第5話 幼なじみと肉じゃが
翌日。
優也は、昨日、アプリでやり取りをしていた幼なじみと学校に行くため、いつもの待ち合わせ場所である公園の時計の下に立っていた。
「…………」
少し早めに到着してしまった優也の脳内に巡るのは、もちろん、昨日の
昨日は、若干無理矢理に追い返してしまったが、結局彼女は優也に何を手伝ってほしかったのか。
研究所を潰すこと、とか言ってたが、その研究所というのは何の研究を行っている施設なのだろうか。明元ひなこは、その研究所で、どの立場にある人物なのだろうか。
また、研究所破壊を達成するために必要となる契約というのは何なのか。
そして、彼女は、なぜ研究所を潰す必要があるのか。
突然現れて、意味不明なお願いを押し付けてきた、あの少女。いったい何者だったのだろうか。
とはいえ、もう関係のないことだ。彼女と出会うことは、これから先一度としてないのだから。
(……つっても、本当に困っている様子もあったよなぁ……)
今の優也に罪悪感がないといえば嘘になる。
しかし、人助けなど、所詮は自分の欲求を満たすための偽善に過ぎない。
例えば、あの場で彼女の願いを聞き入れて手を差し伸べたとしよう。果たして、それは彼女のためだろうか。会って数十分の、あの少女に協力できる理由が、その人のためであるなんて考えにくい。ならば、その善は、自身のプライドのための偽善といえるのではないか。
果たして、そんな偽善で協力されて誰が嬉しく思えようか。
「……くん? ゆーくん?」
「ん? あ? あ、ああ、なんだ?」
深く奥底へと潜ってしまっていた優也の思考は、どこからか聞こえてきた声によって地上へと舞い戻ってきた。
声がした方を見れば、隣から顔を覗き見る形で小首を傾げている少女の姿が。
長い黒髪は、三つに編み、それを一本に結って肩から垂らしている。瞳の色は髪と同色の黒。身長は、優也より少し低く、胸には二つのお山を抱えている。
名を、
そんな彼女、実はこの街の人たち愛用の食堂で看板娘をつとめている。店主である彼女の父親はもちろん、珠音の作る料理も絶品だ。昔から優也もよくお世話になっているお店である。
「ゆーくん、考え事?」
「いいや」
「わかった! 悩み事でしょ」
勘が鋭いのも昔から変わらない。
「んなもんねぇよ」
「隠しても無駄だよ? ゆーくんの顔を見てたら分かるんだから」
「顔って。今の俺はいたって普通の表情だが」
「ううん。いつもと違うよ」
「どこがよ?」
「眉間に天文学的レベルでシワが寄ってるよ?」
「天文学的レベル⁉︎ お前もはやそれは眉間じゃなくてシワだろ!てかどんなシワだよ‼︎」
「ごめん間違えたよ」
「お、おう……」
でなければ困る。平然を装ってたつもりが、眉間に天文学的なシワが寄ってたなんて、なんて言えばいいのやら。
「…………ゆーくん」
「ん?」
「天文学的の対義語ってなに?」
「あ? あー…………」
突然の質問。
てか、なんていうのだろうか……。
「なんか昔、どっかで量子力学的とか聞いたことがあるけどな」
「そっか、量子力学的。……うん。ゆーくんの眉間には量子力学的なシワが寄ってるんだよ」
「いや、いちいち言い直さんでも」
てか、わざわざ難しい言葉を使わなくてもいいのではないだろうか。
まあ、それだけ小さな変化すらも見逃さないというわけだ。
「それで? 何を悩んでるの?」
悩みがあること前提なのか。まあ、その勘は的中しているのだが。
彼女に隠し事は通用しないだろう。
「……実は、昨日頼みごとをされてな」
「頼みごと?」
「まあ詳しくは聞いてないんだが、なんでも手伝ってほしいことがあるとかで、俺に頼んできた女の子がいたんだ」
「それで? ゆーくんはなんて答えたの?」
「予想ついてんだろ。わざわざ聞くなよ」
「ゆーくんの口から、わざわざ聞きたいんだよ」
なんでそんなことを……、と思いながらも、優也は珠音に対し黙り続けることができなかった。
「…………。断ったよ」
「どうして? その子、困ってたんじゃないの?」
「そらそうだろうけど……。お前は、昔、俺が何をやらかしたか覚えてんだろ」
「もちろん覚えてるよ。でも、それをいつまでも引きずってるのはかっこ悪いと思うな」
「かっこ悪いだと……?」
「うん。かっこ悪い。男の子にとって大事でしょ? かっこ良い、かっこ悪いって。正直言って、今のゆーくんはかっこ悪いと思うな。昔のゆーくんの方が、何百倍もかっこ良かったと思うよ?」
珠音は、少しも遠慮することなく言い切ってみせた。
「そうは言ったってな……」
あの出来事を割り切ることなんてできるはずがない。
「私は、なにも、綺麗さっぱり忘れたほうがいいって言ってるんじゃないよ? ただ、過去に犯した過ちは消えてなくなることなんて絶対にないんだから、逃げるんじゃなくて、どう向き合っていくかが大切なんだと思うよ」
「逃げてるわけじゃ」
「逃げてるよ。目をそらして、なかったことにしようとしてるだけ」
優也の言葉を遮って、自信げに、そう珠音は宣言してみせた。
「今のゆーくんは、どうしたいの? 要するに、本当の石崎優也の気持ち、だね」
「本当の俺がどうしたいか、か……」
「そ。本当のゆーくんの気持ち」
自分自身のことが分からないというのに、なぜ珠音はすべてを知っているような顔をしているのだろうか。
そんな時、頭上で鐘が鳴り響いた。八時ちょうどを知らせる時計の鐘だ。
「あっ。もうこんな時間。ゆーくん、はやく学校に行かないと」
「そうだな」
決して遅刻するという時間ではないが、優也も珠音も、学校には早めに着いておく派の人間だ。
「そういえば、ゆーくん」
「ん?」
歩き始めようとした優也の足が、珠音によって呼び止められる。
「この前渡した肉じゃが、どうだった?」
「あ? 肉じゃが、な……」
明元ひなこによって食べられてしまった、あの肉じゃが。実は、珠音が作ってくれたものなのである。
彼女は、時折優也に料理をおすそ分けしてくれる。いつもありがたく食べているのだが、あの肉じゃがばかりはそれが叶わなかった。
それが珠音に知られれば、彼女の性格からして表には出さずとも、内心では悲しんでしまうだろう。それだけは、なんとしても避けなければならない。
「あ、ああ。肉じゃがな、美味かったぞ?」
「ほんと? どんな風に?」
どんな風に……。
「じゃがいもに味が染みててな。ご飯によく合う味付けだったぜ」
「じっくり時間をかけて煮込んだからね。他には?」
他には、だと……。
優也は言葉に迷っていると、思い出したかのように珠音が問うてきた。
「そういえば、隠し味入れてたんだよ? 気がついたかな?」
そんなもんまで入ってたのか。
そういや、昨日、その肉じゃがを食べたひなこが隠し味がどうとか言っていたのを思い出す。きちんと聞いておけばよかったと後悔。
「い、いやぁ……。気がつかなかったな……」
「あれ? 食べたら絶対に気がつくものだったんだけどな……」
どんな隠し味だよ、と心でツッコミながら、
「ほ、ほらっ! 学校行くぞ!」
これ以上は、墓穴を掘ってしまいそうで、なにより勘の鋭い珠音に気づかれてしまう可能性が高かったので、優也は逃げるようにして学校へ向けて歩き出した。
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