5-8 平穏って、なんだっけ

■■■


 僕たちが姫宮家に帰ってくる頃、日は既に沈んでいた。

 台所には夕食の支度にかかるリリアンさんが居り、居間に食欲をそそる美味しそうな匂いが立ち込める。


「本当にいいんですか? ここまでしてもらうなんて……」

「ええ。万能薬は後日お渡ししますよ」

「……ありがとうございます」


 依頼主の少女は深々と頭を下げる。


「外も暗いし、俺が家まで送ったりますよ」

「いえ、大丈夫です。ここからすぐの斜め向かいにある家なので」


 少女はそういうが、結局隆一は斜め向かいの家まで送りにいった。

 僕は自室に戻り、押入れにある金庫の中に先ほど貰った報酬をしまった。

 自室などと言いつつ、居候の身なので空き部屋を借りているに過ぎないのだが。


「お疲れ様です、真田さん」


 部屋の外から、落ち着いた優しい声が聞こえる。

 襖を静かに開けると、エプロンを着けたままのリリアンさんが立っていた。


「リカバの実、早速お預かりしてもいいですか? 今夜から調合にかかろうと思いまして」

「こ、今夜からですか?」


 リリアンさんの行動の早さに僕は驚く。


「依頼人の方には10日以内にと言われてるので、あんまり無理されなくても大丈夫ですよ……?」

「実は万能薬の土台はもう出来上がっているのです。あとはすり潰したリカバの実を混ぜて一晩寝かせておけば、明日の夕方頃には完成です」


 そう言って控えめに微笑むリリアンさん。

 一見おっとりとしているように見える彼女。

 しかし、狩りに出たり万能薬を先回りして調合していたりするあたり、実はかなりアクティブな人なのではと最近は思う。


「でも、調合を引き受けてくださってありがとうございます」

「少しでもみなさんのお力になれればと思っていたので。お役に立てて嬉しいです」


 いつもと変わらない、柔らかな微笑みをこちらに向ける。

 僕もつられて微笑わらって、リカバの実が入った皮袋をリリアンさんに渡した。

 受け取った皮袋の口を開けて、彼女は中身を確認する。


「あら、これは……?」


 訝しげな表情で、彼女はそれを取り出した。


「あ、これはその――」


 説明をしようとしたそのとき。


「ちょっと見せて」


 リリアンさんの背後から腕が伸び、それを素早く手に取る。


「これ……血、ですよね」

「龍斗、くん?」


 彼が手にしているのは、血の付着したタオル。

 強い眼差しで、僕に問いかける。

 彼がそっとタオルをめくると、血塗ちまみれのナイフが顔を覗かせた。


「あっ……こ、これは襲ってきた竜に使ったもので……」


 少年は、血塗れのナイフを見て黙り込む。


 ――あらぬ疑いをかけられている気がする。


 無理もないだろう。

 血塗れのナイフを持って帰ってくれば、誰だって良からぬ想像に至る。


「そう、ですよね」


 龍斗くんは僕の方を見て、口角を上げた。


「宗治さんが人を殺したりなんかするわけ、ないですよね」


 少年はそういうと、僕にタオルとナイフを渡して二階へと繋がる階段を上っていった。


「龍斗くん、どうされたのでしょうか。なんだか真田さんを睨んでいたような……」

「……はて、僕にも見当がつきません」


 だが、一つだけ僕には心当たりがあった。

 あったが僕は、あえて触れないでいた。

 いや、触れたくなかったのかもしれない。


「あ、もう少しで夕飯のご用意が出来るので、後で居間にいらしてくださいね」


 リリアンさんはにっこりと笑って、襖を閉めた。

 直後、再び襖が開く。今度は隆一が部屋に入ってきた。


「お疲れさん。あの子の家ホンマにすぐそこやったわ」


 そう言いながら、部屋のど真ん中にどっかりと座り込んだ。


「黒井の坊ちゃんに過去になんかしたん? いっつも宗治に辛辣やん」

「辛辣っていうか、不器用なところは彼の元々の性格だよ」


 性格というのも少し違うかもしれない。

 多分、年齢的に不安定な時期っていうのもあるんだろう。

 僕が彼を見る限りでは、そんな気がした。

 だが先ほどの龍斗くんは、それとはまた別の空気をまとっていたように見えた。


「といいつつ、さっきの龍斗はいつもとちょいと違ったな」

「あぁ、そりゃ血のついたナイフが出てくれば誰だって疑いたくもなるよね」


 軽く笑って言ってみるが、一方の隆一は真面目な表情で問いかける。


「宗治は……なんでここに留まっとるん?」


 空気の流れが止まる。

 まるで真空になってしまったのではないかと思うほどの沈黙。


「俺は……お金がないからここに住まわせてもらってるだけだよ」


 沈黙の中で発した声が、部屋に響き渡る。


「いや、金なんてどうにでもなるやん。俺が聞きたいのはそういうことちゃうねん」

「どういう、こと?」


 隆一に問う自身の声は、震えていた。

 彼が何を言わんとしているのか、僕は何となく分かっていた。


