2-8 兄の真実

■■■


「――ない、ない! なんでっ!」


 姫奈はブラウスのポケットに手を突っ込む。

 いつも持ち歩いていた大切な物がない。スカートのポケットの中も探ってみるが、何も入っていない。


 幼なじみの兄が持っていた翠色のペンダント。

 だが、持ち主は既にこの世に居らず、ペンダントは兄の所有物でなく形見となってしまった。

 それを知らず兄を探し続ける幼なじみにいずれ真実を告げるとき、少女はペンダントを彼に託すつもりでいた。


 姫奈は外に探しに行くために、急いで部屋のドアを開ける。


「――――」

「……」


 彼は部屋の外に立っていた。

 部屋に押し入り、バタンと強風に煽られたように乱暴にドアは閉まる。

 カチャリという音が外部との繋がりを絶ち、外からの干渉を受け付けない。


 その張り詰めた空間の中に、少年と少女は二人きりとなった。


 少年は、手に持った物を突きつける。


「これ、お前が持ってたんだろ」


 しゃり、と金属が擦れ合う音。

 姫奈は俯いたまま頷く。彼女はそれを直視せずとも、何であるかを理解したのだ。


「なんでお前が持ってたの?」

「…………」

「兄さんのこと、知らないって言ったよな?」

「…………」


 龍斗は問い詰め回答を迫るが、彼のペンダントを突きつける手は震えていた。


 姫奈が隠し持っていたこと――それは、自分には打ち明けられない理由があってのことなのだと龍斗は感じ取っていた。

 手の震えは、そう察した自身の恐れから来るものだった。


 このことを彼女に聞けば、きっと最悪な情報を耳にすることになる、と。


 黙り込んでいた姫奈は、崩れるようにベッドに座った。


「ごめんなさい……」


 俯く彼女の膝に、ぽとりと滴が落ちる。


「え、あっ……と、あの、…………ごめん」


 龍斗は姫奈を追い詰めている自分に気づく。

 強気で明るく、泣くこととは無縁そうな少女。

 実際、龍斗は姫奈が涙を流すところを今まで見た記憶はなく、今日が初めてで戸惑っていた。

 そんな彼女を見て、龍斗はいずれ耳にするであろう最悪な情報の内容が何であるかを、聞かずとも容易に想像できた。


 ――これはきっと、本当に、“最悪”な情報だ。


 龍斗は、ベッドに腰掛け啜り泣く姫奈の前で立ち尽くす。

 突きつけたペンダントをズボンのポケットの中にしまい、少年はただ少女を見下ろす。

 そんな彼の中、怒りの感情はすでになくなっていた。


 姫奈は少し落ち着きを取り戻すと、深呼吸をして話し始めた。


「龍斗が言ってた通り、あの人はこの町に来てたんだ。よく話してたから、泊まってた宿も知ってる」


 龍斗は、床に体育座りをしてベッドに寄りかかる。ちょうど姫奈から自分の顔が見えないような位置で。


「あの人、優しすぎるのよ。自分みたいに人をたくさん殺めた罪人に、家族と会う資格なんてないって言ってた」


 少年は、いつか故郷の丘で交わした会話を思い出す。


『兄さん、今度はいつ戻ってくる?』

『……きっと、近いうちに帰るよ』


 少し申し訳なさそうに言って、三年以上戻ることのなかった兄。

 その表情に込められた想いと、戻らなかった理由を知った。


「でもある日、あの人を訪ねたら――」


 彼女の声はまるで携帯電話の電波が届かなくなったときのようにそこで途切れた。

 龍斗が振り向くと、姫奈は再び声を押し殺して啜り泣いていた。


 少年は、少女の代わりに震える声で続きを語った。


「……あの人のことだ。どうせさ、罪悪感か何かで幻界ここから消えちまったんだろ」


 姫奈は、僅かに首を縦に振って頷いた。

 龍斗はそれを見るとベッドのある方とは逆の方に向き直り、そっと立ち上がってドアへと歩いていった。

 そして、自分でかけた鍵を解くと、振り向きもせずにドアノブに手をかけた。


「黙ってて……っごめんね……」


 しゃくりあげながら、後ろの彼女は謝罪の言葉を口にした。


「――――」


 ドアノブにかけた手は、ぴたりと捻る動作を止めた。

 このまま何事もなく立ち去るつもりの龍斗だったが、泣きじゃくる幼なじみを放っておけるほど冷たい人間にはなれなかった。


 龍斗はもう一度静かに鍵をかけると、ドアノブからそっと手を離す。

 その手は、自分の心拍数に合わせて揺れているようだった。

 どくどくとせわしなく脈打つ鼓動が龍斗にとっては不快で、そのせいで冷静さを見失ってしまわないよう、必死に自分を落ち着かせようとする。

 そんな自分の右手首を、左手でぎゅっと脈を止めるように握った。


 ――ああ、もう。面倒だ。


 早足でベッドの方へと向かい彼女の隣に座ると、彼女の頭を乱暴に撫で回した。

 はたから見れば、女子をいじめる男子にしか見えない程に暴力的だった。


「もういい、頼むから泣くのはやめろ」


 しかし、それが不器用な龍斗の精一杯の思いやりであることを姫奈は分かっていた。


「いたい……」


 それでも、乱暴であることに変わりはないが。


「あー悪りい悪りい、じゃあ泣くな」


 龍斗が姫奈の頭から手を離すと、くしゃくしゃになった頭を姫奈は手ぐしで整え始めた。


「そんな乱暴じゃモテないよ」


 姫奈は口を尖らせて非難する。

 ジッと睨みつける姫奈の目はまだ腫れぼったく、それでもなお強気でいようとする彼女を見て、龍斗は苦笑した。


「別にモテなくていいよ。そういうの興味ないから」


 龍斗が非難に対して率直な意見を述べると、姫奈の視線はさらに鋭さを増し強化された。


「あんたに頭触られるなんて……これ程の屈辱はないわね」

「お前さ、人の善意に対してそういうこと言う?」

「善意の意味知って使ってるの? どう考えてもあんたの自己満足でしょ」


 そして、いつもの言い争いが始まる。


「姫奈こそ自己満足の意味わかってんの? 心配してやってんのに何様だよ」

「してやってるって言葉が出てきた時点で完全に自己満足でしょ……」


 しかし、そんなやりとりをしている中、龍斗は自分の心境の変化に気づき戸惑う。


 ――動悸が止まらない。


 右手首を握ったときに感じた動悸。姫奈が元気を取り戻した後も、それは治まらないでいた。

 姫奈ではない、何か別の要因から来るもの――それは、彼自身の中でまだ整理のついていない問題があるということを示していた。


 少年は、幼なじみとの言い争いに興じる。

 未知の不安に侵されながら。

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