5-7 自分を守る意味

「宗治!!」


 僕の姿が見えるや否や、崖の上の友人は涙目で僕の名前を叫ぶ。


 白竜とともに崖の上に降り立つ。

 僕が白竜から降りると、隆一が駆け寄ってきた。


「お前なあ……あんまり心配かけんなや」

「ああ、ごめんごめん」

「ごめんごめん、ちゃうわ! これ以上俺の寿命縮めんといてくれ!」


 隆一は、ありったけの感情をぶつける。

 まるで道路に飛び出しかけた子を叱りつけるように、彼は必死に訴えかけてきた。


「はあ……宗治はもっと自分のことを大事にしてくれ」

「うん、気を付けるよ」


 隆一はふぅ、と深く長い深呼吸をすると、僕と白竜に背中を向けた。


「周りをよう見てくれ。んで、自分を大事にすることの大切さを知ってくれ」


 真面目なトーンで、彼は僕に言う。

 怒っているような、だけど諭すようでもあった。


「俺は自分を大切にしてるつもりだよ。むしろ、守れるのは自分一人くらいだ」


 僕は他人を守れるほどの器を持っていない。

 そのかわり、自分の平穏のためなら努力を惜しまない。

 だから、身の周りのことには徹底的に気を配ってきたつもりだ。

 自分を脅かす可能性のあるモノが少しでもあれば、全力で回避してきた。


「お前に言われなくても、とっくの昔からそうしてきてるよ」


 残念ながら、誰かの為に剣を取ることも、盾となることも出来ない。

 僕は無力で、二度と善人になることの無い人間だ。

 だから。


「そっか、ほんなら良かった」


 くるりと振り返り、彼は静かに微笑んだ。


「……え」


 だから、一人で生きることを選んだつもりだった。

 何処にも留まらず、誰とも繋がらない生き方を決意していた。


「でもな、まだまだ甘い。もっともっと目を凝らしとき」

「もっと? どういうことだよ」


 それなのに、過去に築いた繋がりは絶たれないまま残ってしまっていた。


「まあその、自分を守る意味をよう考えてくれっちゅうことやな」

「――――」


 過去はどこまでも付きまとってきた。

 逃げても逃げきれず、向き合えと言わんばかりに次々と突き付けられる。


「自分を守る、意味……」


 自分を守る意味なんて考えたことがなかった。

 自分くらいしか守れないから、自分を守る。

 理由なんて、ただそれだけのことだった。


「きゅう……」


 深刻な雰囲気を察したのか、隣に寄り添う白竜は心配そうに僕の顔を見る。


「大丈夫だよ。君は本当に優しい子だね」


 そっと首を撫でると、白竜は身体を寄せてくっついてきた。


「その白竜、宗治にべったりやな」

「うん。俺のことを助けてくれたみたいだし……なんでだろうね」

「お前が崖から落ちたとき、その竜がものすごい勢いで飛んできてん。俺は見えんかったけど多分ギリギリのとこやったんやろなぁ」

「そっか。ありがとう、白竜」


 首を撫でながら白竜と目を合わせる。

 真っ赤な目は真っすぐに僕を見る。

 何となく気恥ずかしさを感じて、思わず目を逸らそうとしたとき。


「……え?」


 真っ赤な目は、その色を変えていく。

 月のような冷たい金色の光を宿し、鋭い目つきで僕を睨んだ。


「まさか……」


 白竜を初めて見たときと同じだ。

 じっと目が合ったかと思いきや、突然目の色を変える。

 大人しかった白竜は、けたたましい咆哮を上げた。


 そして。


「っ――!!」


 白竜に触れていた左腕に、無数の針で刺されるような激痛が走った。

 感電の痛みだと気付き、咄嗟に白竜から距離を置く。

 白竜は電気を帯び、辺りは酷く冷え込み始めた。


 僕に狙いを定め、白竜は攻撃態勢に入る。

 二メートルと数十センチメートル程度の小柄とはいえ、幻獣で最も危険といわれる竜であることに変わりはない。

 人間二人で敵う相手ではない。ここは、逃げるしかない。

 が、僕の背後は崖だった。逃げることもままならない状況だ。


「宗治、お前なら何とかやれるはずや……! 早うこっち来い!」


 隆一の言う通り、早川と対峙したときのようにうまく隆一側あちらがわへ抜けられるかもしれない。

 撃退とまではいかなくても、軽い傷を負わせての時間稼ぎはなんとか出来そうだ。


「白竜、出来れば君のことは傷つけたくない」


 しかし、刀を抜く気にはなれなかった。

 助けてもらった恩を仇で返すような真似をしたくない、という理由ももちろんある。

 だが。


「争いを好む竜には見えないんだ」


 それ以上に、白竜自身がそれを望んでいないような気がした。

 むしろ金色の目で僕を睨む彼は、苦しんでいるようにも見えた。


 ――可能であるならば、助けてあげられないだろうか。


 そんな考えが頭の中をよぎった。


「伏せろ!!」


 声が聞こえると同時に、白竜の右側の翼から血飛沫ちしぶきが飛び散った。

 直後にカランと硬い音が鳴り、見覚えのあるナイフが地面に転がる。

 興奮する白竜は前両足を持ち上げ、とびのような甲高い声を上げた。

 その振動で、崖に亀裂が走る。


 足元がふわりと浮いたような感覚。少し前にも体験した感覚だ。

 自分の学習能力の無さに呆れる――程の余裕もないが、今度こそ奇跡はないだろう。

 崖が自分から遠のいていくシーンを、再び目にするのだろう――。


「宗治」


 目に入る風景は、想像と異なった。

 真っ白な光の中、赤い目の白竜が両腕を伸ばす。


 ――腕?


 幻覚か夢か、はたまた死後か。

 狂った視界の中、確かに僕は伸ばされた人の腕の中にいて。

 僕を呼ぶ声が聞こえた。


 ふと気が付くと、叩きつけられたような全身の痛みとともに崖上に横たわっていた。

 振り返ると、白竜は傷付いた翼で飛べず、崖の下へと落ちていった。


「そん、な」


 この高さであれば、さすがの竜でも生きている可能性は極めて低い。

 先程まで隣に寄り添っていた命が、目の前で消えていく。


「……宗治が無事で良かった。白竜のことは残念やけどな」


 何が起きているのか分からず、回らない頭で状況を整理する。


「崖に落ちかけたお前を咥えて、こっちの方に投げてくれてな。バランス崩して、そのまま……」


 僕が混乱しているのを察したのか、隆一は状況を説明してくれた。


「それじゃあ、白竜は俺のせいで……」

「白竜は自分の意志でそうした。宗治が気に病むこととちゃうで」


 いつか言われたようなセリフを隆一は再び繰り返す。

 繰り返させているのは、紛れもなく僕なのだが。


「いうてもしかしたら白竜も生きとるかも知らん。なんのせ仕事終わらせてから考えようや」


 隆一はそう言いながら、赤い地べたに座り込む僕の腕を引っ張った。


「い、痛っ……こっちは一応負傷者なんだけど」

「文句言える元気あるんやったら負傷者のうちに入らへんて」

「どういう理屈だよ、それ」


 なんとか立ち上がり、すたすたと進んでいく隆一の後を追う。

 数歩ほど歩いたところで、カランと何かがつま先に当たった。


「これは……」


 足元に血の付いたナイフが転がっていた。

 僕はそれを手元にあるタオルでそっとくるんで、青い木の実の入った皮袋にしまった。

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