第6話 変わりゆく日常
「それじゃあね、ゆーくん」
「ああ」
「また放課後」
手を振って教室へと姿を消していった
そうして優也も自分の教室へと入り、机の横に立ったところで、あることに気がついた。
「あれ? 笹木は? もしかしなくても、また遅刻か……。てか、机がねぇけど、あいつ、ついに退学にでもなったか」
本人がいないのをいいことに、冗談交じりに言ってみる。
その声に気がついた冬野は、振り返って笑顔で挨拶をする。相変わらず、男よりも女みたいなやつだ。
「あっ、優也君、おはよう。今日は珍しく遅いんだね?」
「ちょっとな。まあ、いつものことだが、俺より遅いやつがいるけどな」
「?」
男らしからぬ仕草で、冬野は可愛らしく首を傾げてみせた。
「笹木だよ。あいつの席がねぇんだが、知らないか? さすがに退学とかじゃねぇだろ?」
確かに笹木は態度素行成績、どれをとっても学年下位に存在するようなアホだが、昨日の今日で退学させられたとは考えにくい。
しかし、冬野から返ってきた言葉は、優也が予想もしなかったものだった。
「ささきって、誰?」
「………………は?」
優也、笹木、冬野は、席が近いということもあって、よくいつもいる三人組である。優也はもちろん、彼らも友だちだと思ってくれていることだろう。そんな友人の一人に対し、冬野は「誰」と問うたのだ。
だが、冬野はあまり冗談を言う方ではない。特に、周りに対し気配りができる彼は、人が傷つくようなことは決して言わないだろう。
だから、彼のその問いには、優也も驚きを隠せなかった。
「い……、いや、誰て……。笹木だよ、笹木竜。いつも授業中寝てて先生に怒られてて、全然遅刻癖が治らねえ、このクラスのおバカさんだよ」
本人が聞いたら全力で怒りそうなことを述べてみる。しかし残念なことに、パッと思いつく彼の特徴といえば、今述べたようなものばかりだ。
「ささきりゅう? ……うーん、僕は知らないかな。何組の子なの?」
「いや、俺の後ろの席……」
最後まで言いかけて、優也の言葉は止まった。
なぜなら、
「優也君の後ろの席? 誰もいないと思うけど……」
そう。どういうわけか、昨日まであったはずの笹木竜の座席が、綺麗さっぱり消えてしまっているのだ。
まるで、初めからそこに存在などしなかったかのように。
(いったいどういうことだ……?)
全く意味がわからない。確かに笹木竜は存在する。だって昨日も『美少女レンタル』とかなんとかのことについて話をしたのだから。それは間違いなく夢ではないはずだ。
ドッキリという線も疑ったが、冬野の顔を見る限り人を騙しているようには見えなかった。
こんな不可解な出来事、答えなんて出るはずもなく、優也の思考はチャイムの音とともに教室へとやって来た担任の声に一時中断された。
「みなさん、おはようございます。それでは朝礼を始めますね」
座席順に、生徒の名前が呼ばれていく中、優也は再び頭を悩ませていた。しかし同じように、何一つ答えなんて出ることもなく、ただただ時間だけが過ぎていく。
「……くん。石崎くん?」
ふと、自分の名前を呼ぶ声が聞こえて、優也の意識が現実へと引き戻される。
「あ、はっ、はい⁉︎」
「はい⁉︎ じゃあ、ありませんよ。ホームルーム中ですよ? しっかりしてくださいね」
「はい、すいません……」
担任が優也の出席を確認したところで、生徒の名簿を閉じた。
「……はい。今日も全員出席ですね」
全員出席……? それに、今日『も』?
