4-4 再会

■■■


 ――急がなきゃ。少しでも、早く。


 真田宗治は、森の中を駆けていた。

 宗治がこの森に来たのは初めてだった。

 だが、ペット探しの依頼を請けたときに姫奈と龍斗が訪れており、話には聞いていたため場所だけは知っていた。


 ――この森を抜けて丘を下れば、港町に辿り着くはず。


 道の脇から張っている木の根で道はでこぼこしており、宗治は時々つまづきそうになった。

 その度に体力が奪われ、彼の走る速度は徐々に落ちていく。


「……少し歩こう」


 体力の限界を感じた宗治は自分に言い聞かせ、歩き始めた。

 少しふらつきながら道を歩いていると、ふと前方に二つの小さな人影が見えてきた。

 その人影はよく見ると、獣の耳に、狐のような尾を生やしている。

 一方は髪を腰のあたりまで伸ばした少女。もう一方はおかっぱ頭だが、タンクトップに短パンといった服装から、少年のようだ。

 二人の小さな子供は道の真ん中に立ち塞がり、近づく宗治をじっと見つめる。


 宗治が彼らの目の前までやって来ても子供たちが道を開ける様子はなく――ただひたすらに、宗治をじっと見つめる。


「えっと、どうしたの?」


 一向に道を開ける様子のない二人に、宗治は尋ねた。

 すると少年が、宗治の右手をきゅっと握って今にも泣きそうな声で訴える。


「ママがにんげんのお兄さんとケンカしてるんだ……たすけて」


 二人の子供は潤んだ瞳で宗治を見上げる。

 急いでいたが、彼の性格上目の前の困っている小さな子供たちを放っておけるわけもない。

 中腰になって子供たちに目線を合わせ、二人に尋ねる。


「今、お母さんはどこにいるの?」


 すると、もう一人の長髪の少女が宗治に背を向けて指をさした。


「あっち」


 弱々しい声で言葉を放つと、少女は宗治の左手を引っ張って走り始めた。少年も宗治の右手を引っ張って走り始める。

 少し走ると、金属のぶつかり合う鋭い音が激しく鳴り響いているのが聞こえてきた。

 その音に混じって、荒々しい金切り声が聞こえる。どうやら二人の母親の声のようだ。


「ぼくたち、怖くて近づけないの」


 子供たちはその声に怯えて、宗治の背後に回り込んだ。


 そのとき、大きな影が宗治に向かって飛んできた。

 宗治は咄嗟に背後の子供たちを抱きかかえて、それを避けた。


「大丈夫かい?」


 子供たちはこくりと頷くと、影が飛んでいった方向を不安そうな顔で見る。

 宗治も安否確認のためそちらへ振り返る。

 それは数メートル程後ろの木に衝突していたようで、ぶつかった衝撃で木はゆさゆさと揺れていた。


「――嘘、だろ?」


 宗治は、そう口に出さずにはいられなかった。

 飛んできたそれは、彼にとって想定外のものだった。

 “真田宗治”にとって想像を絶するものだったのだ。

 木の下で影はよろよろと立ち上がり、鋭い眼で宗治を見る。


 それは――ボールのように勢い良く飛んできた影は、一人の人間だった。

 子供達は母親に飛ばされてきた人間に駆け寄り、心配そうに彼を見上げる。

 が、その彼の目は子供たちを捉えておらず、驚いたような表情で宗治を凝視する。

 一方、宗治も琥珀色の瞳を彼に向けたまま、目を離すことが出来ないでいた。

 そして、震えた声で宗治は彼の名を口にした。


「――隆一」


 名前を呼ばれた男はゆっくりと歩み寄りながら、問いかけた。


「宗治? 宗治なんか……?」


 そう問いかけられた宗治も同じように、彼の方へと歩いていく。

 瞬間、隆一と呼ばれた男の目の前で、爆発音とともに地面が砕けた。

 衝撃で飛散する土石で宗治の視界は遮られた。

 視界が遮られた中で、再び鈍い音が前方から聴こえるのと同時に、金切り声が響く。


「ワタシの子供にナニをしたアアァッ!!」


 ようやく視界が戻り宗治が目を凝らすと、先ほど隆一が居た位置に何者かの後ろ姿があった。

 明らかに隆一の――男性の体格とは異なる、華奢な身体つきの女性が息を荒げて立っていた。

 肩ほどまでの金髪は乱れており、野生的な出で立ちである。その乱れた髪の間からは獣の耳、ショートパンツからは狐の尾が確認できた。

 女が構える先では、隆一が仰向けに倒れていた。


「隆一!」


 宗治が駆け寄ろうとしたとき、前方の女はくるりと振り向き、鋭い目つきで宗治を睨み付ける。


 ――来る!


