5-5 過去を視る方法

■■■


「あの二人、大丈夫かしらね」

「え?」

「依頼で出かけた二人。リリアンさんから聞いてないの?」


 模造刀を一生懸命に振る龍斗に、姫奈は話しかける。


「ああ、宗治さんと隆一さん?」

「その二人以外に誰が居るっていうのよ、暑さで頭やられてるの?」

「分かってるけど、一応の確認だよ」


 むっと口を尖らせて、龍斗は縁側のタオルに手を伸ばす。

 ふと縁側に座る姫奈の手元に目をやると、そこには分厚い本が開かれていた。


「なんだその本」

「『幻界ペット大全集』っていうペットの図鑑。いつの間にか居間の本棚に置いてあったの」


 姫奈はぱらぱらと適当にページをめくりながら話す。

 適当にめくられていくページに描かれた幻獣のイラストを、龍斗は目で追っていく。


「いつの間にかってことは、今までは置いてなかったのか?」

「うん。多分リリアンさんが自分の部屋から持ってきて、居間に置いたんだと思う」

「ふぅん」


 龍斗は興味があるのかないのか分からない相槌を打って、姫奈の隣に座る。

 と、絶え間なくページをめくる姫奈の手が止まった。


「お、ミニチュアケルベロスだ」


 見たことのある幻獣のイラストを覗き込み、龍斗は声を上げる。


「あんまり近寄らないでくれる? 汗びっしょりで気持ち悪い」


 本を覗き込む龍斗に対して、姫奈は眉間にしわを寄せて少し距離を置いた。

 姫奈の態度に、龍斗も黙っていられない。


「汚いモノを見るような目でオレを見るなよ。失礼なヤツだな」

「そんな状態で近づいてくるアンタの方が失礼よ」


 言い返せどキリが無いいつものやりとりに、龍斗は深い溜息をついて見せる。

 数秒程度の沈黙の後、ミニチュアケルベロスのページを眺めていた姫奈が呟いた。


「ん、このページだけ付箋が貼ってある」

「もしかして……前の依頼のときに、宗治さんがこの本で調べてたのかもな」

「なるほど。それで居間にこの本があるのね」


 納得の表情で姫奈は頷く。

 依頼人の話を必ずメモに取ったり、終始亭の収益をノートで計算しているような宗治のことだ。

 未知の幻獣の捜索依頼であれば、確かに彼の性格的に生体情報などはつぶさに調査するだろう。

 この本をテーブルに置いてひたすらメモを取っていく宗治の姿が、龍斗の目に浮かんだ。


「なんか……必死に調べてる姿が想像できるな」

「ほんとね。頼りない赤もやしだけど、マメなとこあるよね」

「もやしなだけにマメってか」


 龍斗のくだらないギャグに、姫奈はぷくくっとくすぐったそうに笑う。

 だが、発言した当の本人は表情を変えないままだった。


 悪夢にうなされていた日を思い出す。

 夢の中に出てきた兄の言葉は、龍斗の宗治への見方を変えてしまった。

 否、元から“真田宗治”という人物に対しては疑いがあった。


「本当にただの頼りない人、ならいいんだけどな」


 龍斗の一言に、姫奈から笑顔が消える。


「……うん」


 赤い髪に、琥珀色の目を持つ実界人。

 その特徴は、実界の政府が秘密裏に結成した政光隊の一員である相牙そうがと一致していた。

 相牙という存在は、幸民隊側の人間――特に姫奈にとって、忌まわしき人物であった。


「アタシは信じたい。真田がお父さんを殺した相牙だなんて、アタシは……」

「そうだよな。オレも一緒だ」


 姫奈が宗治を信じていたいように、龍斗も同様にその可能性を否定したい気持ちがあった。

 姫宮家での四人の生活が始まってから、一ヶ月にも満たない。

 それでも真田宗治は、二人にとって既に疑いたくない人物となっていた。


「でも、このまま真実をうやむやにしておくのは良くないと思う」


 そう願いながらも言い放ったのは、龍斗だった。


「それは……そうだけど」


 強めに吐き出された言葉を、少女は弱気に受け止める。


 龍斗には四人の穏やかな生活を願う一方で、大切な友人を守ってやりたいという思いがあった。

 だからこそ、龍斗は脅威に値し得る存在の真偽を確かめたかった。


「もし、もしもあの人が相牙だったとしたら、どうするの?」

「そのときは……あの人がどう出るか、によるかな」


 不安げな表情を浮かべる姫奈の顔を見ないまま、龍斗は言葉を紡ぐ。


「場合によっては出ていってもらうとか、逃げるとか……そういう覚悟も必要かもな」


 姫奈から返ってくる言葉はなく、龍斗はそっと少女の横顔を伺う。

 彼女は俯いて、龍斗の言葉をじっと聞いていた。


「……なんて言いながらも、あの人の過去をこっそり知る方法なんて思い付かないんだけどな」


 そんな姫奈の様子を見かねて、龍斗は困ったような笑顔で言ってみせる。


「アタシは……アタシたちが変に探るよりも、向こうから話してくれるのを待った方がいいと思うんだ」

「それもそう、かもな」


 内心納得がいかないが、龍斗はこれ以上姫奈に考えをぶつける事が出来なかった。


 無言の時間が流れ、蝉の声と本のページをゆっくりとめくられていく音だけが残る。

 顔を合わせることもなく、二人は本の中の幻獣をぼんやりと眺める。


「ん、待って」


 ぼんやりとページをめくっていく姫奈の手を、龍斗は止めた。


「な、何よ急に」

「1ページ前のやつ。ちょっと見せて」


 半ば強引にページをめくり、黒い兎のイラストの下に書かれた説明文を指差す。


射影兎しゃえいと。こいつは使える気がする」

「射影兎って、記憶を失った人の記憶を取り戻すとか、そういう医療の現場で活躍する幻獣じゃなかったっけ?」


 宗治の正体を突き止めることと医療が結びつかず、姫奈は首を傾げる。


「ああ。射影兎は目を合わせた者の記憶を映像化して映し出す能力を持ってる。本人が覚えてないことでも映せるから、一時的な記憶喪失に効くって言われてる」

「目を合わせた者の記憶……あ、そういうことか」


 龍斗は姫奈が理解したことを確認すると、射影兎の情報を更に読み進めていく。


「射影兎の生息地は……あの森、か」


 龍斗は立ち上がると、靴を脱いで縁側に上がった。


「森に行くの?」

「今日は行かないよ」


 姫奈の声に振り向くと、龍斗は悲しげな表情を浮かべて言う。


「まだ暑いから、外に出るのは怠いんだよ。もう少し涼しくなきゃな」


 言い残して、少年は家の中へ入っていった。

 一人縁側に残された姫奈は、本を閉じて呟く。


「もっと夏が長ければいいのにな」

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