3-7 アタシの好きな人
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真っ赤に染まる丘。
一人の少年は、かつてここを訪れ――ここで眠る兄と同じ風景の中で佇んでいた。
「……やっぱり似てるね」
後ろからかけられた声に、龍斗は振り返る。
彼のことをよく知っている幼なじみの少女が、静かに微笑みの表情を浮かべて龍斗の方に歩み寄ってきた。
「後ろ姿。明斗さんよりだいぶ小さいけど」
姫奈は自分の頭の上で片手を上下させて見せる。
龍斗はからかうような口調で話す姫奈に背中を向けて、海の向こうの夕日の方へと向き直った。
「……最後のは余計だろ」
龍斗はそう呟くと、墓石の前で夕日をまっすぐに見つめる。
姫奈は龍斗のそんな態度を特に咎めることもなく、言葉を紡ぐ。
「真田から連絡来たよ」
「何て?」
姫奈の報告に、龍斗は夕日に目を向けたまま問う。
姫奈はしゃがみ込み、行儀良く座っているザッハトルテを撫でながら答えた。
「ミニチュアケルベロスは音に敏感だから気をつけて、だってさ」
「もう遅いって……散々振り回されたよ」
龍斗は振り返り、苦笑を浮かべた。
振り返った先では、姫奈に撫でられているザッハトルテが嬉しそうに腹を見せて寝転がっている。
「いつまで犬と遊んでるんだよ」
龍斗はザッハトルテを撫で回す姫奈の額を小突く。
小突かれた姫奈はバランスを崩して、「痛っ」と声を上げ尻もちをついた。
「な、何すんのよ!」
「帰るぞ」
キッと睨みつける姫奈に一声かけて、龍斗は先ほど抜けた森の方へと歩いていく。
姫奈とザッハトルテも、振り返りもせずにさっさと前を歩いていく龍斗の後をついていった。
爽やかな風を受けながら、二人と一匹は広い丘を歩く。
先頭を歩く龍斗は、丘の風景を目に焼き付けるようにゆっくり歩いた。
――こんなに広かったのか、この丘。
ザッハトルテを追って来たときよりもうんと広く感じ、龍斗は辺りを見回した。
そのとき、風と波の音に交じって龍斗の後ろを歩く姫奈がぽつりと呟く。
「明斗さんね、この丘好きだったんだ」
「ああ、知ってるよ」
龍斗は前を向いたままそう口にした。
「あれ、誰かからもう聞いてた?」
姫奈は意外だといった口ぶりで龍斗に尋ねた。
が、龍斗の返答の中に人名や第三者はなく、誰も想像のつかないような回答だった。
龍斗は後ろを歩く姫奈に向き直り、彼女を真っ直ぐ見て答える。
「オレも好きだって思ったからさ」
姫奈は予想外の答えに、ぱちぱちと瞬きをして小鳥のように首を傾げる。
「……うん?」
「だから、何ていうか……」
――絶対変なヤツとか思われてるよな、今。
龍斗は、自身が突拍子もない発言をしてしまったことに気付き、視線を斜め下にやりながら次に発する言葉を思案する。
龍斗は兄の背中だけを見て生きていた。技術や志、そして好き嫌いの果てまでも。
そうやって兄を追い模倣し続けた結果、兄の好むようなものを、龍斗も無意識に好むようになっていたのだ。
ずっと兄を追い続けることが当たり前になっていた彼にとって、この回答は当たり前のことで、だからこそ思わず深く考えずに言葉を発してしまった。
自分の言葉をどうフォローすべきか思案していたが上手く整理がつかず、さらに変なヤツだと思われるのを覚悟で適当に誤魔化すことにした。
「……え、エスパーだからかな」
――ああ、やっちまった。
龍斗は自分の頬が徐々に熱くなっていくのを感じ、悟られないよう俯きがちになる。
「ふーん……」
しかし、目の前の少女は龍斗をからかったりすることもなく、だが納得したような言葉を口にすることもなかった。
からかわれることを覚悟していた龍斗は、姫奈の想定外の反応に呆気にとられて顔を上げる。
夕日を眺めながら眩しさに目を細める彼女の横顔は少し大人びて見え、龍斗はそんな彼女の表情に戸惑い再び俯いた。
すると、夕日を眺めていた姫奈は向き直り、龍斗の方にゆっくり歩み寄ってきた。
俯く龍斗の前で立ち止まると、少し屈んで上目遣いで言葉を放つ。
「じゃあ、問題です」
何を問われるのか。
読めない姫奈の言動に、龍斗はさらに戸惑う。