「先生!」
「なんですか、石崎くん?」
「笹木は……、笹木竜が、いないんですが……」
「ささきりゅう君? ……このクラスに、そんな名前の子はいませんよ?」
担任までもが笹木竜のことを忘れているというのか。
「笹木竜ですよ? 笹木竜。いつも遅刻ギリギリに登校してくるようなやつで、先生も気にかけてたじゃないですか。昨日だって、それで、一時間目に指導を……」
言いながら、優也は、自分一人だけが取り残されていくような感覚に襲われる。周りは誰一人として笹木竜のことを忘れているというのに、自分だけが、それを知っていて、笹木竜のことを覚えているみたいで。
「…………」
「石崎くん? 大丈夫ですか?」
会話を途切らせたまま、呆然と立ち尽くす優也に、担任は心配そうに歩み寄る。
「今日は、ずいぶんと様子がおかしいように思えますが、保健室に行きますか?」
「いや……、いいです……」
優也は、静かに着席する。
クラスメイトたちは、まるで頭のおかしな人を見るような視線を優也に向けていた。
確かに、突然、クラスにいないはずの人がいるなどと言い出せば、そんな風に勘違いされても仕方がないと思う。しかし、優也の中では笹木竜は確かに存在する人物なわけで。
とはいえ、担任までもが彼の存在を否定したとなれば、この世には笹木竜という人間がいなくなった……いや、正確には、笹木竜という人物がいなかった、ということなのだろうか。
「…………」
自分で答えを導き出して、自分自身が馬鹿みたく思えてきた。
そんな夢みたいな、現実に起こり得るわけもない一つの仮定が思いついたところで、いつそんな世界に変わったのか、そもそもどうやって笹木竜という男の存在が消え去ったのか、謎は残るばかりであった。
結局、一つも謎が解けることはなく、六時限全ての授業が終わってしまった。
帰路、珠音にも笹木のことを聞いてみたが、やはりみんなと同じ反応を返していた。
笹木は優也の友人であるため、別のクラスといえど珠音は彼のことを知っているはずなのだが、どうやら彼女も彼のことを忘れてしまっているらしい。
朝待ち合わせをした公園で珠音と別れ、優也は自分の家へ向けて歩いていた。
(なんか、今日は、マンガみたいなことが起こったな……)
昔は、自分に不思議な力があると信じていた時期が優也にもあったが、今ではさっぱりそういうことは考えなくなった。そんなことはあり得ないのだと、自然と気づいてしまったからだ。
今日のことだって、何かの勘違いなのかもしれない。実は忠実に再現された夢だったとか、そんな。
一日中頭を悩ませていた疲れが出たのだろう。倦怠感に襲われながら優也は家へとたどり着いた。
門扉を開けようとして、優也の手が止まった。
「…………?」
視界の端に、何かが映り込んだからだ。
歩み寄り、顔を近づけて見てみると、それは、誰しもが一度は見たことがあるもので、しかしそれを見た瞬間誰しもが驚いてしまうだろうもので。
「…………。血⁉︎」
一瞬間を空けて、優也はそれが血だまりであることに気がついた。
思わず尻餅をついた優也の手に、ネバネバとした何かが触れる。それを拾って見てみると、赤黒い血の塊で、
「ひぃっ……⁉︎」
とっさに優也は、それを投げ捨ててしまった。
「…………」
しかし、よく見ると、その赤い血に染まった何かは見覚えがあった。
「…………ひまわり、か?」
ひまわりの装飾がついたヘアゴムのようにも見える。
「あれって…………」
それは、間違いなく、あの泥棒少女、
「なんで、あいつのが、こんなとこに……」
その疑問は、すでに優也の中で答えが出ていた。ただ、それを認めなくなかっただけだ。
『わたしと一緒に研究所を潰す手伝いをしてほしいんだ』
昨日、ひなこはこう言っていた。
その言葉から考えるに、それは簡単な手伝いではないだろう。きっと危険が伴うはずだ。
じゃあ、研究所とやらを潰そうとしている彼女は、常に危険が隣り合わせということになるのではないだろうか。
じゃあ、ここらへんにある血だまりは?
ミサンガを結っていた彼女の髪ゴムが、ここに落ちている理由は?
「…………」
その結論に根拠はない。だが、優也には言い切ることができた。
『わたしの直感はね、当たるんだよ?』
そう言っていた彼女は、どういうわけか会って間もない優也のことを信じているようだった。
ーーそう。昨日八つ当たりのように優也は彼女を追い返したというのに、彼女は再びここへとやって来たのだ。
ーーなぜ?
理由は簡単だ。優也に助けてもらうためである。
「あのやろう……!」
乱雑にヘアゴムを拾い上げ、深く考えもせず、優也の足は地を蹴っていた。
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