、夢を実現するための理想郷であり、世界が実界と統合しては意味がない、といったものだ。

 僕自身、その意見には賛同していた。しかしその反面、統合に対しても肯定していた。


 実界人と幻界人の間には、差別という深い溝が存在していた。幻界サービス開始以来、差別による暴力、殺人事件は度々起こっていて、痛ましいニュースを茶の間で何度も目にしていた。

 二界統合案はそういった問題解決の糸口となる案でもあったことから、二界統合案に対してはどちらかといえば肯定的だった。

 争いのない世界――それこそが、理想郷と呼ばれる幻界のあるべき姿だと思っていた。


 身なりを整えて部屋を出る。横幅二人分の小さな廊下の途中にある階段を下りて、左側の部屋の戸を開けた。

 戸を開けると十二畳の和室に二つの机が並んでいて、その片方に政光隊のメンバーが集まっていた。

 机の上には六人分の朝食が並べられており、皆それぞれの前にあるものを食べていた。


「おはよう宗治。はよ食べんと俺が食ってまうぞ」


 机の前に座るや否や、左隣から早々に関西弁で声をかけてきたのはお馴染みの友人――飛鳥隆一だ。

 彼も同様に剣術の腕を見込まれて、政光隊に入った人間の一人だ。


「おはよう隆一。食べられたときは叩きのめす」


 「物騒やなぁ」と白米をほおばりながら呟く隆一の顔は、いつもよりすっきりしていた。

 その違和感をまだ寝ぼけ気味の頭で探る。そんなどうでもいい謎が解けたころには、隆一は既に朝食を完食していた。


「そうだ、眼鏡がなくなってるんだ」

「え、今気づいたん? 遅すぎやろ」


 隆一は深緑の瞳をこちらに向けて、呆れ顔でそう言った。

 

「あれ、ホントだー、僕も気付かなかったよぉ」


 僕の隣にいる少年――長原魅由ながはらみゆは、あどけない笑みを隆一に向ける。

 赤い瞳に薄ピンク色の髪で、Xの形の髪留めを右のこめかみあたりに付けている。髪は肩まで伸びており、まるで女の子のようだ。

 時々ポニーテールにしたりスカートを穿くこともあり、長原自身が女性的な格好を好んでいるみたいだった。


「……俺は気付いとった。眼鏡なくなっとるの」


 長原の隣で静かに話すのは、菅田拓真すがたたくまだ。

 金髪に横髪が黒のメッシュな彼は無口で、とても落ち着いている。

 長原ととても仲が良いが、その仲の良さは友人の域を超えている気もする。


「え、なんで言ってくれなかったの? たっくんのいじわるー」

「……別に意地悪のつもりじゃなかったんやけどな」


 長原は自身の頬を膨らませながら、菅田の頬をつつく。

 つつかれる菅田は抵抗することもなく、無表情でなされるがままだ。


「君たち、少し静かにしてくれないか。飯が不味くなる」


 僕の向かいに座る有馬帝ありまみかどは、僕たち四人より一つ上の歳だ。年齢のせいもあってか、かなりしっかりしている。

 隊長の補佐のような立ち位置で、隊長に最も信頼されている隊員だ。


「まあまあ、賑やかなのも結構だよ。今のうちさ。これからはこうも言ってられなくなるかもしれないからね」


 有馬さんの隣で朗らかに笑って現実を突きつける翁隊長。優しさの中に厳しさを持っているあたり、隊長としては理想の人だと思う。


「確かになぁ……この後何が起こるか分からんもんなぁ」


 隆一はそう言うと、麦茶の入ったコップを手に取りぐびぐびと飲み干した。


「いつ朝飯が最後になるんかも分からんって考えると、大事に食べなあかんって思うよな」


 僕を見てニッと笑うと、彼は僕の前にある空のコップに麦茶を注いだ。


「ありがとう」


 僕は一言お礼を述べて、麦茶を手に取った。

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