「黒井龍斗と美山姫奈って、幸民隊こうみんたい黒井明斗くろいあくと美山翔みやましょうの身内やろ?」

「ああ。龍斗くんは明斗さんの弟で、姫奈ちゃんは多分……美山隊長の娘さんだよ」


 僕は知っていた。二人が幸民隊の身内であることを知った上でここに留まっていた。

 確かに隆一の言う通り、お金なんてどうにでもなる。

 本当は二週間以上も留まる必要なんてなかったし、すぐに出て行くつもりでいた。


「バレるのも時間の問題やと思うで。現に龍斗はお前のこと、警戒し始めとるんとちゃうか……?」


 窓から差し込む夕日に照らされる彼の強い眼差しは、事態の深刻さを僕に強く訴えているようだった。

 その眼に圧倒されてしまったのか。手の震えが止まらない。

 なんとか手の震えを止めようと、いつもより言葉を強めに吐く。


「そうなんだろうね。あの目も多分、そういうことだろう」


 僕に向けられた、少年の疑いの目。

 あれはきっと、こちらの正体に対する疑いだったのだろう。

 あの少年少女が最も恐れる存在。

 それは――


「政府側の政光隊せいこうたいだった俺らにとっては、二人は驚異になる。だからある程度の距離はとった方がお互いのためや」


 政光隊。それが僕達の過去だ。

 隆一の言う通り、二人とは関わるべきでない存在だ。


「ここにおってもリスクがでかいばかりやないか。それに……」


 特に僕は、関わるべきでなかったのだ。


相牙そうがの名で呼ばれたお前なら、尚更や」


 幸民隊側で囁かれた名前。

 その人物はある時から突然力をつけ、次々と幸民隊の隊員を惨殺していったという。

 そして。


「……美山隊長を殺した、赤い髪に琥珀色の眼を持つ男、か」


 相牙は三年前に幸民隊の隊長を殺害後、ぱったりと姿を消してしまった。


 謎に包まれた人物とされていたらしいが、政光隊の隊員だけがその正体、本名を知っていた。

 その正体は――真田宗治という、ある友人を幸民隊の者に殺された少年であると。


「分かっとるんやったら、早よ出た方がいいと思うで」


 早かれ遅かれ正体はいずれバレるだろう。バレてしまえばここにはいられない。

 だったら、バレる前に出た方が良いのは確かだ。


「でも、どうも出たいとは思えないんだ」


 しかし厄介なことに、僕自身がそれを拒んでいた。

 何よりも平穏を望むくせに、自らリスクの高い選択をしようとしているのだ。


「なんか出られん理由でもあるんか?」

「理由はないよ。ただ、なんていうか……」


 そう。僕は何よりも平穏を望んでる。

 それは現在、そしてこれからもきっと変わらない願いだ。


「居心地が良くて、離れられなくなってしまったみたいだ」


 僕の答えに対して、隆一は何も言わなかった。

 肯定も否定もしない。ただ――。


「……そうか。まあ、お前のやりたいようにやってみたらええと思う」


 困ったような、呆れたような笑顔で、僕にそう言って部屋を出て行った。

 一人残された部屋の中はしんとしていて、遠くからひぐらしの鳴く声が聞こえてきた。

 開いている窓から、涼しい風が入ってくる。


 薄暗くなった部屋の電気を付けて、窓と障子を閉めた。

 そして、畳の上に仰向けになってぼんやりと天井を見つめる。


「平穏って、なんだっけ」


 一人になった部屋で、ぽつりと呟いた。

 過去を平穏で塗りつぶし、何事もなかったように生活していく。

 それが僕の願いだった。


 それが今、崩壊寸前となっている。

 そんな現実に直面し、僕はどう生きていけば良いのか分からなくなっていた。


 そもそも、僕にとっての“平穏”とは何だったんだろう。

 本当に過去をなかったことにしたかったのか。

 自身の考えが疑わしい。


「そもそも、僕は――」


 いつか龍斗少年に言った言葉を思い出す。


「守りたいものがあるんだろうか?」


 そして、考えもしなかった自身へ同様に問うてみた。


「自身の平穏を守るために、強くなる……?」


 誰かを守れるほど強くない。

 だから、自分を守るための強さを身に着ける。

 だがそれは目的のようで目的でない。

 願望ではなく、自分でもできること――あくまで可能性の話だ。


 “守れるもの”ではなく、“守りたいもの”は何か。

 目をつぶって考えてみるが、


「……あれ? ……出てこない」


 頭の中はどうも空っぽだった。

 これまでの人生の中で見てきたもの、感じたものをひっくり返して探るが、どうも見つからない。

 見つからないが、一つだけかろうじて掴めたものがあった。


「……そろそろ夕飯の時間だし、手伝いにいくかな」


 付けたばかりの電気を消して、居間に向かう。


 願いや守りたいものはどうもうまく纏まらない。

 だけど、現在いまのこの心地よい日常を気に入っている。

 ただそれだけは、僕にとって確かに手放しがたいもののようだ。

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