戸惑う中で、龍斗は先刻の「エスパーだから」という適当な回答で彼女を怒らせてしまったのではないか。そんなネガティブな想像にまで至る。
そんな龍斗の思いをよそに、少女は意地悪そうな笑みを浮かべてとんでもない問題を突きつける。
「アタシの好きな人は、誰でしょう?」
「……え」
唐突な質問に、少年はぽかんとする。
が、時間差で龍斗の心臓がどくんと跳ね上がる。
「エスパーなら簡単な問題でしょ?」
小悪魔のような笑みを浮かべる彼女を龍斗は直視できず、なんとか気を紛らわそうと足元でくつろぐザッハトルテに目をやる。
しかし、そのうち痛みを感じるのではと思うほどに心臓はせわしなくどくどくと脈を打ち続ける。
その理由は龍斗にもはっきりとは分からない。が、一つだけ明確な思いがあった。
――答えを聞きたくない。
何故そう思うのかは分からないが、これだけは確かだった。
彼女の質問に対して思いつく答えは何通りもある。
だが、答えたくもないし答えを聞きたくもない。
龍斗はくるりと姫奈に背を向け、二言三言放って再び森へと歩き出そうとした。
「オレは兄さんのことなら分かるけど、お前のことは分からない。どうでもいいのでこの話は終わり。以上」
不器用に会話を終わらせようとしたが、姫奈は言葉を紡ぐ。
「だったらおかしいな……明斗さんも知ってることなのに龍斗は知らないんだ」
龍斗の心臓は再びどきりと脈打つ。
そして少年は立ち止まってしまった。
決して、答えが聞きたくなったわけではない。
知識や経験――兄が知っていて弟である自分の知らないことがあるのは当然だ。龍斗もそれは理解している。
しかし、幼なじみの姫奈のことに関しては兄よりもよく知っているつもりだった。そのため、兄が知っていて自分が知らない姫奈のことがあったという事実にショックを受けていた。
二人の間を吹き抜ける風の音に交じって、少女の言葉がはっきりと龍斗の鼓膜に響く。
「明斗さんだよ」
少年は振り向いた。
彼の目に映るのは、寂しげに佇む少女。
龍斗の知らない、見たことのない、兄に恋をしていた幼なじみ。
「ちゃんと打ち明けたのに、歳が離れすぎてて違う好きの意味でとられちゃったの。間抜けだよね」
彼女はへらりと自嘲気味に笑って自身の失恋話を打ち明けた。
龍斗は何と声をかけたらいいのか分からず、再びザッハトルテに目をやる。
姫奈の隣で毛づくろいをして大人しく待っているザッハトルテ。頭の数以外は普通の犬と変わらず、むしろ犬より大人しいようにも見える。
龍斗がザッハトルテを観察していると、姫奈が歩き出した。
「行こうか。のんびりしてると日が暮れちゃうし」
「お、……おう」
龍斗は歯切れの悪い返事をして、ゆっくりと森の方に歩き出す。
初恋相手の死。
幼なじみがそんな重いものを背負っていたことにも気付かず、それに関して何も言葉をかけてあげられることすらできない。
自分の足りない部分を痛感した龍斗は、丘に来る前に決意していたことを思い出す。
――もっと広い世界を見て、もっと人と繋がるべきだ。
自分がもっと前からそうあったなら、もう少し姫奈のことを理解してやれたかもしれない。
――だから、ここをまた旅立つ。
龍斗は、先程伝えそびれた決意を姫奈に伝えることにした。
「姫奈、さっきザッハトルテが逃げ出して言いそびれたんだけど、オレはやっぱり――」
そのとき。
後ろからくいっと服の裾を引っ張られる感触。
「…………」
しかし、手の主は一言も発する様子もなく、ただ前を歩く龍斗の服の裾を引っ張ったまま離さない。
龍斗は再び立ち止まって振り返る。
振り返った先で、姫奈は俯いたまま真後ろに立っていた。俯いているためどんな表情をしているのかは分からない。
「……どうした?」
龍斗がそう尋ねると、姫奈は引っ張っていた裾をパッと離し、俯いていた顔をあげた。
姫奈の上げた顔には穏やかな笑みが貼り付けられていた。
「わかってるって。旅立つんでしょ? だったら龍斗のやりたいようにしたらいいじゃない」
姫奈はにっこりと笑って言った。
姫奈は普段強気ではあるが、基本的にわがままを言ったり人の思いを頭ごなしに否定することはほとんどなかった。自分の思いをしっかりと話す一方で、相手の言い分や意思にも耳を傾けることができる少女だった。
