第8章 平穏の夢と夜の海

8-1 海の依頼

「真田さん……お客様がお見えです」


 小鳥のさえずりに混じって、いつものアラームが聞こえてくる。


「……もう少ししたら行きます」


 まどろみつつも、どこかで冷静に言葉を返す自分――真田宗治さなだそうじがいた。

 ラズが去ってから六日後。珍しく連日依頼が舞い込み、まともに休めない日が続いていた。

 きっとそのせいだろう。僕は少し疲れが取れないでいた。


 またどうせ叩き起こされる。諦めのような無力感が僕を寝床に縛り付けた。


「お疲れのご様子ですが、大丈夫ですか?」

「ちょっと疲れてるけど……平気だよ」


 いつもと違う、優しげな声。彼女も連日の依頼の手伝いでやっと気付いてくれたのだろう。

 そう。働くって、とても大変なことなのだ。


「また後日いらっしゃるようお伝えいたしましょうか……?」

「ん、それは大丈夫です。すぐ起きるから……」


 何か様子がおかしい。いつもの彼女じゃない。

 というより、この声は本当に美山姫奈みやまひめな少女なのだろうか。

 疑問を感じ、僕は声のする方へ顔を向ける。


「……っ! リリアンさん……!?」


 かすれた裏声が喉から抜けると同時に、勢いよく上体が起き上がった。


「はい、リリアンです。おはようございます」


 優しい笑顔を浮かべ、姫宮ひめみやリリアンは僕に挨拶する。


「お、おはようございます……」


 まさかのリリアンさんで、僕は焦りを隠せない。

 そして姫奈ちゃんには感じなかった妙な気恥ずかしさがあるのは、何故だろう。


「依頼人の方がこられましたよ。お待ちしておりますね」


 にっこりと笑って、リリアンさんは僕の部屋を出ていった。


■■■


 居間へ行くと、そこには見たことのある依頼人が居た。


「おや、久しいねえ。元気してたかね」


 お茶をすすってそう言うのはこの町の町長のお母さん――ミヤコさんだ。


「お久しぶりです、ミヤコさん」


 僕が言葉を返すと、ミヤコさんは手招きをした。

 招かれるままにテーブルの前に座り、リリアンさんから差し出されたお茶を受け取る。


「あんた、リリアンちゃんに起こしてもらったのかい?」

「はい、今日は彼女に起こしてもらいましたね……」


 情けなさと恥ずかしさで、思わず頬が熱くなる。


「おやおや。すっかり夫婦だねえ」

「いや、だから僕たちは……!」

「違いますよ、ミヤコおばあちゃん。いつもは姫奈ちゃんが起こしてくれているのです」


 にっこりと、いつもと変わらぬ笑顔でさらっと言ってくれるリリアンさん。

 僕は何度それに救われただろうか。

 ……半面、どこか虚しさを覚えるが。


「リリアンさんの言う通りで、いつもは姫奈ちゃんが起こしてくれるのですが……」


 そう言って居間を見渡すが、姫奈ちゃんの姿は見えない。


「姫奈ちゃんと龍斗くんは、丘の方へ行かれましたよ」

「なるほど。そういえば今日は21日でしたね」


 8月21日。この日は龍斗くんのお兄さん――黒井明斗くろいあくとさんが自ら命を絶った日だ。

 今日で丁度一年と一ヶ月となる。リリアンさんから聞いた話だが、姫奈ちゃんは21日前後に毎月花を供えに行っているそうだ。

 龍斗くんにとっては、今日で二回目となる。


「そうかい。そりゃ明斗さんも喜ぶだろうねえ」


 どこか寂しげに笑うミヤコさん。

 明斗さんは生前、弟の龍斗くんを気にかけていたらしい。

 そんな彼の姿を知っているミヤコさんならば、やはりこの死は悲しいものだっただろう。


「おっと、話が逸れてしまったねぇ。今日はあんたに依頼をもってきたんだよ」


 ミヤコさんはそう言うと、一枚の紙きれを僕に差し出した。


「これは……金色の魚の写真、ですか」


 金色の魚というと金魚だが、この魚は少し違う。

 リュウグウノツカイのように艶やかで細長い。そして、ほんのりと赤く色づいた綺麗なヒレを持った金色の魚だ。


「これは『金幸魚きんこうぎょ』って言ってね。高級料理に使われる海の魚さ」


 聞いたことのない単語に首をかしげ、僕はミヤコさんに尋ねる。


「今回はこの……金幸魚を捕獲するという依頼、ということでしょうか」

「察しがいいねえ。その通りさね」


 ミヤコさんは、二カッと嬉しそうに笑う。


「実界から孫夫婦が来るのさ。ひ孫も来るもんでねぇ、パアっと旨いもんを食わせたいのさ」


 カッカと笑いながら、“ひ孫”というワードをさらっと放つおばあちゃん。


「ミヤコさん、一体おいくつなんですか」

「おや、レディに歳を聞いちゃいけないねぇ。マナーっちゅうもんがあるだろう?」

「あ……すみません」


 正論を言われ、僕は謝罪以外の言葉をなくした。


「まあ、せっかくの海の依頼さね。たまにはゆっくり遊んでおいでな」


 ミヤコさんはそう言って、さらにもう一枚紙を取り出した。


翼猫よくびょうと宿はこっちでいいのを手配しとくからねぇ。よろしく頼むよ、なんでも屋さん」

「あら……ここはとても有名な海の宿ですよ、真田さん」

「そ、そうなんですか」


 その紙には立派な建物の写真が写っている。内装も載っており、客室はとても広い。

 実界で言うところの、いわゆる高級ホテルだろう。


「そんな……ここまでしてもらうなんて申し訳ないです」

「いいのさ、遠慮せず使ってくれな」


 豪快に笑った後、ミヤコさんはゆっくりと言葉を紡いだ。


「この先、どうなるかも分らんからねぇ……」


 こちらの心を見据えるように、彼女はじっと目を向ける。


「……そうですね」

「おや、弱気な返事だねぇ」


 それもそうだ。

 僕は今、今後のことについて悩んでいるところなのだから。

 だが、


「そんなことはないですよ。この用心棒が、姫宮家の平和を保ってみせます」


 この暖かく、居心地の良い日々を継続できたならば。

 その想いは、確かなのだ。


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