 その瞬間、女は目にも留まらぬ速さで宗治の方へと疾走していき、長い爪を彼に向かって振りかざす。

 宗治はそれを交わして、勢い余って自分の横を通り過ぎる女の背を、鞘に納まったままの刀の先でぽんっと軽く押した。

 女は押された衝撃でさらに加速し、制御のきかない想定外の速度によりバランスを崩して、うつ伏せに転倒した。


「ママっ!」


 その瞬間を少し離れたところから見ていた子供たちが叫ぶと、それに応えるように女は呻きながらゆっくりと身体を起こした。

 女はよろよろと隆一の側にいる子供たちの方へと歩み寄りながら、獣の唸りのような低い声で言う。


「ワタシの……ワタシとダーリンと、コドモたちの居場所を荒らすな……」


 彼女はジロリと隆一に目を向け、睨みつけた。


「せ、せやから誤解やって! 何度も言うてるやんか……」


 睨まれた隆一は上ずりながら、上体のみを起こす。両手の平を女に向けて戦う気がないことを示した。


「ワタシはニンゲンを許さない……あのトキの恨み……」

「あのとき……?」


 隆一は立ち上がり、女に尋ねた。

 すると、女は歯をぎりりと鳴らしてから、怒りで震えた声を絞り出す。


「二界統合案なんて無ければ、ダーリンは……!」


 二界統合。

 その言葉を聞いて、宗治の鼓動はどくんと跳ね上がる。


 ――こんなところでも、その単語を聞くことになるなんてな。


 一方、息を荒げる女の向こう側に立ち尽くす隆一も、その言葉を聞いて複雑な表情を浮かべる。

 隆一の視線を落とした先には、小さな少年少女。彼らはその言葉の意味を知ってか知らずか、不安げな表情で隆一を見上げる。

 そんな子供たちの様子を見ていた宗治は、まずは女を落ち着かせ、子供たちを安心させねばと女の背中に近づいていく。

 ――が。

 彼女の背中までもう二メートルというところで、宗治の足が止まった。

 鞘を握る左手は震え、カタカタと音を立てていた。


 彼は思い出す。ここにあるはずのないものを。


『――宗治、さいごにひとつだけ聞いて』


 か細い声が、宗治に語りかける。


『宗治、――』


 “二界統合案”という単語が、彼の記憶を鮮明に蘇らせる。

 守るための戦い。

 それが本当に、正しい判断なのか。

 過去の自分が、今の自分の行動を疑い――


「宗治!」


 いつか聞いた声とは別の声が、彼を呼んだ。

 はっと我に返った宗治の前方には、息を荒げながらゆっくりと迫る女がいた。


「ダーリンを返せえぇェエエ……ッ!」


 地から湧き上がるような声で叫ぶと、彼女は宗治の首をガッチリと片手で掴んだ。


「何しとんねん! 早よ退けや!」


 隆一はナイフを女に向かって飛ばした。が、空いている片手の長い爪でいとも簡単に弾き飛ばされてしまった。

 女の長い爪は宗治の首に食い込み、彼の気道を塞ぐ。

 その間、宗治の視界は徐々に狭まっていき、音は閉ざされ、意識は朦朧とし始めていた。


 ――早く行かなきゃ。あの人の元へ。

 ――あの人が――。


 過去の記憶が蘇る。

 街灯のない、暗い夜道。

 静かに降り続ける雪。

 その光景の先に待つ悲劇。

 それを回避するため、彼は行かなければならなかった。


 しかし足元はぐらつき、彼は立てないでいた。

 暗闇の中を、彼はぐらつく身体で地べたを這う。


 早く行かねばと焦れば焦るほど、身体は重くなっていく。

 ぐらぐらと視界は揺れ始め、やがてキィンという耳鳴りが始まった。

 鼓膜を破ってしまいそうなほどの強烈な耳鳴りの中に、ひとつだけはっきりと自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。


