第7章 青年たちと白竜

7-1 小さな訪問者

 ケーキ材料調達の依頼から約二週間が経った。


 今朝は涼しく、寝苦しい日々は遠い昔のよう。

 ジリジリと目覚まし時計のような蝉の声もすでに無くて、とても静かだ。


 そう。とても静かなのだ。


「……静かすぎて怖い」


 これはきっと、嵐の前の静けさというやつに違いない。

 蝉の声はなくとも、僕は毎朝かけた覚えのないアラームに叩き起こされる。

 文字通り、叩かれて起こされるのだ。

 僕の体内時計が一時間ほど前に「そろそろ来るぞ」と告げていたのだけど、一向に来る気配がない。

 気付けば僕の身体は、少し軽くなり始めていた。


「……これ、自力で起きれそうかも」


 横向きの姿勢でそう呟く二十歳の男。

 冷静に言葉を発しながらも身体を起こそうとしない姿を、どうか責めないでほしい。

 僕は朝にとても弱い。多分低血圧とかが関係しているのだろう、そういう体質なのだ。


 布団の中で何度か身体を伸ばしてから、静かに上体を起こした。


「お、起きれた……!」


 窓際に小鳥が一羽やってきて、可愛らしい声でさえずった。


「君も僕を祝福してくれるんだね、ありがとう」


 同じ屋根の下に住む11歳の少女――美山姫奈みやまひめなに叩き起こされる前に起きることができた。

 今日はとびっきり良い日になるかもしれない。

 いつもより丁寧に布団を畳んで、僕は居間に向かった。


■■■


「おはようございます。今朝は良い天気で――」


 居間に顔を覗かせると、そこには少年少女が――。


「……? ……いない?」


 誰も居ない静まり返った居間に、自分の声が響く。

 居間の奥にある台所には、今頃朝食の後片づけをしているであろうリリアンさんも居ない。


「皆どこへ行ったんだ……?」


 居間に入りテーブルの前に腰を下ろす。

 と、テーブルの前に何か書かれた紙切れが置かれていた。


「何々……“真田宗治さんへ――”」


『狩りに出かけて参ります。

 姫奈ちゃんと龍斗くんには、お昼ご飯のおつかいを頼みました。

 私はお昼過ぎに帰ります。


 姫奈ちゃんと龍斗くんはお昼前に帰ってきます。

 それまで、お留守番をお願いしますね。


 姫宮リリアンより』


 楷書の丁寧な字でリリアンさんからの伝言が書かれていた。


「……正午まであと二時間か」


 二人が帰ってくるまでの時間、僕はこの家で一人というわけだ。

 そういえば、姫宮家で居候を始めてから一ヶ月と少し経つが、この家を一人で過ごすのは初めてかもしれない。


「もう一日隆一がここにいれば、少しは暇つぶしになったのにな」


 姫宮家は四人暮らしだが、もう一人怪我の治療で一時的にここに住んでいた男がいた。

 僕の幼なじみである飛鳥隆一あすかりゅういち

 リリアンさんは回復系の魔法が得意らしく、竜にやられた彼の右腕の傷を治療してくれた。

 彼女は見知らぬ人を警戒せず、誰にでも優しい。僕もそんな彼女に受け入れてもらった一人だ。


 リリアンさんの来るものを拒まず、誰にでも手を差し伸べるこの心の広さはここまで来るともはや聖女だ。

 いや、聖女云々の前に僕は――。


「……変な人に騙されないか心配だな」


 いくら狩りのできるしたたかな女性とはいえ、やはり妙な輩に狙われないか心配ではある。

 町では美人で優しいと評判だし、実際、隆一の友人である坂上さんが彼女を好いている。

 坂上さんのような健全なお近づきを望む人なら良いのだが、中にはそうでない者がいたっておかしくない。

 僕は彼女が、そんな人にどうかされてしまわないか心配になることがある。


「……用心棒、ちゃんとしないとな」


 そんなことを考えていると、自分の姫宮家での役割が“用心棒”であることをふと思い出した。

 そうだ、そういうときのための用心棒なのだ。

 早速用心棒としての務めを全うするため、日課である走り込みに行こうと立ち上がった。

 そのとき。


 ガダンッ!


 何かが屋根から落ちる音が、中庭の方から響いてきた。


「――侵入者?」


 僕は急いで中庭の方へ向かう。



「――君たちは」


 縁側に、狐の耳と尻尾を生やした子供が二人。

 いつか森で見た双子の兄妹と思われる獣人の子だ。


「お兄さん、久しぶりだね」

「私たちのこと、覚えてる?」


 二人はふわふわの尻尾を振りながら、嬉しそうに僕を見上げる。


「ああ、ちゃんと覚えているよ」


 僕がそう言うと、二人の尻尾の振りがよりせわしなくなった。


「あのね、僕たちお兄さんにお礼をしにきたんだよ!」

「森のきのみ、分けてあげるの!」


 女の子の方が僕に皮袋を両手で差し出してきた。

 小さな手の何倍も大きい皮袋を受け取って、中身を見てみる。


「わあ、こんなに貰って良いの?」

「お母さんもいいって言ってたから、いいよ!」

「僕たちのきのみ、青い髪のお兄さんにも分けてあげてね!」


 今にも飛びついてきそうなくらいの喜びを尻尾で表現する兄妹。

 僕はしゃがんで二人の頭を撫でると、感謝の言葉を伝えた。


「ありがとう。青い髪のお兄さんと分けて食べるね」


 うん、と元気よく二人は頷くと、男の子の方がもう一言告げる。


「あとね、お母さんがごめんなさいって言ってた」

「大丈夫だよ。僕こそ君たちの場所に勝手に入ってごめんね」


 僕が言うと、女の子の方が首を横に振った。


「あの場所はね、死んじゃったお父さんのお気に入りのところだったの」

「お父さんはもういないから、もう誰の場所でもないんだ。だから、お兄さんは悪くないんだよ」


 さっきまで明るかった二人の表情は暗くなり、尻尾はしゅんと垂れ下がっていた。


 二人と出会ったとき、母親が僕と隆一に襲い掛かってきた。

 あれはきっと、亡くした夫の場所を踏み荒らされた怒りから来たものだったのだろう。

 そして――。


「あと、僕たちのお父さんは人間に殺されちゃったから、お母さんは人間が怖いんだ」

「でも、お兄さんは悪い人間じゃないから、これもお兄さんは悪くないんだよ」


 二人の母親は僕たちに襲い掛かってきたとき、“二界統合”という言葉を口にした。

 きっと、父親は二界統合の抗争に巻き込まれてしまったのだろう。


「ありがとう。何かあったらいつでも助けになるからね」


 せめてもの償いとして、僕は彼らの助けになりたい。

 二界統合に携わり――多くの人を殺めた自分が出来ることとして。


「うん。またいつでも森にきてね!」

「また私たちとお話ししようね!」


 二人は元気を取り戻すと、屋根に飛び乗り森へ向かっていった。

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