第7話 女の子の手

「やあっ!」


 投げつけた廃材も、いとも簡単に跳ね除けられてしまう。


「…………」


 未だに頬から流れ出る血を手で拭って、明元あかりもとひなこは現状を整理する。

 ひなこと対峙しているのは、人の形をした生物。『人造人間じんぞうにんげん』なんて名前で呼ばれているが、人型を模しているというだけで、それは人間ではない。

 その生き物が、ひなこを襲ってきているわけだが、彼女にはそれを迎え撃つ術がない。出来ることといえば、石や木の棒を投げたり、あるいは逃げることだ。しかし、そのどちらも全く成果を上げていない。


(誰か契約者がいたら……)


 候補にあげていた石崎いしざき優也ゆうやという少年も、先ほど家を訪ねたが不在だった。その際負わされたのが、頬にある切り傷である。その拍子に、髪を結っていたヘアゴムも落としてしまった。

 基本ポジティブシンキングなひなこであるが、さすがに今の状況を前向きに考えることはできなかった。

 ここまでかな……、なんて弱音が頭をよぎるが、ひなこは首を振って忘れ去ろうとする。


(……ううん。わたしには、やらなきゃいけないことがある。こんなところで諦めるわけには……)


 とはいえ、何か策が思い浮かんだわけでもない。

 もはや打つ手なしの状況に、ひなこは一歩後ずさる。それに合わせるようにして、人造人間は、一歩、また一歩と、ひなことの距離を詰めてくる。

 ……ドン、と。ひなこの背中に何かが当たった。軽く振り返って見れば、それは、まさかの、石でできた塀だった。


(どうしよう……)


 右側も壁、左側も壁、前には人造人間が。ひなこは、完全に追い詰められてしまった。

 ジリジリと近寄ってくる敵が、まるで死までのカウントダウンをしているようで、ひなこは焦りを隠せなくなる。


(もうだめ……かな……)


 さすがに、ひなこは死を覚悟した。

 そんな時ーーーーーー


「これでも、食らえぇぇえぇぇぇッ‼︎」


 何かが衝突するような鈍い音がして、人造人間が静かに前へと倒れ始める。ひなこは何が起きたのか状況が読み込めない中、倒れた人造人間の陰から現れたのは、


「ギリギリセーフってか」

「ゆ、優也くん⁉︎」


 なんと、石崎優也だった。

 どこかで拾ってきたのだろう、彼の手には、木を支える支柱が一本握られていた。


「優也くん、どうしてここに……」

「どうしてだ? 人ん家の前に、あんなもん残して行きやがって、よくそんなこと言えたな」

「それは……」


 ひなこは、返す言葉もないといった様子。そういうつもりではなかったのだろうが、結果的にそれが、優也がひなこのもとへ駆けつける理由になった。


「どういう状況だ…………って尋ねたいところだが……」


 優也の足元で、倒れていた人の形をした人間ではないものが、再び立ち上がろうと動き出す。


「行くぞ!」

「えっ? ちょっ……」


 否応なしに、ひなこの手を引いて、優也は走り出した。


「ゆ、優也くん! どこに行くの⁉︎」

「どこって、あいつから逃げる場所を探してるに決まってんだろ」

「当てはあるの?」

「当て?」


 街の通りを、ひなこの手を引っ張りながら、優也は全速力で走り続ける。

 ここは優也が住む住宅地からは少し離れているが、土地勘がないわけではない。

 都心部から離れている場所ではあるがビルが建ち並ぶ通りを走りながら、優也は周囲に目を配る。


(あれならちょうどいい)


 後方を振り返り、敵が追ってきていないことを確認。


「こっちだ」


 片側二車線の道路を横断し、優也はひなこの手を引いたまま、反対側にあったビルへと向かう。

 このビルは、すでに取り壊しが決定していて、今は何も使われていない、いわば廃ビルである。

 少し脱線すると、この廃ビル、心霊スポットになるほど廃れているわけではないが、ビル街の中に、場違いに一つだけ使われていないビルが建っているだけに、そういう噂がないわけではなく、若者の間ではわりと知られた建物である。優也も、笹木から聞いてはいたのだが、実際に訪れたのはこれが初めてだ。

 『立ち入り禁止』と書かれたフェンスを押し倒し、優也はひなこを連れてビルの中へ入った。


「…………」


 すぐさま優也は辺りを見回して、隠れれそうな場所を探し始めようとする。


「?」


 ふと、手に違和感を覚え、視線を落とし、優也は思い出す。ひなこと手を繋いだままであったことを。


「ぅおっと⁉︎ わ、悪い……」


 逃げることに必死だったとはいえ、女の子と手を繋いだことなど何年振り……いや、しょうもない見栄なんて張らず、正直言って、今まであっただろうか。

 思ったよりも女の子の手というものは柔らかく肌触りがいいようだ。

 ……なんて余韻に浸っていると、自然と優也は頬に熱を覚えていた。

 慌てて手を離したものだから、てっきりひなこも驚いているだろうと思いきや、


「どうしたの、優也くん?」


 むしろ、心配そうに優也の顔を見て、首を傾げていた。

 これではまるで、一人で照れて一人ではしゃいでいた馬鹿みたいではないか……。

 どうやら明元ひなこは、男と手を繋いでも恥ずかしがるような、うぶな人ではないらしい。


「な、なんでもねえ」


 平静を保つようにして、優也は今の状況に意識を戻す。

 幸いにも、ひなこを襲っていたやつは、まだ優也たちがこのビルにいることに気がついていないようだ。むしろ、これだけ隠れれる場所がありながら、このビルを当てることができる確率など何パーセントか。下手なことをせず、静かに身を隠していれば見つからない自信が優也にはあった。

 そして、フロアの右奥に、隠れることができそうな部屋があることを発見する。


「あそこだ」


 今度は手を掴むわけではなく、優也が先導してひなこを隠れ場所へ案内する。

 ひなこが部屋に入ったことを確認し、優也はドアの鍵を閉めて、すぐ隣に置いてあったロッカーを倒して封鎖する。


「これでよし、と……」


 とりあえずは一安心。あとは、時間が解決してくれるだろう。

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