「――じ! 宗治!」

「…………っ」


 ふと気がつくと木に寄りかかっており、隆一が自分の身体を揺さぶっていた。


「悪い、酸欠でちょっと飛んでたみたいだ」


 宗治は眠りから目覚めるようにゆっくりと身体を起こし、あたりを見回す。


「あれ、あの親子は――」

「お前が寝てる間に帰った。子供が泣き喚いて親が我に返ってん。頭下げてったで」


 そうか、と宗治は木々に覆われた空を見上げると、仰向けに寝転がった。

 琥珀色の瞳は、僅かな木漏れ日を受けてさらにその色を強める。


「まさかこんなところでお前に会うなんてな」


 龍斗たちと接しているときとは明らかに異なる親しげな口調で、宗治は隆一に言った。

 隆一は複雑そうに口角を上げて、宗治と同じように殆ど見えない空を仰ぐ。


「まあ、噂には聞いててんけどな。赤髪の奴が最近ここらにおるっちゅー話」

「噂になってたの? 俺」


 隆一は縦に頷くと、差し込む木漏れ日に目を細めた。


「赤髪いうだけで目立つしな」


 宗治は微笑を浮かべて起き上がると、体についた草や葉を払いながら、静かに話す。


「あの子たちの父親も、巻き込まれたのかな」

「あの母親の様子見る限り、そういうことやろなぁ」


 隆一も宗治と同じように、静かに呟いた。

 宗治は立ち上がると、今度はズボンについたゴミを払い始めた。

 その様子を隆一は黙って見ていたが、その視線はどうもゴミを払う様子そのものに向けたものではないようだ。

 何か文句の一つでも言いたげな表情で、彼のしぐさを眺めていた。


「……何?」


 宗治に尋ねられた隆一は少し顔をしかめ、指差して言う。


「絶対おかしいやろ。わかるか?」

「?」


 宗治は指差された箇所を見てみる。

 が、そこは鶯色の着物の上に羽織っている青いノースリーブのジャージの裾で、彼が何を伝えたいのか全く分からない。

 彼の言わんとすることを、差された裾を見つめながら考える。

 と、よく見ると、裾がほつれていることに気が付いた。宗治は、ほつれて垂れている糸を指でそっとつまむ。

 隆一はにっこりと笑っていた。


「そうそう裾がほつれてんなぁ……ってちゃうわ! 俺が差してるのはお前の服装!」


 隆一はノリツッコミを決めると、今度はビシッと宗治の胸あたりを差した。

 驚いた宗治は、びくりとして一歩後ろへ下がった。


「唐突なファッションチェック!? やめてよ!」

「せやかておかしいやろ! なんで浴衣の上にジャージなん? 和と洋が喧嘩してるやん!」


 次々と突っ込んでくる隆一に対して、宗治は少し落ち着いた声色で言葉を返す。


「こ、これには深いわけがあるんだよ、隆一」

「ほほーう、言うてみ?」


 隆一は腕を組んで、何でも来いと言わんばかりの表情で回答を促した。


「夏は浴衣で十分過ごせたんだけどさ、寒くなってくると浴衣だけじゃ辛くて……それで上にジャージを着ることにしたんだ」

「そこはジャージちゃう、羽織や」


 隆一はビシッと突っ込むと、呆れたように笑った。


「ファッションセンスのなさは相変わらずやなぁ」

「三年ぶりに再会した幼馴染との会話でけなされる俺の立場にもなってみてほしいな」


 宗治は深呼吸に似たため息をつくと、森の奥の方へと歩き始めた。


「どこ行くん?」

「港町だよ、大型専門の狩りをしてる集団があるって聞いたんで。ちょっと彼らに用があってさ」


 早歩きで進んでいく宗治のあとを、隆一が追う。追いついて宗治の隣に並ぶと、隆一は口を開く。


「なぁ、それ、翼猫弓団のことか?」

「知ってるの?」


 宗治が驚いた表情で振り向くと、隆一はドヤ顔で言う。


「おう、俺も翼猫弓団の一員やからな」

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