今この瞬間も、姫奈は龍斗の思いを受け入れたように見えた。
が――
「……無理して笑うと不細工になるぞ」
龍斗は見逃さなかった。自分の服の裾を離した幼なじみの手が震えていたことを。
姫奈の表情はとても穏やかで、一見すると落ち着いていた。第三者から見ればむしろ別れの寂しさすら感じさせない程に。
だが、龍斗はその表情に隠れている姫奈の感情を見逃さなかった。
「やっぱり龍斗は、騙されてくれないね」
自分の本心を見破られた姫奈は、視線を落として溜息をつくと、ぽつぽつと語り始めた。
「まあ、単純に人が減るとちょっと寂しいなって感じるだけだよ。別にそこまで……」
姫奈は言葉に詰まると、唇をぎゅっと噛み締めて何かを必死に耐えていた。
普段滅多に弱音を吐かない姫奈が少し弱気になっているのを見て、龍斗は彼女の置かれている状況を思い出す。
母親の死に、想い人の自殺。親戚とは疎遠であったため身寄りもなく、姫奈は孤独だった。
そんな孤独な状況に身を置かれていたときに、タイミング良く龍斗がこの町にやってきた。
今はリリアンや宗治と暮らしているとはいえ、彼らは歳の離れた赤の他人である。母親も想い人であった明斗もいない今、龍斗は姫奈にとって最も気の許せる存在であると言っても過言ではない。
そんな姫奈を思い、龍斗は考える。
――オレが今ここで居なくなったら、姫奈はまた独りになる。
――今の姫奈を守ってやれるのは――
「あ、悪い。すっかり忘れてた」
「……?」
龍斗は突然思い出したように声を上げて見せた。
不思議そうな表情で自分を見つめる姫奈の頭に片手をぽんと置き、にっといたずらっ子のような笑顔で言葉を紡ぐ。
「そういえばオレ、宗治さんと一緒に姫宮家の用心棒してるんだったな」
黒井龍斗は強くなりたかった。
もっと広い世界を見て、もっと人との繋がりを持ちたいと思っていた。そして、広い視野で様々な価値観に触れることで成長したかった。
全く異なる色と色を合わせることで新しい色が生まれるのと同じように、変わろうとしていた。
その方法の一つとして、再び旅立つことでその成長を実現させようと考えていた。
ほんの十数秒前までは。
「用心棒が町を離れちゃダメだよな」
龍斗の強くなる目的は兄を目指すことだった。
しかし、今の瞬間で龍斗の目的に変化が生じたのだ。
――オレは。
「兄さんや宗治さんに比べたらまだまだ力不足だけど……いいかな」
――彼女一人を守れるくらいの強さが欲しい。
龍斗は、照れ臭そうにはにかむ。
自分の弱さを自ら認め、その上で守りたい存在と向き合う。
人に弱みを見せるのが怖い彼にとって、かなり勇気のいる行為だった。
目を丸くして龍斗の言葉を聞いていた姫奈は俯いて、ぼそぼそと言葉を紡ぐ。
「……とりあえず、この手をどけなさい」
姫奈はゆっくりと龍斗の片手を退け――瞬間、龍斗のみぞおちに鈍痛が走る。
「おうふっ」
突然の痛みでうずくまる龍斗の前には、拳を握る姫奈が仁王立ちしていた。
「本気で用心棒やるんだったらこれくらいの不意打ちは読みなさいよ」
「お前は……ッ…空気を読め……」
絞り出すような声で言葉を返す龍斗に姫奈は手を差し伸べた。
「なんか、悪いことしちゃったね」
「何が?」
姫奈に差し伸べられた手を借りて立ち上がりながら、龍斗は彼女に尋ねる。
「……アタシのせいで引き止めちゃったかなって」
姫奈はそう言うと、しゅんとした表情で俯いた。
「お前はもっと振り回すくらいの勢いでいていいくらいだぞ?」
龍斗はそう言うと、薄暗くなった森の方へと向き直り、歩き始めた。
「ありがとう」
ぽつりと背後から呟かれた言葉に、少年は黙って頷く。
二人と一匹はようやく丘を離れ、森を抜け――姫宮家へと向かっていく。
依頼を受けてほんの数時間。
しかしこの数時間で、龍斗自身と二人の関係に変化が生じていた。
龍斗は姫奈が好きだ。
かけがえのない友人として。
あるいは幼なじみとして。
あるいは自分を導く一恩人として。
あるいは――
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