第8話 2年越しの一歩

 優也は部屋に散乱していた椅子を二つ用意して、一方をひなこのもとへと置いた。


「まあ、聞きたいことは山ほどあるんだが……」


 優也は椅子に腰を下ろしながら、現状最も気になっていたことを尋ねる。


「まず、一ついいか?」

「うん?」

「なんで俺ら以外人がいない? この建物はわかるが、目の前に通ってんのは国道だぞ? なのに車どころか人一人いない。どういうわけだ?」


 ここは都心から離れているとはいえど、まだまだ会社の事務所などが建ち並ぶオフィス街だ。今の時間、仕事帰りの車や人がいるはず。だというのに、ここに来るまで車も人も全く見かけなかった。そのおかげで国道を横断できたわけだが。思い返せば、ひなこのもとへ駆けつける最中も人とすれ違った記憶がない。


「『結界』が張られてるから、かな」

「結界だ?」


 聞いたことがないわけではない。よくマンガとかアニメとかで出てくる、なんというかバリアというか壁というか、そういう何かを通さないようにするものだ。

 しかし、現実世界でそんなことを言われても、いまいち実感が湧いてこない。


「わたしたちはそう呼んでるの。詳しくは知らないけど、『美少女』が力を使う状況になると自動的に結界が展開して第三者を排除するようになってるみたい」

「それはつまり、結界とやらは、無関係者が立ち入れない空間ってことだよな?」

「うん」

「俺は無関係なんだが?」


 自分が、ここにいる理由がわからなかった。

 結界というのが張られているのだとして、それが関係のない第三者を排除されるものなのだとすれば、優也も一緒に排除されているはずである。


「たしかに。なんでだろ?」


 ひなこすらも、頭上にクエスチョンマークを浮かべる。

 当事者でわからないことが、優也に分かるわけがない。


「まあいい。さっきの話で一つ確認だが、美少女ってのは自分のことか?」


 決して明元ひなこが美少女でないと言っているわけではない。むしろ、美少女に該当するほど可愛らしい容姿をしている。しかし、自分で自分のことを美少女だというのはどうかと思う。


「わたしも『美少女』の一人だけど、あの人造人間もいちおう『美少女』だよ? 正確には、『美少女になれなかった存在』だけどね」

「待て待て待て。全く理解できん。お前の言う美少女ってのはなんだ? それに人造人間ってのは……」


 人造人間についてはニュアンスから誰のことを指しているか想像がつくが、ひなこの言う美少女というものが、一般的な美少女とは解釈が違う気がする。でなければ、ひなこの言葉を理解することができない。


「『美少女』については長くなるから、まず人造人間のことを話すね。もう気づいてると思うけど、優也くんがさっき倒したのが人造人間。簡単にいえば、研究所が作り出した、人の形をした、でも人間とは違う生き物かな。そんな存在のことを、わたしたちは人造人間って呼んでるんだよ」

「研究所……。そういや前も言ってたな。たしか、お前が潰そうとしてるところだったっけか」

「うん、そうだよ。研究所は他にもたくさんひどいことをしてるからね」


 なるほど。彼女が研究所を潰そうと努力している理由は理解できた。


「そいや、契約しないとあんま詳しくは話せないんだったな」

「でも、わたしはずいぶんと話しちゃったよ?」

「含みをもたせて疑問形にしてんじゃねぇよ」


 はっきり言って、怪しい契約なんか結ぶ気はさらさらない。

 その時、


 ギシ……、と


 地面を踏む音が鳴り響いた。

 優也とひなこはとっさに会話を中断して、その音が聞こえてきた方向、つまり、ロッカーで封鎖したドアの向こう側に意識を集中させる。


「…………」


 靴で歩く音ではない。まるで裸足で歩いているかのような、人一人分の足音が聞こえてくる。

 そういえば、あの人造人間とかいうやつは靴を履いてはいなかった。そもそも、人型を模しているというだけで、むしろ見た目は化け物に近いのだから履いているはずがないわけだが。

 まだ、近づいてくる足音が人造人間だと決まったわけではないのだが、こんな状況、決めつけてしまっても仕方がない。

 あくまでも向こう側へ聞こえない程度の声量で、優也は話し出す。


「おいおい、ここならバレねぇ自信があったんだが……。お前、発信機でもついてんじゃねぇのか?」

「わたしのせいなの⁉︎」


 そうとしか、ここが気付かれた理由が納得できない。


「でも、もしかしたら、誰かに監視されてるのかも」

「誰か?」

「研究所にはたくさんの『美少女』がいるから。人造人間だけを送り出したとは考えにくいかも」

「じゃあ、つまり、お前以外の美少女とやらが、あの化けもんみたく、お前を狙ってるってか?」

「今すぐになにかしてくることはないと思うけど、いずれはそうなるかも」

「…………」


 果たして、そこまでして研究所を壊そうとする必要があるのだろうか。その組織について何も知らないから、と言われればそれまでだが、自分の命を張ってまで叶えたいことなのだろうか。それに、それを一人で成し遂げることなど不可能に近いように感じられる。

 昨日、ひなこは言っていた、研究所を潰すには誰かと契約が必要だ、と。それはつまり、誰かが契約をしなければ、いつか彼女は……。


「ひなこ」

「ど、どうしたの、優也くん?」


 そういえば、彼女を名前で呼んだのは初めてな気がする。


「契約とやらをすれば、この状況を打破できんのか?」

「それはもちろんだよ。わたしも能力を使えるようになるしね」

「そうか」


 正直言って、まだまだ疑わしい契約である。

 そもそも、明元ひなこを信用してもいいものか。彼女の言うことは意味不明なことが多い。しかし、今の彼女は不思議と信じることができた。


「んじゃ、俺と契約してくれ」

「え? で、でも契約のことなにも話して……」

「んな悠長なことしてる暇ないだろ」


 敵は、すぐそこまでやって来ている。ここが見つけられるのも時間の問題だろう。


「で。俺はどうすりゃいい?」

「まず契約するコースを」

「コース? もうなんでもいいよ」

「それはダメだよ。あとで言っても変更できないよ?」

「いいから。ひなこのおまかせで頼むわ」

「本当にいいんだね?」

「ああ」


 その確認は、妙に恐ろしさを感じるものであったが、今は一刻を争う時だ。そんな説明を受けている時間はない。


「そんで、結局、契約って何すりゃいいんだ? 書類にサインするとかじゃねぇんだろ?」

「簡単だよ?」


 そう言って、ひなこは右手を前へ出す。


「手、かして?」

「ん? あ、ああ」


 少し戸惑いながらも、優也は右手を差し出した。その手をひなこの右手が受け取る。


「んじゃあ、目を閉じて。わたしがいいって言うまで開けないでね?」

「わかった」


 言われるまま、優也は目を閉じた。

 こういう状況で目を閉じるのは、眠る時とは全然違い、まるで自分の心臓の音に呑み込まれてしまいそうだ。とても長く感じたのは緊張のせいだろうか。

 やがて、暗闇の向こうで、声が聞こえてきた。


「……その生涯を契約者に捧げ、我、汝と契りを交わす事を此処に誓う」


 ひなこらしからぬ静かな声で、そのセリフを言い終えると同時、優也は、手の甲に、ほのかに温もりを感じた。

 それがなんであるのか知ることもなく、


「……もういいよ?」

「…………」


 優也は、ゆっくりと目を開けた。

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